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古い「メモ日記」から

いつ、ネットから完全に切断され、再起(再帰)不能になるか分からないので、昔書いた文章(「メモ日記」)の中で、自分で再読しても面白いものを、古いフラッシュメモリーから幾つか転載しておく。まあ、飛び飛びだと面倒なので、まとまりのいい部分を丸ごと掲載する。
「メモ日記」自体は別項目としても載せてあるが、すべて載せたかどうか記憶がないので、わりと「社会的重要性」が高そうな部分を選んだ。

(以下自己引用)



 #103  バルザックの名言二つ


 


 バルザックは非常に現代性を持った作家で、「ゴリオ爺さん」のラスティニャックのテーマ、つまり、貧しい若者が、いかにして社会でのし上がるかというテーマは、封建社会以後の各時代の、多くの若者が抱えているテーマである。もちろん、これはスタンダールの「赤と黒」のテーマでもあるが、バルザックは個人的な心理分析よりも社会の仕組みを大局的に描き出した点で、より現代的だと言える。バルザックを読めば、社会についての正しいパースペクティブ(遠近感)が持てるというのが、私の持論である。


 たとえば、次のような言葉。


「女は、誰も欲しがらないものは欲しがらないものよ」


 これはある貴族の夫人がラスティニャックに教える言葉だが、この言葉を良く考えれば、なぜ一部の男だけが女を独占し、残りのほとんどの男はもてないのかがわかるだろう。つまり、もてる男は、そのもてるという評判によって、女性たちの興味を引きつけ、いっそうもてるようになるのである。だから、もてたければ……。


 もう一つ。前にも一度書いたのだが、これは悪党ヴォートランの言葉だからこそ面白い。


「美徳ってものは切り売りできないんだぜ」


 これは凄い言葉である。世の多くの人はその場の気分で善行をしたり悪行をしたりしているが、一貫しない善行は美徳と呼ぶには値しない。世の善人たち、以て如何と為す。


 


 


 #104  冒険と反省


 


 リンドバーグの大西洋無着陸横断飛行がアメリカを熱狂させ、彼が一躍アメリカのヒーローになったことは良く知られているが、私はこのことにいつも一種の違和感を持っていた。なぜこの程度のことが、世紀の偉業とされたのか。燃料計算さえしっかりしていれば、後は命を賭けてそれを実行すれば良いだけのことで、それもわずか1、2日程度の辛抱である。その程度の命知らずはこの世には無数にいるだろう。おそらく、現代と同様に、ここにはマスコミの営業方針が働いていたのだろうが、それだけではないかもしれない。それは、冒険というものに対するアメリカの国民性という問題である。彼らは我々よりもはるかに冒険を愛し、高く評価する。たとえば、日本の冒険家である堀江健一や植村直巳などへの熱狂が日本では一過性のものに終わっていることを考えれば、日本人は冒険好きの性格ではないとわかる。日本人はそうした行動を子供らしいものとみなし、縁側でお茶を飲みながら俳句でもひねっているほうを好むのである。


 しかし、個々人の生活における冒険は、人生の可能性を広げる重大な要素である。我々は冒険しない限り、自分に何ができるか本当にはわからないのだ。そして、大事なことは、冒険が失敗に終わっても後悔はせず、反省せよ、ということだ。反省は未来につながるが、後悔は人から活力を奪うだけだ。つまり生産性の面から判断するのが人生の要諦だ。宮本武蔵だって、「我、事に於いて後悔せず」とは言っているが、反省なしであれほどの剣豪になったわけではあるまい。


 


#105 少数者による多数者の支配


 


 「哲学的な目で人間社会を眺めたとき、もっとも驚くべくことは、少数者による多数者の支配が容易に行われていることである」というのは、デビッド・ヒュームの言葉らしいが、同じ疑問は多くの人が感じているだろう。たとえば、現代社会は、明らかに権力と癒着した大金持ちが、「合法的」ではあるが不正な手段を使って他企業を倒し、雇用者や消費者を搾取し、甘い汁を吸っているが、その状態を変えることができないのはなぜか。それは、権力に逆らえば、自らの生存が不可能になるという一般庶民の恐怖のためである。


 権力による支配の基本にあるのは暴力である。社会の初期の段階では、武器や軍隊といった暴力手段を握ることが権力への道であった。あるいは、神の懲罰を背景として、宗教で人々を支配することも行われた。後者は暴力ではないが、暴力を匂わせた威嚇である。その暴力の主体が人間ではなく、神であるというだけのことだ。


 暴力および、暴力を背景とした威嚇が権力の基本であり、やがてそれに法律とマスコミが加わってくる。法律とは、人民の権利を守る存在でもあるが、権力への反抗を封じ込める手段でもある。ほとんどの国で、警察や軍隊は、国民を守る存在ではなく、国民の反抗から権力者を守る存在である。そして、暴力行使の権利はすべて国家に握られ、国民が私的に暴力を行使すると、法律で処罰される。たとえば、高校生が決闘(ルールを決めて行う喧嘩)をしたということで警察に逮捕された事件があったが、これなどは、法の本質が国家(権力者)による暴力の独占であることを良く示した事件ではなかろうか。


 


 


#106  奴隷の作り方


 


 ジョン・スタインベックの「アメリカとアメリカ人」の中に、奴隷の作り方について要を得た言葉があるので、紹介しよう。奴隷の作り方とは、奴隷を統制・支配する方法のことである。それには、奴隷自身に、奴隷制度を嫌わせないように仕向けることか、奴隷制度に抵抗しても無駄だと思わせることが一番である。


 その第一の方法は、奴隷に、子供の頃から、お前たちは劣等で、愚かで弱く、無責任だと思い込ませるように洗脳を施すこと。第二は、抵抗を芽のうちに摘み取り、容赦なく罰すること。第三は、家族、友人を分散させ、同族が集まったり同族を作ったりさせないこと。第四は、(これがもっとも重要だとスタインベックは述べている。)けっして奴隷に教育を施さないこと。


 この第四の点は、第一の点と結びついている。つまり、(これもスタインベックの言葉だが)教育によって必然的に質問と意思伝達が起きてくるからである。


 質問とは、現状への疑問であり、意思伝達は、彼らが徒党を組んで反抗に立ち上がる契機だと考えれば、スタインベックが述べたこの四つのポイントは、権力が民衆を支配する手段として簡にして要を得た説明だと言えるだろう。これを「教育による洗脳」と、「マスコミによる洗脳」に置き換えれば、そのままで現代における人民支配の方法である。我々が奴隷でないなどと、誰が言えようか?


 


 #107  道義と経済


 


 あまり人の気がつきにくいことだが、世の中の出来事のほとんどは、経済的理由から起こっている。ところが、そこに「大義名分」が宣伝文句として加わると、本当の原因である経済問題は見えなくなってしまい、しまいには教科書や歴史書までも勝者の大義名分のオンパレードとなってしまうのである。人は、(特に集団としての人間は)自分の損になることは絶対にやらないものである。まして、権力者や金持ちというのは、何よりも権力や金を愛しているのだから、彼らが利他的行為をするというのは、それが何らかの意味で自分の利益となってはねかえる場合だけである。


 たとえば、アメリカの南北戦争を奴隷解放のための「人道的戦争」だと思い込んでいる小中学生は多い。いや、大人でも大半の人はそう思っている。だが、あれは南部と北部の経済問題上の対立から生じた戦争なのである。それを奴隷解放のための戦争にすり替えたのがリンカーンで、いわば、太平洋戦争で日本が途中から「アジアの解放」を言い出したようなものである。戦争なんて、勝者の言い分しか残りはしない。先の大戦でドイツや日本が勝っていたら、ヒトラーや東条英機こそが英雄で、英米のチャーチルやルーズヴェルトは極悪政治家、悪魔、鬼畜として断罪されていたに決まっている。


 というわけで、アメリカが奴隷制度をやめたのも、欧米諸国が植民地制度をやめたのも、実はそれが経済システムとしてメリットが少なかったからだけの話である。


 


 


 #108 経済システムとしての奴隷制度と植民地制度


 


 奴隷制度や植民地制度は経済システムとしてメリットが少ないということを説明しよう。


 まず、奴隷制度も植民地制度も、本質は同じである。つまり、他人を働かせて、自分は遊んで暮らそうという制度だ。そう言えば、資本主義だって同じではあるが、資本家は、「いや、自分は頭脳労働をしている。労働者百万人よりも私のほうが働いている!」と言うだろう。まあ、法の抜け穴を探すことだって立派な「労働」と言えないことはないし、他人の物を合法的に盗むことだって、「労働」かもしれないから、この点は追及しない。


 奴隷制度や植民地制度は、制度の非人道性がより目立つという点で、資本主義よりは劣ったシステムである。つまり、遅かれ早かれ、死滅するシステムだったのだ。むしろ、奴隷制度が無くなるまで何千年もかかったことのほうが珍しいが、それはその不経済性を権力者に納得させるのに何千年もかかったということなのである。


 第一に、奴隷には単純労働しかさせることはできない。奴隷に教育を与えてはいけないとは前回に書いた通りであるから。第二に、奴隷を監督し、労働を指示するのに専従する人間が必要である。第三に、奴隷には賃金を与える必要はないが、飯を食わせないわけにはいかない。子供の奴隷は労働年齢まで育てる必要もある。結局は、奴隷でない人間を安い賃金で働かす資本主義と、費用的にはそれほどの違いはないのである。


 植民地制度は奴隷が国全体に置き換わったものと見ればよい。いずれにしても近代社会には合わないし、何より不経済なシステムなのである。


 


 #109 語源的推理


 


 日常生活の中でふと言葉の意味について迷うことがあるが、そうした場合にヒントとなるのが、語源的に考えてみることである。もしくは、言葉を分解してみることである。これは英語でも漢字熟語でも使える方法だ。


 たとえば、サスペンスとミステリーの相違は何か、咄嗟に答えられる人間は少ないと思うが、これを語源的に考えてみよう。もちろん、私は学者でも何でもないから、素人が分析と推理を楽しむというだけのことである。(ついでに言えば、分析や推理は大きな楽しみの一つであり、手元に何もなくても、金がなくても楽しめる、この世でもっとも安価な娯楽である。)


 ここで、サスペンスという言葉の語源を考えてみると、「サスペンド」という動詞が考えられる。サスペンドとは、延期することだが、ズボン吊りをサスペンダーと言うように、物事を宙吊りにすることでもある。つまり、サスペンスとは、「宙吊り状態」にあることから生ずる不安な感覚なのである。何か事件が起こって、その正体や先行きが分からないところに感じる気持ちがサスペンスなのである。要するに、観客や読者が宙吊りにされること、これがサスペンスである。謎自体より、宙吊り感がサスペンスの本質だ。


 一方、ミステリーの語源は「myth」つまり、神話だろう。つまり、神話や伝説などに我々が感じる神秘感がミステリー本来の要素である。という解釈はどうだろうか。


 


 


 #110 夜はやさしいのか


 


 デイヴィッド・ロッジの「小説の技法」は、本物の本である。つまり、作家になろうという人間が読んで、本当に役立つ稀有な本である。まあ、作家にならなくても、文学や小説に興味のある人間なら、面白く読めること請け合いだ。この本からはさまざまなヒントや知識が得られるが、たとえば、F・スコット・フィッツジェラルドが反資本主義的作家であったことなどはその一つだ。彼のもっとも有名な「偉大なるギャッツビー」(「華麗なるギャッツビー」という題は、不可。これは、ある映画会社が、「華麗なる」なんとかというヒット映画の真似をしてつけたクソ題名である。)でも、主人公がギャングになるのは、結局、あこがれの女性に近づくには、金を得るしか方法がなかったからであり、資本主義社会においては、金の有無だけが問題であり、どのような手段で金を得たかは問題にならない、ということへの苦いアイロニーが漂っているのだが、彼の資本主義嫌悪がより色濃く出ているのは、「夜はやさし」の次の一節である。


 「ニコル(筆者注。金持ちの女性らしい。)とは、多大な工夫と労力の産物であった。彼女のために汽車はシカゴから走り出し、(中略)彼女のためにチューインガム工場は煙を出し、(中略)夢想家たちは新型トラクターの特許を横取りされた。これらの人々は、ニコルに十分の一税を納める人々のほんの一部にすぎなかった。」


 これは、赤狩りに引っかかりそうな発言だが、これを読むまでは私はフィッツジェラルドがそういう作家であることを知らなかった。


 


 #111 小説の読み方


 


 それぞれの人生に与えられた時間には、そう大きな違いはない。不慮の事故や病気を除けば、長くて7,80年、短くて5、60年といったところだろう。問題は、人生の密度である。スカスカな人生を生きて90歳まで生きるか。濃密に生きて50歳で死ぬか。選択はお好み次第である。織田信長は「人間五十年」と謡い、49歳で死んだ。それも一つの生き方である。誰だって命は惜しいのだから、好んで我が身を危険にさらすことはない。しかし、小説を読むとなると、話は別だ。


 小説を読むとは、別の人生を生きることである。ところが、その小説の読み方には、人生を生きる以上に密度の違いがあるのである。同じ小説から、ある人は100の物を引き出し、ある人は1しか引き出さない。「面白い小説など読んだことがない」と言う人が世の中には多いが、韓愈ではないが、「それ真に馬無きか、それ真に馬を知らざるか」といったところだ。小説にありきたりな物語性しか求めない人間(筒井康隆の言う「快楽乞食」だ。)は、いくら多くの小説を読んでも、その中の物語の部分しか読んでいない。それも「読む」ではあるが、作者が心血を注いだのは物語という骨格だけではない。そうした読み方は、美女の絵を人体骨格図として眺めるに等しい行為であろう。


 「天路歴程」を書いたジョン・バンヤンは、それまで聖書しか読んだことがなかったそうである。こういう「一書の人」こそが真の読書家だろう。

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