まあ、事件被害者(死亡者)の「生命の値段」を出すのが賠償金だと言えるわけで、これは不可能なことを無理に可能だとしてやる行為ではないだろうか。たとえば竹中平蔵のような最悪の犯罪者の生命の値段を裁判所が計算したら、その稼ぎから計算して何兆円と気前よく算出するだろう。一方、天使のような性格で、周りの誰からも愛されていた子供でも、障害者だと健常者の40%ということになる。まあ、常識的な人からは、人格と生命の値段は無関係だ、と言われるだろう。だが、そもそも生命の値段がまともに出せるのか?
(以下引用)
交通事故で亡くなった女の子の裁判 聴覚障害があることを理由に 生涯の収入見込み額の基礎収入を、きこえる女性労働者の40%で 賠償金を算出しようとしているということを知りました。 ご家族の哀しみに障害の有無は関係ないです。WEB署名できるそうなのでシェアします。 daicyokyo.jp/info/ikuno.html
(以下引用)
交通事故で亡くなった女の子の裁判 聴覚障害があることを理由に 生涯の収入見込み額の基礎収入を、きこえる女性労働者の40%で 賠償金を算出しようとしているということを知りました。 ご家族の哀しみに障害の有無は関係ないです。WEB署名できるそうなのでシェアします。 daicyokyo.jp/info/ikuno.html
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