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E.M.フォースターの言葉から

E.M.フォースターの言葉

「老人はたいてい愚かなものだが、賢いばあいでもその英知を伝えることはできない。語るのは老人の口で、聞くのは若者の耳なのだから。」(「老年について」より)

「民主主義は能率優先の体制によくあるように、国民をいばる人間といばられる人間に分けたりはしない。私が憧れる民衆とは、感受性がゆたかで新しいものを創り出したり何かを発見したりはしても、権力の有無など考えない人びとである。そしてこういう人びとに活躍の場が与えられるのは、どこよりも民主主義国なのだ。」(「私の信条」より)

「イギリスにはファシズムの危険はあまりありません。われわれを脅かしているのは、それよりももっと陰湿なものーー私に言わせれば「持久的ファシズム」とでも呼ぶべきもの、合法的な仮面をかぶった専制政治の精神でありまして、これが目立たない法律を成立させたり、局部的な圧制を是認したり、国家として秘密を守る必要を強調したり、ラジオで毎晩「ニュース」と称するものを甘い声でささやいて、ついには反対意見を手なずけたり、たぶらかしてしまったりするのです。」(「イギリスにおける自由」より)

以上、フォースター「老年について」(みすず書房 小野寺健編)から

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なぜ人はブログを書くのか

このブログを始めたのは昨日からだが、自分の書いた文章が、まがりなりにも公の目に触れる形になって現れたのを見るのは、やはり面白い。たとえ、読む人が数名しかいなくても、まったく他人の目に触れない形で机の中に文章を死蔵しておくのとは違いがある。自分の存在を人に知られることの不都合というものは十分に知ってはいるが、それと同時に、自分の生きた形跡をこの世に残したいという欲望も人間にはあるということだ。
私自身、他人のブログを沢山読んできて、それらのブログによって充実した時間を得、新しい知識を与えられてきた。
自分と同じ感性を持った人間でもいいし、まったく違った感性の持ち主でもいいが、我々が普段会う現実の人間との対話とは異なる別次元の対話がそこにはある。つまり、本を読むのが作者との対話であるというのと同じ意味で、ブログは、世界中の有名無名のすぐれた人々との対話の場なのだ。
ブログは確かに、ただの自己顕示欲発揮の場に堕する可能性もあるが、巨大な知のるつぼにもなる可能性を持っている。

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新カテゴリー「時の蝿たち」の案内

このブログに載せる記事は過去に書いた文章がほとんどなので、それと現在の記録を区別するために、現在の記録は「時の蝿たち」というカテゴリーに入れることにする。(文体は、ほとんど常体で書く予定なので、威張った感じに見えるかと思うが、悪しからず。)「時の蝿たち」は、言うまでもなく「Time fries like an arrow.」の機械翻訳の、初期の誤訳の冒頭である。「時の蝿たちは一本の矢を好む」とかいう訳だ。
もっとも、こういうカテゴリーを作っても、記事を毎日書くとは限らないが、日々の雑感を書く場をあらかじめ作っておこうというだけである。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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