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議会は何のためにあるのか

地方議会というのは税金で議員を養う以上の意味があるのだろうか。無くなっても誰も困らないのではないか。いや、国会も同じかwww


(以下引用)





さんがリツイート

「のど飴」で懲罰を受けた緒方ゆうか議員、知れば知るほど酷い扱いのようです。風邪を引いていて咳をすればうるさいと言われ、のど飴を舐めれば懲罰動議、しかも舐めたのは喋っている途中ではなく自席でなのに。男性議員の居眠りや携帯は黙認なのにこんなことで散々虐めたうえ懲罰って異常すぎます。




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H・スペンサーの安部政治(笑)批判


訓練された公務員の集団は、軍隊と同じようにその首長に至上の力を与える。その力は、中世ヨーロッパや日本におけると同じようにしばしば権力の簒奪に至ってきた。--いや、現代の隣国においてもそうなった。ド・モーパス氏(夢人注:ナポレオン時代のフランスの政治家)の最近の告白は、国民全体によって選ばれて信任を受けた憲法上の首長が何人かの良心を欠いた仲間の助力を得れば、いかにして代議政治を麻痺させ自らを独裁者にできるかを示した。」

「人間対国家」(ハーバート・スペンサー 森村進訳)より

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沖縄県知事選から学べること

町山智弘のツィッターから、沖縄県知事選関連のツィートを抜粋。
今後の「安部打倒運動」の参考になる発言が多い。気になるのは津田大介氏の言っている「10代~20代の若者が佐喜眞候補に投票」であるが、記事自体は未読なので、後で読む予定。まあ、少し前に書いた、DQNは安部を支持する、ということと類似の話だろうと思う。


  1. さんがリツイート
  1. 安倍一強と言われますが、一番強いのは無党派層です。無党派層が動けば政治が変わることを沖縄県のみなさんが示してくれました。来年の参院選でも野党は結束してたたかう必要があります。魅力ある政策を打ち出し、無党派層の期待に応える本気の共闘を広げましょう。
  1. 今回の選挙で10~20代が玉城候補ではなく佐喜眞候補に投票したことについては、仲村清司さんのこの記事を読むと背景がよく理解できるはずです。ここで書かれていることが全ての要因ではないでしょうが間違いなく一因ではあると思います。ぜひご一読を。
  1. 出口調査、自民党支持層の2割、公明党支持層の25パーセント、無党派層の七割が玉城だそうです。
  1. 当確インタビューも素晴らしい!! 「私は誰一人取り残さない政治を訴えてきました。佐喜真さんに投票された方々もそうですし、佐喜真さんに対しても、出来るなら一緒に沖縄をつくっていきましょう、と伝えたい」 デニーさんの選挙事務所からは一言一言に拍手喝采!
  1. 争点隠し、デマの拡散、有権者の締め付け、討論からの遁走、ペテン公約を撥ね付けた沖縄の選挙戦に勇気付けられました。最近は「正直者が馬鹿を見る」構図ばかり見せられてきましたが、まだ日本には健全な民主主義が息づいているのだと再認識できました。玉城新知事の誕生に心からお祝い申し上げます。
    1. さんがリツイート
    1. 沖縄にはそれだけの怒りがあるってことでしよ。洗脳されたカルトな心より、それに勝つ心があるってことでしょ。これ、沖縄だけのことではない。日本全体も同じ。さあ、皆さん。目を覚ましましょう‼️気がついてないだけで。今の日本は辺野古の海より汚れてしまっているんですよ‼️


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これは、これは、大事件





小堀邦夫宮司(共同通信社) © SHOGAKUKAN Inc. 提供 小堀邦夫宮司(共同通信社)

 天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。


◆「そう思わん?」「わかるか?」


 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。


 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、第1回の会議には、小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など職員10人が出席したことが当日の議事録に残されている。


 その会議の場で、靖国神社のトップである小堀宮司から、驚くべき発言が飛び出した。


「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」



 さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。


「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」


 静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。


 この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。


 小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう言う。


「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」


 その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。



「小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。にもかかわらず、今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、靖国の存在意義を否定することになってしまうという思いがあったのではないか」


 しかし、この発言は靖国神社内でも問題視された。


「勅祭社(天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行なう神社)としての靖国神社の性格を考えると、天皇陛下を批判するような発言は、宮司として問題ではないかという声が上がっています」(同前)


◆「お前の説教、聞きたくないよ」


 靖国神社は来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。靖国神社職員はこう語る。


「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました。そうして宮内庁に対し、宮司自らが伺って御親拝の御請願を行なうための交渉を内々にしているのですが、まだ実現の目処は立っていない」


 小堀宮司は専門紙「神社新報」で、〈(創立)五十年目に大正天皇が行幸され、百年目には昭和天皇が皇后とお揃ひで行幸されてゐます。そして来年、百五十年といふ大きな節目の年がやってくることの重大さは、御代替りと相俟って深刻に考へてゐます〉(7月30日付)と語っていた。



 天皇の参拝を求める焦りが発言の背景にあったのだろうか。問題発言に至るやり取りを見ると、小堀宮司の真意が分かる。


 この日の会議は、靖国の創立百五十年史略年表の作成・出版などについて話した後に「戦犯に対する誤解や東京裁判の不当さについて調査考証する」という議題に入った。そこで出席者の職員が「富田メモ」について言及したことが、小堀発言に繋がった。


 富田メモとは、富田朝彦元宮内庁長官(在任は1978~1988年)が昭和天皇の非公開発言を記したメモで、靖国にA級戦犯が合祀されたことに関し、「だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」との記述があった。2006年に日経新聞がメモの存在をスクープすると、「昭和天皇の真意が分かる超一級史料」と評価される一方、「陛下の真意とは限らない」と否定的意見も上がり、真贋をめぐる大論争となった。それに伴い、A級戦犯の靖国神社への合祀の是非や、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝議論も過熱した。


 靖国神社はこの富田メモについて、現在に至るまで一切コメントしていない。だが、実際は“深い棘”として刺さっていたようだ。


 この富田メモについて、職員が、「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えましてですね」と言い出し、合祀の経緯を振り返った上で、こう熱弁を振るった。


「このまま時代を50年、100年経過していったときにどういうふうな説明をして、国民が理解していけるのか、というところの先読みしたような考え方を持っていく必要があるんじゃないか」


 ところがこの職員の発言を、小堀宮司はいきなり遮り、切って捨てた。



「お前の説教、聞きたくないよ。しょうもない。お前のどこに戦略があんねん。『これ知ってます、私はこれ知ってます』っていう話ばっかりやないか。どうやって戦うかを考えるんがこの仕事やないか。何も恐れる必要はない。間違ってたら間違ってたと言えばいい。


(中略)戦略を考えるのは俺が考える。君らが考えんでいい。一番大きな問題はあの慰霊の旅です。気がつかないのか君たちは」


 そうして、冒頭の発言が飛び出した。つまり、小堀発言は富田メモから連なる、天皇と靖国の“複雑な関係”が伏線にあったのだ。


「富田メモについては靖国神社の中でも“タブー扱い”されてきた。昭和天皇、今上天皇の御親拝が途絶えている真意についても触れないできたわけです。


 小堀宮司は、そうした空気の中で、トップとしての風格を見せる狙いもあってああした物言いをしたのではないか。『戦う』『戦略』といった言葉からは、どんな事情が背景にあるにせよ、とにかく天皇の御親拝を実現させたいという強い意思を感じます。しかし、それが実現しないことの不満となれば、天皇陛下への批判となってしまう。靖国神社が抱えるジレンマが、ついに噴出してしまったということでしょう」(前出・靖国神社関係者)





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「リアリスト」という衣装を着た中学生頭脳の連中

現実世界にウンコは普通にあるからと言って、ウンコを人々の目の前に提示したらリアリストとして尊敬されるわけではない、と世間の中二病患者(使い方が中二病の本義とは違うが、「小児病的」よりはマシだろう。)のネトウヨたちに言っておきたい。


(以下引用)言うまでもなく、小田嶋師の意見に完全に同意。


  1. 反人権的だったり差別的だったりする言葉を撒き散らすことで、冷徹な世界認識を提示したつもりになるゲームは、中学二年生段階の人間に特有な遊びだと思うのだが、その悪い子ぶりっこバトルを大人のボキャブラリーで粉飾することでフォロワーを集めているアルファもいたりするわけでね。



  2. 印象に残る言葉を言ってみせたいと思ってはいるものの、特段に優れたアイディアや卓抜な視点を持っていない人間は、単に残酷な言葉を吐くことで自分の自尊心を防衛する。本人の自覚の中では、偽善的な人権思想に洗脳された世間のバカどもが気づいていない世界の本質をズバリと突いたつもりでいる。



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大衆は自分たちの同類を好む

私は、こういう言葉の間違いなどで他人を馬鹿にするのは本当は嫌いであり、マスコミや電通による意図的な「国語破壊」の方が大問題だと思っている。安部総理が背後を「せいご」と読んだところで日本国民がみな「せいご」と読むようになるわけではない。しかし、テレビで流れるCMやドラマやワイドショーでの言語破壊は子供を中心に大きな悪影響を与えるのである。

安倍総理の言葉間違いは、馬鹿だからではなく、勉強嫌いで調べるのが嫌いだからだろう。「云々」を「でんでん」と読んだのは、明らかに「伝」と「云」の字の類似からの類推だし、「背後」を「せいご」と読んだのも、「せご」と読もうとした時に、心の奥底で昔どこかで聞いた「はいご」という言葉が浮かび上がって、しかし、「はい」という読み方に自信が無かったので、「せいご」という新しい読み方を作り出してしまったのだと思う。これは小学校低学年でよく見られる現象で、漢字の書き取りテストをすると、「知らない漢字を自分で創作する生徒」というのが時々見られるのである。
もちろん、「背後」を「せご」と読むのも「湯桶読み」であり、いわば「不自然な読み」であるから、「あれ、『せご』って、間違いかもしれん」というブレーキが心にかかった結果が「せいご」という珍妙な読みになったわけだ。「背信」「背任」「背景」などの言葉が出てくる文章を読んだことが無いというより、それらも「調べないままで」勝手な読み方をしていたのだろう。
まあ、そうは言いながら、私だって、読めない漢字は「当て推量」で読むことはよくあることだし、総理大臣の仕事は文章を読み上げることではない。ただ、小学生レベルの国語知識の総理を持つ、というのは日本国民としては悲しいことである。
ただし、こういう些細なことをネタにして総理をからかう言辞は一般大衆をむしろ安倍総理への親近感と「身内感」へ向けるだろう、と言っておく、
米国でも、一般大衆は「エッグヘッド」(額の広いこと、つまり知識人を意味する)が大嫌いなのである。トランプが野卑で非知的なところも、彼の大衆人気の原因なのだ。それは日本でも同じで、タレントは馬鹿さや低俗さを見せるほど大衆人気は上がるものだ。政治家も同様である。鳩山のような知的な政治家の大衆人気が低かったのはそのためでもある。



(以下引用)



 これからさき、アイツの呼び名は「せいごどん」w


 でも、なんで「せいご」なのかね。 間違えるにしても、「せご」だろ、ふつうw


>馬鹿は始末に負えないが、利口な人間というのもまた、「馬鹿の身になって考えられない」という、エリート特有の欠陥を持っている。


 いや、たえず馬鹿の世話のしっぱなしなんだそうだw
 中高一貫校には中韓一貫校なりの、東大には東大なりの、罪務省には罪務省なりの馬鹿がいるそうだw 


 おれは、じぶんじしんもふくめて、みんなお馬鹿さんに見えるから、そんなのどうでもいいがw





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タトゥーが何かの決意表明である人々

記事が長いので、感想は別に書くかもしれないし、書かないかもしれない。私自身は、下に書かれたことにほぼ同意見で、人間の思考経路は色々だなあ、と思う。合理性とか理屈とは別の思考経路で何かの(私から見れば相当大きな)決断をする人は思いのほか多いようだ。

(以下引用)


タトゥーで決意表明する人々の謎


りゅうちぇる、タトゥー批判に反論「この体で、僕は大切な家族の笑顔を守る」(ハフィントンポスト日本版)


 タレントのりゅうちぇるさんが、妻と息子の名前を刻んだタトゥーに批判的な意見が殺到した件について、8月21日、Instagramで「それなりに予想はしてたけど、こんなにも偏見されるのかと思いました」と明かし、「こんなに偏見のある社会 どうなんだろう。仕方ないよね。ではなく、僕は変えていきたい」と自身の思いをつづった。


りゅうちぇるさんは、「家族の名前を身体に刻もうと覚悟して」タトゥー(刺青)を入れたそうです。


これに対する批判の声がかなりあるのですが、りゅうちぇるさんは、その批判に対する自分の考えを、これまでの人生経験も踏まえて語っておられます。


 


僕は正直なところ、「覚悟や決意はわかるけど、なぜそれをタトゥーで表現するのだろう?」と思ったんですよ。


そして、こういう「タトゥーで決意表明」には、既視感があったのです。


あの「ビッグダディ」の元妻・美奈子さんは、2013年に著書『ハダカの美奈子』のなかで、こう書いておられます。


【読書感想】ハダカの美奈子(琥珀色の戯言)


これ以上、子どもたちにつらい思いはさせられない。あたしの弱さは、あたしが一番良く知ってるはずだから。


もっと強くならなきゃ。あたしがこの5つの命を背負ってるんだから。なにか証を残さなきゃ。そう思った。


最初は日記を書こうと思ったんだけど、3日ぐらいで挫折しちゃった。あたしって身の回りの物、アクセサリーだってピアスだってすぐ無くしちゃうから、物じゃないほうがいい。


じゃあなんだろうって考えたとき、「自分の身体に入れちゃえばいいんだ、その証を」って自然に思えたの。


誰かから勧められたとか、誰かの影響を受けたとかそんなんじゃなく、あたし自身がひとりで決めた。


「タトゥーを入れよう」って。

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僕はこれを読んで、思わず声を出して本にツッコミを入れてしまいました。


「日記にしとけよ!」って。


 


最近では、清原和博さんが、インタビュー集『清原和博 告白』のなかで、タトゥーを入れた経緯について語っていました。


清原さんは、現役引退後、何をやっても満たされた気分になれない日々を過ごしていたそうです。


清原和博「それで……、自分自身で新しいスタートにしたい、何かきっかけが欲しいという意味で、刺青を入れたんです。


自分を変えるためでした。野球界でユニホームを着るために刺青を入れたらダメというのは、彫る時には考えもしなかったです。自分に能力があれば、そういうものは関係ないと思っていましたから。

巨人のキャンプに白いスーツで行ったことが話題になったこともありましたが、あの時も野球界の慣例みたいなものがあることをわからなかったんです。沖縄だし、そういう白っぽい服装で行っても大丈夫なのかなって思っただけでした。


これは昔から思うんですが、世の中の人が思っている善悪と、僕が思っている善悪というのは違っていることがよくあります。


実際、刺青を入れてから自分の生き方が変わったかというと、うーん……、これはわからないです。


ただ、刺青は、ひとつ生きる意味として、やっておこうと思ってやったことなので。いまだに、生き方ということには苦しんでいます。もうずーっとそうですね、もうずーっとです……。」

清原和博 告白

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僕は、刺青といえば暴力団などの反社会的勢力を最初にイメージしてしまいますし、タトゥーを入れている人をみると、正直、怖い。


サッカーのワールドカップでも、メッシのタトゥーをみて、「どうしてそんなにグレてしまったんだ……」とか、勝手に思っていました。

 


海外では、タトゥーはそれほど「重苦しいイメージ」のものではないし、タトゥーを文化として誇りに思っている民族もいるのです。


日本にやってきた外国人観光客が、温泉やプールで「刺青がある方の入場禁止」というのをみて、「差別」だと憤っているというのも知っています。


おそらく、近い将来、「刺青があるから入浴拒否」というのは撤廃されていくことになるのでしょう。


日本人の刺青はダメ、外国人のタトゥーはOK、というのも変な話だろうし。


 


仮に反社会的勢力の人だったとしても、温泉の大浴場で素っ裸の状態で大暴れ、なんてことは、ちょっと想像しにくいし、最近のタトゥーは色落ちもしにくいみたいですし。


大浴場に自分以外は大勢の刺青の人たち、という状況を想像すると、やっぱりけっこう不安ではありますが。


 


僕の感覚では、りゅうちぇるさんに対しても、「なぜタトゥー?」なんですよ。


少なくとも、今の日本では、タトゥーを入れることのメリットというのは「入れた本人の自己満足」「ファッション」以外には思いつかないし(他人から、「良く言えば一目置かれる、悪く言えば敬遠される、ということはあっても)、タトゥーはちゃんとしたところで入れないと、肝炎の感染などのリスクもあります。


 


そもそも、自分の身体に傷を入れることと、家族が幸せになることに因果関係があるとは思えません。


むしろ、これからも芸能界で生きていくのであれば、りゅうちぇるさんには、デメリットのほうが大きいはずです。


それこそ、子どものための預金通帳でもつくっておいたほうがはるかに気が利いているし、日記のほうがお金もかからないし、アクセサリーのほうが安全です。

 


僕は、冒頭の美奈子さんの本を読んだとき、「世の中には、反社会勢力への忠誠の表明や若気のいたり、という理由以外で、タトゥーを入れる奇特な人がいるんだなあ」って思いました。


清原さん、りゅうちぇるさんも、僕にとっては、なぜそれがタトゥーを入れる動機になるかわからない「独自理論」でタトゥーを入れているのです。


5年間で僕が知っているだけでも3人ですから、こういう「反社会的勢力でもファッションでもないタトゥー」を身体に刻んでいる人というのは、けっこういるのかもしれません。


 


こういうタトゥーが合理的かと問われたら、第三者としては「メリットよりデメリットのほうがずっと大きい」と答えます。でも、「自分にとっては、タトゥーを入れることが正しい」と考えて、実行する人は存在する。


入れるのはけっこう痛いはずだし、他者からの視線が変わることも承知のうえで。


 


他人がタトゥーを入れていても、こちらとしては「ちょっと怖い」以外の実害はないので、批判するつもりはありません(怖くないほうがいいけど)。


ただ、「それ、タトゥーじゃないとダメなの?」と言いたくなるし、価値観というのは人それぞれなんだなあ、とあらためて思い知らされる話ではあります。

 


こういう「自分とは違った価値観を持った人たちと共に生きていく」のが「多様性」ではあるのだけれど、タトゥーひとつでも、こんなに「わからんなあ……」と感じてしまうのが現実なんですよね。


 


 


【著者プロフィール】


著者:fujipon


読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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