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表現の自由と公空間での公開の自由

言葉狩りという馬鹿なムーブメントはすぐに終わるだろうと思っていたら、ますます悪化しているようだ。言葉だけを言い換えても実体が消えるはずがない。むしろ、現実が覆い隠されて差別がより悪質になるのではないか。
他のツィートによると、篠田真由美氏などは、作家をやめようかとまで思っているらしい。私は、表現というのは表現者自身の判断に任せるだけでいいと思う。
ポスターなどの場合、それらをいつでもどこでも公開していいかどうかは別問題で、依頼した側の判断は批判にさらされる覚悟は必要だろう(よく公共施設などにある奇妙なオブジェなど、見るのも不快だという人もいるだろうし、醜い作品だと批判されて当然だが、それは見る人の主観でしかないから設置側が批判を受け入れる必要も無い。そこは常識で対処できるはずだ。)が、小説や雑誌などの場合は、見たい人読みたい人しか手に取らないのだから、検閲や忖度の必要など無い。それが表現の自由だろう。
作品そのものを地上から消し去れ、というのが最悪の表現弾圧で、昔、「ちびくろサンボ」という作品がそれで抹殺されそうになったことがある。私が子供時代に好きだった「ドリトル先生」シリーズも、その中で黒人王子が白人の白い肌に憧れる描写が黒人差別だというので全米の図書館から排除されたこともあった記憶がある。反差別運動は大事だとは思うが、その行動がしばしば行き過ぎてキチガイじみているのである。



さんがリツイート

ルネッサンスのフィレンツェが「革染めで臭い」と書いたら、部落差別を連想させるから直せといわれた。「四つ足の動物」もダメだった。切り裂きジャックで「屠殺」はもちろんダメ。「屠る」は辛うじて通った。「外人墓地」は「外国人墓地」にしろ、これはわりと最近の改編。













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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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