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北林あずみ氏と「能登復興論」

北林あずみ氏の最新のブログ記事の一節で、記事全体は「二大政党制の幻想批判」という非常に真っ当なものだが、この部分に関しては私は意見が対立する。つまり、能登半島の「復興」より他府県への移住のほうが合理的だという考えである。弱者切り捨てでも何でもない。能登に残りたい人は残ればいい。移住したい人には政府が援助して移住を容易にしてあげればいいだけだ。公営住宅無料貸与と、月額10万円の生涯年金があれば、私なら喜んでどこにでも行く。政府にとっては些細な金額であるはずだ。
そもそも、能登の「復興」とは何か。日本の非都市部に無数に存在する、廃墟のような村を新たに作るだけではないのか。作り立ては新しいだろうが、そこを盛り立てるどんな産業があるのか。金沢のように観光に頼るのか。能登の断崖から海を眺めて絶景かな絶景かなと感心し、すぐに飽きて他の観光地に行くだけの連中に何を期待するのか。そもそも、平地部の少ない地形で、どんな産業が可能なのか。珠洲に原発でも建てて、交付金で生活を維持するのか。もう二度と地震がこないという自信があるとでもいうのか。
北林氏の論考は偏執狂的に緻密だが、立憲民主党批判という、自論の大前提のために、米山隆一の「合理的思考」まで批判したのは勇み足だろう。「僻地と限界集落」切り捨てではなく、「他の土地での新しい人生」も悪くないだろうというだけのことだ。そもそも、「お前は死ぬまでその辺鄙で不便(僻地・限界集落)で危険な土地(地震発生の危険性大)に住み続けろ(そこから逃げ出すなら援助はしないよ)」という意見のどこが弱者への同情か。


(以下引用)

立憲民主党は基本的に「弱者」への眼差しはない。「弱者」に寄り添うような振りをしているだけだ。弱者切り捨ての論理が、立憲民主党が本質にもつ心情だと思う。
 だから、能登半島地震の復興をめぐっての、立憲民主党の米山隆一の「僻地と限界集落切り捨て論」の発想になる。

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