私は前々から、学校教育の中に「演技」を入れるべきだと考えている。演技の技術、あるいは能力が無いために、人生の「可動領域」を狭めている人は非常に多いのではないか。対人関係など「嘘と演技」が半分以上なのだから、うまく嘘がつけない人間や演技ができない人間が割りを食うのは当然だ。それが人格や道徳とは無関係の、単なる「技術」であると割り切ることで、自分の限界を広げることができたら、人生も明るいものになるだろう。もちろん、「嘘のつきかた」を学校で教えるのは難しいからせめて演技だけでも教えたらいい。
下に書いてある「演説の授業」はそれに近い。
言語力(文章力ではなく、発話能力)を素養や人格の問題としている風潮は根強いと思うが、実際にはそれは練習でどうにでもなるものだと思う。しかも、それができないと社会生活を営むのが非常に困難になるのだから、これは小学校や中学校の「教科」として全員に教えるべきではないだろうか。
(以下引用)
equal One @ion_equal1
下に書いてある「演説の授業」はそれに近い。
言語力(文章力ではなく、発話能力)を素養や人格の問題としている風潮は根強いと思うが、実際にはそれは練習でどうにでもなるものだと思う。しかも、それができないと社会生活を営むのが非常に困難になるのだから、これは小学校や中学校の「教科」として全員に教えるべきではないだろうか。
(以下引用)
equal One
最近の学校教育について全く詳しくないけど、「演説の授業」みたいなのってまだ無いのかな?話組み立てたり滑舌良くしたり一対多の説明力を養うような。 言語力って未だに、素養や性格とごっちゃにしてる人多いし、「科目」にして単なる得意不得意として意識したほうがええと思う
PR