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「入り口」に入る人と無視する人

小田嶋師のこのツィートは、教養というものについてなかなか示唆的だと思う。

私は、人生というのは、その人がどういうことを志向するかでほとんど決まると思っている(これは「昇る太陽」という短編小説で書いた秀吉の一生が良い事例だと思う。つまり最底辺の百姓の家に生まれたとも言われる人間が、その志向性によって日本の最高の地位にまで上り詰めたのだから。)のだが、教養についても同じことが言えるのではないだろうか。
小田嶋師が若いころに文庫目録を読んでいた(むしろ熟読していたと言うべきだろう)のは、世界文学の概要を知ることが自分には必要だと無意識に考えていたからだろう。そして、世界文学の多く、いや、この世の知識の大半は、「概要を知る」だけでも大きな「教養」になるのである。むしろほとんどの知識は、その専門家以外には概要的知識でしかないと言っていい。
もちろん、文学の場合は、それらの本を実際に読んで受ける感銘が大きな喜びとなり、その作品への深い理解となるのだが、それは読み手それぞれの資質に関わることである。或る人にとっての大傑作が、他の人には大愚作となる、そういうものである。
要するに、「その対象に何らかの形で接すること」自体が、一番大事だということだ。たとえば町を歩いて1枚のポスターを見ることで、その画家を知り、興味を持つ、といったようなことである。文庫目録などは、まさに「教養への入り口」でもあるわけだ。

  1. 小田嶋隆 @tako_ashi 9時間前
  1. 「ああホメロスのオデュッセイアね」とか、「緋文字っていうとナサニエル・ホーソンのあれか?」てな調子で、実際には1行たりとも読んでいない本について、なにがしかの感慨を抱いていたりする。  大変にインチキくさい所感ではあるのだが、たぶんそんなに的外れでもないのだと思う。困ったことだ。
    1. 若い頃は退屈すると各社の文庫解説目録を読んでいた。無料配布だったので、集めるだけ集めて、常時携帯していた。おかげで、未読の書籍に詳しいイヤな学生になった。何割かについては読了した気になってさえいる。もしかすると、私の教養の半分ほどは、解説目録のコピーなのかもしれない。



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