忍者ブログ

手紙配達者(文つかい)16

この日は朝の珈琲を部屋で飲み、昼ごろ大隊長とともにグリンマというところの銃猟仲間の会堂に行って、演習を見にきなさった国王の宴に参加するはずなので、正服を着て待つうちに、あるじの伯は馬車を貸して階段の上まで見送った。私は外国士官というので、将官や佐官をだけ集めた今日の宴会に招かれたのだが、メエルハイムは城に残った。田舎であるが会堂は思いの外に美しく、食卓の器は王宮から運んできたといって、純銀の皿やマイセン焼きの陶器などがあった。この国の焼き物は東洋のものを手本にしたというが、染め出した草花などの色は、我が国などのものに似てもいない。しかしドレスデンの宮殿には、陶器の間というものがあって、支那や日本の花甕の類がおおかた備わっているということだ。国王陛下には今初めて謁見する。すがた貌(かたち)優しい白髪の翁で、ダンテの「神曲」を訳しなさったというヨハン王の子孫だからだろうか、応接がとても巧みで、「我がザクセンに日本の公使を置くような際には、今の好(よしみ)で、あなたが来るのを待とう」などと懇(ねんご)ろにおっしゃりなさる。我が国では古い好(よしみ)がある人をといって、御使いを選ばれるような例はなく、そういう任務に当たるには、別に履歴がないと叶わないことをお知りなさらないのだろう。ここに集まった将校百三十余人の中で、騎兵の服を着た老将官の容貌、きわめて魁偉であるのは、国務大臣ファブリイス伯であった。



拍手

PR

手紙配達者(文づかい)15

聞き終わって眠りに就くころは、東窓の硝子(ガラス)は早くもほの暗くなって、笛の音も絶えたが、この夜、イイダ姫が面影に見えた。その騎(の)った馬がみるみる黒くなったのを怪しく思ってよく視ると、人面で欠唇である。しかし、夢の中の気持ちでは、姫がこれに騎っているのが世間普通のことのように思われて、しばらくまた眺めていると、姫と思ったのは「スフィンクス」の首で、瞳の無い眼を半ば開いている。馬と見たのは前足をおとなしく並べた獅子である。さてこの「スフィンクス」の頭の上には鸚鵡が止まって、私の顔を見て笑う様子が実に憎々しい。
 早朝に起きて、窓を押し開けると、朝日の光が対岸の林を染め、微風はムルデ河面に細紋を描き、水に近い草原には、一群の羊がいる。萌黄色の「キッテル」という服を裾短く黒い脛をあらわにした子供でとても背の低い者が、赤毛の蓬髪をふり乱して、手にした鞭を面白そうに鳴らした。

拍手

手紙配達者(文づかい)14

「一昨年の夏、私が休暇をいただいてここに来たころ、城の一族と乗馬をしようと城を出たが、イイダの君の白い馬がすぐれて疾(はや)く、私だけが引き離されずに付いていく時、狭い道の曲がり角で、イイダ姫は草をうず高く積んだ荷車に行き遇った。馬は怯えて一躍し、姫はかろうじて鞍に堪(こら)えた。私が救いに行くのを待つことなく、傍の高い草の裡(うち)に『あ』と叫ぶ声がすると聞く瞬間に、羊飼いの少年が飛ぶように駆け寄り、姫の馬の鞍際をしっかりと握って馬を鎮めた。この少年が牧場仕事の暇があれば、見え隠れに自分の後を慕うのを姫はこの時以来知って、人を使って物を与えなどしなさったが、どういうわけか目通りは許されず、少年がたまたま姫に逢っても、言葉をかけなさらぬ様子で、少年は姫が自分を嫌いなさっていると知って、しまいには自ら避けるようになったが、今も遠いあたりから守ることを忘れず、好んで姫が住む部屋の窓の下に小舟を繋いで、夜も枯草の中で寝ている」

拍手

手紙配達者(文づかい)13

「十年ほど前のことだっただろうか、ここから遠くないブリョオゼンという村にあわれな孤児がいた。六つ七つの時に流行りの時疫に両親とも亡くして、兎口(欠唇)でたいそう醜かったので、面倒を見る者もなくほとんど飢え死にしそうになっていたが、ある日、古いパンでもあるかと、この城へ求めにやってきた。その頃イイダの君は十歳ばかりであったが、憐れに思って物を取らせ、玩具にしていた笛があったのを与えて、『これを吹いてみよ』と言うが、欠唇なので含めない。イイダの君は、『あの見苦しい口を治させよ』とむずかって止まない。母であった夫人が聞いて、幼いものが心優しくこう言うのだから、と医師に縫わせなさった」
「その時からその子供は城にとどまって羊飼いとなったが、賜った玩具の笛を離さず、後には自ら木を削って笛を作り、ひたすら吹き習ううちに、誰も教える者はいなかったが、自然にこのような音色を出すようになった」

拍手

手紙配達者(文づかい)12

私たちはまだ温まらぬベッドを降りて、窓の下の小机に向かって座り、煙草をくゆらせるうちに、先ほどの笛の音が、また窓の下に起こって、たちまち消えたちまち続き、ひな鶯が試しに鳴くようである。メエルハイムは咳払いして語り出した。

拍手

手紙配達者(文づかい)11


 演奏に陶然としていたイイダ姫はしばらく気づかないでいたが、その笛の音がふと耳に入ったようで、にわかに調べを乱して、楽器の筐体も砕けるような音をさせ、椅子を立った顔はいつもにまして蒼かった。姫たちは顔を見合わせて、「また兎口(みつくち、欠唇)が愚かなことをしているよ」とささやくうちに、外の笛の音が絶えた。主人の伯爵は小部屋から出て、「イイダの今の狂人めいた演奏はいつものことで珍しくもないが、あなたはさぞ驚いたであろう」と私に会釈した。
 途絶えた物の音が私の耳にはなおも聞こえて、現実感もなく部屋に帰ったが、今宵見聞きしたことに心が奪われて眠られず、床を並べたメエルハイムを見ると、これもまだ眠れずにいる。問いたいことは多かったが、さすがに憚るところもあったので、「先の怪しい笛の音は誰が出したか知っておられるか」とわずかに言うと、男爵はこちらを向いて、「それについてはひとくさりの物語がある。私も今宵はなぜか寝られないので、起きて語り申し上げよう」と承諾した。


拍手

手紙配達者(文づかい)10

この間にメエルハイムはイイダ姫の傍らに寄って、何事かを請い求めていたが、渋って承知しなかったのを伯爵夫人も言葉を添えなさったと見ると、姫はつっと立ち上がってピアノに向かった。下僕が急いで燭台を右左に立てると、メエルハイムは「どの楽譜を差し上げましょうか」と楽器の傍の小卓に歩み寄ろうとしたが、イイダ姫は「不要です」と辞退して、徐(おもむろ)に下す指先が鍵盤の鍵の木端に触れて起こす、金銀宝石の響き。調べが急調になるにつれて、朝霞のような色が姫の瞼の際に顕(あらわ)れ来た。ゆるやかに幾尺の水晶の念珠の調べを弾く時には、ムルデの河もしばし流れをとどめるようで、忽ち急調になって刀槍の響きのように楽器が鳴る時には、昔、敵の行旅を脅かしたこの城の遠い先祖の夢も破られただろうか。ああ、この少女のこころは恒(つね)に狭い胸の内に閉じ込められて、言葉となって現れる手段もないので、その繊細な指先からほとばしり出るのであろうか。ただ感じる、糸声の波(楽器の響き)はこのデウベン城を漂わせて、人も私も浮きつ沈みつ流れ行くのを。曲がまさに闌(たけなわ)になって、この楽器の中に潜んでいたさまざまな弦(いと)の鬼が、ひとりびとり極みなき怨みを訴え終わって、今や声を合わせて泣き響くように見えた時、不思議なことに、城外で笛の音(ね)が起こって、たどたどしく姫のピアノに合わせようとする。

拍手

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析