演奏に陶然としていたイイダ姫はしばらく気づかないでいたが、その笛の音がふと耳に入ったようで、にわかに調べを乱して、楽器の筐体も砕けるような音をさせ、椅子を立った顔はいつもにまして蒼かった。姫たちは顔を見合わせて、「また兎口(みつくち、欠唇)が愚かなことをしているよ」とささやくうちに、外の笛の音が絶えた。主人の伯爵は小部屋から出て、「イイダの今の狂人めいた演奏はいつものことで珍しくもないが、あなたはさぞ驚いたであろう」と私に会釈した。
途絶えた物の音が私の耳にはなおも聞こえて、現実感もなく部屋に帰ったが、今宵見聞きしたことに心が奪われて眠られず、床を並べたメエルハイムを見ると、これもまだ眠れずにいる。問いたいことは多かったが、さすがに憚るところもあったので、「先の怪しい笛の音は誰が出したか知っておられるか」とわずかに言うと、男爵はこちらを向いて、「それについてはひとくさりの物語がある。私も今宵はなぜか寝られないので、起きて語り申し上げよう」と承諾した。
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