- 本というものは、読む人が百人いたら受け取る内容は百通りあるわけで、読者次第である。つまり、本を読んでも筆者の意図どおり理解する人はまず存在しない。読者の知的レベルや精神経歴などによって千差万別の受け取り方がある。
- 私の場合は、学術的書物(言い換えれば、真面目そのものの本)は、それが大衆向けの書物だろうと、まず2割か3割くらいしか理解できていない自信があるが、それを読むのが無駄だとは思わない。理解できたわずかな部分の中に、私自身の精神世界を根本から変えるものがあることもあり、そこまで行かなくても、何か大事なものを付け加えることもある。小説などの場合は作者や作品次第だが、平均したらだいたい6割から7割程度の理解度だろうか。
- また、本を読むことが害になることもあるわけで、ネトウヨがその種の本やそれを使ったネット発言の影響から生じることは容易に推測できる。真面目な本でも、誤った読み方をされて社会に悪影響を与えることもあるだろう。宗教書などはその種の影響力が強いわけだ。また、最初から社会的洗脳目的で書かれた本もたくさんある。
- 小田嶋師が、「本を読んで目を悪くするだけの人もいる」、と言ったのは、「目が悪くなる=物事の正しい判断ができなくなる」という比喩みたいなものだろう。物理的に目が悪くなることももちろん多いわけである。
- 「書物を三日読まないと顔に垢が付いたような気がする」と昔の中国の人が言ったが、これはもちろん、読書による精神の洗濯(洗顔)をしないと堕落した気分がする、ということである。悪書ではもちろんその反対で、読めば読むほど精神が堕落する。
- 小田嶋隆 @tako_ashi
- まことに偏狭な態度で自分ながらいやになるのですが、私はすべての書物に価値があるとは思っていません。むしろ、無価値な本や有害な本がの方が多いと考えています。また、仮に価値のある書籍があるのだとしても、その書籍を読むに値しない人間がいるとも思っています。残念ですが。https://twitter.com/moromi/status/1023592697334968320 …
- 本をたくさん読むことで目が開かれる人もいるけど、目が悪くなるだけの人もたくさんいる。
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