夜中にコーヒーを淹れながら考えたのだが、文型によって、文の内容自体が予測されるような文というのがあるのではないだろうか。いわゆる紋切型の文型は、紋切型の内容を予測させる、ということだ。
「~は…だ(なり)」という文型は、明らかに、何かの定義をする、もしくは判断を下す文型(命題文と言う。)で、しかも「偉そうな断定」だろうという予測をさせる。だから、(志ん生の冗談だったと思うが)「目は人間のマナコなり」という断定が、その偉そうな言い方と、内容の無さのギャップで笑わせるのである。
「~が…だ」という文型は、これも何かの定義をする文型だが、「~は…だ」という言い方との違いは、「古い命題への異議申し立て」であり、「こういう考え方って新しくてステキでしょ」という匂いがプンプンしていることだ。だから、CMのキャッチコピーに使われる。そこで、「毎日がエブリディ」という、いかにもキャッチコピーらしい無内容な文句が、切れ味の鋭いジョークになる。これは(そう意図してのものではないだろうが)CM業界の嫌味さを皮肉ったジョークになっているわけだ。
上に挙げた文型は二つとも命題文だが、命題文における「は」と「が」の違い(と言うより、国語学における「は」と「が」の違い)が、はっきり出ているように思う。
命題文以外にも紋切型の文型を考えてみたいが、今は特に思いつかないので、これだけにしておく。
「~は…だ(なり)」という文型は、明らかに、何かの定義をする、もしくは判断を下す文型(命題文と言う。)で、しかも「偉そうな断定」だろうという予測をさせる。だから、(志ん生の冗談だったと思うが)「目は人間のマナコなり」という断定が、その偉そうな言い方と、内容の無さのギャップで笑わせるのである。
「~が…だ」という文型は、これも何かの定義をする文型だが、「~は…だ」という言い方との違いは、「古い命題への異議申し立て」であり、「こういう考え方って新しくてステキでしょ」という匂いがプンプンしていることだ。だから、CMのキャッチコピーに使われる。そこで、「毎日がエブリディ」という、いかにもキャッチコピーらしい無内容な文句が、切れ味の鋭いジョークになる。これは(そう意図してのものではないだろうが)CM業界の嫌味さを皮肉ったジョークになっているわけだ。
上に挙げた文型は二つとも命題文だが、命題文における「は」と「が」の違い(と言うより、国語学における「は」と「が」の違い)が、はっきり出ているように思う。
命題文以外にも紋切型の文型を考えてみたいが、今は特に思いつかないので、これだけにしておく。
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