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偽善という善

学校スポーツは本来、教育の一環だったはずだ。それがいつごろからか勝利至上主義がはびこり、人間の皮をかぶった獣や脳筋人間を育て、金目当ての道具になっている。
この北海野球部の指導は、学校スポーツの原点を教えるものだろう。
それを偽善だと言うのなら、善とは本来人為的な努力で人間性を作り上げて為すものだ、と言っておこう。「偽」は人偏に為の字の合成で、人為的なものはすべて、自然的存在ではない、という意味なら「偽」なのである。偽だから悪いわけではないのだ。偽善は「外面だけでも善をつくろう」ならいい行為であるとすら言える。ただその中身が悪なら、そういう偽善に騙されるほうが馬鹿なだけだ。ただの偽悪を「正直な生き方だ」と称賛する馬鹿と同様である。



キチガイのふりをして大路を走り回れば、それはキチガイだ、と兼好法師が言っているが、一生聖人のふりをして生きれば、それは聖人である。


(以下引用)



甲子園準優勝の北海に根付いた“サムライ”の心得
 
 


 8月20日、夏の甲子園の準決勝第2試合で、北海が秀岳館(熊本)に4-3で競り勝ち、初の決勝進出を決めた。北海の選手がホームベース付近に整列して校歌を歌い終わると、エース・大西健斗主将は、秀岳館が陣取った三塁側ベンチのほうに向き直り、深々と一礼してアルプススタンドへと駆けていった。

 試合終了後、大西主将に尋ねると、粋な答えが返ってきた。


「こうやって野球をやれているのは、相手あってのこと。相手がいなくては、試合はできない。敬意をもってプレーすることを心がけています。それは平川先生に教わったことで、チーム全体に浸透していると思います」


 大西主将の一礼は、今年の甲子園大会から始まり、誰に言われることなく、自然とするようになったという。


「平川先生」こと、北海の平川敦(おさむ)監督(45)は、相手チームに敬意を払い、感謝をしながら野球をすることを説いている。


 平川監督は北海で投手として活躍し、1989年に夏の甲子園大会に出場。98年に同校の監督に就任した。夏は全国最多の37回の出場を誇る北海だが、2000年代前半は遠ざかっていた。


「全国の指導方法を自分の目で見なければいけないと感じた」(平川監督)


 当時、平川監督が教えを請うたひとりが、広島の名門・広陵の中井哲之監督(54)だった。中井監督の教え子は現阪神監督の金本知憲氏など多くがプロ野球に進んでいる。中井監督が当時を振り返る。


「『広陵までうかがって指導を仰ぎたい』と連絡がありました。距離も遠いし、一度はお断りしたんです。でも何度も『なんとかお願いします』と強く要望されまして、お受けしました。きっと、長い間、甲子園に出場できず、悩まれていたのでしょう」


 中井監督は平川監督を監督室に招き入れ、指導者としての心構えを話した。


「技術に走ると技術に泣くんです。技術的な練習なんて、その効果は短期間しか持続しない。人を育てるんです。たとえ人に走って人に泣いたとしても、教育者にとっては中身のあることなんです」


 中井監督は続けた。


「一時的に勝った負けたということよりも、子どもたちがこの学校に来てよかったと思えることが大切。選手たちは大好きな野球で夢を見て育つんです。私は本気でやってます、と伝えました」


 背中を押されて北海道に戻った平川監督。08年夏に甲子園への切符を手に入れると、その後、春夏計4回の出場を果たした。


 今大会の準優勝について、「いつもどおりのプレーができたからこその結果だと思います。大事なときだけ力を発揮しようとしても無理ですから。普通のことを普通にするのって難しいと思うんです。練習や学校生活の中で、常に平常心を意識づけてきました」


 北海のプレーには、もうひとつ目を見張ることがある。たとえば緊迫した場面で、三振を奪ってピンチを脱しても、タイムリーヒットを打っても、ガッツポーズをしたり、雄たけびをあげたりすることはない。


 二塁手の菅野伸樹選手に聞いてみると、どうやら北海の“作法”には、責任教師の坪岡英明部長(47)の影響もあるようだ。


「ひとつのプレーに一喜一憂しないことが大事だと教わってきました。部長は、喜んだり悔しがったりしても、それはもう過去のことなので『先を見ろ』と言います」


 北海の部長に就いて10年目だが、グラウンドで指導するのが平川監督であれば、ミーティングを任されて心構えを説くのが坪岡部長だ。


 21日の決勝で作新学院に敗れた後、甲子園の控室で荷物を整理していた坪岡部長に尋ねてみた。坪岡部長は帽子を取り、「よろしくお願いします」と頭を下げた。柔和な表情を見せるが、かつては「おっかない」と評判だったという。


 過去には小樽水産の野球部の監督を務めていた。当時は、若さも手伝ってかなり厳しく接する場面が多かったらしい。だが、薄々気づいていた。


「上から目線で言っても、生徒は楽しくないはず」


 10年間指導にあたった後、留萌に異動し、剣道部の顧問となった。そこで学んだのが「礼節」だった。剣道は一本取った後に喜びのあまりガッツポーズをすると、その一本が取り消しとなる。敬うべき相手や審判への非礼な態度と見なされるからだ。


 北海で再び野球に関わるようになった坪岡部長は、生徒の視点に立って接することを誓い、野球にも派手なガッツポーズをしない“サムライ”のような礼節を持ち込んだ。


「選手たちには『野球をやることがえらいわけではない』と言います。ほかの競技では、いい成績を残してもマスコミに取り上げられないことすらある。そのことを忘れずに謙虚であれと伝えています」


準決勝で秀岳館に勝ち、校歌を歌い終わった後、大西主将(写真左から3番目奥)は三塁側の秀岳館ベンチに向かって一礼した (c)朝日新聞社© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 準決勝で秀岳館に勝ち、校歌を歌い終わった後、大西主将(写…

 甲子園入りしてからも、「勘違いするな」と口にしてきた。


「ちやほやされるのは、子どもたちはうれしいと思うんです。けれど、それも過去のことと思わなくちゃいけない。舞い上がって踏み外すことだってあります。地に足をつけることが大事なんです」


 1901(明治34)年創部以来、初の決勝に進んだ。


「選手たちは大きな舞台で一喜一憂することなく力を発揮してくれました」


 相手を敬い、派手なガッツポーズや雄たけびで喜びを表現することもない。望外の結果を手にしてもぶれない姿勢は、決勝戦で敗れてもなお、球場の観客を魅了した。その底流には、平川監督と坪岡部長による「立派な人間であれ」という教えがある。


 広陵の中井監督は言う。


「『作られた礼儀やあいさつはいらない』と考えています。テレビなどに映らないところでしっかりできているか。そういう高校が強くないといけないと思います。北海は初めて決勝に進み、壁を突き破ったと言いますか、何かをつかんだんじゃないでしょうか」


※週刊朝日 2016年9月9日号




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