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人文主義と「人間主義」

今読んでいる最中(まだ第三章の途中だが)の、トーマス・マンの「魔の山」の中に、「人文主義(者)」の親切な注釈がある。それを先に一部転載する。赤字太字下線は夢人による。

人文主義者:homo humanus(Humanist)は古代ギリシャ人的教養を理想とする人。ギリシャ人は、人間という理念をすべての実利性から分離させて、心身の完成という点にもとめ、この人間像へ個々の人間を高めようと努力した。この教養理想は古代ローマ人に受けつがれたが、中世にいたってキリスト教的教養に退けられた。(以下略)

私は昔から「人文学」という名称の意味が分からなかったのだが、これは名称が悪いので、正しくは「人間学」と言うべきだったのである。そして、上の注釈中の「人文主義」も「人間主義」と言うべきだったのだ。ヒューマニズムとは、別に仁慈に満ちた人間の精神のことではなく、「人間主義」の意味であり、人間を大事にする思想が、道徳性と結びついただけの話である。
で、この「文」という余計な字を「ヒューマニズム」の訳語の中に入れたことで、「人文学とは何か」という混迷を多くの人間にもたらしたわけだ。悪い翻訳の害悪は大きい。
さて、上の注釈の中で私が強調した部分だが、まず、ギリシャ人が「人間という理念をすべての実利性から分離」した、というのが非常に面白く、ギリシャ人の叡知を示していると思う。これが、「実利性がすべて」という現代社会が、非人間的な汚辱と悪がはびこる社会になっていることと見事に対応している。
「ようこそ実力至上主義の教室へ」というアニメがあって、その教室では学力や運動能力だけでなく、「悪の能力」も「実力」として認められているのである。まあ、これは私の解釈で、その学校のルールは私には今一つ理解できていないのだが、描かれた内容では明らかに「悪の能力の高い人間」こそが「実力のある人間」だと評価されている感じだったわけだ。言い換えれば、悪の能力ほど「実利性が高い」ものはない、ということだ。他人との勝負に勝ちたければ、誰も見ていないところで相手を殺すのが一番である。殺すのは危険性が大きいなら、不具者にしてもいい。相手の評価を下げる噂を流してもいい。そのほうが、勉強やスポーツで勝つより楽で確実だろう。
まあ、見ていて気持ちの悪いアニメだったが、原作者は頭のいい人だな、ということは分かる。モラルの歯止めの無い「実力勝負」は、野獣の闘争になるしかないのである。プロレスラーは、素手なら強いが、出刃包丁で刺せば勝てるだろうし、ピストルや爆弾を使えばなお確実だ。それが「実力至上主義」なのである。
下線をつけた、ギリシャ的ヒューマニズム(人間主義)が中世に「キリスト教的教養に退けられた」というのは説明不要だろう。キリスト教は「神至上主義」だから、「人間至上主義」とは真っ向から対立するのである。

(追記)今、気が付いたが、「人文主義」の「人文」と、「人文学」の「人文」は異なる意味かもしれない。面倒くさいのでそのままにしておく。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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