忍者ブログ

「笑い」における「正常と異常」

かなり前に、筒井康隆が「文学部只野教授の哲学講義」だったか「誰にでも分かるハイデッガー」だったか(書名は適当)で、「男性の笑いはナンセンスを笑い、女性の笑いは人の失敗を笑う」という意味の言葉があって、それに関して小論を書いた記憶があるが、もちろん筒井の言葉は「男女における笑いの傾向」を言ったものである。常にそうだということではもちろんないが、大きな傾向としては筒井の言う通りだと私には思える。
私が人類最高の小説のひとつと思っているのがルィス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」だが、女性にはこの類の「ナンセンスの笑い」を書いた作品は稀なように思う。その一方で、「失敗による笑い」に関しては、女性漫画家の漫画など、男性漫画家よりはるかに辛辣で笑える。男性漫画家の笑いなど、小学生の「ウンコチンチン」レベルのものが多い。女性漫画家の場合、絵の可愛さが、その毒気を消していることが多いが、女性の「批評眼」は男性より厳しいように思える。もちろん、その批評は基本的には「自分以外の存在」に向けられるのは男女を問わない。まあ、笑いそのものが嫌いだ、という人も男女を問わずたくさんいると思うが、それは後で論じる(かもしれない)。
男女という前提を度外視して「ナンセンスを笑う」「失敗を笑う」のふたつの種類の笑いがある、という大分類は可能なのではないか。
ここでは「正常と異常」という観点から笑いの考察をしてみる。

「あたおか」という言葉があるが、これはもちろん「頭がおかしい」ということだろう。で、「あたおか」は「馬鹿」でも「キチガイ」でもないが、やや後者に近い、「軽キチガイ」という定義でいいかと思う。その「キチガイ」はもちろん「気が違っている」つまり「精神が異常である」ことだが、「天才とキチガイは紙一重」であり、常人にはできない発想ができるのが天才やキチガイだ。ルィス・キャロルの作品などは、キチガイと正常の橋渡しだろう。あの作品によって凡人は天才、あるいはキチガイの精神世界の中に入って、その奇跡的な果実を得ることが可能になったわけだ。ああいう発想ができる人間は人類史でもほとんどいなかったと思う。で、私が問いたいのは、女性はあれを「面白い」と思うのかどうかである。私には、女性はだいたい「正常」の側に立って、「異常」を断罪する精神傾向があるような気がする。
で、「あたおか」は相手を批判する言葉、単なる悪口として使われているとしたら、それを「女性的な思考だ」と私が言えば女性全体への批判になるだろうが、そう思えるのだから仕方がない。「あたおか」はなぜ悪い(悪口になる)のか、と考えると、それは「正常な人間社会から逸脱する危険性がある」からだ、という思考がこの悪口の底流にあるのではないか。そして、「正常な人間社会や正常な人間関係からの逸脱」を恐れるのは男性より女性に強い傾向に思える。男の場合は、そうなった場合は隠者(ヒキニート)かホームレスになるだろうが、女性は、特に若い女性は自殺という道を選ぶ可能性が高いように思える。もちろん、これは大きな傾向として、の話だ。これは、先に書いた、「女性はだいたい「正常」の側に立って、「異常」を断罪する精神傾向があるような気がする。」の集団(正常)の側に立って、自分自身(異常)を断罪していると言えるのではないか。
話が長くなったので、今回の考察はここまでにするが、笑いの問題や「正常と異常」の問題は、なかなか深い考察課題のようだ。



拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
27 28
29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析