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天皇制を考える(1)「国家と政府」

「東海アマ」氏のブログ記事の一節だが、氏の天皇制否定論の根拠と言うか、思想的根幹がこのあたりにあるようにも思えるので、少し考察してみたい。
私自身は天皇制肯定論者だが、自分が間違っていると納得できるなら、いつでも思想的転向はするつもりはある。まあ、感情は理性だけでは動かないが、思想は感情より理性を優先すべきだろう、という考えだ。だが、これまで私を納得させた天皇制否定論にはお目にかかっていないのである。
もちろん、先の戦争の責任は当時の「日本のオーナー」であった昭和天皇にあると思うのが自然だろうし、たとえ軍部の独断専行があったとしても、組織の失敗の責任は組織のトップにある、というのは当然である。しかし、国家全体を「組織」と言えるかどうか。そして明らかに「政府」は組織である。つまり、天皇は国家の長であったが、政府の長だったと言っていいのかどうか、議論になるだろう。たいていの戦争責任論ではこの部分があいまいな気がする。
あの戦争を会社の破産にたとえるなら、会社破産の責任は株主にあるのか、経営責任者である社長にあるのか、と言い換えれば、話が見やすくなる。これが実は「天皇無答責論」の本質ではないだろうか。もちろん、天皇自身が政府決定に口出しをして決定を捻じ曲げさせたのなら、「無答責」論は通用しないことになるが、私の知るかぎりでは、昭和天皇自身が政府決定を覆したことは無いように思う。まあ、問題が天皇自身の判断に任された時に「政府や軍部の空気を読んで」決定を下した例もあるかもしれない。
終戦後に米国は天皇制を(天皇に人間宣言させ)存続させることで日本占領政策を実に効果的に行い、戦後の日本はそこから驚異的な発展を遂げた。あの敗戦は(戦争自体の悲惨さは言うまでもなく、その犠牲者は不幸そのものだが)日本人の意識を変え、民主主義と憲法によってその後の日本の針路を明朗で合理的なものにしたという点で、日本史における日本国民の最大の幸福だったというのが私の考えだ。言い換えれば、GHQ(の内部の進歩的知識人たち。その多くは社会主義的思想だったようだ。)こそが日本人の最大の恩人である。
さて、その「天皇制存続」は誤りだったか、というのが論考課題になるだろう。
言うまでもなく、それはあの敗戦直後から復興期においては最良の政策だった。(もちろん、これは私の主観であり、昭和天皇の戦争責任をあいまいにしたことで、「現代日本の精神的病態が決定づけられた」という考えもあるだろうから、これは「経済的な意味で」あるいは「社会安定の意味で」である。)
で、問題は、そうして存続した天皇制は「現代」においても意義があるか、あるいは未来において存続する価値があるか、ということだが、長くなったので、これは稿を改めて考えたい。
下の記事の内容(考え)への検討もその際に行う予定である。


(以下引用)

 天皇という合理性のない、虚構を容認することが、死刑制度という合理性のない劣悪な報復主義の制度を生み出している。
 こうした権力主義の虚構こそ、日本人の自由と人権を破壊する張本人である。
 この意味で、日本に、本当の自由と人権が来るときは、天皇制が死滅するときである。

 このとき、天皇家の人々は虚構の拘束から解放され、真実だけをよりどころにして、はじめて一市民としての権利と自由を保障されることになる。
 天皇制は、歴史と人間の合理性という観点から、死滅してゆかねばならない制度である。

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