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仏教と儒教の功罪について

だいぶ前に書いた文章だが、せっかく書いたものを埋もれさせておくのも勿体ないから、ここに掲載しておく。





仏教と儒教の功罪について



 



 東洋人の精神に仏教と儒教が深い影響を及ぼしていることは言うまでもないが、その功罪を正面から論じた文章はあまり無いように思われる。もちろん、キリスト教の立場などから仏教を批判した文章は幾らかあるだろうが、そうした批判は党派的立場によって不公正なものになっているはずだ。ここでは、仏教にも儒教にも、あるいは他宗派からも独立した立場で、仏教と儒教の功罪を論じてみたい。



 仏教と儒教のいずれも、善を勧め、悪を禁じて、人に社会道徳を教え、社会の秩序を守ることに寄与していることは周知の事実である。その違いは、儒教は「怪力乱神を語らず」に、(来世や神仏という前提無しで)、ただ善を守り悪を為さないことが人として生きる正しい道である、としているのに対し、仏教は来世や極楽を前提としているという違いである。学問のある士大夫には儒教でいいが、学問の無い一般庶民には、来世や極楽・地獄の存在によって脅して善行に向かわせるのが効果的であっただろう。



 要するに、仏教も儒教も、民衆に対する社会道徳教育の一手段であったのである。為政者から見れば、法や刑罰という外面的規範によって悪や秩序破壊的行為を禁じることと並行して、仏教や儒教で内面的に人をコントロールすることが必要だったのである。つまり、内面の段階で人々が悪を思いとどまれば、それに越したことは無いのである。



 これは必ずしも批判すべきことではない。悪というものは、生の目的である欲望の成就手段ではあるが、破壊的手段であり、周囲の人間関係やコミュニティに大きな害を与え、長い目で見れば本人にとっても利益にはならないことだからである。(悪のこうした不利益を明確にした哲学書を私は読んだことがない。哲学書などというものが、いかに無用の談議ばかりかが分かろうというものだ。)



 そのように仏教と儒教のメリットの面を見た上で、ではそのデメリットは何かと言えば、それは、社会秩序そのものの持っている欠陥から目をそむけさせ、批判精神を失わせてしまうところにある。東洋文明が西洋文明に大きく遅れを取ったのは、仏教と儒教によって精神が眠り込んだからではないか、と私は思っている。



 まず、仏教では、因果論によって、問題が個人的な道徳のみに限定されてしまい、この世で栄華を誇っている貴族や富裕層は前世での善因の結果であるからと許容され、自分が被っている社会悪(生まれによる差別など)も、自分の前世での悪因の結果であるからと受け入れさせられる。つまり、社会悪への怒りが、為政者や富裕層への反抗とはならないのである。そして、来世での善果の為にちまちまとした善行を積み重ね、この世では報いられぬまま、無駄に一生を送ることになる。これで、来世が無ければ、まったくのお笑いである。いや、善行それ自体の価値は否定しないが、本人が来世で極楽に生まれ変わる気でいたら、それは仏教に騙された一生だったということになるだろう。親鸞などは、それでもいいのだと言っているが、よいはずがない。



 儒教もまた社会秩序維持の手段として利用されてきたのであり、特に「君に忠、親に孝」という2点が社会の道徳的基盤となってきた。この「道徳」が為政者にとって、そして家庭の父親の権威にとっていかに都合の良いものであったかは言うまでもないだろう。この2点を守らせるだけで、社会は簡単に維持でき、そして、目上への反抗はまったく生じないことになるのである。すなわち、社会体制は、為政者や上位層が望まない限りけっして変革されないことになる。



 こうして、「東洋の停滞」が長期に渡って続いてきたのである。



 以上が、仏教と儒教の功罪である。そして、人々が仏教も儒教も信じなくなり、かと言ってキリスト教を信じるのでもなくなった現代において、社会道徳はまったく失われ、人々は自分の人生は自分の欲望達成のためにある、と言わず語らずのうちに信じて、様々なエゴイスト的行動を取っている。自分の友人や家族だけは自分に必要だから、そうした身近な人間に対してだけは悪いことはしないが、心の底では、なぜ悪を行ってはいけないのかと思っている。もちろん、必要な場合は悪を行っていいとほとんどの人間は思っているのである。



 それが間違いだとは言わない。道徳はもともとコミュニティの秩序維持のために生まれたのであり、生存や快楽のための欲望の達成が悪と言われるなら、それを禁ずるいわれはない。だが、2000年あまりかけて人類が人間となりながら、再びモラルの点で野獣レベルに戻ることが果たして正しいのかどうか、よく考えねばなるまい。



 悪はそれを行う当人に利益を与えるから、善(良き物)である、というのがプラトンの『国家』におけるトラシュマコスの議論だったが、それを論破するにはどうすればいいか。しかし、これはまた本稿とは別の問題だから、(その基本は既に述べてある。つまり、悪を為すことで当面の利益は得られても、長い目で見れば、悪は当人にとっての不利益にしかならないということだ。その不利益の最大のものは、精神的な孤独である。悪を為す者は、周囲の人間の愛情を求めることはできないだろう。なぜなら、彼または彼女は周囲の人間にとっての敵だからである。ならば、悪党同士の愛情を信じるか? それも無いとは言わないが、あまり楽しいものではないだろう。)稿を改めて論ずることにしたい。


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民族や国民としての「無意識(潜在意識)」

「播州武侯祠遍照院」に載っていた文章の一部である。「国際秘密力研究」というサイトもしくはブログの文章らしい。
全体的には私には理解するのが難しい仏教哲学の話で、ほとんど斜め読みしただけだが、私が興味を持っている「阿頼耶識」の部分だけは興味深く読んだ。
阿頼耶識とフロイトの「無意識」はよく似ている、というのは誰でも思うことだろうが、フロイト理論の欠点と私が思っている「性的抑圧」や「性的衝動」への偏執という部分への批判がここでは適切になされていて、そこも面白い。実際、人間の無意識的欲望は性的なものだけではない。暴力や殺人や破壊への欲望もあれば、創造への欲望もある。動物的本能だけではなく、その人間の属する社会によって植え付けられた「文化的偏向」も、その無意識の中にある。つまり、あらゆる「種子」が無意識の中に取り込まれ、それが「現行」となり、「現行」もまた「種子」となっていくという無限運動が人間の精神生活なのである。
「阿頼耶識」説は、フロイト説より優れた説だと言えるだろう。もちろん、フロイトの功績は、「無意識」の存在を広く知らしめたところにある。
ユングの「集合的無意識」は、逆に話を「人類全体の共通の無意識」と広げすぎたために、これも間違ってしまったようだ。これが、「民族や国家の集合的無意識」ならば、それは確実に存在する、と私は思う。それこそ、民族や国民という概念の土台ではないか。我々は日本人としての無意識によって常に思念させられ、判断させられ、意思させられ(「思念し、判断し、意思し」、ではない!)、行動しているのである。
これが、先日書いた文章中に引用した「国体の本義」の抜粋部分に相当するだろう。
さて、そうした日本人としての無意識は、古来から受け継がれてきた「日本語」や「日本文化」というローカルなものから生まれる。日本というローカルを否定すれば、日本人ではなくなる、ということだ。(当たり前の話である。)で、現在の安倍政権や新自由主義者が進めている国際化というものが「日本否定」行為であることは言うを待たないだろう。つまり、彼らは反日主義者である、という結論になる。(笑)
今の自称右翼諸君の好みはAKBなどであり、日本の古典や日本文化や日本語を守る、という話はまったく出て来ないのである。橋下などに至っては、古典文化を憎悪すらしているようだ。



(以下引用)



次に②の「阿頼耶識説」について述べる。

阿頼耶識とは、五感=前五識=眼識・耳識・鼻識・舌識・身識 と
第六意識(主に言葉を伴った認識を担う)の根底となる深層心理のことである。

この説も元々は大乗仏教の瑜伽行者の体験が元になっているらしい。
近代で現れたフロイトやユングの深層心理学のはるか以前の古代インドにおいて
既に深層心理が発見されていたのが興味深い。

この阿頼耶識の阿頼耶とはサンスクリット「アーラヤ」(ālaya)の音写で、
「蔵」という意味である。
何を納める蔵かと言えば、人間が、考え、話し、行動(身・口・意)した時に生ずる影響力の
残滓=種子を蓄える貯蔵庫のようなものとされる。

人間が何かを、心の中で考え、言葉を使って話し、身体を使って行動する、
その影響力が阿頼耶識=深層心理に蓄えられる(現行熏種子)。
そして一端蓄えられた影響力は、阿頼耶識中で刹那滅しつつも相続する(種子生種子=種子の非実体性=空)。
そして蓄えられた影響力の残滓は機縁を得て新たな行動として表面化する(種子生現行)。
行動し、行動力の影響力が深層心理に残り、その影響力がしかるべき機縁を得てまた行動となる。
人間存在をこのサイクルとして捉える。
これが「阿頼耶識縁起説」である。

現行熏種子・種子生種子・種子生現行のサイクル=阿頼耶識縁起

これが阿頼耶識説の要諦である。要するに、行動とはその場限りのものではなく、
確実に深層心理に影響を残すから、一瞬一瞬の「こころ・言葉・行動」のあり方に
気をつけよ、という実践哲学と言える。
一瞬一瞬の行動が善であれば、それだけ阿頼耶識を清め、
一瞬一瞬の行動が悪であれば、それだけ阿頼耶識を汚す。
だから常に自分の表層意識に気を付けて、自らの行動を戒めていかなければならない、
そういう趣旨のようである。


これは全く神秘なところは無い、ごくごく良識的で理に適った教えという気がする。
体験的にも、日ごろ思っていたり、繰り返している行動が咄嗟の場合にも無意識に
出てきたりする。一瞬一瞬になされた行動の積み重ねが自分自身の人格を形成していき、
良くも悪くもなるのは確かだと思う。気を付けたいものである。

これは陰謀追及の視点からも応用できる。「洗脳」の問題である。
洗脳とは基本的に潜在意識をターゲットになされる。
それは単に言葉による刷り込みだけではなく、映像や音楽を使った刷り込みなど
媒体は多岐にわたる。食物や薬物による味覚を通じた刷り込みも洗脳の一種と言えるだろう。

こう考えると、洗脳は潜在意識をターゲットにするとは言うものの、
潜在意識を支配する為には、「五感」という「関所」を通らねばならないことに
気付く。さらに五感のみならず、五感と共に働いたり、五感と無関係に働いたりする、
表象作用や思考作用など仏教の認識論で言う「第六意識」も潜在意識に至る「関所」である。
(五感と共に働く意識を「五倶の意識」、五感と無関係に働く意識を「独頭の意識」と呼ぶ)

つまり、潜在意識への支配を防止するには、五感と思考(前五識と第六意識)を通じて
入ってくる情報に常に気を付けておくことが重要になってくると思われる。
見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、考えたりしたことの影響力が
もれなく潜在意識に影響を受け付けるのだとしたら、潜在意識を汚され、支配されない
ためには、常に六識のあり方に気を付けることがシンプルだが着実な道だと思われる。
(古来これを「六根清浄」と言った。「六根清浄」は現代においては洗脳防止の指針に
なりうる標語であると思う)

最古の仏典スッタニパータから引用する。


1034 「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか? その流れを防ぎ守るものは何ですか? その流れは何によって塞がれるのでしょうか? それを説いてください。」

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものでのである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞がれるであろう。」


「気をつけること」と言われると「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれないが、
このシンプルな戒めこそ、「煩悩克服」のみならず、「洗脳防止」のための普遍的な
指針であり、金言に思えるのである。参考にしてまいりたい。
確かに、一瞬一瞬気を付けていれば、刷り込み洗脳の侵入する余地はない。
とはいえ、無意識の内に誘導してくるのが洗脳のプロなので、
なかなか難しいことだが、指針として心がける事が重要であると思う。
現代人は常に心理戦の脅威にさらされているという事を忘れるべきではない。

ちなみにだが、この唯識で言う阿頼耶識と、フロイトの深層心理学でいう「無意識」、
ユングの分析心理学でいう「集合的無意識」の違いについて述べておく。

まずフロイト心理学の「無意識」との違い。
フロイト心理学でいう「無意識」とは、理性とは対立する、抑圧された欲望が渦巻く
何か衝動的なカオスとして捉えられている。
多少語弊があると思うが、どちらかと言えば理性の力で制圧・制御されるべき「悪」として規定される。

一方、唯識の「阿頼耶識」は、そのような善と悪という価値からは中立な「無記」の性質とされる。
善行を行なえば善の種子が、悪行を行なえば悪の種子が植えつけられ、その植えつけられた
種子の性質に応じて清められたり、汚れたりする、とされる。
しかし、阿頼耶識そのものは善でも悪(不善)でもない無記性なのである。
阿頼耶識がもし善ならば、人間は善しか行わないから、悪を行なうことは無いはずである。
(従って、仏になろうと修行努力する必要が無くなる。)
阿頼耶識がもし悪ならば、人間は悪しか行わず、善を行なうことは不可能である。
(従って、いくら修行しても仏になることはできないから無駄な努力という事になる。)
このいずれも人間のあり方と矛盾する。人間は善も行えば、悪も行うからだ。
心の根底である阿頼耶識を「無記性」と規定するからこそ、善を行ない、悪を避ける
倫理的実践の根拠が得られると考えるのである。これは大変理に適っていると思う。

フロイトの理論には、フロイト自身の心の病理や、
フロイトが主に診療した患者が(恐らくキリスト教的モラルに
よって)性的抑圧を強いられていた19世紀末のオーストリア社会
の上流階級の女性だったことが影響を与えている、という趣旨の解説を
読んだ記憶がある。この説明が正しいとすると、理論構築の原点に
特殊な文脈が存在するのかもしれない。
その点を差し引くとフロイトの理論は必ずしも普遍妥当的とは
言えないように思う(もっとも「理論」というのは皆そういうものであるが)。

唯識の理論からすれば「性的抑圧」なるものは、「現行熏種子」の
一つに過ぎず、たとえば、性的抑圧以外の権力欲や名誉欲、
金銭欲あるいは暴力衝動、闘争心などが強く、その欲望を抑圧している人だったら、
フロイトが診療した患者とは別の説明が可能かもしれない。
抑圧と言っても必ず表層意識によって繰り返しなされたことが
深層心理に影響を与える(現行熏種子)わけだから、
常なる表層意識のあり方如何によって深層心理のあり方も決定される、
という唯識の考えの方が、なんでもかんでも性的抑圧で一元的に説く
ように見えるフロイト理論よりも合理的に見える。人間の中に渦巻く
「欲望」というのは多様なのである。唯識はそれを冷静に観察している。
(ちなみに唯識では、六つの根本煩悩との二十の随煩悩を数えている)

次にユング心理学の「集合的無意識」との違い。
ユングは個々の人間の心理の根底に人類全体に共通する「集合的無意識」があるとする。
これは人類という種レベルの一つの根底的無意識の想定である。
一種の形而上学と言えるだろう。

唯識の「阿頼耶識」はこれとは異なる。「人人唯識」と言って、あくまでも阿頼耶識は
個人個人の深層心理であって、個人を超えた共通の無意識のようなものとは性質が
異なる。個人個人のなした心の働き・言葉の働き・身体の働きの影響力を留めるのが
阿頼耶識とされているから、当然、阿頼耶識は個人単位のものなのだ。

そもそも「集合的無意識」は「個人的無意識」とは違う、人類共通の「元型」が備わっている
という想定だが、これは五感には対象を感受する能力が人類に普遍的に備わっているし、
意識には表象能力や判断能力が備わっているわけであるから、これらも「人類に共通」と言える。
(どの民族にとっても聴覚は「聞く」機能を持ち、民族によって言語は様々あれど
言語能力が備わっていること自体は共通している)
従って、集合的無意識というのを敢えて立てなくても、人間の意識現象には「人類に共通」の
形式が備わっていると言える。だが、現象としてはあくまでも個々別々の意識現象である。
何が「共通」なのかと言えば、あり方、法則、機能といういわば「理」が共通なのである。
事=現象、理=法則であり、理においては共通でも事においてはあくまでも個別なのである。
これは華厳の四法界説を取り上げた時に言及した。
集合的無意識という「人類に共通の無意識」を立てる発想は、事と理の峻別をせず、
理の同と事の異が同時に成立する事を見誤ったがゆえにたてられた説だと考える。
かりに「集合的無意識」のようなものがあったとしても、「人類に共通」というのはあくまでも
他の五感や表層意識と同じように「理」においてであって、「事」においてはあくまでも個別のものだろう。
(例えば、母なるものをふっくらした土偶でイメージしたり、父なるものを老賢者でイメージする傾向。
そのような「理」としては共通性があったとしても、実際にイメージしたり、潜在的イメージを
保持したりするのはあくまでも個々の意識・無意識=事である。
もっとも実際にはこのようなイメージは文化的な文脈に依存すると思われる。
ある人間が生まれた文化共同体によって繰り返し刷込まれた共同主観的イメージ。
これもまた「現行熏種子」の機制と言えるかもしれない)
そうでないと、形而上学的実体としての「一者」を立てる新プラトン主義のような形而上学説になる。
理の共通性に過ぎないものを事の共通性とはき違えるとオカルトになる。

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すでに戦時下の日本?

アボカドを簡単に剥く技、というのを紹介しようかと思ったが、その下の記事で、岸井成格が番組降板させられた、ということを知って、こちらも転載することにした。
アボカドの方は、半分に切って、コップに当てて皮と実の間をコップ壁面が通るようにこすり下ろすだけである。簡単で、手も汚れない。実に、実用的な技だ。知れば単純だが、考え出した人は凄いと思う。世の中の技術というのはそんなものだ。これに特許が申請されないのは幸いである。
岸井の件は、そもそもあの男(私は御用新聞の御用記者だと思っていた。)が安倍政治批判の発言をしたことも意外だったが、安倍政権が即座にこういう「言論統制」行動を取ったのはもっと意外である。(TBSの「自主規制」の形だが、そう仕向けたのは安倍政権である。もしかしたら、官邸から露骨な指示があったのではないか。)案外、今の日本はすでに「戦時体制」なのではないか。




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  1. アボカドを簡単にむく技
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  1. 「ニュース23」の岸井さんまで番組から降板という話を聞いて、やや恐怖に近い感情が湧いてきた。


(付記)「リテラ」に詳報が出ていたので転載しておく。

『NEWS23』でキャスター岸井成格の降板が決定の情報!「安保法制批判は放送法違反」の意見広告にTBSが屈服?

【この記事のキーワード】, ,
2015.11.25
kishiishigetada_151125.jpg
TBS『NEWS23』公式サイトキャスター紹介ページより

 愕然とするようなニュースが飛び込んできた。TBSの看板ニュース番組『NEWS23』で、アンカーの岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員)を降板させることが決まったというのだ。


「TBS はすでに後任の人選に入っていて、内々に打診もしているようです。後任として名前が上がっているのは、朝日新聞特別編集委員の星浩氏。星氏は朝日では保守派寄りの政治部記者ですが、今年、朝日を定年になるので、退職後の就任をオファーしているようです。岸井さんが契約切れになる3月をめどに、交代させる方向で進めていると聞いていましたが、場合によってはもっと早まるかもしれません」(TBS関係者)


 この突然の人事の背景には、もちろん例の右派勢力による『NEWS23』と岸井攻撃がある。


〈私達は、違法な報道を見逃しません〉──。今月14日の産経新聞、翌15日の読売新聞に、こんな異様なタイトルの全面の意見広告が掲載されたことをご存知の読者も多いだろう。


 この広告の出稿主は「放送法遵守を求める視聴者の会」なる聞いたこともない団体だが、呼びかけ人には、作曲家のすぎやまこういち氏や評論家の渡部昇一氏、SEALDsメンバーへの個人攻撃を行っていた経済評論家の上念司氏、ケント・ギルバート氏、事務局長には、安倍首相の復活のきっかけをつくった安倍ヨイショ本『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎)の著者・小川榮太郎氏など、安倍政権応援団の極右人脈が名前を連ねている。


 そして、この広告が〈違法な報道〉と名指ししたのが、岸井氏と『NEWS23』だった。9月16日の同番組で岸井氏が「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言を取り上げ、「放送法」第4条をもち出して〈岸井氏の発言は、この放送法第四条の規定に対する重大な違法行為〉としたのである。



 しかも、『放送法遵守を求める視聴者の会』は意見広告だけでなく、TBSと岸井氏、さらには総務省にまで公開質問状を送りつけたという。


「これに、TBS幹部が真っ青になったようなんです。もともと、局内に岸井氏を交代させるという計画はあったようなんですが、この抗議を受けて、計画が一気に早まったようなんです」(前出・TBS関係者)


 しかし、この意見広告はそんな過剰に反応しなければならないものなのか。たしかに放送法第4条では放送事業者に対して《政治的に公平であること》を求めてはいるが、それは政権批判や特定の法律批判を禁ずるものではまったくない。


 また、岸井氏の「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言にしても、安保法制に単純に反対ということではなく、国民に対して説明不足のまま強行採決したことへの批判の延長線上に出てきたものだ。もしこれが政治的に不公平な発言というなら、たとえば、安倍政権の外交成果を評価するようなNHKフジテレビ日本テレビの報道もすべて放送法違反になってしまうだろう。


 しかも、これは別稿で検証するつもりだが、この意見広告を出した「放送法遵守を求める視聴者の会」自体が実体のよくわからない、きわめて政治的な意図をもった集団なのだ。


 どうしてこの程度のものに、TBSは神経質になっているのか。その背景には、官邸と自民党が『NEWS23』を標的にしているという問題がある。


 昨年末、安倍首相が『NEWS23』に生出演した際、街頭インタビューのVTRに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と難癖をつけ、その後、自民党が在京テレビキー局に「報道圧力」文書を送りつけるという問題が起きたが、その後も自民党や官邸はさまざまな形で、同番組に圧力をかけ続けていた。


 安保法制審議中は例の文化芸術懇話会の弾圧発言が問題になったこともあって、一時、おさまっていたが、同法が成立した直後から、自民党「放送法の改正に関する小委員会」の佐藤勉委員長が、テレビの安保法制報道は問題だとして、「公平・公正・中立は壊れた。放送法も改正したほうがいい」と露骨な恫喝発言をするなど、再びTBS やテレビ朝日への圧力を強め始めた。



 実際、こうした動きに、TBSの武田信二社長が9月の定例会見で、安全保障関連法案をめぐる同局の一連の報道について、「弊社の報道が『一方に偏っていた』というご指摘があることも存じ上げているが、われわれは公平・公正に報道していると思っている」と弁明する事態になっている。


「とくに、官邸と自民党が問題にしていたのが、岸井さんの発言だった。岸井さんはもともと政治部記者で、小泉政権時代は小泉改革を支持するなど、いわゆる毎日新聞でも保守色の強い記者だった。それが安保法制に厳しい姿勢を貫いたことで官邸や自民党は『裏切りだ』と怒り倍増だったようです。政治部を通じて『岸井をなんとかしろ』という声がTBS幹部に再三届けられたと聞いています。そんなところに、今回の岸井さんをバッシングする意見広告が出たことにより、TBSも動かざるを得なくなった。総務省にまで抗議、質問状を送りつけられたことで、TBS は非常にナーバスになっている。総務大臣はあの高市早苗さんですからね。これを口実にどんな圧力をかけられるかわからない。大事になる前に岸井さんを切ろうということでしょう」(全国紙政治部記者)


 いや、岸井氏だけでなく、これを機にメインキャスターの膳場貴子氏も降板させ、『NEWS23』を解体させる計画もあるといわれている。


「膳場さんは今週から産休に入りましたが、そのまま復帰させずフェードアウトさせるという計画もあるようです。しかも、岸井さんの降板、星さんの起用とあわせて、放送時間を現在の1時間から短縮させ、番組自体もストレートニュースに変更するプランももち上がっています」(前出・TBS関係者)


 放送法を歪曲した今回の“報道圧力”である意見広告に、本来、TBSは強く抗議すべきである。それが何をか言わんや、相手の攻撃に屈し、ジャーナリズムとして当然の発言をしただけの岸井氏を降板させるとは──。以前、オウム真理教に絡んだビデオ事件の際に、筑紫哲也氏は『NEWS23』の番組内で「TBSはきょう、死んだに等しいと思います」と発言した。しかし、今度こそほんとうにTBSは「死のう」としているのではないか。圧力に萎縮し、服従すること。それは報道の自殺行為にほかならない。

田部祥太
















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原節子讃

原節子は大根役者と言われてもいたが、スターは「いつも同じような演技」を要求されるから、一見大根に見えるのである。ゲイリー・クーパーもジョン・ウェインもジェームス・スチュアートもみなそうである。スターとアクターは別、というのが私の考え。バート・ランカスターなどは、スター扱いされなかったからこそ名アクターにもなれた、と思っている。マーロン・ブランドもスターではなく、アクター。三船敏郎はスター。仲代達矢はアクター。現代は(少なくとも日本映画に関しては)スター不在の時代だろう。だからほとんど見る気も起こらないのだ。スターにはまさしく、星のような「後光」があり、それが一般人を牽き付けるのである。
原節子が名女優でもあると私が知ったのは、確か、「晩秋」だったかと思うが(訂正:たぶん「麦秋」か。俳句の季語で、一般人はあまり使わない言葉だ。なお、「麦の秋」、つまり夏の季語である。)、父と娘二人きりの生活に満足していた娘(原節子)が、父(笠智衆)が再婚するという話(実は、行き遅れの娘を結婚させるための、父の嘘)を聞いた時の、彼女の静かな怒りの表情の凄さによってである。彼女の、普段は菩薩のような顔が、外貌はそのまま、夜叉のように見えた。ああいう表情は、映画でも現実でも他には見たことがない。



(以下引用)



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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:30:58.90 ID:ImFlSoz10.net
原節子さん 9月に死去していた 
95歳「東京物語」「晩春」

昭和の大スター、元女優の原節子(はら・せつこ、本名・会田 昌江=あいだ・まさえ)
さんが9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去したことが25日分かった。

95歳。横浜市出身。1963年(昭38)の映画出演を最後に表舞台には出ず、
その後の生活はほとんど知られていなかった。

f0196455_14195939

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6182090
 
2: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:31:42.73 ID:XHLi3+G60.net
ワイ大学教授、号泣
27: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:37:17.11 ID:B/Uq4J450.net
>>2
おは漆原
3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:32:11.03 ID:XHLi3+G60.net
この人知らん奴はバチあたりやぞ
美人女優の代表やぞ
5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:32:23.19 ID:lCzwBC+r0.net
それドロップちゃう、カナブンや
6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:32:27.76 ID:a2hwL8/o0.net
ほんま美人や
7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:32:32.63 ID:YiuxHETC0.net
しゃーない
おばあちゃんやし
9: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:32:46.83 ID:dNkgq8FG0.net
大往生やんけ
10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:33:02.52 ID:ImFlSoz10.net
伝説の女優やぞ
11: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:33:40.56 ID:V0vv8hBF0.net
後継者は吉永小百合って感じなん?
14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:34:05.64 ID:NJsjKCmH0.net
もう長いこと活動してなかったんやな
17: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:34:55.36 ID:2AF+jja80.net
リリーフランキーが映画評コラムで「映画監督が甘やかしすぎ」って言ってたな
15: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:34:35.97 ID:tqXfQHYLa.net
笠智衆と原節子のコンビ好き
37: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:38:44.52 ID:YAjUiCfw0.net
>>15
おいくつの方ですか?
16: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:34:34.58 ID:p4O3b6IXr.net
わしゃあ悲しい
19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:35:50.24 ID:p4O3b6IXr.net
もう一度銀幕に戻ってくるものだと思っていたが、結局戻ってこなかった
24: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:36:40.69 ID:gaOaYBW80.net
李香蘭が亡くなった時次は原節子だと
分かってたがとうとう来たな
29: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:37:34.52 ID:X6JlT7cN0.net
日本人の大半は知らんのに昭和の大女優で見てましたとかほざく奴笑えるわ
しかもそういう奴のツイッター見たら学生で他人に流されやすい発言します
って言ってんのな
32: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:38:14.14 ID:XHLi3+G60.net
>>29
まだ正直でええやん
34: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:38:28.82 ID:QAk4Y35r0.net
まあ小津安二郎で何本か観てる程度やけど
36: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:38:38.18 ID:VEZmAudlp.net
東京物語のひと?
38: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:39:11.70 ID:p4O3b6IXr.net
映画監督ワナビーとか知らないわけ無いやろ
39: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:39:17.65 ID:zkJoEzUI0.net
日本映画の歴史を作ってまだまだ稼げるって所で引退して
今までメディア露出せずひっそり亡くなるとか
レジェンドレジェンドアンドレジェンド
41: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:39:43.10 ID:+NdSfs5/0.net
両津のひいじいさんがブロマイド集めてたことしか知らん
49: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:40:38.12 ID:gmCGYvKsd.net
小津安二郎の三部作にでてたひとやん
まだ生きとったんか
30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/25(水) 23:37:48.13 ID:+LNs1B/90.net
わいの嫁が逝ったか

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意思と思考と無意識

特に書きたい話題も無いので、昔書いた文章をここに転載しておく。昔の私の方が、「思考の楽しみ」をよく味わっていたようだ。





意思と思考と無意識




「個人は、その発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一体をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。」


 (『国体の本義』より。佐藤優『国家の神髄』よりの引用)



「阿頼耶識は、生命の中枢であり、「我」よりもさらにその根底にある生命そのものに執着する。阿頼耶識の発見こそ、唯識論最大の発見であるとされている。


人間が行為(現行)をすればその痕跡が残る。これを種子という。種子は、阿頼耶識中に残って蓄積される。これは、すべての経験は無意識の中に残るというフロイトの考え方と同様で、『過去の経験は、意識の中に何も残らなくても、無意識の記憶となって、すべて蓄積されている』のだ。


この蓄積を『薫習』という。薫習とは、香りが衣服などに付くことをいい、過去の経験が、阿頼耶識に付着、蓄積されることをいう。これを、『現行の種子は阿頼耶識に薫習される』という。


たとえば、よい行為(現行)をすれば、よい種子が薫習される。


種子は、また現行を生む。例えば、よい種子からは、よい行為(現行)が生じる。


(中略)


この心の一部分は、常(不変)に近いから、これこそ『我』であるとしてしがみつく。その心(阿頼耶識)の一部分を、とくに末那識という。末那識は、実在しない『我』を実在すると錯覚して、あくまでもこれにしがみつくのだ。


現行から薫習され阿頼耶識の中に蓄積されている種子は、生まれてからの種子のすべてである。ここまではフロイトと同じだが、ここから先が違う。唯識論では、生まれる前、永遠の昔からの薫習による種子がすべて阿頼耶識に蓄積されていると考えている。すなわち、前世の種子も、前前世の種子も、前前前……世の種子もすべて蓄積されているのである。



遺伝子情報もまた種子の一種と唯識では捉えている。すなわち、阿頼耶識は厖大なデータバンクといえよう。なにしろ生まれる前、遥か昔のいわば天地開闢の頃からの記憶があるのだから。


(中略)


人間の意志、これも一種の譬えであって、意志以前の誰も自覚しない原意識のようなものが、転生する。



   (小室直樹『日本人のための宗教原論』より)




以上の二つの引用は、これから自由意思を論じ、ひいては社会や国家を論じるための前提である。この二つの引用に共通するのは、個人はこの世界全体と歴史的につながっている存在だということだ。我々の頭脳が学校教育や読書、あるいはさまざまなメディアを通じて手に入れた情報を蓄積していることは自明であるが、その蓄積された情報は、実は遺伝子の中にまで含まれている可能性がある、という仮説をここでは「阿頼耶識仮説」としておく。つまり、記憶や知識の遺伝もある、という仮説だ。


ただし、この仮説は、自由意思の問題を論じる時にのみ用いる予定だ。あくまで予定であり、「予定は未定。決定にあらず」と中学生ジョーク的なお断りをしておこう。



先に国家と個人について論じよう。


『国体の本義』(あるいは『国家の神髄』)から引用した部分は、べつに記憶の遺伝までは前提とはしていない。ここで重要なのは、単なる孤立的個人が集合したのが国家なのではなく、「国家によって形成された個人の集合体が国家なのだ、ということである。これが、佐藤優が『国家の神髄』の中で言おうとしたことだろう。その点に関しては、私は佐藤と意見を同じくする者だ。


この考え方からするならば、一つの国家の中に複数の民族文化が共存する国では、国家をまとめていくためには強引な紐帯が必要になる。アメリカなどはその代表であり、そこでは「自由競争こそ正義である」「自由競争の結果を受け入れることが正義である」という思想が常に国民の中に流し込まれている。そこでは、公正な自由競争がなされているか、という点検よりも、まず競争そのものが当然視されている。不正な「自由競争」はあくまで個々の条件による特例とされ、その不正は自由競争の正しさには無関係とされる。


では、日本の場合はどうか。日本の中にも異民族の割合が増えてきた現状では、佐藤優的な意味での愛国心(自らと国家との精神的血縁を前提とする愛国心)は土台が揺らいできたのではないだろうか。


思想面においても、日本固有の文化を知る若者の割合がここまで低下したのでは、もはや日本の固有性を前提とした思想は意味を失いつつあるのではないだろうか。つまり、思想としての右翼はもはや消滅する運命にあるのではないか。左翼に敵対して守るべき日本の固有性、日本固有の文化などもはやほとんど無い。ならば、その戦いの兵士も不要だろう。右翼思想は、せいぜいが、日本人であるだけで近隣諸国の人々よりも自分が上位であると錯覚し、インターネットに汚らしい他国侮辱の言説を書き込むネット右翼のような社会底辺の人間のガス抜きの役にしか立たないのではないか。


日本文化はもはや日本語という言葉、日本語を用いて書かれた古典的書物の中にしか無いのではないだろうか。おそらく、マスコミが戦後すぐから今まで積極的な日本語破壊を行ってきたのは、アメリカによる日本文化破壊プロジェクトの一つだろう。明らかに、日本文化は太平洋戦争を境にしてそれ以前とはっきり断絶しているのである。教育とマスコミの力によって。


一方、左翼思想はフランス革命に源流があり、社会や国家から独立して思考しうる近代的個人と、合理的理性のみを思想の根拠としている。


左翼は、佐藤の言うアトム(原子)的存在である。佐藤はそれを否定的に見ているが、思想が社会や国家に限定され(支配され)ないのだから、世界全体がその視野に入ってくるとも言える。社会を客観的に批判しうるのは、その社会の外部に立つ思念のみだろう。


グローバリズムは新自由主義による世界の捻じ曲げだが、その結果は個々の国家における土着的文化の破壊である。その点だけを見れば、左翼による世界同時革命に近い現象だ。現代社会を批判する論者がしばしば新自由主義者の政治家や新自由主義的政策を左翼呼ばわりするのは、それが従来の社会秩序を破壊するものだという点では正しいと言える。ただし、その社会秩序破壊はただ「金の獲得」だけを目的とするもので、底辺層の幸福や福祉を目的とした社会主義や共産主義とはまったく異なるものだ。その両者を同じ「左翼」の名で呼ぶことは誤解のもとだろう。



さて、国家と個人の関係について考えよう。


人はこの世に誕生して以来、あらゆる情報を吸収して成長する。その情報は、彼が生まれた国の文化に基づく情報である。たとえば、日本人なら日本語による情報になる。彼が得る視覚情報、聴覚情報、言語情報のすべては、日本という国によって枠組みが与えられているのである。つまり、彼は否応なしに日本人として成長するのである。当たり前のことを長々と述べるようだが、これはあまりにも当たり前すぎてその意味に気づかないものなのだ。



我々は自分の頭脳で考え、自分の自由意思で判断している、と思っている。


本当にそうか?



我々がある意思を持つのは、そのように意思するべくプログラムされていたのではないか、というのが自由意思を疑うということだ。


まあ、阿頼耶識までは仮定しなくてもいいが、無意識というものが存在することは、現在の科学でも公理と見ていいだろう。我々の思念のメカニズムは、「意識された問題について意識的思考が行われる一方で、無意識の中から意識の表面に浮かんでくる関連情報によって思念が広がりと複雑さを持ち、それによって生産的な思想的結実を生む」というものだ。我々は自分の思考内容について、すべての情報を思考前から把握することはできない。思考材料は我々の巨大な無意識の「データバンク」の中にあるのだ。


とすると、そのデータバンクに或る偏向があるならば、我々の思考自体がその偏向の影響を受けるのは自然なことではないか。


我々は、或る問題について自分の自由意思で或る判断を下したと思うものだ。しかし、そのように決定するべく、無意識の中で決められていたのではないか? そして、我々の無意識のデータバンクは、日本という国の文化と歴史にその材料の大半を負うている。ならば、我々が純粋に合理的に思考し、判断したと思っている場合も、ただ我々の中の原日本人が判断しているだけだ、という可能性はある。


しかし、これは結局は答えの出ない問題だ。論証不可能。ならば、「語りえないものに対しては沈黙するべきだ」となるか。まあ、語りえないなら沈黙するしかないのだから、このウィトゲンシュタインの言葉は、そう見えるほど深遠なものでもないのだが。


合理的理性には限界がある、というのは当然であり、そもそもその理性の母体となるデータバンクは、巨大な暗闇の中にあるのだ。たまたま我々がちょっとうまい思考をした時には、我々はそれを自分の手柄とし、自分の頭の良さに自惚れるのだが、なあに、それは「偶然の結果」にすぎない。我々の無意識が我々にどんな思考材料を提供するか、我々の意識的理性はまったく関与していないのだから、まぐれ当たりのヒットでしかないのである。


もちろん、意識的理性の運用のうまい人もいるし、芸術家などの中には無意識の思考素材調達に才能のある人もいる。画家のキリコなどは、一生のある時期にだけ、無意識の井戸の中から豊富な素材を汲み上げたのだ。また、音楽家などだと、その技術的修練によってその人の無意識が特異な偏りを生んで、天才的な作品を豊富に生み出すということもあるだろう。いずれにしても、我々の意識は無意識の暗い大海の上に漂う小島にすぎない。



国家と個人の関係に話を戻せば、我々の思考も意思(意志)も、その生まれ育ち今生活している国家によって規定されている。ならば、我々がどのような意思を持とうが、それは常に日本人としての意思になる。我々の自由意思は、その偶然的な現れにすぎない、ということだ。であるから国家が我々の無意識を支配するために教育を改変していこうというのは、確かに国民コントロールの手段としては当然だが、その内容が「日本神話を事実として受け入れよ」という『国家の神髄』の主張になると行き過ぎだろう。



だが、こんな議論は空論だ。我々は自分に自由意思があると信じて生きている。そう信じているからには、それが現実なのだ。たとえ自分の判断が我々の中の超自我によるものだろうが、我々は自分の自我がそれを判断したのだと信じている。



しかし、小室直樹の阿頼耶識についての簡明な説明にある、「種子(シュウジ)」と「現行(ゲンギョウ)」の関係は重要である。


我々は常に外界から情報を取り入れ、それが我々の無意識の中に蓄積される。その蓄積された「種子」が我々の判断を形成し、我々の行動を決定する。その行動、すなわち「現行」がまた新しい情報の一つとなり、「種子」となっていく。こうした無限のサイクルが我々の思考や意思決定を形成していくのである。しかも、そのほとんどは無意識のうちに行われている。


簡単な例を挙げよう。ある困難に直面して、「困難と戦う」か、「困難から逃げる」かの選択を迫られたとする。ここで「逃げる」を選択するとあなたの中には「一度逃げた自分」という情報がインプットされ、「種子」となるわけだ。すると、同じような場面ではまた「逃げる」を選択するという習性が作られる可能性は高い。


最初の選択で「困難と戦う」を選択して、良い結果が得られるとは限らない。しかし、「戦った自分」という情報や、「なぜ失敗したのか」という情報は手に入る。それは、次の選択にも影響を与えていく。逃げた場合には得られない情報である。これも「戦った自分」という「種子」である。


こうした無意識の機能を理解すれば、様々な「よく生きるための言葉」が、ただの美辞麗句ではなく、やはり人間知の結集であると分かるだろう。



さて、何のためにこんな埒もない議論をしてきたのかというと、一つには、書かないと、自分の思想は発見できないからである。文章化して私ははじめて自分の中にある思想の一端を知ることができる。言語化しないかぎり、私の思想は無意識の海を漂うクラゲにすぎないのである。で、そのようにして検出された思想に意味があろうがなかろうが、それを考え、書くこと自体が私には楽しい。それが一番の理由だ。



この文章を書くきっかけは、最初に引用した二つの文章である。あの二つの文章は、私の頭脳を刺激し、面白いヒントになりそうだと思われた。だから、まずその二つを思考素材として冒頭に置いたのである。


まあ、国家論と思考論、あるいは自由意志論が思うほどには交わらなかったが、それはそれでいい。断片的思考は断片的思考でまた役に立つこともある。

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日本人が世界一賢いことが証明される(笑)

日本には馬鹿が11%しかいないことが判明したわけで、結構なことである。(笑)
このアンケートだけを見れば、日本人が世界で一番賢いようだ。
理解しがたいのが、ベトナムが、あれほど悲惨な戦争を経験した後でなお、「国のために戦う」と答える人間の割合が高いことだが、これはベトナム戦争が、「独立のための戦い」でもあったからだろう。「でも」というのは、大国同志の戦いの「代理戦争」という面もあったからだ。
しかし、たいていの戦争は国のためではなく、「国の支配層」のために庶民が戦場に行かされ、銃後の庶民も空爆などで殺される、というものだ、ということを、少なくとも89%の日本人は知っているようだ。
下記記事のコメントの中には「家族や愛する人のためなら戦う」とか書いているヒーロー気取りの馬鹿(工作員か?)が散見されるが、いったん戦争になれば、家族や愛する人を個人の力で守れるはずなど絶対にないのである。現実の戦争は漫画や映画やゲームの世界ではない。


(以下引用)


2015年11月24日


Comments(11)


                         
 




1: Charlotte ★ 2015/11/19(木) 14:05:37.39 ID:CAP_USER*.net

 【ジュネーブ共同】各国の世論調査機関が加盟する「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は18日、
「自国のために戦う意思」があるかどうかについて、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表、日本が11%で最も低かった。

 欧米諸国が下位に並び、上位にはパキスタンなど情勢が不安定な国が目立った。

 日本に次いで低かったのはオランダの15%で、日本と同じ第2次大戦敗戦国であるドイツが18%、ベルギー(19%)、イタリア(20%)が続いた。

 一方、最も高かったのはモロッコとフィジーの94%で、パキスタンとベトナムがともに89%で上位。

 一方、最も高かったのはモロッコとフィジーの94%で、パキスタンとベトナムがともに89%で上位。

no title


http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015031801000871.html

まあ、国はともかく家族のためなら戦うわ



136: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/21(土) 08:28:34.18 0.net

>>1
バカだな、アフリカの土人なんてドンパチ始まったら速攻で逃げるに決まってんだろwパキスタンだって同様の卑怯者集団だぞ無抵抗な女子を背後から平気で撃ち殺そうと銃撃して置いて知らん顔(マララさん事件)

そんな奴らが「国を守る為に戦う?」冗談じゃねえよ



3: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:07:56.05 0.net

これは当然89%側



4: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:08:48.84 0.net

日本政府は米国の傀儡だしそれを支配している公務員は明治長州政府の末裔、「国のために戦う」って誰のために戦うの?



5: 見廻り組 2015/11/19(木) 14:08:58.80 0.net

建前社会日本



6: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:08:59.17 0.net

敗戦国は低いな。
つまりそういう洗脳されたってことか。



8: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:10:05.52 0.net

何気に人口1億人以上ある国って少ないんだよなー
それの1割くらいで1000万人
そんだけいたら十分だろ



9: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:10:40.55 0.net

何とかなりそうな国は低くていいよ。
もう後が無い国で8割超えてない方がやばい



11: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:11:05.91 0.net

家族や大事な人のためならともかく、現状政治家含む公務員様のために戦いたいとは全く思わないわ。



12: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:13:06.08 0.net

国のために → 公務員天国のために



13: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:13:51.82 0.net

日本人が最初に思うのは
国のために戦う=前大戦や特攻隊 って考えだからな
自分や家族が逃げ場がなく殺される状況なら戦うというシーンと思い浮かべない



14: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:14:06.93 0.net

今の日本の若者は年寄り国家にズタズタにされて初めから未来を奪われているようなものだから自分の国に幻滅してるくらいでしょ



15: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:15:48.50 0.net

ベトナムがフランス、アメリカ、中国を追い返せたのはこれが理由のひとつか。



16: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:16:38.74 0.net

上がまともだったら戦ってもいいけど、この数十年の日本を見ている限り
あいつらのために体張る気はないわ



17: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:17:17.34 0.net

昔、国の為に戦って、何も報われなかった事を学習しているからじゃね



172: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/23(月) 17:18:23.47 O.net

>>17
戦ったから今も日本が何とか残ってるんだよ
戦わなかったら未だに欧米の植民地



18: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:17:47.03 0.net

でも、町会や消防団ではそれとなく準備しているがな。



22: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:24:48.12 0.net

そら売国しまくって公務員優遇しまくって
国民なんて票田の奴隷にしか思ってないクソ政府だから



23: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:25:16.69 0.net

いまの日本で戦う気マンマンの人だらけだったらさすがにやばいわ



24: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:25:34.77 0.net

自衛隊員に聞け



29: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:32:57.19 0.net

質問のやり方がおかしいな
日本人には、
「皆が国の為に戦うなら戦いますか?」
でないとダメ



30: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:36:33.91 0.net

聞き方が悪いな。家族の為にとか愛する者の為にとかならもっと上がるよ
大体国に裏切られた感を持つ日本人が何で国の為に戦うって思うんだよ



31: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:38:49.35 0.net

割合の高い国にろくな国がない。
戦争が始まったら、海外に逃げるのが得策



33: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:45:18.79 0.net

国のためにはわからんが、家族と仲間のためなら、いつでも戦うよ。



35: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:50:23.95 0.net

100人中100人がお国の為に戦うて答える国なんてISか北朝鮮しか思いつかない



38: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:53:52.28 0.net

俺はいつでも部屋を自衛してるけどね



39: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 14:54:17.88 O.net

議員や公務員がクズ過ぎてな
俺達は奴隷じゃないんだよ



44: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:16:56.48 0.net

そりゃそうだろ

どんな理由があるにせよ 同胞がテロリストに捕まってるにも関わらず
自己責任連呼するクズがいるんだし
似非愛国心ばっかだから



45: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:17:48.12 0.net

そもそも、公務員が国のために働いてないしな
大企業クラスの賃金を落としたら辞めるらしいし



47: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:24:22.73 0.net

いざ腹くくった時の日本人のすごさを考えれば
平時はこれくらいで良い



48: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:30:45.89 0.net

いざってなると変わるのが日本の国民性じゃね



50: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:44:00.35 0.net

国会議員と公務員はは100%なんだろ
先に行け



51: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:47:10.94 0.net

大臣連中と議員連中が先頭に立って行ってくれるなら俺も行く
自分たちはヌクヌク安全なところにいて指示出すだけってなら俺は行かない



63: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 16:21:11.10 0.net

>>51
あなた将官クラスに最前線に立てとか言っちゃうタイプ?
どうしたらそんな馬鹿になれるんだろ



65: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 16:33:11.33 0.net

>>63
全然違うじゃん
なんでそんなにバカなの?



72: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 17:39:50.67 0.net

>>63
何で議員が将官?
総理大臣、防衛大臣なら話はわかるけど。
馬鹿はお前



53: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:48:50.51 0.net

自分が死んだら国もクソもあるものか。
少し考えればわかること



54: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:51:47.08 0.net

国のために命を捨ててもいいなんて考えてる輩は詐欺に引っかかった奴だ



55: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 15:53:06.64 0.net

>>54
国会議員と公務員は100%に決まってるだろ
先にお国のために死んでくれるよ
当たり前じゃないか



57: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 16:00:19.89 O.net

日本人の為になら、だいぶ上がるぞ…



59: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 16:08:34.90 0.net

国のために公務員が戦え
話はそれからだ



66: オレオレ!オレだよ、名無しだよ!! 2015/11/19(木) 16:44:57.34 0.net

現代の戦争に民間人は不要。





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紫水晶事件

エドガー・アラン・ポーは推理小説の始祖とも言うべき存在で、推理小説の基本アイデアの幾つかを彼が創出しているが、「探偵=犯人」というトリックも彼は書いている。このトリックを使った推理小説は少ないはずである。(「記述者(叙述者)=犯人」やそのバリエーションは「叙述トリック」というジャンルができるほど、最近非常に多いようだが、もともと、すべての推理小説は叙述によるトリックだとも言えるのではないか。)
ところで、実は、『赤毛のアン』の一つの章に、この「犯人=探偵」の犯罪話があるのをご存知だろうか。ある「盗難事件」と思われる出来事で、最初に犯人と目された人物は、犯行動機もあり、犯行現場にもいたために、探偵から犯行を疑われて厳しく追及され、やむなく「自分がやった」と白状する。だが、実はその告白は嘘だった、という話である。

言うまでもなく「紫水晶事件」である。

そして、実は、犯人は、犯罪を厳しく追及していた探偵自身であった。
探偵自身は、その犯行が自分自身によるものだ、とはまったく意識していなかったために、あやうく被疑者に冤罪を被せそうになったのだが、なぜ自分でも意識しないで「犯行」を行うことが可能だったか。
それは実は、まったくの偶然のなせる業だったのだが、一般の推理小説では、「偶然によって完全犯罪、あるいは不可能犯罪が成立する」ということは、アンフェアだ、と看做される。
しかし、実は、偶然がまったく奇跡的な結果を生むことは、現実生活の中ではよく見られる現象なのである。意識してやったら絶対に不可能、としか思えないほどの出来事を、我々は日常的に見ている。たとえば、足元の小さな小さな砂粒を靴の踵で蹴り上げて、それを一粒だけ自分の靴の中に入れる、ということは、どのように努力しても不可能である。だが、偶然としてなら、それは非常に頻繁に起こるのである。
「紫水晶事件」は、そういう「偶然のもたらした不可能犯罪」というアイデアに発展しうる可能性を持った話である。

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