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紳士とケダモノ

「erectlonic jounal」(綴りは不確かだが、適当に書いておく。)から転載。
面白い情報を含んでいる記事なので転載したが、趣旨に賛同しているわけではない。「ユダ金に支配された『知性派』」と、「市民の生活向上のために戦う『反知性主義者』、もしくはポピュリスト」とどちらを選ぶべきか、と言えば、後者だ、というのが私の考えだからだ。ここで「反知性主義者」とは、インテリの詭弁に誤魔化されまい、とする健全な市民感情のことだ。マスコミがそういうユダ金支配のインテリの巣窟であるなら、この「反知性主義」を健全だ、と私が言うのは当然だろう。
従って、この文章の論旨にはどちらかと言うと反対だが、悪しきポピュリズムの典型として橋下徹を出しているのには賛成だし、ヒューイ・ロングという人物については初耳なので興味深い。
この文章ではトランプの差別主義者的な面(粗野な面)が問題視されているが、紳士服を着たケダモノが跳梁跋扈する政界や経済界に対する彼の率直な攻撃がアメリカ国民の多くの心を捉えてきたのではないか。
紳士的な言動をしていても、ウォール街のパペットにすぎない政治家が人民のために働くはずはないだろう。
本来は人民の立場に立つはずの民主党の大統領候補がウォール街のパペットのヒラリー・クリントンであるなら、本来は資本家のための政党である共和党の候補でも、金持ち攻撃をし、アメリカの戦争への批判をしているトランプを選ぶほうがマシではないか。


(以下引用)

2016年08月29日

●「ヒューイ氏とトランプ氏の類似点」(EJ第4349号)

 「トランプ候補VSクリントン候補」──どちらが勝利を収め
るかは今のところ不明です。確かにクリントン氏が現時点では大
幅にリードしていますが、予備選のときと違って投票行動が行わ
れたわけではなく、現状ではクリントン氏の支持率が少し高いに
過ぎないからです。
 ただ、トランプ氏のような破天荒な候補者が、なぜ共和党の指
名候補者になれたのかについて熟考すべきです。それは、アメリ
カという国が変化しつつあることの証であるからです。米国の変
化は、日本に対して直接的な影響を与えるので、検証してみるこ
とにします。
 「トランプ現象はオバマが作り出したもの」といわれます。そ
れは、オバマ大統領の共和党に対する厳しい非難と批判にひとつ
の原因があります。オバマ大統領の次の発言です。
─────────────────────────────
 共和党は、アメリカのドアを閉めてしまい、外国からの移民を
排除しようとしている。アメリカの精神を踏みにじっている。共
和党に政権を渡してはならない。       ──日高義樹著
          『トランプが日米関係を壊す』/徳間書店
─────────────────────────────
 大統領は党派性の強い発言は控えるべきです。民主党出身の大
統領であっても、民主党の党首ではありますが、米国国家全体の
元首であるからです。これでは国民の半分を占める保守派のアメ
リカ人は全部、本当のアメリカ人ではないといっているようなも
のです。こういうオバマ大統領の存在が、トランプ氏という特異
のキャラクターを持つ政治家を生み出したのです。
 実は、トランプ氏のような政治家の出現は、はじめてのことで
はないのです。それはヒューイ・ロングという民主党の政治家の
ことです。彼は、1930年代にルイジアナ州の知事を務めてい
たのです。
 当時ルイジアナ州は貧困のドン底にあったのですが、ロング知
事は積極的に公共投資を行い、多くの道路建設を行い、生産地と
市場を結んで、交通事情を一変させたのです。当然多くの州民は
職を得て、暮らし向きは改善します。そして、ロング知事は石油
会社と上流階層を徹底的に批判し、主として農民たちに受ける政
策を次々と打ち出したので、洲民の喝采を浴び、支持率はますま
す高くなったのです。
 しかし、そのウラで議会をはじめとする洲の重要なポストを腹
心で固め、反新聞法をつくって検閲評議会を発足させ、言論の自
由をも規制するようになります。そして、最終的に州内のすべて
の公務員を自由に任免できる権限を手にして、裁判所の判事まで
腹心で固めることによって、司法を意のままにしたのです。州内
の各市もロング知事の軍門に下り、独裁体制を確立します。
 さらに時のフランクリン・ルーズベルト大統領に対決姿勢を打
ち出し、ニューディール政策とウォール街を敵に回して「富の共
有」計画を説いたのです。このロング知事のやり方はヒットラー
のやり方に酷似しています。ヒットラーも、公共投資を行い、ア
ウトバーン(自動車高速道路)を建設し、国民に仕事を与えるこ
とからはじめています。そのためヒューイ知事のやり方は、「ア
メリカのワイマール化」と呼ばれたのです。
 ここで大事なことは、政治家が人々の支持を得る手段は、富を
独占する金融資本と大企業を徹底的に敵視し、公共事業と福祉政
策で、経済的な弱者らに「施し」を与えることです。それにロン
グ知事は、教育の無償化にも踏み込んでいます。まるでトランプ
氏の政治姿勢とこれまでに口にしていることと、サンダーズ氏の
説く政策と同じです。しかし、ロング知事は暗殺され、独裁体制
は、ルイジアナ洲にとどまったのです。このロング知事のような
政治家の手法は「ポピュリズム」と一般的に呼ばれますが、これ
について、評論家の副島隆彦氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 ポピュリズム populism とは日本では単なる「大衆迎合主義」
「人気取り政治」の意であるように理解されている。日本を代表
する『読売新聞』のトップである渡邊恒雄氏のような人物からそ
のような誤解をしている。ポピュリズムとは、アメリカの中西部
の草の根の大衆たちが抱いている、ワシントンやウォール街の権
力者や財閥に対する根本的な不信感に基づく感情を代弁する思想
運動のことを言う。日本でポピュリストとされる小泉純一郎前首
相は、本当の意味でのポピュリズムとは正反対の人物だ。
 アメリカで、このポピュリズムを歴史的に体現すると言われる
のが、ヒューイ・ピアース・ロング(1893年~1935年)
である。彼は、大恐慌の時代に政界で活躍した人物だ。その政治
姿勢は日本でいえば田中角栄に相当する。
                   http://bit.ly/2bH7cjy
─────────────────────────────
 ルイジアナ州のロング知事の独裁体制については、ルーズベル
ト大統領が本気で軍事介入を考えたほど、深刻なものであったの
です。いわばアメリカ政治の危機だったといえます。そしてロン
グ知事の死後80年の年を経過して、再び同じような人物があら
われたことになります。それだけ米国が傷んできた証拠です。
 日本にもヒューイ・ロング知事に似た人物がいると指摘する人
がいます。それは橋下徹前大阪市長です。類似点を上げると、弁
護士資格を取得して活躍し、刺激的な演説をして支持者を増やし
政敵たちを口汚い言葉で攻撃する。そして批判する新聞を槍玉に
上げて攻撃する──確かによく似ています。
 その橋下元市長は「政治は最終的には独裁ですよ」といったこ
とがあります。独裁者というものは、眉間にシワを寄せた強圧的
なイメージの人物ではなく、親しみやすい顔をして、どこか憎め
ない人物が多いと示唆する人がいます。確かに、橋下氏もトラン
プもそういう人物に近いところがあります。ヒューイ・ロング氏
(添付ファイル参照)も、まさしくそういうタイプの人物です。
            ──[孤立主義化する米国/034]

≪画像および関連情報≫
 ●トランプ現象とヒューイ・ロング/三浦小太郎氏
  ───────────────────────────
   アメリカ大統領共和党候補のひとりドナルド・トランプの
  言動は、あまりに低レベルな差別主義と大衆迎合が目立ち、
  ほとんど「ギャグ」の世界に近いものとなっている。こうい
  う人物がもしかしたら大国アメリカの指導者になる可能性が
  あるかと思うと、正直、民主主義というものの恐ろしさを感
  じざるを得ない。共和党有力者が保守本流からネオコンまで
  一致団結してトランプだけは候補にすまいと動いているのも
  当然だろう。
   かつてオバマとの大統領選で、共和党のマケイン候補の演
  説会場で、あるマケイン支援者(もしかするとベイリン副大
  統領候補の支援者か)の女性が、「私はオバマは信用できな
  い、彼はアラブ系だから」という声を発した時、マケイン氏
  が直ちに、「奥さん、それは違いますよ。彼は家庭を大事に
  する立派なアメリカ国民だ。ただ、たまたま政治的意見が私
  と違うだけだ」とたしなめ、レイシズムにはっきり拒否の姿
  勢を示したのに感動した私としても、アメリカ共和党の名誉
  のためにもこういう人物が大統領候補に選ばれないことを望
  む。しかし、ここで押さえておかなければならないのは、ト
  ランプの発言の中には、民主党のサンダース、そして現代ア
  メリカを「99%の民衆と1%の富裕層&支配者」の対立と
  見なして草の根の運動を繰り広げた人たちの声をも代弁する
  要素が含まれていることだ。    http://bit.ly/2bHcgop
  ───────────────────────────

ヒューイ・ロング元ルイジアナ州知事.jpg
ヒューイ・ロング元ルイジアナ州知事
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 |

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理不尽な賞賛

「徽宗皇帝のブログ」と同じ話題になってしまうが、これは紹介したい文章なので取り上げた。私が自分の浮遊思考を書いた文章とは違って、24時間テレビや日テレや感動ポルノのどこがどういけないのか、理路整然と述べているし、読みやすく面白い。

ステラさんは骨形成不全症という難病を抱えてなお、精力的に活動をしていた人物であるが、生前にはただ生きているだけで、理不尽な賞賛を受けることがあったという。

子供の頃には普通に生きているだけなのに、突然地元のコミュニティから「達成賞」にノミネートされたり。教員になって2年目には、自身の境遇を知る生徒から「感動するスピーチ」を求められたり。


まさにその「理不尽な賞賛」というのが感動ポルノのキモであり、障害者が不快に思う部分だと思う。
「生きているだけで偉い」とは誰に対しても言えるような気のする言葉でもあるが、言われるほうは嫌な気分になることもあるのではないか。
「お前のような人間は生きているだけでも偉いよ。俺がお前なら自殺してるね」と健常者が友人に言われたら、これは相手をぶん殴るしかないだろうww  
いやまあ、皮肉と本物の賞賛は違うとは言え、「理不尽な賞賛」は「理不尽な非難」と同様に迷惑なものだろうと推測する。潰れた大福餅のような顔の柔道娘がヤワラちゃん(漫画やアニメのヒロインで美少女柔道家)と呼ばれて平然とそれを受け入れた事例はあるのだがwww まあ、自分有利なアンフェアな判定など、自分に利益になるのは何でも利用するのが現実の「スポーツマン精神」だしねww




(以下引用)

「24時間テレビ」はもはや時代遅れのオワコンでしかない! 「感動ポルノ」はいい加減やめた方がいい


いやぁ~今年も感動してしまった。何がって、そんなもん日本テレビが毎年この時期に総力を挙げて制作する「24時間テレビ 愛は地球を救う」……の放送直後に武道館から生放送された「行列のできる法律相談所」に決まっている。


法律に関する話題が一つも出ないわ、マラソンを終えたばかりの林家たい平師匠をさらに引っ張り出すわ、ミラーマンが登場するわ、この局は一体何を考えているのか分からなくなって逆に感動した。(文:松本ミゾレ)

障害者の富士登山に遠泳、感動の安売りが甚だしい

一方で、今回の24時間テレビも感動の押し売りが甚だしいことこの上なかった。身内に障害者がいる立場からすると、ああいう美談ばかりで固められると、正直「障害者と支える家族は清廉潔白で、か弱くなければならないのか」と、プレッシャーしか感じない。


ネットで嘲笑された企画も少なくない。足の不自由な子に無理やり富士登山をさせたり、片腕の女性を泳がせたり、ああいうのはまるで、一頃昔にお笑い芸人がやっていた、身体を張る番組のノリを思い起こさせる。しかも視聴者に感動を求めるんだから始末に終えない。


「24時間テレビ」とはそもそも、1978年に福祉をテーマにした特番として始まったものだ。視聴者が持ち寄った募金を、社会福祉や災害の復興のために使う。ある意味では史上もっとも意義のある、視聴者参加型番組とも言える。それだけに、現在携わっている制作スタッフが番組本来の趣旨をどれだけ理解しているのか。これが気になる。


障害者に無理をさせて、噺家さんにマラソンさせて、「この人たち頑張ってるんですよ~!」と涙を流しつつ募金を呼びかける。正直、僕がもしも身体が不自由だったとして、番組側から「山登れ」だの「海泳げ」だの言われたら絶句する。

一方、NHKは裏番組で「感動ポルノ」の構造を紹介

障害者自らが出演するテレビ番組として、最近、何かと話題になっているバラエティがある。それが「バリバラ~障害者情報バラエティー~」(NHK Eテレ)だ。


日本初の、障害者のためのバラエティ番組と銘打つこの番組。障害者自身がコントで自分の身体のネタにしたり、健常者とコンビで掛け合いをするなど、障害を持つ人だけでなく、それ以外の人にとっても笑える作りになっている。


その「バリバラ」が、「24時間テレビ」に生放送で宣戦布告をするかのような企画を行った。28日の19時より、障害者に感動は必要なのか、とする根本的に誰もが抱いている疑問についてクローズアップしたのだ。


番組の中で引用されたのが、2014年に亡くなったオーストラリアのジャーナリスト兼コメディアンの、ステラ・ヤングさんだ。ステラさんは骨形成不全症という難病を抱えてなお、精力的に活動をしていた人物であるが、生前にはただ生きているだけで、理不尽な賞賛を受けることがあったという。


子供の頃には普通に生きているだけなのに、突然地元のコミュニティから「達成賞」にノミネートされたり。教員になって2年目には、自身の境遇を知る生徒から「感動するスピーチ」を求められたり。こういった、障害のある者が懸命に何かに取り組み、感動を誘う構図。このような状態をステラさんは「感動ポルノ」と呼んでいた。


メディアが型にはめて量産する、いわゆる「感動ポルノ」。「24時間テレビ」などは、その「感動ポルノ」の見本市だ。

障害者が頑張るよりも、障害者を支えやすい社会作りをサポートする番組は作らないの?

「24時間テレビ」のコンセプトには異論を挟む余地はないんだけど、その方法として障害者に無茶をさせるというのは、正直「いつの時代の感覚だよ」と思ってしまう。障害者が頑張ることで感動を産み出す番組。この構図は、障害者にとっても、視聴者にとっても健全なものではない気がするのだ。


以前、「24時間テレビ」が放送されていた時間帯に、障害を持つ友達の家に遊びに行ったことがあった。この家のテレビは、まるで他人事のように裏番組を映していた。友達は言った。


「24時間テレビは嫌い。あれが終わった後に外に出ると、知らない人にものすごく同情される。せいぜい3日ぐらいでそれも終わるけど」


誰だって、普通に接して欲しいとか、そっとしておいて欲しいと思う気持ちはある。障害者がなぜ頑張って感動を誘わなければならないのか。これが全く分からない。


それよりも障害を持つ人を、そうでない普通の人が当たり前に支えることができて、周囲からも過剰に同情をされないような、誰にとっても「普通の社会」を作るための番組こそ、そろそろ必要ではないだろうか。


38年も前のコンセプトに則って、いつまでも古いフォーマットにこだわる番組なんか、もうお役御免になれる時代になって欲しい。「可哀想」とか「感動した」とかいう言葉が、当事者をかえって追い詰めている。



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日本は1950年代に後戻り

なるほど。安保法制はまだくすぶっている問題だし、米露の対立(東西対立)も収まる気配は無い。それに「東京オリンピック」間近www ついでに言えば、1950年頃は経済成長などまだ先の話で巷は貧乏人だらけ。 2016年の今も巷は貧乏人だらけ。ゴジラも出現して当然か。社会に潜在する何かの破壊衝動のシンボルだろう。
なお、「君の名は」は、新海誠監督の新作アニメだが、なぜこんな題名をつけたのか、少し興味がある。「風立ちぬ」といい、懐古趣味の再流行の始まりか。



(以下引用)


            

「日米安保で世論が割れ国会をデモ隊が包囲して、世界情勢はモスクワとワシントンの対立が深まる一方で、国内では東京オリンピックへ向けて着々と準備が進み、流行の邦画は『ゴジラ』と『君の名は』」 そうか今は1950年代だったのか


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世界の人間がすべて仏ならwww

話半分どころか、話十分の一くらいで聞けば(読めば)いいような記事だが、一片の真実はあるのではないか。こうした特例を取り上げて、「社交ダンスで認知症リスクが76%も改善」は事実だ、みたいな話につなげるのは眉唾だが、頭を使えば認知症リスクは下がるというのは自然だろう。筋肉に廃用性萎縮があるように脳細胞も「廃用性死滅」があるわけだww 社交ダンスだけが効用があるのではなく、将棋などのボードゲームや楽器の演奏などにも同様の効果があると、この記事の中にもちゃんと書いてある。
ただ、そこから「いずれも他人とのコミュニケーションが必要な運動やゲーム」という結論になるのがまた理解しがたい。それ以前に、「頭や手先を使う」ことが必須要素ではないか。将棋など、ネットでもできるし、楽器など一人でも弾ける。

ただ、人間の生命への意志とエロスは同根であるようにも思う。

社交ダンスの特殊性は、男女が体を密着させて踊ることである。つまり、「疑似セックス」だww
それで脳が刺激され興奮し活性化する、というのは蓋然性は高いのではないか。
性的欲望を失った人間は、他者を必要としない(求めない)から、ある意味、社会的には死んでいるも同然だwww  特に女性は死ぬまで性欲がある、と言われているし。ただし、欲望、特に性欲はこの世界の騒動や多くの不幸の根本原因でもあるのだから、若者(今は男だけだが、いずれ女性もそうなりそうに思う。)が恋愛しなくなった今の日本は、ある種のユートピア(「光る風」風のディストピア)なのかもしれないwww まあ、カネが無いだけの話だが。


(以下引用)

「要介護5」だった母に笑顔戻った 完治不能の認知症に意外な治療法


ダンス教室に通ってみようか…

写真拡大



【たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学】(朝日放送)2016年8月16日放送
「名医も認める奇跡の回復法」


日本全国で、予備軍を含め800万人以上いるとされる認知症患者。現在根本的に完治させる治療法はなく、発症すると進行を遅らせることしかできない。


番組では、一度は「要介護5」と認定され、寝たきり状態となった高齢の女性が、ひとつのきっかけから2年間で海外旅行に行くまでに回復した驚きの事例を取り上げた。

無反応だったのに、タンゴを聞くとリズムをとった

早田美智子さんは、78歳だった2010年当時、認知症の症状が進み、会話や食事がままならず自力歩行もできず、寝たきりの毎日が続いていた。


息子の雅美さんが、美智子さんの異変に気付いたのは2002年。夫を亡くした直後の美智子さんを励まそうと、ニュージーランド旅行へ連れて行った。帰国後、元気なさそうに見えた母に「旅行で疲れたかな」と声をかけると、驚くべき返事があった。

「ニュージーランドなんて、行ってないよ」

不安になった雅美さんが母を総合病院で受診させたところ、「レビー小体型認知症」と診断された。特殊なタンパク質のレビー小体が大脳皮質や脳幹の神経細胞に発生し、脳機能を妨げる疾患だ。日時や場所などが認識できない、また幻覚が見えるようになり、運動障害に陥るという認知症の諸症状が出る。


医師から認知症の進行を遅らせる薬や、幻覚を抑える薬を処方された。しかし、症状を完全には食い止めることはできない。美智子さんは、毎日ぼんやりと過ごし、家に閉じこもりがちになっていった。物忘れがひどくなり、呼びかけても反応しなくなった。


雅美さんは、少しでも効果があればと、母に有酸素運動や手先を使った脳の活性化トレーニングを試させたが、長続きしない。次第に病状は悪化し、徘徊するようになった。さらに筋肉のこわばりが出始めて、自力で歩けずにひとりでトイレにも行けなくなった。


ある日、雅美さんが車の助手席に美智子さんを乗せて運転していた。何気なくカーラジオをつけると、タンゴの名曲が流れてきた、ふと美智子さんの方を見ると、いつも無反応なのに、左手の指で足をトントン叩きながら、リズムをとっていた。これが、美智子さんの劇的な変化の第一歩となる。

社交ダンスが認知症リスク下げるとの論文多数

美智子さんは学生時代、社交ダンスを楽しんでいた。雅美さんは以前、その話を聞いており、「もしかしたら」と近所のダンス教室に母を連れて行った。すると、流れてきたタンゴにまたも指を動かして反応。通い始めて2週間がたったとき、美智子さんは「髪を黒く染めたい」と口にした。つい最近まで1日中寝たきりで、何事にも無関心だったのが、自分の身なりを気にし始めたのだ。1か月後には、自ら選んだ鮮やかな赤のシャツに身を包んで、自力で立ち上がるまでになった。さらに先生にリードされながら、しっかりステップを踏んで踊り始めた。肌にはツヤが戻り、踊り終えても「もう一回やろうかしら」と満面に笑みを浮かべた。


日本認知症学会理事で国立長寿医療研究センターの遠藤英俊氏は、「社交ダンスが認知機能や認知症に及ぼす影響は、かなりあると言われています」と説明した。「全身運動であり、知的活動でもある。両方のことを同時にやっている。これが認知機能の予防・回復に効果があるのだと思います」

ビートたけし「息子エラいねえ。昔やってた社交ダンスをやるだけで、あれだけ回復するんですか」
遠藤氏「社交ダンスが、世界中で、認知機能の維持向上、認知症のリスクを下げるという論文がたくさん出てきているんです」

ただし、美智子さんのケースでは社交ダンスだけでなく、治療しながらダンスを続けたことが効果をあげたと遠藤氏は付け加えた。


米国の調査によると、社交ダンスをやっている人は何もしていない人と比べて、認知症のリスクが76%も減少するという。ほかにも、将棋などのボードゲームが74%、楽器の演奏が69%、それぞれリスクを下げるそうだ。いずれも、他人とのコミュニケーションが必要な運動やゲーム。相手に気を遣ったり、相手の「手」を読んだりすることが大切なのだ。






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weeping is women's weapon

多摩美の女の子の話もいいが、アフリカの自殺未遂の男の話もいい。これで「俺は世界で一番不幸な男だ」と言うなら、妻が一人しかいない私は宇宙一不幸な男かwww
まあ、価値観というものは、人それぞれが閉じ込められているタコツボなのだが、当人は自分自身の「価値観地獄」に気づかない。それに気づかせたりするのが哲学や文学の効用だろう。もっとも、気をつけていれば、どこにでも知恵の言葉はある。犬棒カルタや川柳など知恵の宝庫である。

多摩美の女の子の話だが、「哀訴」も「愛想」も商談や交渉の大きな武器である。だが、そういう手段は使うのが嫌だ、という男は多いと思う。男はつらいよ、というのはそういう部分なのではないか。良く言えば、「男」にこだわるという美意識がある。悪く言えば格好をつけすぎる。

Man must work, woman must weep.

これは「男は度胸、女は愛嬌」に相当する英語のことわざだ、と昔聞いたことがある。weepは女性に必須のものだ、ということだろうか。男の涙は武器にはならない。


(以下引用)


            

  1. 多摩美の女の子で、採用見送りの電話を入れたら「イヤです」と言って電話口で泣き出し、社長の「ならとりあえず来れば」で入れたコが入社10年目となり、制作の大黒柱になってる。その子が先日、社内恋愛で結婚した。相手に最初はフラれて「イヤです」とゴネて付き合いゴールしたと聞いた。一貫してる

 

  1.     
    1. 西江先生はアフリカで自殺未遂を計った男を助けたことがある。事情を聞くと「俺は世界で一番不幸な男だ」と言った。男は貧乏で、奥さんが3人しかいない。友達には奥さんを6人持っている奴もいると。彼の村では奥さんは牛と交換して手に入れるもので、最後まで恋愛結婚という概念が理解できなかった。
    2.     
  1.  
    1. これも西江先生から聞いた話。アフリカで皆、全裸で生活している村があった。ある日Tシャツを手に入れた若者が着始めたら、村でTシャツが流行り始めた。西江先生が「Tシャツ着るのはいいけど、何で下に何も履かないでフルチンなの?」と訊ねると、若者は「だって恥ずかしいじゃないか!」と答えた。
    2.     

  1. 昔、文化人類学者の西江雅之先生の授業で、半裸でヤリを持ったマサイ族の戦士の写真を見た。先生は「彼は私の友人で、オックスフォード大学を出てます。イギリスでは背広を着てますが、こうして国に戻ったら半裸で槍を持ってます。これがマサイの正装です」。


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爆弾は誰のもの?

アメリカが落としたんだから、米国政府に請求しろよ。(笑)
ついでに、20世紀以降にアメリカが他国に及ぼした被害の費用をすべて請求したらいい。





不発弾処理費、誰が出す? 請求された地主「頭真っ白」
 

大阪市浪速区で撤去される不発弾=昨年5月9日、同市提供© 朝日新聞 大阪市浪速区で撤去される不発弾=昨年5月9日、同市提供

 戦時中に投下され、私有地から見つかった不発弾。撤去時の防護壁や警備の費用を払うのは国か、自治体か、それとも土地所有者か――。大阪市から負担を求められた所有者が、支払いを不服として裁判を起こしている。「戦争の遺物」ながら責任の所在を明確に定めた法律はなく、自治体ごとに対応が分かれているのが現状だ。


■支払い不服、提訴


 「すぐに用意できる金額ではなく、頭が真っ白になった」。大阪市浪速区の不動産管理業の男性(58)が所有する土地から米国製1トン爆弾が見つかったのは昨年3月。作業は自衛隊が実施したが、万一に備える防護壁の設置費など576万円を市から求められた。


 速やかな撤去のためいったん支払ったが、今年4月に市に返還を求めて大阪地裁に提訴した。「今後、負担を求められて困る市民が出ないよう、適切な司法判断を待ちたい」


 裁判で市は争う姿勢だ。民法の「土地の所有権は土地の上下におよぶ」との規定をもとに、これまでも土地所有者側に負担を求めてきた。市によると、これまで異を唱えられたケースはないという。


 一方、今回の訴訟を機に、市は「国の責任」についても問う方針だ。吉村洋文市長は記者会見で「不発弾の処理は本来は国が負担すべきだ」と発言。7月、国に訴訟の当事者として参加するよう促す「訴訟告知」の手続きをとった。国は「方針はまだ決まっていない」としている。


■自治体の対応、まちまち


 費用負担のあり方は、各地で異なる。私有地から見つかった不発弾の処理実績がある自治体を取材したところ、東京都品川区や浜松市、宮崎市は自治体が負担。神戸市や大阪府八尾市は大阪市と同様、土地所有者側が払っていた。








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日本人のメダル狂い

孔徳秋水氏のツィッターから転載。
そういえば、千葉すず騒動というのがあったなあ。
ただ、孔徳秋水氏は、こうした「組織のボスたち」(たいていは、なぜその組織やその人間に権力が与えられているのか、まったく国民や部外者は知らない)の横暴に対して、「日本国民は三流」と言っているが、国民は最初から蚊帳の外だろう。
マスコミの論調が国民の意見を代表しているわけでもないし。そもそも、「一流の国民」はどこだよwww

だがまあ、千葉すず騒動を思い出して、「日本人のメダル狂い」に水をかけておくのは有意義だと思う。熱狂は「狂」の字が示すように、いつもキチガイ行為なのである。



「オリンピックは楽しむつもりで出た」
「そんなにメダルメダルというのならば、ご自分で出ればいいじゃないですか」
「日本の人はメダル狂いですね」


まさに、おっしゃるとおり、である。オリンピックなど、税金を使って派遣する必要も無い。自費で出ればいいのである。企業のスポンサーが付くなら、それはアマチュアではないから、ただのプロの宣伝活動だ。金メダルでの「国威発揚」など望むのは右翼くらいだろう。

世の中の仕事の大半は不要な仕事であり、特にスポーツや芸能など遊びにすぎない。それに大騒ぎするマスコミや国民は阿呆の極みである。
ただ、当人がその「遊び」に一生を賭ければ、そこに世阿弥とか千利休とか芭蕉のような存在が生まれる。そうは言っても、それは他人が応援して自己満足を得る類いのものではない。
まあ、応援されて迷惑、ということもありそうな気がするww 千葉すずの発言にはそういうニュアンスがある。 
応援することで自分は相手に対して何かの特権を有するような気持ちを持つというキチガイ的なファンというのもいるのではないか。いやファンの大半はそうではないだろうか。「ファン」と「ファナティズム」は同根かもしれない。




(以下引用)



[8/26 17:50] >次のシドニー五輪の代表選考会に五輪標準記録を突破して優勝したにもかかわらず、代表に選ばれなかったのだ。生意気な千葉は五輪に連れて行かない、という連盟幹部の匿名のコメントも紹介される。こうなると、もはやメディアと日本水泳連盟を共犯とする社会的リンチの様相を呈した。


  1. [8/26 17:50] アスリートは一流でも国民は超三流の日本>「オリンピックをバカにしている」「わがままだ」などというバッシングが、千葉選手に向けられたのだ。いまで言う「炎上」というやつである。千葉選手への攻撃はメディアのそれだけに留まらなかった。

     

  2. [8/26 17:48] 日本は国民が三流>競技後、インタビューに答えた千葉選手はこう語った。「オリンピックは楽しむつもりで出た」「そんなにメダルメダルというのならば、ご自分で出ればいいじゃないですか」「日本の人はメダル狂いですね」ところが、日本社会はこの千葉選手の明るさと朗らかさを受け容れなかった。


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