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紅麹「告発者」の素性

私が常々その軽薄軽信をからかっている「神戸だいすき」記事だが、重要情報を含んでいるので転載させてもらう。まあ、私は自分とは政治的意見が違う人物のブログでも、記事が面白いか有益なら読むのであり、私の意見がそれらと重なる場合も当然ある。いかに猜疑心が強く(と言うか、懐疑心は「事実」認知の大前提と思っている)偏屈な私でも人間の目が三つとか足が四つだとかは言わないwww

(以下引用)


紅麴を告発した医師 - 検索 (bing.com)

事の発端は、とある医師からの告発 このサプリによる健康被害を最初に訴えたのは、「
阿部雅紀」という医師なのだが、なんと、大手製薬会社から、多額のコンサルティング料や謝礼金などのキックバックを受け取っていたのだ。 しかも、その送り主は、悪名高いアストラゼネカや武田薬品工業などを含む大手製薬会社だ。

(転載おわり)

柴さん情報
小林製薬の紅麹入手する173社から健康被害の報告なし
 厚労省要請の自主点検で|TBS NEWS DIG
https://www.youtube.com/watch?v=qEqtA3MOF40

  • ワクチン接種推進に尽力した
    「コネクティングルーム」大坪寛子・厚労省健康局長が、
    小林製薬追及の陣頭指揮 

    2024 年 4 月 07 日

    >この大坪寛子氏は、
    4年前に血税で和泉洋人首相補佐官(当時)と
    「コネクティングルーム」不倫出張旅行をして、
    恥ずかしい写真を週刊誌にすっぱ抜かれ、赤っ恥をかいた人です。

    その後、うまく不倫相手を変えたのかどうか知りませんが、
    コロナワクチン接種推進で暗躍、
    いつのまにか局長に出世しました。

    その彼女が、
    現在は小林製薬サプリ問題追及の陣頭指揮をしています。

    自分が推進したコロナワクチンの健康被害がひどくなったので、
    小林製薬に濡れ衣を着せてごまかそうとしている。

    そう勘繰られても仕方がありませんね。

    http://www.asyura2.com/23/iryo12/msg/412.html

    (転載
    おわり)
「医師が告発した」
そして、その医師は、ビッグファーマシーから謝礼をもらっていた。

厚生労働省が、ヒステリックに、それに乗っかり、マスコミが煽る。

例のあれだよね。

武田製薬も、どっかで、乗っ取られている。たくさん前例があると思うよ。イベルメクチンだって、なんか素性が日本では、なかったよね。

やつらにとれば、常套手段。

紅麴が、確かに害があるというなら、紅麴以外の「原因」は、ありえないのか、ちゃんと検証して、かつ、その紅麴の、何が問題で、その問題は、どのように生じたのかを、厳密に調査報告をしなければ、ならない。

そして、紅麴に潜り込んだ「物質」が、確かに腎臓に害を与えると、証明しないと、紅麴を犯人にできないでしょう?

こういうことを、より分けて筋道の立った議論を展開する・・・そういう理論理屈を考えられる頭脳をつくるのが、大学と言う教育機関だと、思ってたよ。

そして、近年、大卒ばっかりのはずなんだけど。世の中。大卒が増えて「頭脳」が減ったね。
(だもんで、大卒の私の子供たちは、自分の子供を大学に入れない、と言ってる。無駄だって)

ちょっと考えたら、今までの情報が嘘でなければ、即「紅麴が犯人」と言えるはずない。

もっと、厳密な研究無しに、こういう処置をするのは「研究でなく、政治」だね。
悪いね、最近の政治。企業の手下に成り下がってる。

今回のパンデミックは成功したけど、12年前に、彼らは一度、パンデミックを仕掛けたけど、失敗しているんよ。

あの「新型インフルエンザ」よ。
日本では、なかなか見つからなかった。だもんで、日本社会を恐怖に陥れられなかった。

それに火をつけたのは、神戸市灘区の医師だった。

彼は、一見普通のインフルエンザの患者の検体を、わざわざ、検査場に持ち込んで、それが「新型インフル」だと、発見された。

神戸市にはWHOがあるんだよ。

そして、パンデミックがWHOの所産であることは、そろそろみんな知ってるでしょ?

この高校生は、JR神戸駅のマクドナルドで、バーガーを食べた。
このマクドナルドが、「発祥地」となった。

劇症でもないインフルエンザ患者の検体をわざわざ持ち込んだ医師が居なければ、日本での新型インフル事件は起こらなかった。

あのとき、神戸電鉄の車内でマスクをしていないのは、私一人だった。
まあ、それがよかったのか知らないけど、みんな手洗いうがいを励行して、新型インフルは幻に終わった。

その程度のものだったから、あの灘区の医師がいなかったら、日本では新型インフル事件はなかった。

今回、私は、あの事件を思い出したよ。

まあ、新型インフルのウィルスは、まだ、完成していなかったんだろうね。

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元号と西暦

私は元号というものに特に思い入れはないが、面白さは感じている。
たとえば、今年(正確には昨年末)、郵便局で貰った2024年のカレンダーには2024年という西暦の下に少し小さく「令和6年」とあり、さらにその下に、より小さく「平成36年 昭和99年」とあり、昭和天皇が存命だったら、今年は昭和99年だったのかと面白い。さらに、差し引き計算をして、平成は30年、昭和は63年続いたのだな、というのも分かって、これも面白い。ついでながら、平成元年は昭和64年と重なる。昭和天皇御大葬の儀が昭和64年の新年早々にあったので、これは記憶に残っている。つまり、昭和64年は7日間しか無かった。(小渕官房長官がテレビで「平成」と書いた紙を掲げてみせたのを私は見ている。)令和元年も平成31年と重なるのではないか。(生前退位という珍しい形で、年度途中で元号変更したような記憶がある。)
そして、明治元年が1868年だと思うから、2024ー1867で、今年は明治157年に当たるのだろうか。
長さで言えば、明治は45年、大正は15年あった(続いた)ようだ。案外覚えやすい。
年号には重なりがあるから、上で書いた計算には思い違いがあると思うので、あまり真剣に受け取らないでほしい。(そもそも寝起きの朦朧とした頭で書いているのである。)

それにくらべると西暦のほうが単純ではあるが、そもそも西暦はキリスト誕生を紀元としながら、後の歴史的考証で、キリストは西暦1年より何年も前に生まれているとされている。つまり、キリストはキリストが生まれていたはずの年より前に生まれている(キリストは「キリスト」が生まれる前に生まれている)わけだ。そうすると、西暦とは、何の根拠もなく適当に決められた暦法だとなる。

まあ、事務作業や公的作業(役所関係書類)では西暦のほうが便利であるのは言うまでもない。
元号は、「歴史を記憶するのに手がかりになる」面が大きなメリットだ。私など、現代史の西暦では1941年(太平洋戦争勃発)と1945年(太平洋戦争終結)しか覚えていない。

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今の日本は「天皇制」国家か(国体論2)

「混沌堂主人雑記」で紹介されていたので、「天皇」という存在の意味や意義を考える参考として元記事を転載する。言うまでもなく「尊皇主義」の私とは正反対の思想だ。少し古い記事なので、明月飛鳥氏が今でも同じ思想かどうかは分からないが、同じ思想のままだと推測する。
一番の問題は、飛鳥氏その他が今の日本を「天皇制」国家だと主張していることで、憲法に明記されているとおり、今の天皇には政治的権力も政治的発言権も無い。その意味では一般日本人よりも政治権力から遠い存在だ、ということだ。(その潜在的可能性の大きさは別問題であり、私はそれを未来の日本の新しい政治システムに組み込むことを考えている。つまり、「象徴」の持つ大きな潜在力を政治に生かすという思想だ。)
私も昭和天皇の戦争責任は大きいと思うし、その「責任の取り方」も、ほかにも手段はあったと思うが、それと現在の「象徴天皇」制を同一視するのは極めて非論理的だろう。簡単に言えば、これらの論者が言う「天皇制」とは天皇に政治実権があるという幻想である。それと現在の「象徴天皇制」はまったく別物であり、現在の学校教育で

日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つ

というのも大嘘だろう。要するに、自分の恣意的な政治信条のための事実の捻じ曲げである。

私は夢想するが、たとえば、天皇がSNSで「日本の(米国からの)真の独立」を主張したら、どうなるだろうか、という夢想であるwww まあ、驚天動地の大騒ぎになるだろうし、それは今のDS支配下のマスコミ全体が束になってもかなわないかもしれない。しかし、それは最後の最後の手段だ。
それが天皇の持つ潜在力であり、天皇批判者たち(本心では米国支配に安住し、日本独立を嫌う者たち、あるいは日本をただ自分好みにしたいだけの無責任リベラル言論者たち)が怖れているものではないか。もちろん、私は「右翼支配」の日本を願っているわけではない。尊皇主義=右翼という馬鹿な単純化は拒否する。私は単に理想国家としての象徴天皇制国家(現在は象徴天皇の機能が不十分だということだ)を空想しているだけである。
ある意味ではプーチンのロシアが「哲人統治」に最も近いが、それはプーチンの個人的資質によるものなので、それをシステム化することは不可能か否かが私の思考課題なのである。天皇とは生まれつき国家と一心同体である、というのが、私の思想の土台である。そしてその「無答責」性(他者の批判から超越していること)こそが、その「判断」の正確さを保証するのではないか、とも思う。
ある意味では「天皇の無答責性」は一種の「超越性」において、ロールズの言う「無知のヴェール」にも少し似ているかもしれない。私の解釈では「無知のヴェール」とは、事件にまったく関与せず利害関係を持たないものだけが正義にかなう判断を下せる、というものだ。これは「天皇=国家」(天皇こそが国家問題の最大の利害関係者)という思想とまったく反対に見えるが、犯罪ではなくビジネスの問題として見るなら、最大の利害関係者こそが一番真剣に考える、という当たり前の話だ。そして自分を「正義」と思う存在はしばしば狂信化、非論理化するのである。正義よりも論理が正解を導く、という簡単な話だ。
裁判官が政治権力に動かされて意図的に誤判する、というのなどが正義の問題における「超越性」の欠如を示している。ロールズの「無知のヴェール」は単に判断方法だけの話で、実践性は欠如しているわけだ。つまり、裁判官には犯罪の利害関係者からの超越性はまったく無いのである。そこが「天皇=国家の最大の利害関係者」であり「他者からの影響(批判)を超越している」というのとの相違だ。しかも、「象徴天皇」の場合、生活の資を求めるための金銭獲得行動も不要だし、他国の王族のような有力貴族などとの関係による「行動制限」も悪行の必要性も無い。


(以下「反戦な家づくり」から引用)
2022-08-15(Mon)

あらためて天皇の戦争責任を問う

日本にあるもので、もっとも子どもの教育に悪いものは何かと聞かれれば、迷うことなく「天皇制」と答える。
「1人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄」を、まさに地で行ってるのが昭和天皇であり、象徴天皇制だ。
究極の無責任の象徴。
自殺したヒットラーのほうが、まだしも潔いといえるかもしれない。
日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つのだから、ひどい話だ。
天皇制には、もうひとつ際だった特徴がある。
「保身」である。
天皇や天皇制には、それ自体の思想性はない。
あるのは存続の意思と、そのためのきわめて柔軟(無節操)な「保身」である。
存続するためならば、どんな勢力とでも手を結ぶ。
処世術の鬼である。
軍部が強ければ軍につき、沖縄を初め国中が焼き尽くされ、自国民が何十万人も黒焦げにされても保身(国体護持)のためには意に介せず、負けたとたんにマッカーサーに擦り寄り、捨て石にした沖縄を、またしても米国に売り渡した。
手を携えて戦争を遂行した戦犯がまつられている靖国神社へも、自分だけは無関係化のように行かないという。
靖国神社は戦犯だけを葬って、戦犯の魂の牢獄にして、負の遺産として末代まで残すべきだと私は思っている。
その意味で、天皇は靖国神社に行くべきなのだが、自分だけはちゃっっかり「戦後民主主義」に乗っかってしまうところが、さすが処世術の鬼である。
これが「清く正しい」生き方だと、子どもたちに刷り込まれる。
私はこのブログでも何回も書いてきたが、「天皇の戦争責任」を曖昧にしたことが、戦後の日本をダメにした、と考えている。他にも要因はあるけれども、なんといってもダントツのナンバーワンである。
8月15日
私たちは、単に不戦の誓いをするだけでなく、戦争をやらかした奴らの責任を忘れない、その思いを新たにしたい。

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賢さと可愛さ(美しさ)は一致するか

いや、下の引用記事は実にどうでもいい話で、私は川勝知事(辞任表明したが、後任が決まっていないから現知事だろう)は好きでも嫌いでもなく、その「リニア反対」には賛成している。赤塚不二夫風に言えば「反対の(に)サンセーイ」である。しかし、人柄はかなり問題ありで、政治家としては不用意な発言が多いようだ。まあ、私も舌禍事件の経験はあるから、ご同輩ではある。
ここに、下の記事を載せるのは、単に面白いからだ。何で、立場の高い偉い人がこれほど素直に、自分の趣味を語ってしまうのかwww 
なお、私は賢いことを言うからきれいに見えるとはまったく思わない。女性の賢いのは「魅力的」だが、それと美醜は別問題だ。それに馬鹿なほうが可愛く見えることも多い。犬や猫や幼児は馬鹿なことをするとかえって可愛い。マリリン・モンローなども出演作品での馬鹿キャラとして人気があったのである。
なお、ここに書いたのは「哲学」のジャンルの話だ。美も賢さも哲学の問題である。


(以下引用)

川勝知事2021「顔のきれいな(女の)子は賢いこと言わないときれいに見えない」

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引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1712266662/

1: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:37:42.58 ID:tHtrwzQz0
「静岡文化芸術大学」の学生について、「8割ぐらい女の子なんです。でも11倍の倍率を通ってくるんですから、もうみなきれいです」とか、「めちゃくちゃ顔のきれいな子は賢いこと言わないとなんとなくきれいに見えないでしょう。ところが全部きれいに見える」などと、女性の学力と容姿を結び付けるような発言をしていました。

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/73151.html
2: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:38:22.19 ID:tHtrwzQz0
知性の高い話と違ってこの話は撤回した模様
4: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:39:18.50 ID:bdcvTILX0
知性は事実だけど顔の良し悪しは個人の感想だからな
5: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:39:31.77 ID:lJaVWbV/0
いい年したおっさんが自分の性癖をベラベラ
6: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:41:22.49 ID:zBH3bFnA0
知識だけはある学者だけれど知能と品性が無い
12: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:48:34.78 ID:YusSD7r90
森喜朗の後継者やな
14: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:49:34.82 ID:q9b+Jkpo0
これ言ってる意味わかる?
18: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:50:52.26 ID:etoqZsvy0
>>14
顔の綺麗な子が喋って頭悪そうだとブスに見えますねって話や
17: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:50:23.12 ID:hGfsyyCy0
顔のきれいな子は何言ってもかわいい
19: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:51:40.34 ID:bslqSI4B0
我が闘争みたいな語録やな
20: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:51:53.87 ID:WtFAId130
これが勝てる静岡ヤバくない?
なんでこんなんが人気あるの?
23: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:53:24.04 ID:KQ2cS/Xa0
>>20
4回当選や
22: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:53:23.92 ID:9MqGEYih0
まあ間違っちゃいないけど公に言うたらあかんやろ
24: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:54:49.86 ID:WfG/axSod
なんかくさそう
とかそういうレベルの話だよな?
26: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 06:56:44.90 ID:FfhaJ6UXH
マジレスすると女は賢い方がブスに見える
31: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 07:01:37.07 ID:9tPWeCL+0
愛知県知事とか名古屋市長ガッツポしてたで
32: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 07:02:26.22 ID:q9UIqTD6r
川勝任期長いから余裕で打線組めそう
35: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 07:03:17.09 ID:f2Wltq7M0
わざとやろこれもう
36: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 07:04:09.49 ID:YVZZjZIXd
ガキの頃からいらんこと言い続けて嫌われてたのがめっちゃ想像できる
29: それでも動く名無し 2024/04/05(金) 07:00:39.53 ID:15mYpTM40
こいつ何時も失言してんな

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ピラミッドアイとユダヤ民族と「フリーメーソン」

「東海アマ」ブログで「ピラミッドアイ」の話が出ていたが、私はこの話はかなり胡散臭く思うので、とりあえず、明白な「ピラミッドアイ」であるアメリカ1ドル紙幣に関するグーグル質問箱を見てみた。No2の回答が、かなり詳しい。フリーメーソンというよりは、ユダヤによる世界支配への意志の象徴ではないか。(「ユダヤによる世界支配」は「旧約聖書」の土台的思想である。)

まあ、確かに「フリーメーソン」は古代エジプトの石工に起源し、エジプトでの奴隷民族であったユダヤ民族が、ピラミッド建設という偉大な事業を成し遂げる才能を持つ優れた民族だという誇りを示すのが、その「秘密集団」の精神ではあるだろう。つまり、ユダヤ民族とフリーメーソンは同じ盾の両面かと思う。
フリーメーソン組織が多段の「位階」組織であるのも、ピラミッドに似ている。そして「位階」「序列」思想は世界を覆っており、その「位階」思想に絶対的に反する万民平等の「共産主義」や「社会主義」がユダヤ資本主義(「貴族的民族(笑:選民やら賎民やら)」であるユダヤ支配思想)の永遠の敵であるのも、世界の全歴史が示している。

(以下引用)

米国の1ドル札の裏には、ピラミッドと目玉が描かれていますが、これは、何を意味しているのでしょうか?米国造幣局などの公式見解はありますか?


A 回答 (4件)

フリーメーソンのシンボルと聞いてます。

イギリス発祥の「友愛団体」です。
日本ではなにやらうさんくさい秘密結社(もしくは存在すら知らない)って感じと思いますが、
(日本にも、ちゃんと支部がありますよ)
モーツァルトの歌劇「魔笛」はフリーメーソンに捧げられた(だったか、理念を取り入れただったか)曲ですし、
ナポレオンはじめ、議員や財界関係者、多数のアメリカ大統領まで、実に多くの有力者がこの組織の組合員です。


国際資本組織の側面を強く持ちユダヤ人が深く関係していて、反共産主義で単一資本による国際支配を目的としている、とかとか、いろんな陰謀説が流れています。
どこからどこまでが本当なのか、よくわからん事態になっています。


が、少なくとも、フリーメーソンが世界に大きな力を持っていることは間違いなさそうです。

アメリカはつまり、(イギリスの植民地だったわけですし)フリーメーソンの支配下にある、という側面を持っているわけで、その象徴がこの1ドル札なのでしょう。
(かな? とにかく、隠れた部分が多すぎて)

この辺が、端的にまとまっていて、比較的中道的見解を示していると思います。
http://www.crc-japan.com/research/f-mei/

参考URL:http://www.crc-japan.com/research/f-mei/
この回答へのお礼

教えていただいたURLでのフリーメイソンの説明は、全体的なイメージを概観するのに大変うまくまとまっていておもしろかったです。

ありがとうございました。


お礼日時:2005/07/06 12:36

噂によると、フリーメーソンという秘密結社がアメリカ建国に大いなる功績を与えた事を1ドル札に刻むということで、メーソンのシンボルであるピラミッドアイが入っているんだそうです。

表の肖像画の初代大統領のジョージ・ワシントンもメーソンのメンバーだったそうです。
この回答へのお礼

ピラミッドアイは、メーソンのシンボルだったんですね。

ご回答ありがとうございました。


お礼日時:2005/07/06 12:24

強さと忍耐力を象徴しています。

未完成のピラミッドは成長と完璧さを求めてたゆまない努力をする姿勢を象徴しています。栄光に輝くピラミッドの先の三角部分の目(All-Seeing Eye)は永遠の神の目を象徴し、神聖なる紙の導きを暗示し、物質の上に精神を置くことを意味しています。ピラミッドの頂点には13文字のラテン語のモットー"Annuit Coeptis"が書かれています。これは「神はわれわれの約束に恵みを与える(He (God) has favored our undertakings)」と言う意味です。ピラミッドの底部にはローマ数字で1776と記されています。その下に"Novus Ordo Seclorum" 「新しい世界の秩序(A new order of the ages)」というモットーが書かれています。

参考URL:http://usembassy.state.gov/posts/ja3/wwwh3money. …

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優れた「少年漫画」は女性キャラに魅力がある

記事タイトルがコピーできなかったが、好記事である。
私自身は「ドラゴンボール」も「ハンター×ハンター」も好きだが、前者の創作対象はやや年少の男の子であり、後者は全体が好きというより、「キメラアント編」のキメラアントの王の死の場面の凄絶なロマンチシズムが、「至高のラブロマンス」として漫画史上に残るものだ、という「芸術的評価」である。「少年漫画」でこれを描いた富樫義博は天才だ。なお、私は同作品の悪役、ネフェルピトーも大好きで、富樫作品の女性キャラは魅力があることが多い。造形が素晴らしいので、正体が頑健な男(オカマ)であるらしいビスケも実に造形的、キャラ的に魅力がある。

(以下引用)

伊勢丹本店でトークショーに出席する声優の野沢雅子さん(右、悟空役)とアラレちゃん役の小山茉美さん、東京都新宿区、2017年5月2日© PRESIDENT Online
『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』など国内外で愛される漫画を世に送り出した鳥山明さんが死去。鳥山さんの漫画を読んで育ったというコラムニストの藤井セイラさんは「鳥山さんの描く女性は絵柄の造形的にも自然で、その生き方もわが道を行くもの。男性の願望を反映した役割消費はされず、素直に共感できた。鳥山作品は時代の先を行っていたのではないか」という――。

「Dr.スランプ」という題名がアニメ化の際「アラレちゃん」に

幼稚園の頃、アラレちゃんが大好きだったわたしに父が教えてくれた。


「本当は『Dr.スランプ』っていう漫画なんだよ。でもアラレちゃんが大人気だから、アニメでは『Dr.スランプ アラレちゃん』になったんだ」


女の子キャラの人気が出すぎて、作品タイトルが変わるだなんて! わたしは感動した。少年漫画雑誌に連載されていたのに、その人気で則巻千兵衛博士を食ってしまったアラレちゃん。それくらい鳥山明の描く女性キャラは、イキイキとして主体性があり、やんちゃで魅力的だった。


単なる絵的な「添え物」でもなければ、すべてを受け入れる寛容で忍耐強い「母」でもなく、高嶺の花の「マドンナ」でもない。泣き、笑い、怒り、知恵を働かせ、自分の意思で動いていく女の子キャラクター達。

『Dr.スランプ』は、フランケンシュタインを思わせる人造人間製造シーンから始まる。少女のサイボーグを則巻博士が接続している少しホラーな絵面で、先に完成しているアラレちゃんの頭部が「あ〜たいくつ」などとペチャクチャ喋り、博士がそれをウザったがる。ロボットなのに、いうことを聞かないのだ。

一人称が「オレ」のあかねちゃん、「クピポ」と破壊するガッちゃん

当初、博士とアラレは、ゼペットじいさんとピノキオのような、造物主と無垢な存在(タブラ・ラサ)という関係だった。しかし動きはじめたアラレちゃんは、ぶつかるものみなすべて壊す「キーン」というアラレちゃん走りと天才的頭脳、そして底抜けの明るさと怪力とで騒動を引き起こし、すぐさま博士の手には追えないペンギン村の人気者となる。


アラレちゃんの他にも、『Dr.スランプ』には印象深い女の子キャラが数多く登場する。不良ぶってはいるが根はいい子、一人称が「オレ」のクラスメイトあかねちゃん。その姉で喫茶店を経営する、客あしらいの上手い葵ちゃん。アラレの担任であり、則巻博士が恋する相手の山吹みどり先生。


それから「クピポ」と独自言語を話す、空飛ぶ破壊神ともいえる恐るべき赤ちゃん、ガッちゃん。サングラスで三輪車をかっ飛ばし「ナウい」「ダサい」と容赦なくなんでも批評する保育園児きのこちゃん。ちなみに彼女の前髪ぱっつんは、『Dr.スランプ』の連載開始より2年先にパリコレデビューした、当時のコシノジュンコそっくりである。

ドラゴンボールの第1話タイトルは「ブルマと孫悟空」だった!

ドラゴンボールでも女性の活躍は続く。そもそも第1話タイトルが「ブルマと孫悟空」。語順に気をつけて見てほしい。「悟空とブルマ」ではない。


少年漫画なのだから、ブルマは悟空から武力で一方的に守ってもらう「か弱き存在」として描かれてもおかしくはない。だが彼女は、ホイポイカプセルで悟空を驚かせ、科学技術の恩恵に与らせる。実家の太さ、受けてきた高い教育、メカニックの腕前、経済力、行動力、それらで悟空をある意味、圧倒する。


ブルマは夏休みに一人でバイクを駆って、自作のドラゴンレーダーで宝探しの旅をする、アクティブで自立した女子高校生なのだ。悟空から「おまえ」と呼ばれると、失礼だからやめてと拒否する。あくまでも「孫くん」「あんた」と呼んで対等さを示し、一定の距離を置く。

そして山育ちで礼儀も衛生観念もない悟空に、パンやコーヒーといった人間世界の食べ物を味見させ、入浴と歯磨きを指導し、男女の別を教え、レディーの前では脱がないようにと教育する。Dr.スランプでは則巻博士とアラレちゃんにあった「教育者」と「無垢なる天才」という構図が、ドラゴンボール序盤ではブルマと孫悟空に置き換わっている。

マドンナ、母親、天使――女性キャラは役割消費されがち

少年漫画の主人公は少年だ。当然、描かれる「女の子」はどうしても「客体としての女性キャラ」となる。例えば部活のマネージャー、憧れの先輩、争奪されるトロフィー、支えてくれた亡き母親などだ。


例えば映画『ONE PIECE RED』(2022年)には、CGで紅白にも出演した女の子キャラクター・歌姫UTAがいた。彼女は天才児で、父や師と仰いでいた男達から嘘を教えられて育ち、それに則って行動しただけなのに、最終的に物語全体の罪を負わされて自滅する。


UTAに歌声をあてたAdoとと楽曲群のすばらしさゆえにその悲惨さはあまり目立たないが、完全に捨て石だった。上げるだけ上げてから落とされて、いいところは少年ルフィが持っていく。愚かな女のしりぬぐいは大人の男シャンクスがしてくれる(騙していたのは彼らなのに)。21世紀になってもまだ少女はこんな使い捨ての駒として描かれるのか、と痛感させられた。

ブルマの冒険少女、仕事、子育て、経営者というキャリアパス

しかしブルマは違う。第1話から登場し、主人公とコミュニケーションを取り、ドラゴンボールという宝物の存在を悟空に教え、冒険のきっかけをつくる。ページにつねに出ているわけではないが、物語世界のどこかで生きていて、何か発明品を持って戻ってきては、悟空達を支える。ブルマは女性の目から見ても納得のいくライフステージの変遷をたどった。


恋する冒険少女の時代を経て(ヤムチャとつきあっていた)、仕事のできる大人となり、恋愛よりはむしろ憐憫の情からベジータと結ばれて息子(トランクス)を産み、育児をし、父・ブリーフ博士から家業のカプセルコーポレーションを継ぎ、子どもの手が離れ、また仕事がノッてくる時期までもが描かれる。

やがては会長職に就いて経営手腕を見せながらも、エンジニアとして手を動かす原点も忘れない。ブルマは年齢とキャリアにあわせ、髪型も服装も変わっていく。それなりにお金はかけていそうだが機能性を優先したファッション、流行を取り入れつつ意思の強さを感じさせる髪型、足元は動きやすいブーツが多かった。

「おっぱい要員」的な造形もなく、女性も読みやすかった

胸の大きさも自然だ。ドラゴンボールにも胸の大きな女性は登場するが、さまざまだ。やはり前述のONE PIECEでは、少女と老婆(醜さが強調されることが多い)以外の現役の女性は、人体の構造上これは無理だろうというレベルで胸が大きく、それを強調する衣装も多い。おっぱいのインフレーションが起きている。細い腰骨が折れないか心配になる。


ママ友が「最近のジャンプって油断するとめちゃくちゃおっぱいの大きい女の子が出てくるので、気軽には(息子に)買えない」と話すのを聞いたことがある。神経質と思われるかもしれないが同感だ。女性にはそう感じる人もいるのだ。

ナビゲーター的女性キャラは冨樫義博「幽遊白書」などにも

そういえば、鳥山明以外でも物語をナビゲーションする女性キャラの登場するジャンプ作品があった。冨樫義博の『幽遊白書』と『HUNTER×HUNTER』だ。前者では水先案内人が女性キャラであるし、後者は壮大で複雑な物語で、美女や小悪魔はもちろん、賢者や間者といったバラエティ豊かな女性キャラクターが登場する。彼女達の性格も、プロポーションやファッションも実にさまざまだ。


そういえば冨樫義博はその妻が『セーラームーン』の武内直子であるし、鳥山明もみかみなちという先輩漫画家と結婚している。時に制作を手伝うこともあり、「かめはめ波」を名づけたのも彼女だという。家庭内に対等かつ尊敬できる同業者がいるというのは、二人の共通点として挙げられるだろう。

プリキュアの20年前に、「ケア労働」から自由な女性を描く

ドラゴンボール』にはブルマだけでなく、他にも個性ある女性達が登場する。例えば一見おしとやか、男性の理想を引き受けたマリリン・モンロータイプに見えるランチさんは、「くしゃみ」がスイッチとなり別人格が表に出て銃を乱射する。また半ばおしかけ女房のように孫悟空の妻となり、悟飯という子をなして、しっかり教育を施すチチなどだ。


女性だってランチさんのように暴力性を発露することもあるし、チチのように家庭において夫をコントロールすることもあるのだ。


『ドラゴンボール』はその人気ゆえ、連載が長期化し、修行や冒険よりバトルが主軸となっていく。登場する女性キャラの数は相対的には少ない。それでもキラッと光る女性キャラクターが幾人もすぐに思い浮かぶのは、彼女達が「ケア労働」、つまり癒しや家事育児の担い手「のみ」としては描かれなかったからだろう。


「女の子だって暴れたい」をコンセプトに大ヒットした「プリキュア」シリーズが生まれたのが2004年。その20年以上も前に、鳥山明は自分の意思を持って生きる女性像を、少年漫画の中でごく自然に描いてくれた。

血統主義、血縁主義からは遠い、柔軟な家族観とキャラクター造形

そもそもアラレちゃんと則巻博士は血のつながらない家族だ。孫悟空も山で拾われた孤児である。悟空の息子・孫悟飯は、両親のもとではひ弱なお坊ちゃんだったが、ナメック星人のピッコロに育てられて大きく成長する。ピッコロにいたっては卵生で「親の愛」など知らないはずだが、悟飯を身を呈して守る。


女性観だけでなく、家族観や子ども観もまた柔軟なのかもしれない。父はこうあるべき、母はこうあるべき、子とはこうあるべき、という固定観念から自由な世界がそこにはあった。血統主義、血縁主義ではないのである。


少女漫画も恋愛の成就で物語が終わってしまい、女性の「その後」を見せてくれるものが少なかった子ども時代に、天才で怪力で奔放なアラレちゃんや、仕事と家族の充実を体現するブルマを見ると、何かスカッとする思いを抱いたのを覚えている。あの感覚は、いまにして思えば「エンパワメント=本来持っている力や才能を気づかせて開かせようとする作用」だったのかもしれない。

おきまりの言い方になるが、ようやく時代が、鳥山明がナチュラルに描いていたこの家族像、女性像、子ども像に追いついた、とも感じられる。これから先のクリエイターにとっても、彼の偉大な作品は折にふれてヒントをくれるものとなるだろう。


---------- 藤井 セイラ(ふじい・せいら) ライター・コラムニスト 東京大学文学部卒業、出版大手を経てフリーに。企業広報やブランディングを行うかたわら、執筆活動を行う。芸能記事の執筆は今回が初めて。集英社のWEB「よみタイ」でDV避難エッセイ『逃げる技術!』を連載中。保有資格に、保育士、学芸員、日本語教師、幼保英検1級、小学校英語指導資格、ファイナンシャルプランナーなど。趣味は絵本の読み聞かせ、ヨガ。 ----------


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党派の「本質」と「真髄」

まあ、誰にも興味の無い話だろうが、せっかく考えたので書いておく。
翻訳の話である。ただし、言うまでもなく、私は外国語はまったく知らないので、ここでは原文は度外視しての二つの翻訳文の比較の話だ。どちらも古い翻訳で、訳者がご存命かどうかも知らない。
さて、問題の文章をふたつ挙げておく。文語的表記は現代文表記にしておく。

A:行動は党派たるものの本質である。
B:行動ということこそ党派の真髄ではなかろうか。

私は前者(A)を読んで違和感というか、疑問を感じて、別の翻訳であるBを見て納得したのだが、一応説明しておくと、Bの翻訳者が先にこの原作を翻訳し、Aがその後、その原作の改訳(新訳)をし、さらにそれを参考にしてBの翻訳者が自分の過去の訳を改訳したようだ。したがって、時系列的にはBの翻訳者に優位性があり、AよりBが翻訳者として優れているという話ではない。

さて、私はAの文になぜ違和感を持ったのかと言えば、その断定的口調による断言(命題)の内容が正しいとは思えなかったのだ。間違いとは言えなくても、「全肯定」はできない命題だろう。
そして、Bになぜ納得したかと言えば、同じ命題への「~ではなかろうか」という婉曲な口調とともに、「本質」が「真髄」になっている点も良しとしたのである。
「本質」と「真髄」に違いは無いだろうという大雑把な意見もあるだろうが、「本質」とは、その対象全体を包含するもので、「真髄」はその対象の中心部だけに該当するものだ。つまり、「党派」と「行動」に関して言えば、「(本質=)党派に属するメンバーは全員必然的に行動する」か「(真髄=)党派の中心層は行動する」かの違いだ。あなたが自民党(でも共産党でも何でもいいが)に同感するからと言って、自民党のために街頭に立って応援するか、しないか、という違いだ。もちろん、「投票」も行動ではあるが、それは自民党の「真髄」としての行動ではないだろう。(「本質」と「真髄」についてのもっと分かりやすい例を寝床の中で考えたのだが、もはや忘れたので書けない。)

なお、このふたつの翻訳はどちらもバルザックの「暗黒事件」の一文である。




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