忍者ブログ

古人の思想や発言を否定すること

『古事記』が、「相当に成熟した老荘思想的観点からまとめられている」というのは、どのあたりを指しているのだろうか。このツィートをした人は学者だと思うが、こういう断片的な発言ではその考えの根拠が示されないので、断定的発言の常として、読む人を「洗脳」しやすい。ツィッターで専門家がその専門分野について発言するのは危険だと思う。べつに私は国学にはさほど興味は無いが、現代の人間だからといって、昔の人間(この場合は本居宣長)より「研究が進んでいる」とか「思想が深い」とはまったく思わない。古人の思想や言葉や業績を批判する時には、「相手には反論が不可能だ」ということを前提に、注意深く発言するべきだろう。
なお、『古事記』は、当時のさまざまな伝説を、大和朝廷の起源に重ねて作ったフィクションであり、「『書紀』よりも作り物」であるのは当たり前の話で、何を今さら、である。ただ、そのフィクションの中には「事実ではないが(人間性の)真実」が書かれており、古代人の感情や感覚や考え方が伺えるから「日本書紀より重要な書物だ」と本居宣長は言っているわけである。これは、紫式部が『源氏物語』の中で、光源氏の言葉として言っている「(人間や世の中を知るには)小説のほうが歴史書より重要だ」という趣旨の発言と同じことだ。


  1. さんがリツイート
  1. 12時間前
  1. しかし、これは『古事記』が和文と和化漢文が多いという叙述の形式をもって史料の内容的価値を判断することであってまったくの錯誤である。こういう誤解は今でも多い。しかし、『古事記』はむしろ相当に成熟した老荘思想的観点からまとめられているのであって、『書紀』よりも作りものなのである。
  2. 1件の返信 14件のリツイート 24 いいね
  3. このスレッドを表示
  4. 取り消す
  1. 宣長は『古事記』は「字の文をもかざらずて、もはら古語をむねとはして古の実のありさまを失はじと勤めたる」ものであるのに対し、『日本書紀』は「潤色を加えて、漢の国史に似するを旨とし」たものであるという。『古事記』は大和心を伝え、『書紀』は唐心の書であって問題が多いという訳である。
  2. 1件の返信 15件のリツイート 15 いいね
  3. このスレッドを表示



拍手

PR

プリウスの構造的欠陥?

記事の更新頻度が落ちるだろう、と「徽宗皇帝のブログ」に書いたが、更新ができないわけではなく、ネットへのアクセスがなかなかできない時があり、記事のコピーができないことがあり、タイピングが異常に困難な時があり(ローマ字入力から日本語への変換に異常に時間がかかる)、まあ、いろいろと面倒くさいので、今後はよほど気が向いた時だけの更新になるだろうということである。

下の記事は南堂氏の「泉の波立ち」の記事だが、かなりいい記事だと思う。というのは、この指摘は、それが事実なら例の事故の原因として合理的であり、トヨタという会社が良心的なら改善すべきことであり、その改善が社会に有益だからだ。(まあ車のせいだったとは絶対に認めないだろうが。)せめて、こっそりとでも直せば、それはトヨタという会社のためになるはずだ。もっとも、これまで「運転者の責任だ」と「冤罪」を受けてきた人たちは気が済まないだろうが。
かりに、下の記事に書かれているように、ブレーキのペダルがアクセルの位置より少し高い(運転者側に出ている)とすれば、これは明らかに構造的な欠陥であり、「人体工学」に反している。運転者は運転の間、ほとんどアクセルに足を乗せており、その操作だけで運転の大半は行ない、緊急の際にブレーキを踏むものだ。とすれば、足の踏み換えの際に、ブレーキペダルがアクセルペダルの位置より高ければ、当然、靴底が引っかかるに決まっており、踏み損ねて元のペダル、つまりアクセルペダルを踏む可能性は非常に高い。
これ(アクセルとブレーキの高さの関係)が事実なら、プリウスに事故が異常に多い(らしい)のも当然だろう。
なお、かりにあの池袋の事故が運転者だけではなく車にも原因があったとしても、事故の後の問題処理において、「上級国民への忖度」があったのは、当然、「法の下の平等」に反することであり、その件は糾弾されてしかるべきである。

安倍政権やマスコミにとっては、「上級国民」を取るか、「トヨタ(経済界の大物)」を取るか、悩ましいことだろう。この事件がこれからどう進展するか見ものであるwww



(以下引用)

2019年04月23日

◆ プリウスのブレーキは構造欠陥?

 アクセルとブレーキの踏み間違いの事故は、プリウスが傑出して多いようだ。それには理由があるらしい。

 ──

 アクセルとブレーキの踏み間違いの事故があると、「運転手のミス」ということで片付けられることが多い。しかし統計的には、この手の事故はプリウスが傑出して多いようだ。確かにプリウスの販売台数は多いのだが、それにしても事故はプリウスが傑出して多いようだ。(特に旧型車)
 たとえば、下記の記事。
  → 「プリウス暴走事故」はなぜ多い - 選択出版

 こういう事実がある以上、そこには(統計的に有意な差があるらしいので)何らかの理由があると見た方がいい。
 では、どんな? 

 ──

 調べたところ、次のページを見つけた。プリウスユーザーの体験記。(価格コム)
この車に乗っていて、前車と違って右足だけが疲れます。

前々から「なぜ?」と思っていたのですが、最近ブレーキペダルの位置が悪い、と言う事に気がつきました。

具体的には、アクセルペダルと比較すると、ブレーキペダルの位置が、運転者側に少し迫り出ていて、アクセルからブレーキに踏み換える時、右足をしっかり「上げて」ブレーキペダルに「載せ替える」と言う行為をしているので、この「上げて」の時に足をしっかり「使っていて」それが右足の疲れに繋がっている事に気がついた、と言う状態です。

長距離を走ると結構右足だけがくたびれてしまって、困っています。
( → 価格.com - 『右足が疲れる.....』 トヨタ プリウス のクチコミ掲示板

 この人は「右足だけがくたびれてしまって、困る」というふうに述べており、疲労だけを問題としている。
 しかし、私の考えでは、安全性にも問題があると思える。ブレーキペダルの位置が(手前に)突き出している感じであれば、「載せ替える」ときに面倒臭いだけでなく、誤作動も起こりやすいからだ。

 この可能性は十分にある、と思える。

 なお、トヨタ車全般にこの傾向がある、という指摘もある。
 最近のトヨタ車は同じ傾向のペダル位置になっていると思います。
このペダル位置に不満があるなら、トヨタ以外に乗り換える事ですね。
( → 同じページ )

 トヨタ車はみんなそうなのか? とすれば、対策は、トヨタ車をやめるしかないのか? 
 私はこの点では特に詳しくはないので、判断は留保しておきます。

 本項ではとりあえず、「ペダルの配置そのものに問題があるらしい」という点を指摘しておくにとどめます。

( ※ 断定や判定はしません。情報の提供のみ。)
( ※ 結論を出さないくせに、なぜ書いたかって? 安全に詳しい Openブログだからです。マスコミよりも詳しい情報が得られます。)


拍手

その仕事は末代までの恥

FFシリーズ関係のイラストなどで有名な天野喜孝による安倍総理(とキャプションがついている)の絵が評判で、その評判のほとんどはもちろん嘲笑・憫笑だが、天野喜孝の一生の恥だろう。
まあ、芸術家と言うか、クリエイターとその政治思想は別物であり、仕事は天才的でも日常生活ではキチガイというクリエイターもたくさんいる。ドラゴンクエストシリーズの作曲家も政治的には超右翼であるのは有名だ。
クリエイターとしては保守政治家に接近するのが生活安定に有利なのは当然だが、その行為で「そのすべての作品が穢れる」と私は思うのである。





返信先: さん

金を使えばどうとでもなるという事でしょうか。


拍手

記事減少の理由

最近、あまりブログを書かないのは、パソコンの調子が悪いのか、何なのか、いい記事を見つけてもコピーできないことが異常に多くなったというのが理由の第一である。私はそうした記事に触発されて「書きたい気持ち」が起こるので、コピーができず、記事紹介ができないとなると、自分の記事(思考展開)の意欲も消えてしまうわけである。
まあ、そういうことで、パソコンを買い替えるかどうか迷っているが、記事を書く頻度はこの後も、かなり落ちるだろうと思う。他人の記事を使わず、自分の妄想だけを垂れ流す記事が増えるかもしれない。








拍手

令和と同時に年金大改悪か

もと記事は読んでないが、とりあえずメモ。成り行きに注目である。

(以下引用)



さんがリツイート

これはひどすぎる!高齢者に死ねというのと同じだ!令和の年金改悪 65歳で受給する人は繰り上げ扱いで空前の減額議論 従来通り65歳からもらう人は「繰り上げ」扱いとして月16万円の年金を30%カットの11万2000円に減らすということだ。





拍手

湯煙の立つや夏原狩りの犬

下のツィートの洒落を理解した人間が日本全国というか、小田嶋師のツィッターの読者の中で何人いるだろうか。まあ、私も正しく理解したのかどうか知らないが、私の解釈では、

♪ I wanna hold your hand~

だろうと思う。つまりビートルズだ。

前に書いたかもしれないが、この種の洒落の傑作は、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」で読んだ(と思う)

「湯煙の立つや夏原狩りの犬」

という俳句で、これはおそらくエルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」の出だしである。

you ain't nothing but a hound dog

が、日本人の耳には「ユエンナツバラハウンドッグ」としか聞こえない、つまり「湯煙夏原ハウンドドッグ」である。ただし、そのエッセイにはこの俳句の解説は無かったはずなので、これは私の解釈だ。


(以下引用)




♪ アホな包丁犯〜


拍手

科学否定と宗教論争

SF作家(まあ、SFだけを書いているわけではないだろうが、SFが主だと思う。)山本弘のブログ記事の前半である。後半では武田邦彦(武田武彦と誤記している。)をも批判しているが、武田氏は科学者のくせに科学的根拠に基づかないで「陰謀論」的な発言を垂れ流していることへの批判で、山本氏はこの手の「科学的根拠の無い」言説が大嫌いであるというわけだ。そういう意味では高須院長への批判も同じ部類か。
まあ、私自身、「科学」への妄信が嫌いなため、「ビッグバン説」とか「進化論」などを否定しており、山本氏からすれば敵陣営ということになるだろうが、私が高須院長を大嫌いであるのはご存知の通りである。
もっとも、私自身、「ホロコースト否定論」には耳を傾けたこともあるが、それは「なぜユダヤ人は歴史的にあれほど世界中どこでも嫌悪されたのか」という疑問と、ユダ金が世界を不幸にしてきたという歴史と、ユダ金が、マスコミ(ハリウッド映画など)を使い、ユダヤ人の受難を自分たちの保身に利用してきたことへの嫌悪感があるからだ。つまり、「ホロコーストは無かった」と信じたというより、「これもユダ金が捏造した部分が大きいのではないか」と疑っていたのである。まあ、その前に、「アンネの日記」の中に、それが書かれた当時には存在しなかった、ボールペンで書かれた部分がある、というニュースを読んで、近代のユダヤ人迫害事件の中には捏造もけっこうあるのではないか、と考えた、ということもある。
言うまでもなく、私が「ユダ金」と「ユダヤ人」を明確に区別しているのは、これまで書いたすべての記事から分かるはずである。まあ、ユダ金という言い方が良くないのは分かるが、そもそも彼らが「ユダヤ人の受難」を自分たちの盾として利用してきたから、そう書いているわけだ。
武田邦彦氏には、高須院長への嫌悪感とは違って、「科学の常識を否定する姿勢」にやや好感を持っているのだが、その発言が山本氏のような「科学を信じる」人には嫌われるのは当然だろうな、と思う。まあ、これはほとんど宗教論争に近い。どちらも、自分が信じることを否定する人間は敵だ、と思うわけである。


(以下引用)




「悪い奴らは、天使の顔して」



 長いこと小説、特にライトノベルを書いてきて、疑問に思うことがある。


 なぜ悪人は悪人のように見える容姿をしていて、悪人っぽい言動をするんだろうか。


 現実世界を見れば、そんなことは妄想にすぎないのが分かる。悪人は普通の人間と何も変わらない容姿で、時には魅力的で人当たりのいい人間である場合がほとんどである。テレビで人気者になっている例も多い。たまに批判されても、「面白いことを言う奴だ」と見過ごされる例がある。



 少し前から高須クリニックの高須院長が話題になっている。高須氏がホロコーストを否定したという話が広く知られるようになったのだ。しかし高須院長はどこ吹く風で、自分が何をしでかしたのか分からないようだ。多くの人が犠牲になったことが「ウソだ」というのだ。日本でたとえるなら、広島の原爆投下を「ウソだ」と言うようなものなのに。


 実は僕がまだと学会会長だった頃、2011年の日本トンデモ本大賞に高須氏を招いたことがある。


 この際、きっぱりと本当のことを言うが、僕はゲストに高須氏を招くことに反対だった。と学会会員の多数決で決まったのである。あの時、僕は高須氏に挨拶すらしなかった。


 当時、高須氏は「アポロは月に行ってない」と公言していた。大多数のと学会員や、一般の観客のほとんどにとっては、「面白いトンデモ説を唱える奴だ」という程度の軽い認識だったのだろう。だが、その頃すでに『ニセ科学を10倍楽しむ本』を書いていた僕にとっては、それは共有できない認識だった。


 僕は『ニセ科学を10倍楽しむ本』でこう書いた。



「いろんな苦難を乗り越えて、月面着陸という偉業を達成した宇宙飛行士の人たちや、それを支えたスタッフを、ウソつき呼ばわりしてるんだもの。たとえて言うなら、オリンピックで優勝した選手を、『インチキをしたんだろう』ってののしってるのと同じよ」



 要するに僕にとって高須氏は、社会的地位はともかく、人間的にはまったく共感できない人間だったのだ。


 だが僕の考えは、と学会員でさえ共感してくれなかった。


 その後、高須氏がホロコーストを否定していると知って、いっそう嫌悪感は深まった。ナチスの悪行については、いまさら言うまでもないが、ホロコーストについては(アポロの月着陸以上の)膨大な証拠があり、数多くの生存者の証言がある。それを「実は嘘だった」と言い切るのは、恐ろしく罪深い行為だ。


 ホロコースト否定論や『アンネの日記』捏造説については、僕は『翼を持つ少女』の中できっぱり否定した。


(あの時、高須氏の相手をしたのは、ともに『人類の月面着陸はあったんだ論』を書いた皆神龍太郎氏だったと思うが、今は高須氏の考えをどう考えてるのか知りたい)



 しかし、これだけ騒ぎになっているのに、高須氏を糾弾する声はほとんど聞こえてこない。


 高須氏がスポンサーである高須クリニックのCMはしょっちゅう流れているというのに。


 これも現実世界がフィクションと違う点だ。悪の親玉はヒーローに倒されて退場なんかしない。まったく何の報いも受けず、時には笑顔で賞賛される。


 聞くところによれば、ホロコーストのことを何も知らない若い連中の中には、高須氏に影響されて、「ホロコーストなどでっち上げだ」と考える奴が増えているのだそうだ。高須氏のような有名人でも、こんな話を堂々としているのに、どこからも罰せられないのだから、自分も同じことをいってもいいんじゃないか……そんなことを考える奴が増えているんじゃないだろうか。






拍手

カレンダー

02 2025/03 04
S M T W T F S
21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析