
1: 名無しさん 2019/07/12(金) 17:11:12.92 ID:iFHHuuVz0
引用元:
出歩いたらなんだかんだで汗かくで
軟弱か?
午前は涼しい夏
結果つけてて風邪ひいたわ
6月ですら暑かったから
一昨年くらいの白菜の値段やばかったよな
外に出たら10分で汗かく
昨日もだけど
でも今年はチベット高気圧弱いし、太平洋高気圧も強くないので猛暑にはならなそう
気の赴くままにつれづれと。
引用元:
2019年7月11日 17:21 田中龍作ジャーナル![]() 山本が街宣現場に到着すると、辰巳は駆け寄るようにして手を握った。=11日、京橋駅前 撮影:田中龍作= 今回の選挙で最も割を食っているのが共産党であり、辰巳コータローだろう。 党は野党共闘優先のあまり「共産らしさ」を失い、辰巳は立憲が擁立した人気弁護士に票を食われ、苦戦を強いられている。 街宣現場で支持者が辰巳を叱咤激励した。「山本太郎さんのように腹をくくって下さいよ。巧みな戦術を学んでくださいよ。もう後がないんですからね」。 この支持者(書道教室講師・女性)はこれまで比例は共産党に投票してきたが、今回は山本太郎に入れるという。 山本はきょう11日、大阪市内(京橋、梅田)で辰巳の応援に入った。追及の名手同士のコラボとなった。 ![]() 籠池夫妻。「森友疑惑の追及を」と訴える辰巳に声援と拍手を送った。=11日、梅田駅前 撮影:田中龍作= 「大阪に今日入った理由は、辰巳コータローさんを絶対に国会に戻さないとダメですよと皆さんに言う為です」。山本は開口一番言った。 「辰巳コータローさんは権力側に嫌われる追及力(中略)こういう方は絶対に残って頂かなきゃいけない」。 山本は「比例は れいわ に」と言わなかった。辰巳陣営からは「言ってもいい」と言われていたそうだ。 言わなかった理由を山本に尋ねると「言わない方がいいだろうと思ったから」。 共産党の度量の大きさにも敬服するが、先を見すえた山本の配慮にも舌を巻く。 「比例は れいわ に」と言わなかったことで、共産党に貸しを作ったのである。 「れいわ」の政策は、その哲学において共産党とよく似る。 山本は辰巳に「消費税廃止で共闘できますよね」と釘を刺すことも忘れていなかった。選挙後の共闘体制をすでに視野に入れているのだ。 ![]() 1千人の聴衆を前にしても山本は最後まで「比例は れいわ に」と言わなかった。=11日、梅田駅前 撮影:田中龍作= 梅田の街宣会場には籠池夫妻の姿があった。 森友疑惑の隅々までを知る辰巳は、約1千人の聴衆に訴えた― 「森友事件は終わってないんです。(中略)国家の私物化です。国の予算は安倍さんのものでも、アキエさんのものでも、トランプ大統領のものでもない。国民一人一人に使う為の国の予算なんです」 「どうか皆さん、私を国会に送り返して頂いて森友事件の徹底究明をさせてください」。 籠池夫妻は森友疑惑に話が及ぶと、しきりに声援を送った。 籠池氏は「二人(辰巳、山本)とも真の保守だ」と目を細めた。 諄子夫人共々、選挙区は辰巳に、比例は山本に投票するという。(敬称略) ~終わり~ |
昨年4月に大分市内の中学校で男子生徒に暴行して失神させ、傷害罪で略式命令を受けていた60代の男性教諭を、大分県教委が正規教員として再雇用し、教壇に立たせていたことが県教委への取材で判明した。教諭は再雇用後の先月14日にも大分県臼杵市の中学校で暴力を振るい生徒にけがをさせていた。県教委は「再雇用の基準を示した要綱に『略式命令を受けたことで再雇用できない』とは書かれておらず、問題ない」としている。
県教委によると、教諭は柔道の有段者。昨年4月、下校指導で「早く帰宅しなかった」として、自転車に乗った男子生徒の首をつかんで転倒させ、失神させた。生徒は1週間のけがをし、教諭は傷害罪で罰金20万円の略式命令を受けた。県教委も教諭を減給10分の1(1カ月)の懲戒処分とした。その後、教諭は今年3月に定年となった。
しかし、県教委は4月、教諭の希望で再雇用し、教諭は臼杵市の中学に赴任。2カ月半後の6月14日の放課後、教室で紙鉄砲を鳴らして遊んでいた生徒を後ろから引き倒し、首を片手で絞めて床に押さえつけた。生徒は首を捻挫し、あごの痛みを訴えているという。教諭はその後、自主謹慎していたが今月1日、復職した。
県教委は再雇用した理由について「大分市教委の人事評価が再雇用しても大丈夫ということだった」とも説明した。【白川徹】
「悪気」や「嘲笑の意図」を云々する以前に、エレベーターを笑うジョークは、その「構造」として、エレベーターに乗って天守閣にたどりついた階段弱者を貶めたストーリーを包含せざるを得ない。その意味で、エレベーターを笑うジョークは、結局のところ「強者」による共感的な雄叫びとそんなに遠いものではない。
「戦国の世の秋霜烈日なリアルを体現しているはずの城郭の天守閣に、足元もままならない老人や車椅子に乗った障害者が集っている絵面の滑稽さ」をもって「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある。
すぐ上のパラグラフは言い過ぎかもしれない。
ただ、会話の中にジョークを散りばめにかかるコミュニケーション作法が、多分に虚栄心と自己顕示欲を含んだものほしげな態度であるという程度のことは、21世紀の人間であるわれわれは、自覚しておいた方が良い。
ジョークは、他人を動かすツールとしてそれなりの機能を発揮している一方で、時に意外な副作用をもたらす厄介な劇薬でもある。