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コストパフォーマンス絶対主義から失われていくもの

資本主義も民主主義も「最大多数党派の利益」を判断根拠にしている結果、少数者は常に疎外されることになる。それはいい点と悪い点がある。
映画館で映画を見ることのメリットよりもデメリットの方が大きいと最大多数党派が判断したら、映画館には客が来なくなり、閉館されることになる。これが資本主義の必然である。
だが、映画館で映画を見ることのデメリットを館側は本当に真剣に考えたか。たとえば、妙な広告を延々と見させられる。隣席と密接していて不快である。咳をしても周囲に嫌がられる。貧弱な飲食物しか売っていない。それでは、いくら大画面大音響で見られるというメリットがあっても、家でネットテレビの映画を見たほうがはるかにマシだ、となって当然だろう。
喫茶店も同様だ。喫茶店に行くのはべつにコーヒーが飲みたいだけではない。美しい空間と静かな音楽の中で優雅な時間が過ごせるために我々は高いコーヒー代を払うのである。コーヒーの味なら、コンビニのコーヒーの方がマシ、という喫茶店は無数にあったが、それらはほとんど潰れていった。コーヒーを飲ませるのが喫茶店、という固定観念のためである。
本屋が潰れて行くのは電子情報文化の発達のためだろうが、日本人の居住空間の貧弱さのためでもある。だからこそ「断捨離」という馬鹿な行為が過度に持ち上げられたのである。大金持ちの大邸宅なら断捨離の必要性などまったく無いわけだ。狭いアパートやマンションが家具や電化製品で占められたら、本を置く空間がどんどん制限される。当然、本を買う人は少なくなるに決まっている。新古書店の繁盛も、「家に本が置けない」からであり、それは一般の本屋をどんどん衰退させるのは当然だ。だが、愛読書というのはいつでも取り出せ、愛読できるからこそ愛読書なのである。読めばブックオフに即座に叩き売る、という文化からは書かれたものへの敬意すら失われていくだろう。
こうして、「物事の目立たないが貴重なメリット」がコスパ主義で削減されていき、世界はどんどん浅薄軽薄になっていく。





さんがリツイート

明日までの神田古本まつり、先週の日曜のようす。こんなに本を読みたい人であふれているのに街の書店は消えてゆく。何かがおかしく、もったいない。映画を見たい人、コーヒーを飲みたい人はまだまだいっぱいるのに、採算が合わないと映画館や喫茶店が消えていき、さらにお客を減らしてしまったように、






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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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