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元始、女性は太陽だった

私は、素人が勝手な想像を書くのはおおいに結構だと思っているが、学者がツィッターなどで妄想を垂れ流すのは、それが「学者が言っているから」ということで世間に広まる可能性が高いので、自重すべきだと思っている。よほどの根拠があって初めて公表してほしい。
古代の音(発音)のことなど、調べようもないのだから(よく、古代の漢字表記から「甲類・乙類」のどれに属するかで発音を推定するという話があるが、怪しいものだとしか私は思わない。)現在の日本で一般に「イザナミ・イザナギ」が多数派ならそれでいいではないか。それに、日本人の祖先、日本のイブとアダムが、なぜ「鯨女・鯨男」なのか、不愉快に思うのは私だけか。神代の日本人のどれくらいの割合の人間が鯨を知っていたというのか。
イザナミ・イザナギが海中の島に降り立ったのなら「波」と「凪」が両者の名前の元になったとでも考えたほうが筋が通るだろう。波立ち、荒れるのが女性で、それを何とかして鎮めるのが男性だ、というわけwww アマテラスオオミカミが日本の最高神だったように、かかあ天下こそ日本本来の伝統だったのではないかwww




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普通、イサナミ・イサナキはイザナミ・イザナキといわれるが、津田左右吉がいうようにザと濁らないのが正しい。津田全集①三四八頁。私は、小路田泰直(『日本史論』敬文舎二〇一七)がいうようにイサナは鯨であって、この神名は鯨女・鯨男という意味でよいと考えている。





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山賊海賊泥棒の子孫

まあ、これが白人的精神というものだろう。図々しい泥棒根性だ。欧州内では普段は喧嘩していても、白人の利益は白人全体で守る姿勢である。その白人の仲間入りをしたくてたまらない下種が非白人社会の中にはたくさんいる。香港の住民の中で、特に若い連中にはそれが多そうだ。日本人も同じだろう。白人の仲間入りできるなら、その便器になってもいいという家畜人である。









問題となったヴェルサーチェのTシャツ。都市名と国名が並んで表記されている中、香港は国名の部分が「HONG KONG」となっていた=中国版ツイッター・微博から © 朝日新聞社 問題となったヴェルサーチェのTシャツ。都市名と国名が並んで表記されている中、香港は国名の部分が「HONG KONG」となっていた=中国版ツイッター・微博から

 中国で、高級ブランドのTシャツのデザインが香港を国のように表記しているとし、ネット上で批判が起き、ブランド各社が次々と謝罪に追い込まれる事態になっている。香港で「逃亡犯条例」改正案に反対するデモ活動が収まらない中、中国のネット上では、領土や主権に関わる話題に神経をとがらせる書き込みが相次いでいる。


 最初に問題視されたのは、イタリアの高級ブランド「ヴェルサーチェ」のTシャツ。背中の部分に「ミラノ―イタリア」「東京―日本」など、世界各地の都市名と国名を並べて英語で表記したデザイン。北京、上海は国名部分が「中国」と表記される一方で、香港とマカオはそれぞれ「香港」「マカオ」となっていた。このデザインに、ネット上では「ヴェルサーチェは香港独立派なのか」「みんなでヴェルサーチェに抵抗しよう」など批判の書き込みが殺到。


 11日、ヴェルサーチェのイメージキャラクターを務める中国の人気女優が「中国の主権と領土を侵犯するデザインで、激しい憤りを感じている」と、契約解除を表明。その直後、ヴェルサーチェは中国版ツイッター・微博の公式アカウントで「我々の不注意で正確な国名を使用せず、大きな論争を引き起こしてしまった。大変申し訳ない」と謝罪。「ヴェルサーチェは中国を愛し、中国の領土と国家主権を尊重する」と表明し、Tシャツはすでに販売中止にしたと説明した。


 ネット上ではその後も、同じように香港を国名のように表記しているとし、仏高級ブランド「ジバンシィ」、米高級ブランド「コーチ」など、様々なブランドのTシャツの写真の投稿が相次いだ。


 12日、ジバンシィは「Tシャツデザインにミスがあり、一刻も早く正したい。ご迷惑をかけたことを陳謝します」、コーチは「デザインに重大なミスがあった。多くの消費者の感情を害して申し訳ありません」などと謝罪した。(上海=宮嶋加菜子)





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人間、顔より品格

さいきんはきっこのブログも彼女のツィッターも見ていなかったが、久しぶりに読むと、やはり鋭い。山本モナと細野豪志の路チューを即座に連想したのはさすがである。どちらの男も女もよく似ているwww 下種美男美女。



「小泉進次郎衆院議員と滝川クリステルさんのできちゃった婚」て、ナニゲに「細野豪志衆院議員と山本モナさんの路上チュー」とフレーバーが似てる気がする。










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嵐を呼ぶ男

藤浪の場合はシュートと言うより、内角に投げた球がすっぽ抜けて右打者の頭部を直撃するのだが、まあ、台風10号をフジナミと呼ぶことに異論は無い。




no title

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「日本人利権」と「男性利権」

「阿修羅」から転載。
全体としては特筆する内容の記事だとも思わないが、この部分は少し面白いので、抜粋した。
自分自身で努力するより楽なのは、「何かに属すること」で自動的にその利権の分け前に与れることだが、それがこれまでの日本だと、その最大のものが

1:日本人であること
2:男であること

であったわけだ。その利権が失われつつあることへの恐怖が若い男たちを「愛国(笑)主義」「男権主義」的な安倍政権支持に向かわせている、という考えは或る程度当たっているのではないか。


(以下引用)





 では、なぜ30代以下の男性の自民党支持率が突出して高いのか。

 考えられる推論としては、社会の組織力学構造において、一般的には劣位におかれている女性のほうが現実的で、冷静に現実をとらえており、無駄な希望は持っていないが、ここにきてさすがに男性も現実に気付き始めたということであろう。

 グローバル化・多様化のなかで、日本においても「男だから」で通用する男性中心主義が崩れてきており、それを若い男性がヒシヒシと実感してきているということであろう。ハリウッド映画では女性の躍進は著しい。『スター・ウォーズ』では女性ジェダイが登場し、『アベンジャーズ』ではキャプテン・アメリカに加えて女性のキャプテン・マーベルが現れ、『アイアンマン』の後継者はトニー・スタークの娘だと示唆されている。『007』シリーズ最新作でも、女優ラシャーナ・リンチ演じる新キャラクターがジェームズ・ボンドから「007」のコードネームを受け継ぐ。次期の欧州委員長とECB総裁も女性である。日本の若い男性が焦りを感じるのは当然であろう。

 安倍首相は「多様性・女性活躍が重要」と口では言っているが、これらを熱心に推進しているかのような「やってる感」があるだけで、彼の本質は強固な伝統保守主義者(=男性中心主義者)である。選択的であっても夫婦別姓すら認めないダイハードな伝統的家族主義者、つまり男性中心主義者である。

 ヒシヒシと「男だから」で通用する男性中心主義社会が崩れてきていることを感じ、「男だから」で通用する社会の解体の被害を被ると感じている若い男性は、安倍首相の本質を嗅ぎ分けているわけである。弱者に転落する不安を感じる者の嗅覚は鋭敏である。安倍首相は若者の高い支持をありがたいと言うが、自民党は、まさに将来が暗く希望のない若者男子のための政党である。「男だから」が通用する社会で守ってほしいという意思表示が、30代以下の男性の高い安倍内閣支持の背景にあるのではないだろうか。

 海外で生活して思うのは、日本における男子への教育を見るに、グローバル市場における日本人の男女間の価値の開きはいっそう大きくなっていくのではないか、ということである。“開いた世界”に向かう女子と、“閉じた世界”に引きこもる男子という構図が強まり、着実に日本の若者男子はシーラカンス化に向かっているのではないか。

 男子の親はこのことに早く気づいて、我が子を育てるべきであろう。

(文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授)

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戦場にかけた橋は、あるいは人種間の橋だったのかもしれない

マイエン氏がなぜ「無邪気さを恥じた」のか、よく分からないのだが、私は考察すること自体が趣味なので考えてみる。
「クワイ河マーチ」は映画「戦場にかける橋」の主題曲で、この話の骨子は、日本軍の捕虜になった英軍兵士たちが、日本軍の命令により、英国軍人の指導のもとにクワイ河に橋をかけるが、その完成とほぼ同時に、その橋は(たぶん英軍の爆撃によって)破壊される、というものであったと記憶する。
つまり、戦争の不条理を描いたものであり、べつに日本人や日本軍を愚弄する意図はなかったと思う。とすれば、このドイツ人は日本人小学生がクワイ河マーチに合わせて行進したことをなぜ爆笑したのだろうか。私にはその意味が分からないので、マイエン氏が自分の「無邪気さを恥じた」意味も分からないわけである。
想像にすぎないが、このドイツ人氏は「戦場にかける橋」を、日本軍批判、日本人蔑視の映画だと思い込んでいたのではないか。もちろん、この映画の中には日本人や日本軍の思考(教条主義的な、融通の利かないところなど)を揶揄したような描写もあるが、そこは映画の本筋ではまったくない。むしろ人種を超えた共感(不承不承に始まった協同作業からいつのまにか生まれた連帯感や互いへの理解)が、最後の、橋の崩壊で無残に消滅させられてしまうという、運命の皮肉さがテーマだったと思う。



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小学生の頃に運動会等で「クワイ河のマーチ」に合わせて行進した話をふとしたら、日本人の子供があれで行進する姿は想像するだにシュールだとドイツ人に爆笑されたことをふと思い出した。何というか無邪気さを恥じた。






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美とは文化的洗脳である

町山智弘氏が、何の説明もなくこの絵をツィートしたのは、その前後の文脈から見て、某有名絵師から「キッタネー少女像」と揶揄された例の少女像と対比してみろ、という意図だというのは明白だが、なるほど美術というのは必ずしも「美しいもの」だけを描くものではない、というのは事実だろう。そもそも美そのものが主観的なものであり、民族的、あるいは文化的洗脳の下にあるものだ。その意味では「共通性のある主観」という面白い概念である。
我々が胴長短足の体型やデブやハゲや低い鼻や分厚い唇や小さい目を醜いと思うのは、金髪碧眼長身足長人種を美しいと思え、という西洋美術の長年にわたる洗脳の結果ではあるだろう。だが、だからと言って美しいと思えないものを美しいとは思えないというのは残酷な真実であり、美術というのは、できればその名のとおり美を追求するものであってほしいというのは自然な気持ちだろうと思う。
ちなみに、私も下の絵(岸田劉生の「麗子像」か)は、最初に見た時から今に至るまで気味が悪い絵だとしか思えない。おそらくだが、現実の麗子はこれほどの気味悪さは持っていなかったと思うが、その一方では、これほどのインパクトのある描き方をしたから、この絵はあれほど有名になったのだと思う。今でいう「炎上商法」に近いのではないかwww 麗子嬢ご当人の意見を聞いてみたいものだ。










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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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