(以下引用)
若い世代の言語運用能力の低下は、古代ギリシャ以来いつの時代でも嘆かれてきたが、昨今のインターネット、ケータイ、スマホといった伝達手段の急速な発達はこれに拍車をかけた。言語が最も理想的な伝達方法かどうかはたしかに議論の余地がある。
しかし、今までの人類の歴史においては、言語が最も重要で、最も信頼性のある情報伝達手段であったことは間違いない。
一方、言語以上に イメージが “雄弁” に語ることがある のも事実である。たしかに 「百聞は一見にしかず」 である。
しかし、言葉なしのイメージだけで会話が成立するだろうか?コンピュータが動かせるだろうか?現時点では人を動かし、世の中を動かし、コンピュータを動かすことができるのはやはり言語である。
イメージでは人工知能のプログラムは書けない。その意味でも “言語優先主義” は今後も簡単には崩れない と言える。
言語の持つ、規則的体系性、肯定と否定の二値性、デジタル的発展性は比類がない。何といっても “テキスト” が “本文” であり、“イメージ” はしょせん、“挿絵” の地位でしかないのだ。
そもそも、“イメージ反応” は “言語思考” とは根本的に異なる。“イメージ反応” は、言語や論理を媒介しないという意味では非常に “原始的” な反応である。チンパンジーも羊もトンボもみなイメージで判断して反射的に行動する。
“言語” はまるで “人工知能” のために人間が長い時間をかけて用意したようなものである。そして、当の人間は原始的な “イメージ反応” に退化して “低脳化” しつつある。
そう考えると、“言語思考” を軽んじ、“イメージ反応” 優先で生きているスマホゾンビーという低脳層 は、高度資本主義社会に跋扈する無数の企業の 誘惑的戦略に原始的に反応して飛びつくカモになっている とも言える。
逆に言うと、こうした低脳層は高度資本主義のシステムによって不断に “家畜化” されているのである。
「part 1」 でみてきたように、 家畜化=低脳化 である。
今回の中国全人代で、香港への国家安全法導入が決定した。
習近平の最大の失政となるだろう。 これで一国二制度は形骸化し、
鄧小平がイギリスと交した、香港の自由を50年守るという約束は反故にされた。
全体主義に取り込まれた香港が、これまで通りアジア最大規模の金融ハブとして機能すると
習近平は考えたのだろうか? 全体主義政権が支配する金融市場で投資・投機する者が
どれほどいるのだろうか? 既に香港富裕層のエクソダスは始まっていると聞く
コロナショックで西側は、凄まじいリセッション突入だが、苦しいのは中国も同じ
いやグローバル化のデカップリングが予測されることから、西側以上に苦しいかもしれない
単純に習近平が香港の富の収奪を考へていると思うのは、幼稚かもしれないが
それを含めて、今回のことは失敗するだろう。 あまりに多くの憎しみをかう。
そんなことも、「毛沢東2.0」たる習近平には見えていないのだろうか?
香港はチベットでは無いんだよ。
下手打つと、中華自体の料理が始まるかもしれない。 西側世界が共闘したね