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暴力の三原則

別ブログに書いた「暴力論」の一部だが、この「三原則」は世界や社会を考察する上で有効ではないかと思うので、「思考素」としてここにも載せておく。
ただし、「暴力」をどう定義するかで、たとえば「言葉の暴力」もあれば、「組織(強者)による組織員(弱者)への暴力的命令」というのもあり、幅を広くするのも可能である。
DVなどは、まさに下の三原則の代表的事例である。
3がやや分かりにくいかと思うが、たとえば「警察」は抽象的存在で、「警察官」が具体的存在である。国家や政府は抽象的存在だが、公務員はそれより具体的である。
政治的改革運動がしばしば「内ゲバ」化するのも、下の三原則による。DVと内ゲバは同じなのである。近親憎悪だ。


1:暴力は常に「弱い相手」に向かう。
2:暴力は常に「目の前の相手」に向かう。
3:暴力は常に「具体的な相手」に向かう。


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ひろゆきから、「パリ以外に暮らす女性」へ

まあ、私自身差別主義的なところがある(審美的観念は差別、あるいは物事の区別から生まれるのが当然である。)ので、ひろゆきを差別主義者として差別したくはないが、下のコメントはパリという場所と美人の基準とを結びつける(パリ在住者=美人、パリ以外の在住者=非美人)という、無理な論理なので、ひろゆきの非論理性の証明として転載する。カネがあれば誰でもパリに行く、というのも無理だと思うが、私は金持ちになった経験が無いので分から ない。ただし、パリに行った経験はたまたまある。ホテル以外は観光客だらけの場所しか訪ねていないが、パリで出会う女性がすべて美女だったとは思わない。観光客と移民の街という印象だった。
ひろゆきとか橋下徹式の「議論で勝ったように見せる」技術(詐欺に近い)の持ち主が社会で上昇するのは良くない傾向だと思うので、ひろゆきの社会的地位の失墜は社会の浄化に役立つと思う。

(以下引用)

69: 風吹けば名無し 2021/07/12(月) 21:21:49.19 ID:FbEndn7m0
【悲報】ひろゆき 差別主義者だった

ひろゆき「ブサイク側のみなさん残念でした」
no title


美人で金持ってて
パリに来た事無い人って
たぶんいないと思うんですよ

それなりに美人の人って美的センスがあって
化粧だったりスタイルだったりを意識している人なので
そういう人って
パリに来たがるんですよ

なので町歩いてる時にすげぇ美人って
ざらにいるんですよ
アジア系の人も含めてね
世界美人ランキングトップ100みたいなのをさ
見てる状態でさ

日本に行くとさ
言うても身長160cmいっても170cmみたいなさ
なんか言っちゃ悪いけど

日本人の血が入ってるせいで
ちょっとぽっちゃり系みたいなのが
美人っていうふうに扱われてて
あぁそうなんだ そうね
この国だとそうね みたいな

あっこれ言わない方が良かったね
ごめんなさい

84: 風吹けば名無し 2021/07/12(月) 21:22:31.30 ID:+US7Jd2bp
>>69
ひろゆき「パリにいったことない女はブスで貧乏」

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今後の日本と世界を占う

混沌堂主人が「東京五輪後の日本」について易占して「山地剥上九」の卦を得たらしい。まあ、上(山:上級国民)が剥落して下(地:人民)が厚くなるという意味なら結構なことである。

(以下引用)


易でも聞いてみた。
山地剥 の 上九 {6爻}
高島易斷 山地剥 上九の易占
23. 山地剥(さんちはく) -易経・六十四卦-
山地剥 上爻
「高い木に生っている大きな果実が食べられてしまうことはない。君子は人々に尊敬され大きな車に載せられる。邪悪な者は自分の住むところさえ失うことになる」
(以上引用終わり)

これに触発されて私も易占してみたが、私には霊感や霊能力がゼロであるのは何度も書いている。したがって、当たるも八卦当たらぬも八卦であるのはもちろんだ。

1:今年後半の日本の政治

山火賁初爻

面倒なので私の解釈だけ書くと、「菅政権は無意味な飾り事だけやるだろう。」しかし、初爻は「その足を飾る」だから、「少しは人民のためになることもする」といったところか。大きな政治的変革は無さそうだ。

2:今年後半の日本の庶民生活

火水未済6爻

これは卦辞の「小狐が川を渡り終わろうとしてその尾を濡らす。利するところ無し」の解釈が難しいが、「国民は全体としてはコロナ政治という災厄から脱することができるが、コロナ倒産や失業やワクチン被害などへの補償はゼロである」という解釈でどうだろうか。上九(6爻)は「飲酒に誠あり」という、酒飲みには素晴らしい卦で、これも「飲食店いじめは終わる」意味かと思う。まあ、「酒でも飲んで憂さ晴らしをするのもいいよ」ということだろう。


3:コロナ騒動の今後

地沢臨6爻

これは卦辞を書いておく。字句は少し変える。「臨は大いに通る。正しきに利あり。八月に至りて凶あり」。「八月」の解釈が難しいが、そのまま八月としておく。旧暦の八月とするのがいいか。この「臨」の卦が「蠱」の次に来る卦であることが大事かと思う。つまり、「蠱」が、皿の上にウジが湧いた、腐敗の極みを意味するわけで、それに対して「臨む」とは、解決の道が開ける、ということだと思う。だから「正しきに利あり」であるわけだ。(私としては「正しき」とは「反ワクチン派」「反DS派」「反新コロ詐欺派」だと思っている。)八月がコロナ災害のピークで、その後は新コロ問題は終焉に向かう、と解釈する。上六(6爻)は、「臨むに厚し(篤し)、吉にして咎なし」であるのが、この解釈の根拠である。つまり、今秋には解決に向かうだろう、という目出度い卦である。


4:世界の動き

雷天大壮2爻

これは庶民にはあまり関係ないが、卦辞は「大壮は正しきに利あり」という簡潔なもので、世界全体で「正しいもの」が邪悪や不正を追放する形勢が生まれ、邪悪なもの(ビル・ゲイツ一派、あるいはDS全体)が勢力を失うのではないか、という希望的観測をこの卦の解釈としておく。2爻は「正しければ吉なり」という、至極あっさりしたもので、正しい陣営にとって吉である運勢なら、もはや何も問題はないわけだ。









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論理の限界

「F爺」こと小島剛一氏のブログ記事の一部だが、あのひろゆきを論理で徹底的に叩きのめしたことで分かるように、物の考え方がマニアックなほど論理的であるようだ。私も屁理屈をこねるのが好きだが、さほど頭が緻密ではないので、論理を妄想的にこね回すだけである。
ただ、論理というのは、アナログの世界をデジタル的に切り取るような面があるので、すべてが論理世界の中に適合するわけではない。そういう限界の事例が、「日本人に茶髪が増えている」ことを論じた下の記事(引用はその一部で、読者の質問に答えたもの)にもあるようだ。F爺氏はそれを日本人の西洋コンプレックスだと見ているようで、私も基本的にはそれに同意だが、熊谷直実の故事にあるように、老人が若者に伍して戦うために(相手に舐められないために)白髪を黒髪に染める例もあるわけで、髪を染める理由もいろいろあり、西洋コンプレックスだけが理由ではない、ということだ。たとえば、単に茶髪のほうが軽快な感じがする、という審美的な理由でも、「西洋コンプレックス」のひとつとなるのだろうか。

>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。

違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。

という問答の中で、質問者もF爺氏も頭から抜けているのが、アニメという存在である。アニメでは、似たような顔の少女キャラがたくさん出るので、髪の色と髪型、特に髪の色で区別するのは普通である。つまり、若い娘が髪を染めるのに抵抗感が無いのは、西洋コンプレックスより、幼時から日常的にアニメを見て育ってきたこと、そして髪の色が黒色ではないことに違和感が無いことからだろう。これが、「論理の枠(西洋対日本という構図)から抜け落ちた事象に気づかないため、論理が成立しない」事例である。
ちなみに私は論理的でありたいとは思うが、論理とは説明手段にすぎない、とも思っていて、直覚的に正解を得る「悟り」には劣ると思っている。

(以下引用)

Re: コンプレックスについて

「hsn」さん

カタカナ語の「コンプレックス」は、精神分析の術語です。その中でも特に「謂れの無い劣等感」=「自分が劣等だと思ってしまうコンプレックス」のことを略して単に「コンプレックス」と言います。

「西洋コンプレックス」は、「非西洋人が西洋人に対して抱く抑圧した感情」です。「謂れの無い劣等感」「謂れの無い優越感」「理由の無い攻撃性」などを含みます。但し「西洋人の猿真似」などの侮蔑語と組み合わせて用いる場合は、「優越感」は含まないのが普通です。

戦争中、戦闘員は、相互に敵を蔑視するものです。そうでなければ戦えません。戦争終結後、敗戦国の人間は、戦勝国の人間に蔑視されるものです。そのことを「卑劣な差別意識」と形容するのは、妥当なことではありません。

娼婦を買う男は、娼婦を軽蔑しています。「軽蔑する」ことと「買春の相手として好むかどうか」とは別のことです。娼婦のほうも、街娼の場合、一目で娼婦だと判る服装や化粧をしなければ仕事になりません。

もっと冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿し直してください。

今回のコメントは、コンプレックスに満ちた表現の連続であるため、申し訳ありませんが、
非表示のままとします。

次の一節にだけ、反論しておきます。

>(・・・)この例では、西洋人の猿真似をする為ではなく、黒髪ばかりの日本において、単純に目立ちたいからというのがその根本的な動機です。

重大な疑問があります。「単純に目立」つ方法が他に何一つ無かったのでしょうか。結果的に「西洋人の猿真似」になってしまっているのですよ。

Re: 欧米人コンプレックスの現れでは無いとおもいます。

西村由紀子さん

ご投稿のコメントの一部だけ引用します。

>「あこがれ」ではあると思いますが、金色がいいとか茶色がいいとかではなく、黒髪に飽きたから茶色にしよう、とかほかの人と違う髪型にしたいから、とかの延長で、そうだ!外国はいろいろな髪色があるではないか!よしっ!という感じで、決してコンプレックスでは無いとおもいます。

黒髪に飽きた」という発想自体が、紛れも無い西洋コンプレックスです。

欧米人の髪の色に「あこがれ」ているのであれば、なおのこと、折り紙付きの欧米コンプレックスです。本人が自覚しているかどうかは、問題になりません。

>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。

違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。

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「世界に対する信仰と希望」

別ブログに書いたものだが、大事なことだと思うので、転載して少し補足する。

「わたしたちのもとに子供が生まれた」

という言葉は、その子供は世界から「わたしたち」に贈られたものだ、というニュアンスがある。「私たちは子供を作った」ではないのである。子供は世界から自分たちへのプレゼントだ、というこれは、文明人には無い思想だろう。むしろ、子供を邪魔者、自分たち夫婦が優雅な生活を送る上での障害物と思う親が多いのではないか。子供を世界からの贈与だと思わない親は、子供を自分たちが作ったと考える。そして、子供は自分たちの所有物だと思うだろう。
子供に限らない。
人間の自己愛は、他者を低く見る思想や心性と直結している。
我々は世界を「信仰」していない。「世界」を自分たちがどうにでも自由にできるものだと思っている。自己中心主義は他者への畏敬の念を失わせるのである。
我々は確かに世界を破壊できる。だから人類は世界に優越する存在だと思っている。
だが、我々は、自分の手で木の葉一枚作り出せないのである。何かの種を撒いて木が生えてきても、それは世界が生み出したのであって、あなたが生み出したのではない。
世界への畏敬の念が失われたことと、人類の品性の下落の間には相関関係があると思う。
今の世界は子供が生まれることが本当に喜びであるような世界だろうか。その子供がきっと幸福な人生を送れるだろうという「希望」を我々は持てるだろうか。

「信仰」というものは現代からほとんど失われた心性であるが、その本当の意義は、畏敬の対象を信仰することで、人間が優れた存在や未知の(不可知の)存在に対する謙譲な心を持つことにあるのではないか。人類による世界の破壊が加速したことと信仰の喪失は軌を一にしていると思う。無限の美と富に満ちたこの世界に生まれること自体は明らかに幸福なのであり、もしもそれが悲惨に満ちているなら、人類がその傲慢さから自ら作り出したものであるのは自明だろう。


我々は「世界に対する信仰と希望」を持っているか




小谷野敦の「退屈論」の解説(野崎歓)の中に、ハンナ・アーレントの次の言葉が引用されている。


(以下引用)

「わたしたちのもとに子どもが生まれた」という言葉こそは、世界に対する信仰と希望を告げる最高の表現である。      (「人間の条件」)

(引用終わり)

「世界に対する信仰」という言葉が素晴らしい。我々は今、世界に対する信仰と、そして希望を持っているだろうか。先進国のすべてで少子化が起こっていることは、人類の多くが世界に対する信仰と希望を失ったことを示しているのではないだろうか。

世界は、挑戦し改革し支配する対象ではなく、「信仰」すべきものかもしれない。なぜなら、それは無限の神秘に満ち、無限の美に満ち、あらゆる生き物に無限の恩恵を与える存在だからだ。

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吊り目ジェスチャーは親愛の表現?

我々も欧米人への親愛の表現として中指立てて「fuck!」と言うことにしようwww

(以下引用)

六月のバレーボール選手がタイ戦で吊り目した件。処分受けたチームの釈明ツイートにはなんと、私たちは「affectionate親しみを込めた」ジェスチャーだと思ってたんけど今回アジア人にはネガティブに解釈されるって理解しました、と書いてある。 抗議がなければこの認識はずっと続いてたわけですぬ。
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「空中の美少女」10



S10 米華劇場楽屋

・ホワイトボードの前に目暮警部、阿笠博士が立ち、その前に数人の人物(如月、水無月ほか)がいる。コナンと蘭は後ろの方にいる。

目暮警部「今日お集まりいただいたのは、米華デパート美少女遺体吊り下げ事件を解決するためです。この事件の謎を解いた阿笠博士にまずお話いただきます」
阿笠「最初に、この事件を混乱させたのは、気球に遺体を吊り下げるということに、合理的な意味が見いだせなかったことです。せいぜいが、誰かへの見せしめか、デパートの評判を落とすことくらいでしょう。そして、後者については、毛利小五郎氏の調査によって、その可能性は少ないことが分かりました。というのは、米華デパートのライバルであるケンジントンデパートは、今年中に店をたたむことが決定済みだということですから。
「さて、それでは、被害者の絢子さんはなぜ気球に吊るされねばならなかったのか。そもそも、ここにはどのような犯罪があったのか。
「確かに犯罪はありました。いや、未遂に終わった犯罪というべきでしょう。つまり、殺人は無かったということです。
「ここで思い出してほしいのは、遺体が見つかった日の前日、この米華町は大風が吹いていたということです。風は夜中すぎまで吹いていました。しかも、ほとんど同じ方向にです。」
阿笠博士、ホワイトボードに大きな地図を貼る。
阿笠「ご覧のとおり、ここが米華デパートです。そして気球の高さは、屋根の端からおよそ100メートル。さて、風が南から北に吹いて、気球をおよそ地上から30度の角度に傾けたらどうなるか。100コサイン30は、およそ85メートルとなります。さて、米華デパートの北85メートルの地点には何があるか。そう、米華城です。その天守閣のしゃちほこは金箔が貼られていることは有名です」
一同、驚いた顔になる。一人は驚くより、苦痛の表情になる。
阿笠「つまり、絢子さんは、あの強風の日に、気球に上り、命綱で体を縛った上で、米華城の上に下りてしゃちほこの金箔を盗もうとしたのです。いや、そうするように強制されたのです。
「しかし、それはあまりに無謀な試みでした。風の向きが突然変わった時、彼女の体は風にあおられ、天守閣の一部に激突したのです。彼女の遺体には頭部の打撲のほか、肩のあたりから背中にかけての打撲もありました。地面に倒れてできた打撲にしては激しすぎる打撲傷でした。
「そのまま、彼女の体は命綱にぶら下げられた状態のままでいたが、翌朝、風が止むと、気球は垂直にあがったため、彼女がどこで死んだのかが分からず、殺された後に吊り上げられたという錯覚を生んだのです」

如月「ならば、絢子が泥棒をしようとして、自分で勝手に事故死しただけだったんだ。これで事件は解決か。もう帰っていいかな」

目暮警部「お待ちください。彼女は犠牲者です。自ら望んで犯罪を行ったわけではありません。ここに録音されたものがあります」

(二人の人間の会話)
A男「じゃあ、如月さんの指示で絢子はあんなことをやったんだ」
B男「ああ、もともとサーカスで曲芸をやっていたから、身は軽いんで、そこを見込んだんだが、ドジをふみやがってな。運の無い女さ」
A男「で、借金の600万円はどうするんだよ」
B男「こういうこともあろうかと、俺を受取人にした生命保険に入らせていたんだ。俺にぞっこんだったんでな。まあ、それでなくても、危険なマジックもあるから、お互いを受取人にした上でアシスタントになるという約束だったんだ」
A男「安心した。これで、一座は無事だな」
B男「まあな」

幻影マジックショーのマネージャーの水無月が顔を青くして震えている。

目暮警部「声でもうお分かりですね。水無月さん、如月さん。お二人の声です」

如月「だが、こんなのは証拠にはならないはずだ。それに、あれは事故だったんだ」

目暮警部「日本の裁判では裁判官と検察が有罪と思えば有罪なんです。さあ、行きましょうか」

コナン「ひでえ話」

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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