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子供を心身とも健全に育てるのが親と教師の責任

私は、「体育」の目的は文字通り「体を育てる」つまり、健康な体を作るのが一番の目的だという考えだから、その授業内容も「運動能力の向上」ではなく、まして「競争」などさせる必要はない、と考えている。
だから、下の記事のような「女の子投げ」への軽蔑など、唾棄すべき思想だと思うが、問題は子供の体を健康に育てることが現代ではかなり軽視され、子供の健全な発達への親や教師の意識が低すぎることではないか。

幼児のころからファストフードに慣れ、家の食事よりコンビニ弁当のほうがまとも、という状態で、当然、飲み物も糖分や添加物満載の炭酸飲料などだろう。つまり、骨格そのものが脆くなっているのが、下の記事にあるような、子供の体育の授業での怪我の多発の原因かと思われる。もちろん、筋力も年齢相応に発達していないから、まともな運動(体の操縦)ができないわけだ。で、幼いころからテレビゲームやパソコンやスマホなど(発光体)を見て育つから、視力も低下する。
まあ、それでなくとも現代の若者は「結婚不可能」の貧困社会にいるのだから、子供の数もどんどん減少していくわけで、その数少ない子供は脆弱な肉体を持つことになるなら、まあ、このままだと日本は滅亡する、と言えるかもしれない。

WOKEという言葉は今のネット世界ではおそらく侮蔑語で、少し前の「意識高い系」に近いと思うが、現代の「勤労者世代(子育て世代)」こそ、まさに意識が眠り込んでいるのではないか。大昔の予言者ではないが、荒野で「目覚めよ」と呼ばわる者が必要だろう。

(以下引用)

「ボールをうまく投げられない小学生」急増の理由




「ボールをうまく投げられない小学生」急増の理由

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「クラスでボール投げをやらせると、男子でも8割くらいの子が“女の子投げ”をするのが普通です」…近年、ボールを正しく投げられない子どもたちが増えているという。ボール投げの飛距離も年々低下、いったい何が起きているのか? ジャーナリストの石井光太氏の新刊『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

《衝撃写真》どうやっても「女の子投げ」になってしまう男の子





◆◆◆

バンザイの姿勢をとれない

 学校生活では帰宅組と学童組だけでなく、運動能力の面でも運動ができる子とそうでない子の“分断”が顕著だという。


 先日、保護者向けの講演会で小学校を訪れた時、見慣れない光景に出くわした。校庭であるクラスが体育の授業でドッジボールをしていた。子どもたちの何人かが黒い防弾チョッキのようなものを上半身につけている。


 最初、私は運動能力の高い子たちが、加圧トレーニングでもしているのかと思った。だが、授業を見る限り、装着している子どもたちは、他の子と比べて体の線が細く、動作もぎこちない。そして真っ先に標的にされ、簡単にボールをぶつけられている。


 先生(関東、50代男性)は説明した。


「あれは、プロテクターなんです。今は運動能力が著しく低い子が結構いて、ボールを避けられず、胸に当たって事故につながることがあるんです。鎖骨や肋骨が折れるとか、最悪の場合は心臓が止まってしまう。なので、運動が苦手な子や、自分で怖いと思っている子には、プロテクターをつけさせているのです」


 最近の学校にはドッジボール用の軽量で柔らかなゴム製のボールが用意されている。病弱な子ならまだしも、健康な子がそのボールをぶつけられたからといって怪我をするとは思えないが、多少なりともその不安があるのだろう。


 子どもたちの体が弱くなったというのは、以前から指摘されてきたことだ。運動会でも、事故予防のために組体操や騎馬戦といった種目が次々と廃止されてきた。今回のインタビューでも、次のような子どもがいるとの指摘があった。


・100メートル走でカーブを走って回ることができずに転んでしまう子が続出する。また、転倒時に手を突いて身を守ることができないので顔面から倒れて大怪我をする。


・準備体操で両手を上げてバンザイの姿勢をとれない。肩甲骨が固まっているため。


・四つ這いになって雑巾がけをすることができない。体幹が弱いので、ちょっと前に進んだところでバタッと顔から倒れてしまう。


・両手両足を交互に使えない。行進の時に右足と右手を同時に前にだすとか、水泳の時にクロールがバタフライのようになる。


・キャッチボールをさせたところ、グローブをはめている手を動かさない。ボールの速度や距離を予測してキャッチすることができない。そのため、相手の投げたボールが顔や胸にまともに当たってしまう。


 何とも痛々しい光景だが、保育園、幼稚園では平らな床に座っていられない子が現れている。彼らが学校に上がれば、このような事態が起きても不思議ではない。


 先の先生は言う。


「20年くらい前までは、授業で怪我をするといっても、せいぜい捻挫や打撲で済んだものです。でも、最近はちょっと走って転んだだけで、前十字靭帯断裂とか、アキレス腱断裂とか、頭蓋骨骨折といった大怪我が起こるようになりました。普段から体を使っていない子が多いので深刻なものになりがちなのです」


 独立行政法人日本スポーツ振興センター「学校の管理下の災害─基本統計─」によれば、1‌97‌0年代と比べると、今の小中高生の学校における骨折率は2.4倍となっている。運動の機会が減っているにもかかわらず、骨折率が高まっているのは、運動能力が下がっていることの表れだと考えざるをえない。


 こうしたことは整形外科の分野でも注目されており、日本整形外科学会では「子どもロコモ(運動器症候群)」と呼んでいる。関心のある方は、NPO法人「全国ストップ・ザ・ロコモ協議会」のホームページで事例が紹介されているので見てほしい。

「女の子投げ」する男子たち

 今回、先生方から運動能力の低下を危惧する声があまりに多く寄せられたため、私は島根大学地域包括ケア教育研究センター講師の安部孝文氏にインタビューした。子どもの運動機能や体作りの研究者だ。


 安部氏によれば、子どもの運動能力を測る指標の一つが「ソフトボール投げ」だということだ。


 ボールを投げる動作は、全身を使って行う。しかも、日常ではやらないような動きが多い。そのため、運動能力の差が如実に表れるのだそうだ。


 図1を見てほしい(調査対象は小学5年生)。2010年くらいから飛距離が急落しているのがわかるだろう。因果関係は定かではないにせよ、子どもの間にスマホやタブレットが普及した時代と重なることは記しておきたい。



 似たようなことだと、子どもの視力の低下も著しい。小学生で視力1.0未満の子は、1986年には19.1%だったが、2022年には37.88%にまで上がっているのだ(「学校保健統計調査」)。眼鏡をかけている子どもが確かに町中でも増えている。これもまたデジタル機器の影響を疑わずにはいられない。



 先生(東海、30代女性)はこう話す。


「クラスでボール投げをやらせると、男子でも8割くらいの子が“女の子投げ”をするのが普通です。投げる時に飛び跳ねるとか、なぜか真横に投げることもあります。あとは、右腕と右足を同時に前に出して投げようとして倒れ込む子もいますね」


 女の子投げとは、肩の筋力が弱かったり、ステップを踏んで反動をつけることができなかったりして、砲丸投げのような投球フォームになることである。運動能力が均一に育っていないと、そのような投げ方になり、飛距離が出ないのだ。


運動能力の低下が叫ばれるのに「最高記録」だけは伸びているのはなぜ…? 子どものたちの運動能力の「二極化」が進んだ理由〉へ続く


(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))


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善悪二種類の「人間の条件」

イギリスによるインド支配の後、インド独立を機にインドはインドとパキスタンに分裂したが、その分割の理由はヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立にある、と(たぶん)理解されているかと思う。しかし、それまでは平和に共存していたこの二宗教が、国家分裂によって対立関係になった、という見方も可能だろう。
この前、市民図書館から借りた「夜の日記」という本の著者(インド人女性)後書きによると、

「インド各地の特定の場所で、ときおり紛争が起こります。けれども分割(夢人注:1947年)の前には、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、シク教徒、それにパールシー教徒、キリスト教徒、ジャイナ教徒などの少数派の宗教教団の人たちが、なかよく暮らしている地域もありました。国境をこえるときに緊張が大きく高まり、パキスタンに入国するイスラム教徒とインドに入国するヒンドゥー教徒やその他の宗教の人たちのあいだで戦闘や殺人が起こります。暴力が起こったのは、ほとんどがかつては平和だった場所です。千四百万をこえる人が国境をこえたと考えられていて、そのあいだに少なくとも百万人が死んだといわれています(もっと多いという人もいれば、少ないという人もいます)。」

下線部が少し分かりにくいかと思うが、パキスタンがイスラム教中心の国になる、という決定があって、インド内にいたイスラム教徒がパキスタンに移る際にもともとパキスタン所在地にいた他教徒との間で闘争が起こり、殺人が起こったということ、そしてヒンドゥー教中心となるインドに入ろうとした、パキスタン側の地にいたヒンドゥー教徒が、インド内の他教徒との闘争になったということかと思う。
まあ、いずれにしても、宗教というものが人をキチガイ(殺人鬼)にする例である。
なお、仏教がインド発祥でありながら、インドでまったく発展しなかったのが私には謎なのだが、誰かこれについて納得のいく説明をしてくれないものだろうか。
はっきり言って、ヒンドゥー教もイスラム教も私には愚劣な思想だと思われるのだが、たとえばイスラム教徒は世界に十六億人いるという。もはや、キリスト教を超える世界宗教と言っていいのではないか。イスラム教の何がそれほど魅力があるのだろうか。単に私のような一知半解の馬鹿には理解ができない深遠な宗教なのだろうか。それなら、その信者たちの殺し合いは立派な行為となるのだろうか。

この「夜の日記」の本文は未読だが、翻訳者の後書きに、こうある。

「どうやら人間は『自分(たち)ではないもの』との関係で自分を定義し、意味づけをせずにはいられない生き物のようです。ヒンドゥー教徒であるには、ヒンドゥー教徒でないものの存在が必要です。日本人であるためには日本人でないものの存在が必要です。男であるためには男でないものの存在が必要です。健常者であるためには健常者でないものの存在が必要です。さまざまな境界線を引いて「わたしたち」と「かれら」をわけ、ちがいを強調し、自分とちがうものを排除して、対立するのは、人間という生き物に深く組みこまれた条件なのかもしれません」

まあ、「人間の条件」とは、「非人間的な悪」に対する倫理的立場を示すのが普通だろうが、ここに書かれたのも、或いは(悲しむべき)「人間の条件」かもしれない。
そして、翻訳者山田文さんは、こう続ける。

「けれども、そうしたちがいを暴力につなげることなく、ちがいを抱えながらともに生きていくことができるのもまた人間ではないでしょうか。」







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貧困がまだのどかさと希望を持っていた時代

竹本泉のキャラ原案で、「あんみつ姫」をアニメ化するという話があるようなので、少し興味を持って調べてみた。竹本泉の漫画は少ししか読んだことないが、あの絵は好きなのである。作品の中の、どこか現実から浮遊した感じは吾妻ひでおに少し似ている気もする。
なお、「あんみつ姫」は、少女漫画雑誌掲載だったので、一度も原作漫画は読んでいないが、「あんみつ姫」というネーミングは素晴らしいな、と思っている。
ちなみに、上流階級のお嬢さんやお姫様が家やお城を抜け出して庶民生活を体験して社会を知るという話は、ラブコメの典型のひとつで、「ローマの休日」や「或る夜の出来事」などもそれである。まだ、上級国民への反感が少なかった時代の話だが。
つまり、「資本主義の極致」が、社会の階層化とその乗り越えの絶望性を思い知らせ、社会の上と下の相互が憎み、軽蔑することになったのだろう。まあ、少なくとも子供のころは、こういう「御伽噺」で人間性を豊かにするのはいいことだ。

(以下引用)キャラ設定とそれぞれのネーミングが素晴らしい。腰元五人組の「あんこ、かのこ、きなこ、しるこ、だんご」など最高である。人名ではないが、記事中の「おちゃっぴい」は、もはや死語だろうと思う。「おてんば」はかろうじて現役か。このふたつの言葉の意味や定義は辞書にも載っていないと思うし、私も明確には知らないが、私の印象では「マケイン」の杏奈がおちゃっぴいで、檸檬がおてんばか。どちらもある方向への生命力の横溢である。で、たまに暴走して周囲に迷惑をかけたりするwww

あんみつ姫

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あんみつ姫』(あんみつひめ)は、倉金章介による日本漫画作品。また、それをもとにした映画テレビドラマテレビアニメ作品、および同作品に登場する主人公の名前である。


漫画作品としては、1949年から1955年にかけて光文社少女』に連載された原作と、テレビアニメ化のタイアップとして1986年から1987年講談社なかよし』に掲載された竹本泉版がある。

概要

やんちゃでお転婆おちゃっぴい な「あんみつ姫」が、城の内外で騒動を巻き起こす時代劇コメディ。菓子類に因んだキャラクターの名前や、江戸時代を舞台にしていながら現代のものが混在し、発表当時の出来事や流行が作中に数多く登場するという特徴がある。


原作漫画が一旦連載終了した[注 1]1954年に、東宝系の東京映画雪村いづみ主演の映画が2本作られ、以降何度も映像化されている。1958年にはKRT(ラジオ東京テレビ、現在のTBSテレビ)にて、中原美紗緒主演で連続ドラマ化。1960年のドラマ放送終了後には、松竹で再び映画化され、鰐淵晴子が主演した[1][2]


原作者の没後に作られた映像化作品は、全てフジテレビ系列で放送されている。1983年には小泉今日子主演で『月曜ドラマランド』にて再度ドラマ化された[注 2]1986年にはスタジオぴえろ製作のテレビアニメ作品として放送。小山茉美があんみつ姫の声を演じたほか、当時の人気アイドルグループであるおニャン子クラブが主題歌を務めた。このアニメ版をもとにしてセガ・マークIII用ソフトとしてテレビゲーム化もされている。また、1986年から1987年まで、関西電力CMのキャラクターに起用された。


その後も、1995年に第32回『新春かくし芸大会』で内田有紀が演じ、2008年には井上真央主演でドラマ化された。

登場人物

原作に登場するキャラクター

あんみつ姫
本作の主人公。きれいな着物を着たあまから城のお姫さま。長いまつげが特徴。器量よしで優しく朗らかな性格だが、おちゃっぴいなうえに大変なおてんば。好奇心旺盛で、城を抜け出すなど、無邪気で自由奔放な行動で腰元や周囲の者たちを困らせているが、皆から愛されている。勉強、料理、裁縫は苦手。
カステラ夫人
アメリカから来たあんみつ姫の家庭教師で、「カステラ先生」と呼ばれている。天狗のように長い鼻を持つ。多才な人物で、英語やアメリカ文化の他にも、遊びや様々なことを姫に教え、経験させた。城へ来て間もない頃は、風俗習慣の違いからたびたび珍事を引き起こしたが、次第にあまから城に馴染み、日本語も上達していった。運動神経がよく、人並み外れた腕力を持つ。連載当時に皇太子の英語教師であった「ヴァイニング夫人」をヒントにしたキャラクター[3]
まんじゅう
茶坊主。姓は甘井。元気でとんちのある利口な少年。弟のしお豆と共にあんみつ姫の遊び相手になることが多い。母を病気で亡くしており、あまから城へ来る前は、父親のラーメン屋台を手伝いながら、赤ん坊だった弟を背負って学校に通っていた。誘拐された姫を救った功によって茶坊主となり、以降もたびたび姫の危機を救っている。城下町の甘辛町に一人で暮らしている父親に、仕送りをしている[4]
しお豆
まんじゅうの弟。見習い茶坊主をしている。まだ幼く、わがままを言ったり、無茶をして周りを振り回すこともあるが、稀に兄に負けない活躍を見せる。まんじゅう、しお豆は、倉金章介の息子がモデルになっている[3]
あわのだんごの守
あんみつ姫の父で、あまから城の城主。姫からは「パパ」と呼ばれている。呑気な性格の反面、恥ずかしがり屋であがり性。口髭が薄いことを気にしている。一人娘の姫に甘い。大変な発明狂という一面も持っている[5][6]
しぶ茶の方
あんみつ姫の母。姫からは「ママ」と呼ばれている。生真面目な性格で、姫曰く「賢夫人」。姫や殿の行儀作法に厳しいが、おだてに乗りやすい。
甘ぐりの助
小姓の少年。まじめでやや要領が悪いところがある。剣術ができるが活躍の場は多くない。
せんべい
。しょっぱい顔をしているが、気は優しくて力持ちな城の門番。
腰元たち
皆同じような容姿に描かれており、読者からは見分けがつかない。城を抜け出したあんみつ姫の身代わりをさせられた「きなこ」の他に、「あんこ、しるこ、かのこ、だんご」がおり、腰元五人組を名乗っている。この他にも、腰元募集で採用された「もなか」、「ざらめ」など、数多くの腰元が存在する[7]
おはぎの局
腰元たちを束ねるお局独身

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シンジローを筆頭に、これからはポエマーの時代だ!! www

ちなみに、「ポエマー」は侮蔑語で、詩人は正しくはポエト(poet:発音は「ポウアット」に近いか)と言う。


(以下引用)

【速報】万博の浮遊石(総重量90t)の休憩所プロデューサー、謎のポエムで勝利宣言wwwwwwww

100




4
なにいってだこいつ
6
淡々と安全性について述べれば終わる話
7
なんかの小説の一文?
8
緻密で勇敢な検証ってなんやねん
同じ規模感で実施検証済なんか?
10
新しいものには誰もが不安を覚えるものだからといって
不安を与えればそれは新しいということにはならない
13
その新しいものが石を吊るした休憩所ですか
14
休憩できない休憩室作る意味がわからん
24
>>15
これは誰が見ても場所的にも実験やしな~
26
>>15
こういうのってカラビナみたいな外れ防止が無いといかんのやないの
57
>>15
垂れてるワイヤーで固定するんやろ
119
>>15
危なすぎる

現場ねこでもこんなことやらないだろ
137
>>15
現代のダモクレスの剣やん
190
>>15
下に固定用のワイヤー垂れとるやん
施行中の写真に文句言ってどうするんや
21
上が馬鹿だとどうしようもないな
新札のクソデザインを止められなかったのと同じなんだろうな
誰かが正しくNOと言える奴がいれば認可されなかっただろうに
34
いやなんで利便性求めた技術の進化による天井と芸術家気取りのアホが自己満足でやっただけの利便性無視したものを同列に語ってるねん
38
ジェットコースターは安全性が担保されてるからこそ楽しめるんだぞ
と思ったがそんなコンセプトもなく至って大真面目に休憩所作ってるだけなのかよ
43
大日本帝国魂が残ってて感動したわ
45
設計者が息子で施工者が父親っていう
112
>>45
この万博を象徴してるな
47
コレ現代アート以外の何者でもないよな
51
安心できる場所だから休憩所なんじゃないの?





54
どう考えてもパリと東京の奇抜な開会式に感化されてるとしか思えない
58
いざとなったらカラーコーンとバーで仕切って立ち入り禁止にすればええんや
取り敢えず造っとけ
59
>>58
その場合どこで休憩するんや
60
擁護してる建築界隈がオリンピックエンブレムの時のデザイン界隈を彷彿とさせる
上級がスクラム組んで馴れ合ってるだけわーくにはどこまでもこんなんばっかやな
62
>>60
設計者が多摩美非常勤講師とかもうね…
66
>>60
もう終わりだよこの国
68
これで2億www
93
>>68
ファッ!?
そんなするんか
103
>>93
本当は4億やぞ
息子が設計したのを親の会社が落札
普通の会社なら引き受けんような施行やからな
162
>>103
こう言う特殊な構造物作る時は業者の見積を参考に積算するから見積業者が落札しやすいんよな
まあ入札したのは1社らしいが
84
雨降ったらこの下にいる方が余計に濡れるやろコレ
石で雨集めて雨垂れデカくなるだろうし
85
責任の問われない殺人の実験定期

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右も左も馬鹿と下種ばかり

不確かな推測でしかないが、文中のM氏が「共産党党首公選論」みたいな本を出したあの人物なら、ここで書かれている組織は日本共産党かと思われる。つまり、紙屋高雪氏は日本共産党から追放されたのだろうか。
その推測が正しいとしたら、日本共産党は、幹部に頭脳が化石化した老廃物しかいない政党になっている、と思うしかない。自浄能力の無さで、自民党と双璧である。
なお、所属議員の誠実さ、真面目さという点では私はれいわ新選組と日本共産党を双璧だと思って高く評価しているのである。

松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』
日本共産党は党首公選をやってはどうかということが話題になっ


(以下引用)


 それでも近いうちに実家に帰ってちゃんと説明しようとは思ったが、その前に手紙を書いて出した。


 その手紙の中でぼくは経過を次のように書いた。


 去年の2月に、「組織内選挙でトップを選ぶべきだ」と主張する本を出したMさんが、組織トップの逆鱗に触れ、組織を追放されました。


 その直後に私は「Mさんの追放のやり方はおかしい」と組織の会議で意見を述べたために、同じく組織幹部の怒りを買い、「紙屋はルール違反をした」とありもしない罪を着せられ、「お前はMの仲間だろう」「Mと連絡を取ったのか」「本心ではMをどう思っているのか」などと厳しい尋問を受け、「反省文を書け」「謝れ」となんども迫られました。


 私は頑として拒否しました。まったく身に覚えがないからです。


 組織幹部は私を有罪にする証拠がなにも無いので困り果ててしまい、私のアラを探すためになんと1年半もかけて「調査」をしました。私が組織内で知り合った若い人たち数名と温泉に遊びに言ったことまで調べ上げて、その若い人たちを呼び出して「紙屋と温泉に行っただろう。何を話し合ったか洗いざらい言え」というひどいプライバシー侵害までやる有様でした。


 もちろん何も出てきません。1年半かけて「証拠」が全く出てこないのです。当然です。「ルール違反」になるようなことは、何もしていないのですから。そこで私を事あるごとにいじめて追い出そうとしました(いわゆるパワハラです)。


 しかし、それでも私が屈せず、まじめに仕事をしていたため、とうとうろくな証拠がないままに組織幹部は私を追放・解雇することにしたのです。


 私にはすでに応援してくれる人や弁護士の方々がついており、まだわかりませんが、おそらく裁判になると思います。組織の内外で私の追放を「おかしい」という人が、たくさんいるのです。 


 組織幹部の不正をきちんとただし、まだまだ世の中にとって意義が大きいこの組織を、私はしっかりメンテナンスしたいと思っています。


 以上の話は、誰にしていただいても差し支えありません。


 私が組織幹部の不正を見逃さず、長いものに巻かれないで信念をつらぬいた結果ですので、誰にも恥じるところはありません。むしろ誇りに思ってください。


 話が後になって本当に申し訳なかったのですが、心配をかけまいと思ってのことですので、どうぞご勘弁ください。





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中学校までの数学の基礎知識で解ける高校入試数学問題

前に書いた、架空の高校の数学の入試問題を寝起きの頭で、寝床の中で考えていたが、第一問は、とある小学校の算数の問題を参考にした。第一問(1)は、たぶん暗算で出せると思う。試験時間は50分である。第二問(2)までは数分で解けると思うし、山勘も通用するが、第二問(3)は、いわば「受験者に差をつける」ための問題で、解答欄は大きい。(解答方法自体は単純で、3以上の素数で割れるかどうかをすべて挙げて確認していくだけだ。5の倍数は1の位を見るだけでいい。)勘の良さも才能だから、全体的には勘だけで合格点は取れるような問題だ。もっとも、実力で合格するのは、素数という概念を中学で教えているという前提だ。


第一問(1)一辺が10㎝の立方体に内接する球の体積を求めよ。ただし円周率πはπ=3として答えは数字で出せ。
(2)上記の立方体から上記の球体を除いた部分の体積に近似するのはア:500 イ:400 ウ:350 エ:300 オ:250のどれか、記号で答えよ。

第二問(1)484121はア:素数である イ:素数でないのどちらか、記号で答えよ。
(2)484363はア:素数である イ:素数でないのどちらか、記号で答えよ
(3)7654321が素数であるか、または素数でないことを証明せよ。

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戦争とは略奪の象徴である

「縄文時代=狩猟・漁労生活=財産の蓄積がない=貧富の差がない=戦う理由がない=平和な社会がずっと続く」

財産の蓄積が闘争の原因。それが資本主義社会が戦争と搾取の連続になる理由

(以下引用)




2024年08月28日 12:01

1: それでも動く名無し 警備員[Lv.5] 2024/08/28(水) 01:49:25.59 ID:Z74Ih6Xp0
一万年間ほぼ何も進化せず
のんびり過ごしてた模様
no title

no title

no title
2: それでも動く名無し 警備員[Lv.8][新芽] 2024/08/28(水) 01:50:44.56 ID:ejult/Mf0
実際には縄文中期頃には稲作始めてた事がわかっている
3: それでも動く名無し 警備員[Lv.20] 2024/08/28(水) 01:52:22.43 ID:EFc0p1Lx0
これもう極楽浄土やろ

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酔生夢人
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男性
職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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