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気の赴くままにつれづれと。
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とにかく出る杭を叩く、人の粗探しをして嘲笑するって笑い。 ありとあらゆることに"ツッコミ"を入れて人を萎縮させる笑い。
2ch的な冷笑思想の下地はダウンタウン(松本)だわ ネット黎明期はバブル世代の楽園でバブル期には松本信者がうじゃうじゃ居た その思想が2chを飛び出してTwitterにまで広がりリアルに...
ひろゆきってダウンタウンチルドレンとも言えるな 輪をかけた冷笑系だし
多くの人がコミュニケーションとしてお笑い芸人メソッド取るようになったと思うからあながち間違いじゃないと思う
ダウンタウン以降、けっこう軽々しく「殺すぞ」言うやつ増えたよな
まぁなんだかんだでケンモメンやなんJ民やツイッタラーとかってダウンタウンチルドレンみたいなもんだもんな 赤ん坊や若い学生が死んだら嘲笑ったり、障碍者や女叩きしたり、 とに...
事前に話合わせてたとか、後で謝罪してたとか言われるけど 浜田がツッコミ入れる時に頭叩くの子供の頃から好きになれなかったな たまに変な空気になってたし、泣いてた女の子いたろ...
でもアンタも視てましたよね喜んで(笑)
悪露的っていうか実際にそいつらのために割を食ってるからね。最近は子育てのために社会保障値上がりしたり。それで大人しく金奪われたまま引き下がると思ったら大間違いやと思う...
口下手で人見知りだけど真面目にコツコツ努力してる人よりそれを小バカにして周囲を笑わせた奴の方が社会的地位が上みたいな空気が90年代ぐらいから出来てしまったのは確実にある。...
それはもうずっと昔から。日本だけじゃないしむしろ欧米の方がマッチョ志向は強い 昭和前半生まれの真面目で優等生タイプの父が「学校でいじめられたから学校は嫌いだ」と言ってい...
“いじり”(一方的な可愛がり)といういじめが露骨に流行り出してんだよな いじりで絡まれた方はヘラヘラ愛想笑いしてなきゃいけない圧みたいものも存在した そこで嫌だと言えば空...
吉本の隆盛と大阪の衰退は時期的に重なる 吉本の東京進出と日本の衰退も重なる やっぱりちゃらけた雰囲気が世の中支配すると終わるな
なぜ「お笑い」は右へ行くのか、という問いかけを見たので、ぼんやり考えたことを書く。
第一に出てきやすいのが吉本が自民党とべったりだからだ、みたいな話だろうし、それもまた事実であろうが、他の部分について考える。
https://twitter.com/pom_pom_pee/status/1644146090361638912
■左の行儀の良さについて
左はお行儀が良すぎるのが大きいと思う。
この左のお行儀の良さが、日本特有なのか、現代日本特有なのかは知らないが、少なくとも私の見える範囲だと左はお行儀が良すぎる。
何かを笑う、面白可笑しくする、茶化す、というのは基本的にお行儀が悪く、ガラが悪く、治安が悪い娯楽だ。
それが、左のお行儀の良さと相性が悪い。
安倍バッシングなど左が右を非難する時はめちゃくちゃ口も行儀も悪いだろ、という指摘が来るだろうが、あれは特殊な状況である。
それに根本に正義感があるゆえの(当人たちにとっては)正義の鉄槌としての行儀の悪さであり、差別反対とか人権運動とかSDGs推進とかやってる時と同じ、真顔なのである。
左ももっと普段から、行儀が悪く、人間の欲望や悪徳や愚かさを愛し、世直しや啓蒙をしようという態度を止めれば、左派的なお笑いも人気になる……というか、笑いを好む層が左派を嫌わなくなるだろう。
つまり、たぬかなも、おねロリキメセク天皇も、レズ結婚エイプリルも、左派は肯定するべきだったのだ。
「日本は自民党が強いために、大衆は右寄りであるし、しかも右傾化は世界的に進んでいる」みたいなことがよく言われる。そして「右がこれだけ強いのだから、反体制や反権力のはずの左が権力を持つようにになったということはない」と続く。
しかし、「価値観をアップデート」「現代の倫理観ではいかがなものか」みたいな左派的な主張の通りがどんどん良くなっているのも事実だ。
先日ツイッターで「右寄りの人はなぜ、自分は保守じゃないけどとか言うんだろうねえ、右寄りなことに後ろめたさがあるんだねえ」という左派の発言を見たが、これは左派が喜ぶべきことではなく、右寄りの意見を持つ人間が勝手に後ろめたさを覚えてしまう程度に左が権力を持っている証左であろう。
つまり、政局や国政選挙の面では右が強く権力者だろうが、文化や価値観や道徳の面では左派が強くなっており権力者側である。
そして、お笑いというのは、政治も笑いのネタにするとはいえ基本的には文化や価値観分野での反抗的快楽であるため、政治では弱いが文化では権力を持っていて説教してくる左とは相性が悪いのだ。
老子は先秦時代の学者とされるが、その経歴については不明な点が多く、その思想を記した書である『老子道徳経』の成立時期もさまざまな説がある[9]。道教は中国古来の宗教的な諸観念をもとに長い期間を経て醸成されたもので、一人の教祖によって始められたものではないから、老子が道教の教祖であるとはいえない[9]。
しかし、『老子』に説かれる「道」の概念が道教思想の根本であることは確かである[9]。道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」について説明がなされるのが通例である[9]。
『老子』の冒頭には以下のようにある[10]。
道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。— 『老子』第一章
『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける[10]。「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している[11]。
『老子』に見られる「道」「徳」「柔」「無為」といった思想は、20世紀後半に発掘された馬王堆帛書や郭店楚簡から推測すると、戦国時代後期には知られていたと考えられる[12]。「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、やがて老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった[13]。一方、『老子道徳経』の政治思想は、古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えた黄老思想が成立した。前漢時代まで大きく広まり実際の政治にも影響を与えたが[14]、武帝が儒教を国教とすると民間に深く浸透するようになった。その過程で老荘思想的原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まっていった。そして老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった[15]。
道教においては、不老長生を得て「道」と合一することを理想とするが、その際には精神的な悟脱だけを問題とするのではなく、身体的な側面も極めて重視する[16]。そのため、形而上の「道」の具体的な発現である「気」もクローズアップされるようになった[16]。
健康で長生きしたいという人々の共通の願いが、永遠の生命を得るという超現実的なところまでふくらませたものが神仙という観念であり、道教では理念的には神仙になることを最終目標としている[17]。神仙は、東の海の遠くにある蓬萊山や西の果てにある崑崙山に棲み、不老不死などの能力を持っている[18]。また、戦国時代から漢代にかけては、神仙は羽の生えた人としてイメージされることが多く[17]、神仙は天へと飛翔する存在とされる[19]。神仙は、『荘子』においては「真人」「神人」「至人」などとも呼称される[20]。
神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた[21]。仙人になるための修行理論や方法は葛洪の『抱朴子』に整理されている[22]。葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げる。葛洪が特に重視するのは「還丹」(硫化水素からなる鉱物を熟して作ったもの)と「金液」(金を液状にしたもの)の服用である[23]。このように、金石草木を調合して不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ[24]。葛洪は、神仙になる方法を知りながらも経済的理由で必要な金属や鉱物を入手できないため実践に至らないとも述べている[25]。
実際には、水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、唐代には丹薬の服用による中毒で死に至った皇帝が何人も出た[26]。煉丹術の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて外科の薬物として用いられている[27]。
宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった[26]。
内丹とは、人間の肉体そのものを一つの反応釜とし、体内の「気」を薬材とみなして、丹薬を体内に作り出そうとするもので、それによって不老長生が実現するとされた瞑想法・身体技法である[28]。呼吸法には「吐故納新」、瞑想法には五臓を意識して行う「化色五倉の術」、ほかに禹の歩みを真似て様々な効用を求めた「禹歩」などがある[29]。また、道教においては身体と精神は密接につながっていると考えられるため、感情を調和のとれた穏やかな状態に保つ精神的な修養も不老不死のために必要であるとされた[28]。
唐代までは外丹が盛んであったが、宋代以後には不老長生法の主流は内丹に移り、『周易参同契』と張伯端の『悟真篇』が内丹の根本経典とされた[30]。『悟真篇』の内丹法は、「金丹」を体内で練成する段階と、それを体内に巡らせる「金液還丹」の段階に分かれている。前者の段階は、腎臓の部位に感じられる陽気の「真陽」と、心臓の部位に感じられる陰気の「真陰」を交合させると、丹田に金丹が生じるというもの。後者の段階は、体内の金丹を育成し、身体の精気を金液に変化させる。この時、金液は督脈と任脈のルートに沿って体内を還流し、十ヶ月続けると神仙になる[30]。ただし、これと同時に心性・精神の修養も必要であるとされ、これは「性命兼修」また「性命双修」と呼ばれのちの全真教で重視された[30]。
8月に著名人が生活困窮者を差別し、後に「頑張ってる人もいる」と謝罪しました。貧困と「努力」とが結びつけて語られることで、何が起きているのでしょうか。(聞き手 編集委員・塩倉裕、田中聡子)
努力は必ず報われるとは限らない。その事実をみんな実はよく知っています。では、報われるかどうかを努力と結びつけて考える傾向はどこから来たのでしょう。歴史学の研究成果では、江戸期に発生した「通俗道徳」が参考になると思います。故・安丸良夫氏が主張した学説です。
通俗道徳とは「人が人生で失敗したり貧困に陥ったりするのは、その人の努力が足りないからだ」とする考え方です。江戸時代の後期に生まれたものとされます。大事にされたのは、勤勉に働くことや倹約をすることでした。
努力する人が報われる社会が大事だとされる今の状況は、「通俗道徳のわな」にはまった状態に見えます。
江戸後期は、様々な商品が売…
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