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漫才「4分30秒」台本

聾啞者、もしくは唖者、もしくは健常者の漫才師が舞台に出てきて、4分30秒の間、何か漫才をしている仕草や表情をする。音声は、その表情や仕草に合わせた「聴衆の笑い声」だけである。
観客は、演者のその表情や仕草や効果音の笑い声によって、それがいかに捧腹絶倒の漫才であるか、「想像しなければならない」。これは観客自身の知性と教養とユーモア感覚が試される漫才(ww)なのである。

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新コロワクチンと老化

「大摩邇」から転載。生チョコぽん酢さんの記事である。
新コロワクチンで免疫力がかなり低下するというのは前から言われていて、下の記事の「老化」もそのためではないか。まあ、免疫力だけの話ではなく、血栓やら何やらが体内にできたりして死に至ることもあるのだから、老化で済めばまだ幸いなのかもしれないが、容姿が飯のタネである商売の人間には死活問題だろう。もちろん、素人でも若くして容姿が老化して嬉しいはずはない。で、新コロが5類になってもまだワクチンを打つ馬鹿がどれくらいいるのか、見ものである。

(以下引用)


さて、ここからは話題が変わって、昨日の記事で書いた施設相談員の若い女性。


 

 


この方は、その施設に就職された時から知っています。

とても可愛らしい女性で、健康的で、魅力のある子だなーと思っていました。

しかし昨日会ってみると・・・

もはや別人なのです。

別人は言い過ぎかもしれませんが、昔の面影があるものの、全然違うのですよ。


何が違うのか具体的に感じたことを書き並べてみると。

髪の毛の艶がなく、髪の毛の量が少し減っているか髪にこしが無くなっているのかわかりませんが、頭部に何かが足りない。

髪質もゴワゴワした感じです。

色白だった肌色は、黄疸とまでは言いませんが黄色っぽく見えました。

目にも光がなく違和感があります。

元々の健康的な姿・雰囲気を知っているだけに、

勿体ない

の一言でした。

若さや美しさって、本当に掛け替えのないものなのに。


 


貴女の代わりに私が悲しいです。


 



そういえば、先週2/8のヤフーニュースにこんな記事がありました。


 

 


SNSでマドンナが別人になっているというコメントが話題になっている件について、ひらたくいえば「いくら有名人だからって老化に対してとやかく言う権利はない」みたいなニュースなのですけどね。

確かにSNSの一部の人は、女性軽視とか、有名人叩きみたいな気持ちでそのようなコメントをしているのでしょうが、その一方で・・・。

私はマドンナさんのことは元々知らないので、マドンナさんの話はここまでにしますが、このブログで以前から言ってきたように、ワクチン禍以降歳をとり過ぎなんですよ。

玉手箱かよってくらい。

私は仕事やプライベートを通して、身近で急激に老け込む人をたくさん見ました。

身近じゃなくてもユーチューバーや有名人も同様です。

例えば私が大ファンだった釣りガールの女性がいます。

本当に容姿端麗で、年齢も近くて共感できる部分も多く、見ているだけで癒される天使のような存在だったのですが・・・

ワクチン禍以降「え?誰?」みたいなことがありました。

流石にもう目が慣れたので別人とまでは言いませんが。


他にも、私と同じ歳のアイドル?歌手?タレント?さんがいました。

昔からちょー大好きで、時々その方のアメブロを見ては「いくつになっても美人だなぁ」と思っていましたが。

ポンコツワクチン接種後に突然救急搬送されたニュースが出てきてソワソワしたものです。

そしてその後は・・・別人とまでは言いませんが。

10〜20歳くらいは老けたなと。

美を売りにしている女性有名人に対して失礼の極みではあるのですが、これが長年の隠れファンからの率直な感想でした。


 



自分だって歳をとっているし、誰だって歳をとる。

でもそういうことじゃないのです・・・。

この感覚を世の中の人と共有できるようになるまでには、相当時間がかかるのでしょうが、何となくでも身近で明らかに歳をとった人っていませんか?

あれもポンコツワクチンの影響なのでしょうかね。

それとも平常ではない社会が長く続くことで心労から老け込んだのか。

何にしても、単純な自然現象の老化には見えません。


 


病気になれば治れば終わりですが、老化って治るものでもないだろうし。


 


本当に勿体ないと思います。


 


 


おわり

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唱歌の世界は古典への入り口

たまたま日本の唱歌を聞いていて、「ペチカ」の中の「くりやくりやと」の意味が分からず、調べて次の文章に行き当たった。なかなか素晴らしい考証で、多くの人に読ませたい文章だ。
なお「今に柳も もえましょ ペチカ」は、私は昔古文を教えていたので「燃える」ではなく「萌える」の意味だと即座に分かったが、現代の若者も、アニメキャラに「萌え」たりするから理解できるかもしれない。ただ、若草や木々が「萌え出づる」という言葉はもはや死語だろうか。唱歌の中にはよく出て来る表現である。ほかに、「かげ」には「光」の意味もあること、「匂い」は「色が美しいこと」の意味もあることは覚えておいたほうがいい。
小学校の音楽の授業から唱歌が追放されたことで、日本人は古文や古語との初歩的な接点を失い、その読解能力が大きく低下したと思う。それは、明治文語文も読めなくなったということだ。そのうち鴎外も漱石も露伴も読めなくなるだろう。精神の世界では、昔の人も我々の同時代人なのだが。
まあ、たとえば「仰げば尊し」の歌詞を全部理解できる人がどれくらいいるだろうか。1割もいないとしたら、今の時代、誰も教師を仰いで尊ばないのは当然だろうww


(以下引用)

「ペチカ」について

2021/12/02

吉海直人(日本語日本文学科特任教授)


 


ロシアのことはよく知らないのに、何故かロシア民謡は大好きという人が多いようです。私もその一人ですが、10代の頃「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」「一週間」「小さいぐみの木」などを好んで歌いました。短調のどこかしら悲しい調べが、日本人の心にマッチしているのでしょうか。


そういった中に、実はロシア民謡ではないにもかかわらず、堂々とロシア民謡として歌われている奇妙な曲があります。その代表が「ペチカ」でした。この歌は北原白秋と山田耕筰のゴールデンコンビによって作られた童謡です。みなさんが小さい頃から愛唱している「からたちの花」「この道」「砂山」「待ちぼうけ」「あわて床屋」「鐘が鳴ります」もこの二人の合作でした。


今回はやや内容の異なる「ペチカ」について見ていきましょう。私が「やや内容の異なる」といったのは、そもそも「ペチカ」が日本のものではないからです。御承知のように、「ペチカ」はロシアでよく使われている暖炉の名称です。ですから作詞作曲の二人にとっても、決して馴染みのあるものではありませんでした。だからといって、わざわざロシア(旧ソ連)に出向いて見学したわけでもなさそうです。


内容は限りなくロシア風でありながら、その実これは満州の冬を念頭において作られたものでした。というのも、大正13年に刊行されている『満州唱歌集』にこの歌が収録されているからです。南満州教育会から満州に適した日本の童謡を依頼された二人は、わざわざ満州に赴いて、そこで日本から移民した人のためにこの曲を作ったというわけです。


もちろん満州の冬も厳しいので、雪の降る寒い夜に外へ出ることなどできません。暖炉の前に集まって長い夜を過ごします(一家団欒)。ぱちぱちと燃える火は、何かを語っているように聞こえるかもしれません。だから「ペチカ」に向かって「お話しましょ」と呼びかけているのです。なお山田耕筰はこの「ペチカ」に注を付けており、「ペチカ」ではなくロシア語風に「ペイチカ」と発音するようにと指示しています。


二番の歌詞に「くりやくりやと呼びますペチカ」とありますが、若い頃の私は意味がわかりませんでした。「くりや(厨)」は台所のことだという人もいました。また栗の皮を燃料として燃やすと解釈した人もいました。後で調べてみると、これは当時満州で名物とされていた「焼き栗売り」の売り言葉だとあったので、それでようやく納得しました。物売りの「竹や、さお竹」と一緒で、「栗はいかが」という掛け声だったのです。そうなるとますますロシア民謡からは遠ざかりますね。


三番の「いまにやなぎももえましょペチカ」も大間違いをしていました。もうすぐしたら燃えにくい柳(楊)の枝にも火がついて燃えるだろうと思っていたのです。よく考えると、その前に「じき春来ます」とあるのですから、これはもうすぐ春になると、柳の芽が萌え出すということだったのです。中国ではそれが春の訪れを告げるしるしだったのです。これも明らかにロシアの風習とは違っています。


もちろん満州の冬は、そんなに楽しいはずもありません。だからこそ歌によって少しでも厳しい冬を楽しく乗り越えようという、そんな思いが込められていたのです。ただし第二次世界大戦の敗戦によって満州は異国になり、もはやペチカが歌われることも少なくなりました。ところがそれから20年後の昭和40年12月、この曲がNHKのみんなの歌に登場して大ヒットしたのです。「ペチカ」も満州のことも知らない若い人たちは、この歌を異国情緒溢れるロシア民謡と勘違いしたからでした。


ところでこの「ペチカ」に、もう一つの「ペチカ」があることをご存知ですか。実は今川節という作曲家が、18歳の時に曲をつけていました。白秋など「私は今川君のペチカの方が好きだ」と語っています。山田耕筰にしても今川の才能を見込み、古関裕而と同じようにいろいろ援助したそうです。しかし惜しいことに、今川は結核が悪化して昭和9年に25歳の若さで亡くなってしまいました。残念ですね。


その年、彼の作曲した「ペチカ」は、東海林太郎が「ペチカ燃えろよ」というタイトルでレコーデイングしています。複合七拍子という珍しい曲ですから、是非一度聞いてみてください。


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マクダオナルドがいち早くゴキブリバーガー発売かww

まあ、これくらいで騒いでいては昆虫食時代に対応できないよwww
ゴキブリとコオロギを差別してはポリコレにも反するだろうしwww
なお、「マクダオナルド」は誤記だが、スラップ訴訟対策に、そのままにしておく。


(以下引用)

マックのバーガーに「ゴキブリの死骸」写真拡散 YouTuberが混入訴え...本社で現物調査へ


配信

J-CASTニュース

マクドナルド(写真:森田直樹/アフロ)



地元の保健所に届け出るとともに、本社でも現物調査へ


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恋愛や結婚に必要なのは相互の理解か誤解か

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、小説を何百冊読むより人間が、特に女性というもの(もちろん、自分はこれとはまったく違うと主張する女性もいるだろうが)が分かる。これほど赤裸々に自分を語れるのは凄い才能だと思う。で、書いてあることは出来事も感情もすべて本物と言うか事実だと思う。
恋愛は男には片手間仕事だが、女には人生そのもののようだ。
ついでに言えば、「理解のある彼君に振られた」のは、相手が完全にこの人を「理解した」からだと思うwww

どうでもいいが、この投稿者の通った大学は関西の大学のようだ。
(以下引用)


(以下引用)

2023-02-13

続・理解のある彼君に振られた。

お久しぶり匿名はてな2021年10月6日投稿してからあれきりだった。(https://anond.hatelabo.jp/20211006231636)久しぶりに見に行くとコメントが多少増えていたので、それへのリプライも含めて久しぶりに長文を書くことにした。この件以来躁鬱病が酷くなり文章もかなり下手になってしまったが、読んでくれる人が少しでもいたら嬉しいと思う。


まずはおさらいだが、発達障害精神疾患持ちの私が大学1回生の夏に当時の彼氏に振られたというのがことの始まり。ちなみにここから私は精神疾患が更に酷くなってしまい、今は当時の約1.5倍の向精神薬とごく稀に睡眠薬を飲む生活をしている。


とりあえずコメントに対するリプライから始めよう。


>嘘松しか思えない。


これは個人的にかなり意外な反応だった。視野が狭いのもあるがこれはメンヘラ界隈(?)ではよくある話だと思っていた。実際超有名な理解のある彼君漫画の作者は彼氏(旦那?)と別れているらしいし、依存している側がされている側に見切りをつけられるというのは男女やジェンダー関係なく一般的だとも思っていた。案外こうやって理解のあるように見える恋人というのは信じがたい存在なのかもしれない。またそれだけ人が欲している存在であるのかもしれないなとは今感じた。


> もう今頃は新しい彼くん作ってよろしくやってるんだろうな。


これに関しては大正解。今は付き合って1年と少しくらいの歳上男性がいる。つまりあんなに病んでいたのにも関わらず、別れてから約5ヶ月足らずで新しい彼くんを作ったのだ。まあもう皆さん予想は付くだろうが新しい彼くんもちゃんと「理解のある彼くん」である。前のようにこちら側の暴力暴言こそないものの、精神疾患発達障害毒親に関して理解があり全肯定ヨシヨシbotのような存在だ。(余談だが、毒親に関してはかなりマシというか良くなったのでもうほとんどトラブルはなくむしろ超良好にやっている。それに20年間かかるというのもどうかと思うが……。)


> 男って可哀そう こんな無価値どころかマイナス価値の女ですら選ばなきゃいけないほど選択肢がないんだね


これに関してもまあまあそうだなと思う。でもなんだかんだで価値としては似たような人間同士が付き合うのでは。その価値ベクトルは違えども。というかこの一件で気付いたが、男性は見た目で女性に近付き中身で離れていく生き物だ。以前のはてなには書いてなかったが、私は付き合った当時はかなり細くて可愛く、メイドカフェバイトなんかで1番を取れるくらいの容姿があったので、恐らくそれに騙されてしまった……のだと思う。


さて、リプライも終わったところであれからの話をしようと思う。かなり長くなると思うので、興味のない人はこのあたりでブラウザバックをお勧めする。


まず当時の彼氏と別れて何を始めたか。それは流行りのマッチングアプリである。え?なんであんなに大好きだった人がいたのにマッチングアプリ?そう思う人もいるだろう。答えは簡単だ。「彼氏がいなくなったから」である。それでも理解できない人もいるだろうが、これの理由簡単だ。まず、彼氏がいなくなったとは私みたいな女にとってどういう状況を指すのかというと「仲間も敵も一人もいない、本物の孤独である友達ともまるで疎遠になってしまい、家族彼氏より下の扱いになってしまっていたので本当に誰も周りにいなかった。物理的にはいもの精神的にはかなり孤独だ。その状況を脱却するにはマジで恋愛以外思い浮かばなかった。友達を作るとか新しいバイト先に勤めるとか家族もっと話をするとか、そんなのはまるで思い浮かばない。ていうか、3年弱恋愛に明け暮れた毎日を送ってしまうと恋愛以外まるで無意味にすら感じてしまうのだ。話を戻すが、マッチングアプリは割と楽勝だった。少し声を明るくして笑顔を振りまき、男ウケしそうな可愛い洋服を着て、かつ女慣れしてなさそうな理系学生だったり男子校育ちだったりする男性相手にするのなんてメイドカフェバイトで散々してきたことだった。そこでまた釣られてしまったのが、今の彼氏通称新・理解のある彼君である。彼もまた進学校育ちの理系国公立大学生で、よくも悪くも育ちが良く差別意識のない好青年だった。身長や顔にも特に見劣りしない。


ここで疑問が生じる人もいるだろう。なぜ、そんな好条件らしい男性が無価値発達精神疾患女と付き合うのか?それは私が「セックスをさせてくれる可愛い女」だからである。実は、マッチングアプリなんかで遊び相手を探そうとか飲み会で隣に座った女を持ち帰ってやろうとか、そういう邪な考えがまるでない男性が極々ごく稀にいるのだ。で、そういう男性は周りのモテ女と付き合えるポテンシャル勇気もないので、私みたいな残念女(のガワ)を可愛がることになってしまう。そしてもっと残念なことに私みたいな「もう優しい男なら誰でも良い」みたいな女も少なからずいてしまうのだ。男はセックスをさせてもらえるし、女は自分を可愛がられることに成功できてしまうし、案外一石二鳥みたいなことになる。結局恋愛セックス依存性が高くビョーキになりやすいということだ。


実際今もメンヘラは治ってないので、新しい彼氏元カノのインスタを監視しまくったり大学出身高校バイト先などの特定に勤しんだりしているが、暴言暴力を振るわないだけかなりマシになった。そういう正常(に見える)恋愛の仕方を教えてくれたのは紛れもない元カレであると思う。ただ別れて1年半経った今でも、それを教えてくれる相手元カレじゃなかったら今日まで元カレと続いていたのかなあとは思ってしまうことがある。私のせいで難関大学に落ちて中堅大学に行ったと書いたが、結局その中堅大学で新しい彼女を見つけてインスタのストーリーにずっと新しい彼女を載せているのを見るとかなり気持ちが沈む。ちなみに私は元カレに全てのSNSから出禁を食らっているので本来は見ることができないはずなのだが、まあこの話は別件になってしまうので話さないでおくことにしよう。


実際、元カレを今でも好きなのか、ただ初めての経験を忘れられてないだけなのかは今でも良くわかっていない。新しい彼氏が出来た後でも、何度か思い出の曲を聴いては泣いた。新しい彼女との投稿を見て吐いたこともあった。ある人にはトラウマになっているだけと言われたが(書いてないがかなり酷い振られ方だった、まあそうなってしまったのは紛れもなく自分のせいなのだけれど)、本当にそうなのかとは正直思う。元カレSNSアイコンが私と行った公園写真のままということだけが、私と彼とを繋ぐ唯一の記憶のような気がして何度も何度も何度も見に行ってしまう。もう向こうは私のことなんて何も思い出さないだろうし……。


あれから知人に聞いた話によると、私は最後浮気未遂をされていたらしい。事実は本人にしかからない。何度も夢の中で談笑したが、いまだにその事実確認だけは出来ない。傷付くのが怖いのだ。傷付くのが怖いから、新しい彼氏をまた見つけて傷付かないようにする。でも多分これはずっと、一生、永遠に繰り返すと思う。恋愛幸せになる手段として使い、そしてその手段のために自分の性を売る。やっていることはまるで売春婦と変わらない。


本当に自分幸せか?と問う日がたまにある。今の彼氏のことは好きだ。あれから友達もできた。バイトもうまくいっている。学業の成績も悪くはない。家族だって良好だ。それでもあの日々に勝るほどの幸福を感じた瞬間はまだない。もしかしてこのまま一生終わるんじゃないか毎日考える。


以上で私の悲しい話は終わり。今読み返すとかなり飛躍した非建設的な話になってしまったが、ずっと思っていたことを吐き出せた分かなりスッキリした。どこの誰が読んでくれたのかは分からないが、ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。君と、君を愛する人を大切にね。


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なぜ「行きは良い良い 帰りは怖い」なのか

前の記事の中に出ていた「通りゃんせ」のことを考えるうちに、その中の「行きはよいよい帰りは怖い」の意味が疑問になったので調べてみたが、これが被差別部落と関係がある、というのはこじつけのような気もする。しかし、他にいい解釈を私が持っているわけでもない。お札を納めて、天神の守護を得た帰りのほうが安心なのではないか?

まあ、普遍化するなら、世の中には「行きはよいよい 帰りは怖い」という話は多いようだ。小泉竹中以降のあらゆる政治的計画の三分の二くらいはそうだろう。だから耶律楚材は「一利を興すは一害を除くに如かず」と言っているわけだ。ワクチン強制のように、国民の利と見せかけながら、実は製薬会社や政治家の利でしかない場合は多いだろう。常に「本当は誰の利なのか」を考えることが国民には必要だ。

(以下引用)


歌詞の「行きはよいよい 帰りはこわい」が、被差別部落への一本道を意味しているとする説があるため、東京では放送できるが大阪では放送できず排除される形となっている[2]

通りゃんせ原文[編集]


通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


歌の訳[編集]

通りなさい、通りなさい。
ここは、どこの細道ですか?
天神様の細道ですよ。
ちょっと通して下さいませんか?
御用の無い者は、通しはしません。
この子の七つの御祝いに、御札を納めに参ります。
行きは良いですが、帰ってくるのは難しい。
難しいですが、
通りなさい、通りなさい。

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神道とは何か

とある俗流歴史書を読んで古代史の「蘇我・物部戦争」の項のところで、「そもそも日本神道とは何だ?」という根本的疑問が起こったので、調べてみた。
要は、


教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話八百万の神自然自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[5]


自然とは一体として認識され、人間を結ぶ具体的作法祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[6]



ということのようだ。日本人の自然尊重と、西洋人の自然破壊(収奪)の姿勢の違いの基点はこの辺にありそうだ。その自然破壊は、DNA改変として人体そのものにまで至ろうとしているわけだ。



(以下引用)


神道(しんとう、しんどう[4])は、日本宗教惟神道(かんながらのみち)ともいう。教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話八百万の神自然自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[5]


自然とは一体として認識され、人間を結ぶ具体的作法祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[6]

概要[編集]

国産みを描いた『天瓊を以て滄海を探るの図』(小林永濯画、ボストン美術館所蔵)

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である[注 1]。伝統的な民俗信仰自然信仰祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[7][8]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[9]


神道には確定した教祖、創始者がおらず[9]キリスト教聖書イスラム教コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[5]、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[10]森羅万象が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[11]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神とともにあるの意)」であるといわれる[12]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる[要出典]


神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。一方で、日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されていた側面もあり[13]、宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた[14]。明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた[15]


神道と仏教の違いについては、神道地縁血縁などで結ばれた共同体部族など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や救済国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[7]


神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが[16]、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて氏子とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する[17]

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男性
職業:
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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