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リベラルと「進歩教」

記事中の情報の多くは「既知」だとは思うが、文章を読むのは書き手の「機知」を楽しむ意味もあるので転載。
まあ、脱炭素というアホな計画が昆虫食という超アホな計画の土台にあるわけで、さすがに世界中の無知な人々もこれに騙されるほど非常識ではなかったのだが、昆虫食アジェンダ批判はそのうち「地球温暖化詐欺」への批判、SDGsへの疑問にもつながるのではないか。
小学生でも疑問を持って当然の、こういう馬鹿な詐欺(新コロ詐欺、ワクチン詐欺、LGBT詐欺も含む)に世間の「リベラル」知識人がコロリと引っかかるのが不思議だが、リベラルというのは「反保守主義」だから、「進歩教信者」なのだろう。宗教だから、内部批判ができなくなる。
なお、イタリアの現政権はマスコミから「超右翼」とされていたと思うが、確かではない。

(以下引用)

イタリア、パスタやピザに虫を使用することを禁止-クラウスさん、ごめんなさい! Ethan Huff

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/food/italy%20bans%20bugs
<転載開始>

Italy BANS bugs from being used in pasta and pizza – sorry, Klaus! Wednesday, March 29, 2023 by: Ethan Huff


https://www.naturalnews.com/2023-03-29-italy-bans-bugs-insects-pasta-pizza.html#


  


(ナチュラルニュース) イタリア政府は、人間の食糧供給を肉から虫や昆虫に変えようとするグローバリストの動きに対抗する行動を起こしています。 (蛇足:日本政府は「ワクチン」と同様、国費を使ってごり押し中)


今週、イタリアの指導者たちは、コオロギ、ミールワーム、そしてクラウス・シュワブ[Klaus Schwab]の世界向けメニューの残りの部分を、国内で製造・販売されるパンやピザ製品の原材料として許可しないことを発表しました。


イタリアで製造・販売されるその他の食品は、虫を含むことができますが、その旨が明確に表示されていることが条件となります。また、イタリア政府は、ピザやパン以外の虫入り食品には、シュワブのメニューを食べると危険であることを示す警告ラベルを貼るよう求めています。


イタリアの農務大臣フランチェスコ・ロロブリジーダ[Francesco Lollobrigida]は、「政令で定められているのは、製品の原産地、摂取に伴う危険性、昆虫ミールの含有量を記載したラベルですが、店内でそれらを展示できる特別な棚も用意しました」と、この動きについて述べています。


「コオロギ、幼虫、イナゴを選びたい人はそこに行けばいいし、そうしたくない人(ほとんどのイタリア人がそうだと思うが)は、遠ざかればいい。」


(関連:イタリアのパン屋Telliaは、この決定を受けて事業計画を見直す必要がありそうです)



食品中の虫を禁止するよう国会議員に伝えよう


これは本当に素晴らしいことで、米国を含む他の国でも同様の判決が出ることを期待したいことです。


実は、虫を食べるということは、人間にとって普通のことではありません。聖書に出てくるイナゴを除けば、人類が虫に頼って生きてきた時代はないのです。


世界経済フォーラム(WEF)が今、人々に虫を食べさせようとするのは、自分たちは優れていて本物の肉を食べるに値するが、「臣民」は牛や生き物のように食べることを強いられるべきだと感じているグローバリストたちからの平手打ちです。


「なぜか私たちは、虫を食べると天気が良くなると言われています」と、ピーター・スウェーデン[Peter Sweden]は、自分たち以外のすべての人が本物の肉の代わりに虫を食べる必要がある理由について、グローバリストが与えている言い訳について、彼のSubstackに書いています。


「ちょっと考えてみてください。天候を良くするために虫を食べる。彼らの主張が実際に理解できたとき、それがどれほど非常識に聞こえるでしょうか?」


もし、私たちが時々耳にする国際法廷が実現し、このすべてを犯しているグローバリストたちが、人道に対する罪の責任を問われることになったら、おそらく彼らの刑務所の食事は、代わりに虫で構成されるべきでしょう。


「もうすぐできるグローバリストの刑務所の食事には、虫を使うべきだ」と、あるコメンテーターはこのように書きました。「彼らは虫を食べても不幸にならない。」


また、コオロギの味を確かめようと思って食べてみたが、「気持ち悪い」と感じたという人もいました。


「寄生虫も多いし、キチンにアレルギーのある人もいる」と、この人は付け加えました。「キチンは、グルコースのアミド誘導体であるN-アセチルグルコサミンの長鎖ポリマーである。」


「人体が『虫』を消化できないのは言うまでもないし、そのゴミを摂取することで消化器官は破壊されてしまう」と、この人は付け加えました。「それが『あなたは虫を食べることになる』という動機の全てである。」


「『エリート』を名乗る悪魔のようなサイコパスのやることはすべて、人間の生命と、植物に至るまで自然界に見られるあらゆる生命体の破壊のためだ。彼らは、神が創造したすべてのものを汚染し、破壊し、遺伝子組み換えを行ってきた。そして死の注射は、彼らの遺伝子組み換えの悪魔的、BS的、人口削減アジェンダのもう一つの反復に過ぎないのだ。」


グローバリストのクラウス・シュワブの「虫を食べて幸せになる」という世界的な人間の群れのための計画についてもっと知りたいと思いませんか?Globalism.newsでご覧いただけます。


Sources for this article include:


PeterSweden.substack.com


NaturalNews.com






<転載終了> 

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超訳「踊るドワーフ」#54

私は席を見つけ、ビールを頼み、ネクタイを緩めて煙草に火をつけた。ダンスホールに勤めるダンサーの娘たちが時々私のテーブルにやってきてダンスに誘ったが、私は無視した。顎を手で支え、時々ビールを啜りながら、私はあの娘がやってくるのを待った。
一時間が過ぎたが、彼女は姿を現さなかった。歌の行列がダンスフロアを流れ過ぎていった。ワルツ、フォックストロット、ドラマーたちの競演、高音のトランペットのソロ。すべてが無駄に過ぎた。私は彼女が、まったくここに踊りに来る気もなかったのに私をからかったのではないかと思い始めた。

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超訳「踊るドワーフ」#53

ダンスフロアは大きな、動力化されてゆっくりと回る円盤だった。椅子とテーブルはその外周に列をなして並べられていた。その上方には大きなシャンデリアが天井から吊るされ、曇りなく磨かれた木のフロアがその光を氷の敷布のように反射していた。円盤の向こうにはバンドのステージが、競技場の観覧席のように一段高く作られていた。そのステージでは二組のフルオーケストラが30分交代で演奏し、一晩中休みなく豊潤な音楽を供給していた。右側のひとつは二組のフルドラムセットを備え、ミュージシャンたちは赤い象のロゴの入ったブレザーを着ていた。左側のオーケストラのメインの出し物は10人のトロンボーンセクションで、この一座は緑色の仮面を着けていた。

(訳者注:文末が「~た。」の連続で単調な訳になっているのは分かっているが、面倒なのでそのままにしておく。基本的に、15分以内で訳すのを毎回の仕事量としているので。そうでないと根気が続かない。本当は辞書を引くのも面倒くさい。しかし、英語に訳された文章を読んでいると、村上春樹の作品は、日本人が考えているより名文なのだろうな、という感じはする。構成の妙、比喩の妙、小道具や細部の妙、ストーリー展開の妙を含めての話だ。だが、他の作品を知らないので、これは「踊るドワーフ」に関しての感想だ。ある意味、英語で読むと良さが分かるような性格の名文なのかもしれない。彼の作品の世界的な評価が高いのはそのためではないか。)

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「総括」の意義

私は、思い付きだけで書く主義なので、前の記事にもいろいろ間違いがあるようだ。
下のブログ記事は当時の学生運動の冷静な総括として実に優れたものでもあるので、転載する。日本の社会運動や改革運動、あるいは組織の一大欠点は、失敗した時に、その主体による「失敗の総括」がなされないことである。だから、今回もまた政府は第二次大戦の過ちを繰り返そうとしている。そして、一見成功と見える日露戦争や日清戦争も「総括」すれば反省点と今後の懸念(失敗の可能性)が見えるはずだったのである。

(以下引用)

フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。反戦歌「フランシーヌの場合」が出来た。

2006-03-30 | 歴史
今日(3月30日)はフランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。
1969(昭和44)年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。
AFP電として日本の新聞でも報道されたところによると、フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争、ナイジェリアに心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれるが、家族の話では精神科にかかっていたこともあるという。(1969年3月31日付 朝日新聞夕刊)
1人の女性の焼身自殺で何が変わるわけでもない。家族の話のように、精神を病んでのことかもしれないが、いずれにしても、かなり思い詰めての行動であろう。
この事件に、心を動かされた日本人によって、一つのフォークソング(反戦歌)が作られた。いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲「フランシーヌの場合」である。
フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えた いのちひとつ
フランシーヌ
この歌は3ヵ月後の6月に発売された。新谷のり子さんのデビュー曲であるこの歌は80万枚を超える大ヒット作となった。以後、新谷のり子さんは反戦、反核、反差別をテーマにコンサートを続けておられるという。思えば、この曲が大ヒットした1969(昭和44)年は、学生運動がもっとも盛り上がったときであった。ベトナム戦争、沖縄闘争のうねりと共に時代の心を代表し、多くの人々の支持を得た。恐らく、今の50代以上の人には、忘れられない曲ではないだろうか。
1960年代は、後半、高度経済成長の裏で激化の一途をたどっていた学生による第二次反安保闘争。それと時を同じくして、全国の国公立・私立大学において授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学の全共闘や(新左翼)の学生が武力闘争を展開する学園紛争(学園闘争)が起こった。全共闘の学生達は大学当局との団体交渉(団交)で自分たちの主張を強硬に唱え、それが認められない場合大学構内バリケード封鎖という強硬手段に訴えた。そして、ついに、1969(昭和44)年1月、前年の東大医学部の無期限ストライキに端を発した、「東大・安田講堂事件」が起こった。全学共闘会議(全共闘)が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件である。18日早朝、守る学生は400人、攻める機動隊8500人。300台を超す放水車、投光車、防石車、そしてへりが投入される。東大・安田講堂の屋上からは何百本の火炎瓶が投げ落とされる。上空警視庁のヘリコプターからは、催涙弾、地上からも猛烈な放水とガス弾。空陸一体になっての攻撃が始まった。まるで戦争である。大学紛争のシンボル、東大・安田講堂をめぐる攻防戦は実に35時間。東大全共闘の最後の砦は落城した。逮捕者は、東大構内で633人、安田講堂で377人(東大生は20人)。(朝日クロニクル・週間20世紀より)。幸い、学生・機動隊とも負傷者は多かったが死者はなかった。この安田講堂(砦)の落城が、全共闘運動の分水嶺だった。この東大全共闘を支えたのは、団塊の世代であった。「出入り自由の柔軟な集合体」の全共闘は、セクト嫌いのノンポリをひきつける魅力があったが、この柔軟性が新左翼各派の付け入るところとなり、東大闘争を複雑にした。党派の思惑に振り回され、非妥協を競い合った挙句武装闘争というスタイルが前面に出てしまった。このあと、大学紛争は関西を中心に全国に飛び火する。その数はピーク時77校。だが、秋には、1校また、1校と正常化した。それは、安田講堂事件後、強行採決された大学臨時措置法が圧力となり、紛争が長引くことによる「閉校」を恐れる大学側が、積極的に機動隊を導入したからである。
安田講堂事件の終焉後、学生達の間ではシラケが進行していたが、一部のセクトは過激化、武装化への道を進み赤軍派など過激なグループが出てくる。そして、赤軍による「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍によるリンチ事件、あさま山荘事件、へとつながっていくのである。
思えば、1969(昭和44)年のこの年は、経済が成長し、人々の生活と意識が大きな変化していた一方で、日本の政治・経済・社会はもちろん、水俣病に象徴される環境公害被害など、すべての面で大きな問題を抱えていて、その矛盾が噴出した年でもあった。この年を特徴づけるものは、何と言ってもデモと集会で、一番よく知られているのは、ベトナム反戦・反安保をかかげる集会やデモである。その先頭を走ったのは、青年労働者であり、学生だった。学生たちは街頭で政治的課題で行動しただけではなく、自分たちの問題である教育制度や中身の歪み、学歴中心社会の問題や旧態依然たる学問の現状に激しく厳しい批判を投げつけた。全国の大学や高校で学園紛争が生じた。その象徴的なものが、前年の日大紛争であり、この年の東大・安田講堂事件であった。この年、映画では、高倉健の任侠もの、藤純子のお竜さんが大流行。網走番外地の健さんも 緋牡丹のお竜さんも裏街道をゆくはぐれ者。はぐれものが受けた時代だった。安田講堂内の学生たちは、敗北を承知で機動隊と対決し、火炎びん、催涙ガス弾が飛び交うこととなった。当時の加藤一郎学長代行の最終提案は学生達の要求を大幅に取り入れたもので、受諾すれば一応の勝利になるものなのに、「東大紛砕」を叫ぶ学生達は恐怖と戦いながら安田砦にとどまった。そこには、玉砕の美意識見たいなものがあった。今の人の大勢や権力や高度成長や生き残り競争を支配する価値観からすればまことに、馬鹿な生き方に見えるだろう。しかし、任侠の封建的な世界と先鋭的な革命の理論をもつ若者の行動には、抑圧された者が止むに止まれず決起したときには、美しく負けようといった精神につながる面があっったように思われる。当時、東大全共闘を支えた、団塊の世代も同じ気持ちで、任侠ものの映画を観ていたのではないか。
今の時代は、これまでの価値観が崩壊し、すべてが行き詰まったあのころとよく似ているように思われる。いや、それ以上だろう。しかし、今の日本の若者からは、そのような社会に対して、何の反抗をする気概も見られないのが哀しい現実である。
以下の二木紘三のMIDI・歌声喫茶でフラシーヌの場合のMIDIが聞けます。
二木紘三のMIDI・歌声喫茶「フラシーヌの場合」
(画像はDENON(日本コロムビアCD、「フラシーヌの場合」新谷のり子)
参考:
東大安田講堂事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
東大闘争(安田講堂攻防戦)事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage141.htm
雑感・戦後日本の世相と流行歌(26)
http://www.asahi.co.jp/call/diary/yamaken/essay_26.html
70年安保闘争史略年表
http://www.asahi-net.or.jp/~GR4T-YHR/zennen.htm
PICK UP 新谷のり子
http://event.sbrain.co.jp/pickup/sintani_noriko.html

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3月30日

昨日、宮藤官九郎脚本の「タイガー&ドラゴン」を見ていたら、その中で西田敏行(落語家役)が「フランシーヌの場合は」を寄席の舞台で歌っていたのだが、先ほど、ふと考えたら今日が3月30日である。つまり、フランシーヌの命日だ。

「3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ」

というのがその歌の日本語版の歌詞だが、つまり、フランスの樺美智子だろう。機動隊か警官に撲殺されたのではないか。
私は70年安保の学生運動時代より少し後の人間なので、学生運動にはまったく共感できず、そもそも学生運動と普通の暴動との区別もついていなかったので、「フランシーヌの場合」も、「あまりにもお馬鹿さん」な死だとしか思っていなかったのだが、今にして思うと、彼らの命を賭けた闘争は、偉いな、と思う。まあ、その大半は「ファッション」で参加したのだと思うし、その中の急進派や過激派が、後にあの「連合赤軍事件」のような悲惨で無意味な事件を起こしたのだが、「革命への熱情」とそのエネルギーは大したものである。ただし、その「無意味なテロ」のために日本の社会改革への意識は逆に激減して、その後の自民党一極支配が、ほぼ盤石化したのだろう。

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食物戦争という「見えない戦争」

日本では(主にネット言論者の努力により)昆虫食キャンペーンが既に失敗しており、ひとびとの常識と普通の感性がWEFの邪悪な計画を打ち破った形だが、今後どうなるかは分からない。そもそも、昆虫食品が経済的にペイするとは思えないので、キャンペーンが失敗したらそれ以上の推進は、まともな形では無理だろうとは思っている。まあ、そのうち、医学界から昆虫食がいかに健康にいいかを「証明した(笑)」論文が出て来るのではないか。
これまでも、さまざまな食品の「危険性」がマスコミやネットで論(あげつら)われてきて、米や小麦やジャガイモなどの「主食」的作物を敬遠する人々は増えているのである。当然、それらを生産する農家の経済的被害は大きい。そして、その状況が続けば、農家経営は割に合わない職業になる。その時、誰が我々の生命を担保するのだろうか。農家は社会の恩人なのである。もちろん、そういう「社会の基盤を守っている」地味で儲からない仕事をしている人は多い。

(以下「メモ・独り言のブログ」から引用)


ハンガリーとイタリアがWEFの昆虫食アジェンダを禁止する法律を可決した

Italy and Hungary pass law banning WEF bug eating agenda
世界中の市民が立ち上がり、グローバリスト・エリートの人類に対する計画を拒否する中、ハンガリーとイタリアは共にWEFの虫食いアジェンダを禁止する新しい法律を可決しました。

ハンガリーは、食品の秘かな昆虫化に対する厳しい規則を発表しました。イシュトヴァーン・ナジ農業大臣は、昆虫タンパク質を含む食品に「警告」のラベルを貼ることを義務づけると発表しました!「昆虫タンパク質を含む食品」と表示し、他のタンパクと区別して陳列することを義務付けると発表しました。

Rairfoundation.com が報告:同大臣は、政府が厳格な製品表示と分別ルールを通じて、欧州連合(EU)のブリュッセルが認可した昆虫タンパクを含む食品からハンガリーの消費者を保護したいと考えていると強調しました。

ハンガリーは、EUで昆虫を食品や食品原料として販売することを認めるというEUの意向を支持しなかった唯一の加盟国でした。



さらに、欧州委員会は、我々の美食の伝統と食習慣を危険にさらしています。そのため、農務省は消費者に正確な情報を提供するため、食品表示規則を改正しました。


昆虫タンパクを含む製品は、店頭で明確に区別され、区分けされることになります。不適合な パッケージや ラベルは引き続き3ヶ月間使用することができ、そのようなパッケージやラベルを使用した製品は、最大3ヶ月間市場に残すことができます。また、改正規則の90日間の不遵守に対する罰金は課されないとイシュトヴァーン・ナジは指摘しました。


同氏は、国家フードチェーン安全局による代表的な調査から、2016年以降、ハンガリーで昆虫を食べない人の割合が2.4%増加したことが明確に示されていると指摘しました。


ハンガリー産の食品を好んで購入する人たちは、昆虫を食べたがりません。さらに、ハンガリーの農家は常にハンガリー国民に高品質な食材、新鮮で良質な食品を提供しており、食糧不足もタンパク不足も恐れる必要はないと強調しました。


また、今回の規制は、食品業界で広く使われている昆虫由来の添加物には影響しないが、原材料としての昆虫には適用されると述べました。

イタリアはパスタからの昆虫粉を禁止した

イタリアはパスタに昆虫の粉を使用することを禁止したと、タイムズが報じています「コオロギ、イナゴ、昆虫の幼虫から作られた小麦粉を料理に使うことが増えていますが、イタリアでは猛反対にあい、政府はピザやパスタへの使用を禁止し、スーパーの棚に分別することになりました。


昆虫がイタリア料理と関連付けられることを恐れるあまり、3人の政府閣僚がローマで記者会見を開き、取り締まりを目的とした4つの政令を発表しました。「基本的に、これらの小麦粉はイタリアで作られた食品と混同されることはありません」と農務大臣フランチェスコ・ロロブリジーダは言いました。


RAIR Foundation USAで以前報告されたように、選挙で選ばれたわけでもない自称グローバリストたちは、欧米人に虫を食べさせるために何年も戦ってきました。彼らは、環境と栄養に関する物語で市民を洗脳し、食の選択をコントロールすることを望んでいます。「ビタミン、タンパク、ミネラルを含むコオロギから作られた小麦粉は、栄養を得るためのエコロジーな方法としてますます注目されており、その市場は2029年までに35億ドルに達すると予測されています。」 EUはすでにコオロギ、イナゴ、ダークリングビートルの幼虫を原料とした食品を認可しています。1月にはミールワームの幼虫が追加されました。


ただし、イタリアの政令では4つの昆虫がすべて引用されており、これらを含む製品には大きな文字で表示し、他の食品と区別して陳列することが求められています。


ロロブリジーダは、「これらの製品を食べたい人は食べられますが、そうでない人(ほとんどのイタリア人がそうでしょう)は、選ぶことができるようになります」と述べました。


オラツィオ・シラチ保健相は、この法律により、ピザやパスタなどの「典型的な」イタリア製品に昆虫粉を使用することも禁止されると述べました。


イタリア料理促進のさらなる試みとして、政府は1日、イタリアの料理をユネスコの世界遺産に登録することを提案すると発表しました。


Hungary and Italy Pass Laws Banning WEF Bug Eating Agenda - News Punch

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超訳「踊るドワーフ」#52

私は彼女を求めて群衆を掻き分けた。私に気づいた友人たちが私の肩をつかみ、話しかけてきた。私は彼らにでっかくフレンドリーな笑顔を見せたが、一言も喋らなかった。すぐにバンドが演奏を始めたが、彼女は見当たらなかった。
落ち着け、ドワーフは言った。夜は若い(訳者注:これは直訳で、日本語としては不自然だろうが、英語のジャズやポップスを聞く人なら直訳の方がぴったりくるかと思う。)。期待するに足る時間はたっぷりある。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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