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超訳「踊るドワーフ」#58


私は踊り始めた。最初はゆっくりと、だが次第に速力を速め、しまいにはつむじ風のように。私の体はもはや私のものではなかった。私の腕も足も頭も、すべてが荒々しくフロアの上を動き、私の思考とは関係しなかった。私は自分自身をダンスに捧げ、その間ずっと私は、星々が通過し潮が流れ風が吹きすぎるのを明確に聞くことができた。これが真実にダンスをするということだった。私は足を踏み鳴らし、腕をスイングし、頭を空中に高く上げ、そして旋回した。私が回れば回るほど白い光の球が私の頭の中で爆発した。
再び彼女は私をちらりと見て、それから彼女は私と共に旋回し足を揃えてステップした。彼女の内部でもまた白い光が爆発したのを私は知っていた。私は幸福だった。これまで経験したことが無いほど幸福だった。

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超訳「踊るドワーフ」#57

彼女は素晴らしいダンサーだ、ドワーフは言った。彼女のような踊り手とは踊る価値がある。さあ、行こうか。
ほとんど自分の動きを意識しないまま私は立ち上がってテーブルを離れ、ダンスフロアに向かった。たくさんの男たちを押しのけて前に進み、彼女の傍に来ると、私は踵を鳴らして、彼女と踊る意思を周囲に伝えた。彼女は旋回しながら私をちらっと眺め、私は彼女に微笑みかけたが、彼女は反応しなかった。その代わり、彼女はひとりで踊り続けた。

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「サヘラントロプスチャデンシス」という「新発明」の最古の人類

「紙屋研究所」から記事の一部を転載。(「紙屋」か「紙谷」か忘れた。5秒前に見たはずだが、「心ここにあらざれば見れども見ず」である。)
コロナ自粛下の子供の学校生活がどんなものだったか分かる。まあ、それよりも「サヘラントロプスチャデンシス」とは何者か、と驚いたのがこれを転載した理由だ。これこそ学校教育の無意味さを示すものだろう。そんなのは学者たちの問題であって、子供が覚える必要性はゼロだ、と思う。私の頃はたぶん「ピテカントロプスペキネンシス」だったと思う(後で気がついたが、これは「ピテカントロプスエレクトス」と「シナントロプスペキネンシス」をごっちゃにしているようだ。まあ、私の学校由来の知識の残骸はそんなものだ。なお、「シナントロプスペキネンシス」の「シナン」は「シナの」つまり「チャイナの」の意味だろう。「ペキネンシス」は「北京原人」か。))し、紙屋氏の頃は「アウストラロピテクス」のようだ。あと十年くらいしたら、新種の「最古の人類」が発明されているだろう。発見ではなく「発明」だというのは私の皮肉だ。ただし、明治時代には「発明」と「発見」は同じ意味だったようだ。漱石などは「発見」の意味で「発明」の語を使っている。あるいは「発見」の語が一般的でなかったのかもしれない。
いつ変わるかもしれない知識を強制的に子供の脳に叩き込むのは、脳細胞の無駄遣いであり、子供への虐待だろう。


(以下引用)

何が嫌なのか?

 彼女に何が嫌なのかをインタビューする。それは聞くたびに変わるし、とらえどころがない。悟性的に原因を突き止めようとすると、煙をつかむような感じになる。以下、彼女が挙げた「理由」を列挙してみよう。

  1. 担任の先生がいやだ。合わない。
  2. なんでノートを埋めないといけないの?
  3. 学校の行き帰り、特に「行き」は友達とも帰れないのでなんの楽しいこともない。そして(8kgに及ぶ)あのクソ重いカバンをどうして背負って1.8kmも歩いて通わないといけないんだ?(先生によれば「使わない教科書は置いて帰ってもいい」とのことだが、家庭学習で一定のものは使うように言われているので「最小限」のものだけ持って帰っても「めちゃめちゃ重い」と娘は述べる)
  4. 体育で半ズボンでやるのが嫌だ。毛深いから足の毛を剃らないといけない……。でも剃ると剃刀負けするし…。体育だけでも休めないのか?(休みたいって言えば?)うう、でも目立つし。
  5. 体育で今日ラジオ体操やるのも意味がわからん。なぜ? 学校教育でわざわざ1時間使ってラジオ体操だって?
  6. 給食がまずい。小学校の給食は美味しかったのに、なぜこんなにまずくなるのか。カレーでさえまずい。そんなものを食べるために長い時間残るのはうんざりだ。その分帰りたい。それは他の子もそう言っている。
  7. 黙って前を向いて給食を食べさせるのも耐えられん。
  8. まだ5時間(5コマ・5時制、午前中に5つの授業をこなして給食を食べ、帰る)なら耐えられるが、これで7時間になるとか、無理!
  9. 月曜から金曜まで死ぬ思いで登校しているのに、これで土曜日まで授業されたら耐えきれない。

 


 と、ひいふうみい…9つの「原因」がとりあえず並んだ。


 先ほども述べたとおり、「それはどうなの」と思うものもあるが、まあ、複合的なんだろ。本人もよくわかっていないし、ムカつくことが泡のように浮かんでは消え*1、それが楽しいことで打ち消されずに残ってしまうような感じなのではないか。


 

「もっと埋めてね」

 娘は学校の勉強もそれほど好きな方ではない。


 中学校に入り生活日誌と一体になった学習ノートを渡され、1日1ページ「埋める」ように言われている。しかし、まだろくすっぽ授業も始まっていない。授業の様子を聞いてもオリエンテーション的なものがほとんどだ。たまに中身があっても例えば理科では顕微鏡の各部名称などを教えられている。


 そんなもの、ノートを埋めようがないだろ? と思う。


 ましてや予習の仕方など教えてもらってもいない。左翼組織で、市内の学校の先生たちと広く懇談をした時、市教委がコロナ下で各家庭の学習用に作成したプリントが「新学期の予習」的な中身になっていて、集まった左派系の先生たちは「小学生に予習前提でプリントさせたりするのは無理ですね」と言っていた。


 つい最近まで小学生だった娘も同断であろう。


 4月です、あなたたちは中学生です、もう小学生じゃありません、計画的に学習しましょう、ノートをさあ埋めなさい、と言っても埋まるものではない。


 


 ツイッターにも書いたが、娘は市教委の配信している動画を見ながら、「歴史」「裸子植物被子植物」についてノートを書いた。


f:id:kamiyakenkyujo:20200604110335j:plain


 あなたは「最古の人類」を言えるだろうか? ぼくは堂々と「アウストラロピテクス」と述べたが、全く「不正解」だった。現在では「サヘラントロプス・チャデンシス」が最新知識になっている。これは市教委の動画配信でも冒頭で紹介し、教科書にも確かに出てくるのである。娘に学ばされた1つである。*2


 しかもノートには、「二足歩行ができるようになって人類に何が起きたか?」を娘なりに予想して書いた。「動画」ではその「答え」を述べているのだが、娘の「予想」とは外れていた。しかし、そういう論理こそ歴史である、そこに踏み出したことは歴史を学ぶ上でとても重要なことだ。


 しかし、担任の先生は、その中身については一切触れず、ノート欄のついてのコメントはただ一言。


「もっとすき間を埋めようね


だけであった。これが2日連続した。


 すき間を埋めるのがこの先生にとっての至上の価値なのである。


 40年前の元・優等生のぼくとしてはわからないでもない。まず「書く」という形で学習をし、それを量をこなすことによって質に転化するのだと。その訓練としてこのような生活日誌があり、すき間を埋めさせようとするのだろう。


 だが、動画も参考書もこれだけ発達した現代に、この方法は引き続き有効なのか。本人がわかるように図を書いて理解してもいいではないか。


 百歩譲って、すでに授業もかなり行われ、学習の方式を体得している生徒ならそういうコメントもわかる。しかし、コロナが終わっていきなりの宿題ノートにこれはないだろ。

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(事前学習による)文章生成変換機

私は英語の略語の意味が分からないと気持ちが悪いので、GPTが何の略か調べてみた。「SDGs」の「セックス大好きガールズ」(ちゃんと最後のsが複数形のsになっている)のような暗記法が欲しいところだ。
日本人なら略語ではなく「文章生成変換機」で十分だろう。ワープロとの違いは、機械自体が文章を生成することだ。つまり端的には「文章生成機」である。「事前学習による」を名称の中に入れる必要があるとは思わない。これは「使用法」であって、「水道水と洗剤の投入による洗濯機」などと言うか?

(以下引用)

情報科学屋さんを目指す人のメモ


方法・手順・解説を書き残すブログ。私と同じことを繰り返さずに済むように。


【ChatGPT】GPTって何の略?読み方は?について

ChatGPT (61)

現在、チャット型AIなどとして「ChatGPT(チャットGPT)」が話題となっています。ChatGPTを試しに利用してみたり、ニュースやSNSなどで見かけた際に、「ChatGPT」をどう読めば良いのか読み方が気になったり、「GPTとは何の略なのか」と略称が気になった人向けの情報を紹介します。


ChatGPTの読み方


「ChatGPT」は、ニュース記事などでは「チャットGPT」と書かれることも多く、「Chat」は英単語そのままで「チャット」と読めば良いのですが、「GPT」の部分はどう読めば良いのかというと、ここもそのままアルファベットを1つずつ読んで、「ジーピーティー」と読めばOKです。


ひと続きにすると、「ChatGPT」の読み方は「チャットジーピーティー」です。


GPTは何の略?


「GPT」は確かに「英単語の略」となっており、3つの英単語の頭文字です。


G、P、T、それぞれ元の英単語となっているのは次の通りです:

  • Generative
  • Pre-trained
  • Transformer

これらの単語を機械的にに英単語の意味を書くと、次のような意味となります:

  • Generative:(文章を)生成する
  • Pre-trained:事前学習(された)
  • Transformer:変換器

いずれも専門用語であり、これは「ChatGPT」という名前が、「GPT」と呼ばれる技術・手法の名前を元に名付けられているためです。


そのため、この略称の意味合いを理解したいという場合には、以下も参考にしてみてください。

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超訳「踊るドワーフ」#56


彼女はひとりで踊った。オーケストラはタンゴを演奏した。彼女は催眠術的な優雅さで音楽に向かっていた。彼女が体を低く屈めるたびに彼女の長い、黒い、カールした髪が風のようにフロアを掠めて過ぎ、彼女の細い指が、空中を漂う見えないハープの弦を弾いた。完全に何の迷いもなく、彼女はひとりで、自分自身のために踊った。私は彼女から目を離すことができなかった。それはまるで私自身の夢の続きのように感じられた。私の混乱は増すだけだった。もしも私がひとつの夢を、他の夢を作るのに使うのなら、その中で本当の私はどこにいるのだろうか。

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超訳「踊るドワーフ」#55

心配するな、ドワーフは言った。彼女は来る、リラックスしろ
時計の針が9時を回った時、彼女はダンスホールに姿を現した。彼女はタイトで微かに光るワンピースのドレスを着て、黒いハイヒールを履いていた。ダンスホール全体が靄となって消えそうなほど彼女は輝いてセクシーだった。最初に一人の男が、そして次の男次の男と彼女の周りの汚点となって彼女をエスコートしようとしたが、彼女の手の一振りが彼らを群衆の中へと追い払った。
私はビールを啜りながら彼女の動きを目で追った。彼女はダンスホールの、私とちょうど正反対のところにあるテーブルに座り、赤い色のカクテルを注文し、長いシガレットに火を点けた。彼女はほとんど飲み物に手をつけず、シガレットを吸い終わると、それを灰皿で消し、次のシガレットには火を点けなかった。そして立ち上がり、高飛び込み台に近づいていくダイバーのように準備が整った感じで、ゆっくりとダンスフロアに向かって進んだ。

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ある種の女性が裸になりたがる不思議さ

私が不思議なのは、女性の中には自分のヌードが価値があると思っているらしい人間が多いことだ。まあ、マスコミがそうさせているのだろうし、過去の美術界が女性の裸体画を描いてきたことも理由だろう。実際、若い男の子には、女性という「神秘の存在」の神秘性の魅力がその裸体にあることも確かである。しかし、結局は動物が裸であるのと何も変わらないのであり、恋人同士が互いのヌードを鑑賞することもないだろう。むしろ暗闇の中で抱き合うほうを選びたい、「裸体を恥じる」層も多いのではないか。つまり、女性のヌードの中には美術的価値を持つものもあれば、見るのも御免蒙りたいというのもあるわけだ。まあ、自らヌードになる女性は自分の体に自信があるのだろうが、それは世間にお披露目するほどのものだという自信はどこから来るのだろうか。特に、顔はたいしたことがない女性の場合、ヌードだという理由だけで価値があるとは思えない。


「私は、スポーツをするために、脚を切断して生きると決めました。そして陸上は生きる手段だった。その覚悟の証しを残したい気持ちが、すごく強かった」


 セミヌードは、まさに裸一貫で競技に取り組んでいた心意気の現れだ。



というのは、その理屈が分からない。なぜヌードが「裸一貫で競技に取り組んでいた心意気の現れ」になるのか。まさか、ヌードで走っていたわけではあるまい。
まあ、生き方はそれぞれの勝手だし、女性でしかも障害者となると生きるのも容易ではないだろうが、ヌードになることに「立派な」建前をくっつけるのはどうなのか、と思うわけである。他の障害者の励みになるかどうかも怪しいわけで、実際、同じ障害者から批判されたのも宜(むべ)なるかな、と感じる。「裸になりたいから裸になっただけです」なら、私はその潔さに拍手したかもしれない。もちろん、下の記事のインタビュアー(記者)に誘導された結果の発言だった可能性は高い。


(以下引用)


「死ねって言葉よりきつかった」 生きる手段だった陸上、批判覚悟でセミヌードになった理由――パラ陸上・中西麻耶








中西はロンドンパラリンピック後に一度引退した【写真:松橋晶子】
中西はロンドンパラリンピック後に一度引退した【写真:松橋晶子】

障がいを持つ人からの声が「『死ね』っていう言葉よりきつかった」

 セミヌードを選択した理由は、もう一つある。当時、障がいを持つ女性やその家族と接するなかで、女性として生きていくことの罪悪感を当人たちから覚えていたからだ。


「女性障がい者の方が着飾ったり、キレイになりたいと思ったりすることは、『贅沢だ』『わがままだ』と思ってる人も、すごくたくさんいた。障がい者は介護者に面倒をみさせて生活しているのだから、少しでも手間のかかることは望んではいけない、という考えを当人からも強く感じました。


 でも私は、女であることを捨てたくなかった。それを諦める必要ってどこにあるのかなと思いました。これで、資金が集まらなかったら引退しかありません。ならば最後に、同じ障がいを持った女性の勇気につながるものを残そうと考えました」


 そういう中西自身も「世の中は自分を受け入れてくれない」と、感じていたという。また、どんなに悩んで引退を決めても、誰も自分のことを覚えていないんだろうな、という悔しさもあった。


「私は、スポーツをするために、脚を切断して生きると決めました。そして陸上は生きる手段だった。その覚悟の証しを残したい気持ちが、すごく強かった」


 セミヌードは、まさに裸一貫で競技に取り組んでいた心意気の現れだ。ところが世間の声はまたもや、彼女の想いとは異なる方向へと暴走する。


「この時期はやばかったです。『わざわざ見せるんじゃない』『気分が悪くなった』という声はすごく多かったですね。一番ショックだったのは、『こういうことをされると、自分たちも同じような目で見られるから迷惑です』という、障がいを持つ人からの声もたくさんあったことです。これは『死ね』っていう言葉よりきつかったかも。うん」


 この後、ロンドンパラ出場は叶うが、女子走り幅跳びでメダルを狙うも、結果は8位。思うような成績を出せず、バッシングに立ち向かう精神も削がれ、大会後、自ら現役引退を決めた。


(後編へ続く)


■中西 麻耶 / Maya Nakanishi


 1985年6月3日生まれ。大分・由布市出身。明豊高(大分)ではソフトテニスでインターハイ出場。働きながら国体出場を目指していた2006年9月、勤務中の事故で右脚の膝下から先を切断。退院後にパラ陸上競技の世界を知り、義足のスプリンターに転向する。初出場の2007年日本選手権では100、200メートルで当時の日本記録を樹立。事故からわずか2年後、2008年北京パラリンピックに出場し、以降3大会連続出場。2016年リオ大会では走り幅跳び4位入賞となり、日本人では同種目のパランピック過去最上位を記録した。2019年には世界パラ陸上の走り幅跳びで日本人初となる金メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場権を獲得。2021年の本大会では6位入賞。T64(片下腿義足)女子走り幅跳び日本記録保持者(5メートル70)。




(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)


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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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