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自衛隊に「反撃能力」無し?

特に書きたい記事も無いので、「徽宗皇帝のブログ」記事の補足として「阿修羅」所載の「日刊ゲンダイ」記事を載せておく。自衛隊の報告は「ミサイル落下地点予測」だったようだ。まあ、自衛隊の「戦争遂行能力」を疑わせるものだ。軍事費増強は中抜きされるかアメリカへの献金になるだけだろう。

(以下引用)


“赤っ恥”Jアラート精度の低さ浮き彫り…改めて問われる「敵基地攻撃能力保有」の危うさ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/321551
2023/04/14 日刊ゲンダイ



早く出せば良いってものじゃない(北朝鮮のミサイル発射で出されたJアラートの画面)/(C)共同通信社


「国民の安全確保を最優先にする観点から発出した。Jアラートの役割を考えれば適切だった」──。北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)級とみられるミサイル発射を受け、岸田首相は13日、国民に避難を呼びかけたJアラートの発出について、そう強調した。日本の領域内に落下しなかったのは幸いだが、改めて浮き彫りとなったのは、岸田首相が前のめりで進めた「敵基地攻撃能力」保有の危うさだ。


 ◇  ◇  ◇


 政府は13日、ミサイル発射から30分以上が経った午前7時55分に、「北海道周辺へのミサイル落下」があるとしてJアラートを発出。当初は「北海道南西部の陸地に落下する恐れがある」と推定していたという。日本の領土・領海への落下予測が発信されたのは今回が初めてだ。


 政府は結局、北海道周辺へ落下する可能性はないと“訂正”。日本の排他的経済水域にも飛来しなかった。


 結果的に“大外れ”だったわけで、Jアラートの直撃を受けた通勤・通学者はたまったもんじゃない。札幌市営地下鉄で約5万5000人、JR北海道でも在来線と新幹線あわせて1万人以上に影響が及んだ。


 Jアラートが出されるたびに「またか」「慣れてしまう」といった声が漏れるのも無理はない。昨年11月、政府は北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、宮城、山形、新潟の3県にアラートを発出。発信時間は日本上空を通過する予想時刻よりも2分遅れ、しかも上空を通過しなかった。


 そして、今回の騒ぎだ。Jアラートはもはや、“オオカミ少年”になっている。


精度が伴わなければ、ますます“オオカミ少年”に



対応に追われる北海道庁職員ら(右)、その後訂正され…。この精度のあり様で勇ましいこと言ってる場合じゃない(岸田首相)/(C)共同通信社


 松野官房長官は13日発射されたミサイルについて「探知の直後、レーダーから消失した」「限られた情報の中でシステムが航跡を生成したため、国民の安全を最優先する観点からJアラートを発出した」と説明。「国民の命を最優先」にアラートを発出したという言い分は、まだ理解できる。だが、「探知直後にレーダーから消失」とは何事か。領域内に飛来しなくてよかったね、では済まされない話だ。軍事ジャーナリストの世良光弘氏がこう言う。


「多段式の弾道ミサイルは発射後から加速していきます。上に投げたボールは慣性が働いているので落下地点を予測しやすいが、加速するミサイルは落下地点が刻々と変化します。防衛省は発射直後に落下地点を予測したものの、その後の変化を追いきれなかったのではないか。今回は、通常のロフテッド軌道とは異なるともいわれているので、そもそも落下地点や軌道を予測しづらかった可能性がある。いずれにしても、Jアラートは早く出せばいいというものではなく、精度が伴わなければ、ますます“オオカミ少年”になってしまいます」


 政府は昨年11月時点で「(Jアラートの)システム改修も含めた改善策を検討している」(松野官房長官)との姿勢を見せていたが、改善どころか“失敗”の繰り返し。この体たらくでありながら、岸田首相は敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を「不可欠」と強調するなど、勇ましい。


「反撃能力に基づき第一撃に対する報復措置を行うとしても、相手が攻撃に着手した段階を察知できるのかどうか。北朝鮮のミサイル格納施設は地下に隠されているし、移動式トレーラーで発射台を移動できる。場所を特定したとしても、万が一、発射予測を外したら先制攻撃になります。政府は反撃能力の行使基準を示していませんが、具体性に欠ける議論が抑止力につながるとは思えません」(世良光弘氏)


 Jアラートの精度すら上げられないのに、反撃能力保有なんて言っている場合じゃない。

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認知症は医原病か

現段階ではただの「陰謀論」とされそうだが、科学というのは「仮説」を大事にすることで発展してきたのであり、こういう「仮説」を陰謀論として無視する行為自体が非科学的態度なのである。

(以下引用)

認知症の神話 Dr. Vernon Coleman

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/poison/dementia%20myths
<転載開始>

Dementia Myths  13th April 2023


https://vernoncoleman.org/articles/dementia-myths


認知症は、今や高齢者の死因の中で最も多いと言われている。これはナンセンスだ。高齢者の死因で最も多いのは、a)未治療の肺炎 b)食事や水を差し止められたことによる飢餓や脱水である。


 


以下は、拙著The Dementia Myth.認知症の神話)から引用した、認知症に関するさらなる事実です。認知症の診断、治療、報告は、大規模かつこれまで認識されていなかったスキャンダルである。驚くべき事実は、認知症のほとんどの症例は、おそらく12週間で治せるだろうということである、患者によってはもう少しかかるかもしれない。そうでないと言う人は、よほど間違った情報を持っているか、製薬会社の口車に乗せられているかのどちらかだ。


世界には約5,000万人の認知症患者がいると言われているが、この数字はおそらく低い方であろう。老人ホームに入所している患者の2分の1は、何らかの認知症を患っていると言われている。


認知症と診断された数百万人の患者は、家族に看取られている。多くの家族は、愛する人の世話をするために必要な時間を確保するために、仕事や普段の生活を放棄しなければならない。さらに何百万人もの患者が病院や老人ホームに捨てられ、座ったり寝たりして死を待っている。


まだ診断されていない何百万人もの人々が、一人で、あるいは親族や友人、隣人の助けを借りて、認知症への対処に苦慮していることは誰も知らない。


これらの患者に共通しているのは、アルツハイマー病という診断名である。認知症患者の3分の2がアルツハイマー病であるというのは広く知られていることだ。実際、多くの国でアルツハイマー病は既定の診断名となっている。認知症の患者さんがいれば、アルツハイマー病と判断され、他の診断名を探す努力はほとんど、あるいは全くされないのである。製薬会社、大きな慈善団体、メディア、そして一部の医師でさえ、「認知症」と「アルツハイマー病」という言葉はほとんど互換性があるという見解を推進しているようだ。


 


アルツハイマー病と診断された人の予後は暗いもので、多くの約束にもかかわらず、この病気にはまだ治療法がなく、治療法が見つかる兆しもない。製薬会社は、アルツハイマー病患者への使用を推奨する多くの処方箋専用薬を製造し、代替医療従事者はほとんど毎日のように新しい治療法を生み出している。


しかし、アルツハイマー病と診断された多くの認知症患者は、誤診されているという明確な証拠がある。彼らは全く違う病気にかかっており、完治できる可能性がある。


この短い本は、このスキャンダルに注意を喚起し、愛する人が誤診されたかもしれないと感じている人たちにヒントを提供することを目的としている。私の目的は、認知症の原因となる疾患の包括的なガイドを提供することではなく、むしろ、もっと希望に満ちた可能性があるにもかかわらず、運命的な診断に導かれてしまうかもしれない人々のための指針を提供することである。


認知症の患者さんの中には、もちろんアルツハイマー病で不治の病になってしまう方もいる。しかし、一人でも多くの患者が誤った診断から救われ、活動的で生産的な生活に戻ることができれば、この本を書いた甲斐があったというものだ。」


 


ヴァーノン・コールマン著Dementia Myth より引用、Amazonでペーパーバックと電子書籍が発売中。Dementia Mythは、認知症がなぜ、どのように誤診されるのかを説明し、アルツハイマー病と最もよく間違われる3つの病気(ビタミンB12欠乏症、正常圧水頭症、精神安定剤の過剰処方)について述べています。


++


血圧降下剤やコレステロール降下剤攻撃も、認知症への道です。 以前からの「ワクチン」による水銀、アルミニウム、界面活性化剤などの注入も効いていたことでしょう。キャノーラ油、フッ素入り歯磨き、人工甘味料、除草剤なども活躍してきたことでしょう。 が、昨今では、なんといっても血栓「ワクチン」注射が主役に躍り出たと思われます。 そうそう、認知症薬が認知症の原因だというのもありますか、、



<転載終了>

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蝶のハヒフヘホ

北村薫の「山眠る」(何シリーズというのか分からないが、国文学のネタが多い、「日常の推理」小説である。)の中に、山本健吉が、「百人一句」の中で加藤楸邨の代表句に

日本語を離れし蝶のハヒフヘホ

を選んでいる、と書かれていて、驚いたのだが、加藤楸邨にはそれ以外に名句は無いのか、と探してみると、有名な句がたくさんある。学校教科書に載るような句も5つ6つある。それが、何で意味不明の「蝶のハヒフヘホ」が代表句なのか。
下のリストで言えば、

鰯雲ひとに告ぐべきことならず

寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃

雉子の眸のかうかうとして売られけり

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

しづかなる力満ちゆきばつたとぶ

などは特に有名であり、私も名句だと思うが、「蝶のハヒフヘホ」はまったく意味不明であり、私の日本語読解力では、何が「ハヒフヘホ」なのか分からない。ついでに言えば、同じ「山眠る」の中で「にこにこせりクリスマスケーキ買ふ男」が加藤楸邨にしか詠めない名句だとされているが、どこが名句なのか。その辺の素人俳人が詠んだ駄句だとしか思えない。まあ、「俳句が詠じる対象や俳句の言葉づかいなど、こんなものでいいのだ」と放り投げたような境地が素晴らしい、とでも言うなら、俳句というジャンルそのものの否定ではないか。舌頭に千転した結果が「にこにこせりクリスマスケーキ買ふ男」か。芭蕉が真っ赤になって怒るだろう。
これもついでに言えば、芭蕉の名句「海くれて鴨のこゑほのかに白し」を「海暮れてほのかに白し鴨のこゑ」のほうがいいといい、しかも、どちらにしても駄句だと言い切る文学者が出て来るが、キチガイだろう。

(以下引用)


デジタル句集


俳句季語出典
はしりきて二つの畦火相博てる畑焼く寒雷
かなしめば鵙金色の日を負ひ来寒雷
枯れゆけばおのれ光りぬ枯木みな枯木寒雷
蟻殺すわれを三人の子に見られぬ寒雷
道問へば露地に裸子充満す寒雷
鰯雲人に告ぐべきことならず鰯雲寒雷
さむきわが影とゆき逢ふ街の角寒し寒雷
寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃寒雷寒雷
長き長き春暁の貨車なつかしき春曉寒雷
蟇誰かものいへ声かぎり颱風眼
蝸牛いつか哀歓を子はかくす蝸牛颱風眼
白地着てこの郷愁の何処よりぞ白絣颱風眼
炎天下くらくらと笑わききしが炎天颱風眼
蚊帳出づる地獄の顔に秋の風秋風颱風眼
灯を消すやこころ崖なす月の前颱風眼
山蟹のさばしる赤さ見たりけり穂高
本売りて一盞さむし春灯下春灯穂高
さえざえと雪後の天の怒濤かな雪後の天
春愁やくらりと海月くつがへる春愁雪後の天
春寒く海女にもの問ふ渚かな春寒雪後の天
牧の牛濡れて春星満つるかな春星雪後の天
鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき鳥雲に入る雪後の天
春田打つかそかな音の海士郡春田雪後の天
隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな木の芽雪後の天
春陰や巌にかへりし海士が墓春陰雪後の天
牡丹の芽炎となりし怒濤かな牡丹の芽雪後の天
十二月八日の霜の屋根幾万雪後の天
生きてあれ冬の北斗の柄の下に冬北斗雪後の天
毛糸編はじまり妻の黙はじまる毛糸編む火の記憶
燕はやかへりて山河音もなし燕帰る火の記憶
子がかへり一寒燈の座が満ちぬ寒燈火の記憶
冴えかへるもののひとつに夜の鼻冴返る火の記憶
火の奧に牡丹崩るるさまを見つ牡丹火の記憶
九十九里の一天曇り曼珠沙華曼珠沙華野哭
雉子の眸のかうかうとして売られけり野哭
飴なめて流離悴むこともなし悴む野哭
死ねば野分生きてゐしかば争へり野分野哭
凩や焦土の金庫吹き鳴らす野哭
死や霜の六尺の土あれば足る野哭
天の川怒濤のごとし人の死へ天の川野哭
炎昼の女体のふかさはかられず炎昼野哭
鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる鮟鱇起伏
蜥蜴交るくるりくるりと音もなく蜥蜴起伏
猫と生れ人間と生れ露に歩す起伏
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ木の葉起伏
霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び霜夜起伏
黴の中言葉となればもう古し山脈
税吏汗し教師金なし笑ひあふ山脈
チンドン屋枯野といへど足をどる枯野山脈
落葉松はいつめざめても雪降りをり山脈
しづかなる力満ちゆきばつたとぶ飛蝗山脈
玉虫はおのが光の中に死にき玉虫山脈
春の暮暗渠に水のひかり入る春の暮山脈
原爆図唖々と口あく寒鴉寒鴉まぼろしの鹿
大き茶碗よわが鼻入れて冬温し冬暖まぼろしの鹿
掌にありて遠くはるかに春の貝まぼろしの鹿
墓二三桜と光る深田打ち田打まぼろしの鹿
夜の椿果肉のごとき重さもつ椿まぼろしの鹿
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく猫の恋まぼろしの鹿
力尽きたる色独楽の色わかれゆく独楽まぼろしの鹿
つぎつぎに子ら家を去り鏡餅鏡餅まぼろしの鹿
花を拾へばはなびらとなり沙羅双樹沙羅双樹まぼろしの鹿
まぼろしの鹿はしぐるるばかりかな時雨まぼろしの鹿
葱きざむこの音とわが四十年まぼろしの鹿
霧にひらいてもののはじめの穴ひとつ吹越
はこふぐの負ひて生きたる箱のさま河豚吹越
青虫のひたゆくは言持たぬため青虫吹越
きらきらと目だけが死なず鬼やんま鬼やんま吹越
湯に透きて寒九の臍ののびちぢみ寒の内吹越
口見えて世のはじまりの燕の子子燕吹越
水を出て白桃はその重さ持つ吹越
いなびかり女体に声が充満す稲妻吹越
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ朧夜吹越
鬼おこぜ石にあらずと動きけり鬼おこぜ吹越
バビロンに生きて糞ころがしは押す黄金虫吹越
チグリスのうつつの蛙鳴きにけり吹越
ぽこぽこと暗渠出できし茄子の馬茄子の馬吹越
吹越に大きな耳の兎かな吹越
おぼろ夜の鬼なつかしや大江山朧夜怒濤
ありまきの雌だけの国あをあをと蟻巻怒濤
こぼれねば花とはなれず雪やなぎ雪柳怒濤
降りだして雪あたたかき手毬唄手毬怒濤
牡蠣の口もし開かば月さし入らむ牡蠣怒濤
牡丹の奥に怒濤怒濤の奥に牡丹牡丹怒濤
ふくろふに真紅の手毬つかれをりふくろう怒濤
天の川わたるお多福豆一列天の川怒濤
たそがれや蹠はなれし瓜の種怒濤
つながれてゐて風船の土を打つ風船怒濤
朧にて昨日の前を歩きをり怒濤
霜柱どの一本もめざめをり霜柱怒濤
どこまでも丸き冬日とあんこ玉冬日雪起し
百代の過客しんがりに猫の子も猫の仔雪起し
羽抜鶏目玉ふたつの夕焼くる羽抜鶏雪起し
風鈴とたそがれてゐしひとりかな風鈴望岳
目ひらけば母胎はみどり雪解谿雪解望岳
双六の母に客来てばかりをり双六望岳
日本語をはなれし蝶のハヒフヘホ死の塔
熱沙上力尽きたる河は消ゆ夏の河死の塔
熱風や土より湧きし仏陀の顔熱風死の塔
千年の泉ごぼりとたなごころ死の塔

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恋愛とじゃがりこ

三谷幸喜の脚本「オケピ!」を読んで、不思議に思ったのが、恋愛とは何だろう、ということだ。舞台伴奏専門のオーケストラの中で、美人のハープ奏者に、指揮者が惚れるのだが、そのハープ奏者はオーケストラの中の男性の半分くらいと寝ている女である。(指揮者はその事実を最初は知らない。)で、そのハープ奏者がそういう女だと知った上で、この指揮者はこの女に未練たっぷりなのだが、これは恋なのだろうか。それとも、他の男同様に自分もこの女と寝たいという欲望、つまり性欲なのか。いったい、恋愛と性欲はどう違うのだろうか。また、このハープ奏者は、一番新しい相手であるトランペット奏者に思い入れがあるようなのだが、これは恋愛なのか、性欲なのか。男から男へ相手を次々に換える女にとって、恋愛とは何なのか。
で、先ほど思ったのが、「じゃがりこ」である。まあ、じゃがりこが何か分からない人は少ないと思うので、説明はしない。私は、じゃがりこにまったく興味がなく、食べてみたいとも思わなかったのだが、ある時、スーパーで安売り(在庫処分)をしていたので、数種類買って試してみると、なかなか美味い。で、しばらくして、その中の「たらこバター味」というのを買ってみたら、これまでのじゃがりこの中で一番美味いと思い、大量に買ってみた。
その後どうなったかは、予想がつくだろう。飽きたのである。「たらこバター味」だけでなく、他の味のじゃがりこもすべて興味も食欲も無くなった。
恋愛というのは、このじゃがりこのようなものではないだろうか。相手に興味を惹かれると、矢も楯もたまらなく、「欲しくなる」。しかし、数回味わえば、飽きるわけだ。だから、次々と別の相手が恋愛(食欲)の対象になる。少なくとも、多情な女性の恋愛は、食欲とさほど差はないし、何なら、アクセサリーや化粧品と大差はないのではないか。で、食われるほうの男も、セックスの相手をして性欲は満足されるから、相手をするのにやぶさかではないし、それが美人の相手ならなおさらだろう。しかし、じゃがりこを食うのと大差はないわけだ。で、いろいろと面倒くさいことが恋愛に付随して起こるが、色好みな種族にはその面倒も気にならないのだろう。女性の中には、死ぬまで恋をしたいという、おそるべき種族もいるようだ。

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西洋音楽と日本語

西洋音楽の上に日本語を載せる難しさ、というのが明確に語られている。そこで開き直って、「たかが歌詞じゃねえか、こんなもん」と、滅茶苦茶な日本語を曲に載せたのがサザンオールスターズなので、私は「日本語破壊者」として、あのタラコ唇(名前は失念)が嫌いなのである。曲作りの上手さは別の話。そして、異質な言葉と言葉のぶつかり合いが時として「詩」になることもあることは承知しているが、サザン以降の、その模倣者たち(馬鹿たち)による、愚劣な歌詞の氾濫、日本の歌謡における歌詞の価値低下の原因はサザンにあると思っている。そして、西洋音楽の上に日本語を載せることは難しいが可能(たとえば、「上を向いて歩こう」が欧米で高く評価されたのは、その達成度が高かったからだろう。)なのであり、その努力を厭うのは、単なるeasy goingにすぎない。まあ、ロックに日本語を載せるのの難易度の高さは、ポップスの場合とは別だ、ということは承知の上の話だ。


(以下引用)



坂本龍一が生前に語った、「日本では珍しく言葉とメロディーが一体化している」アーティストは


配信

J-WAVE NEWS

忌野清志郎の歌と詞の特徴


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腹と背

某ブログの一文だが、「面従腹背」が正しい。パソコンの漢字変換機能でもちゃんとそうなっているのだが、書き手が勝手に「腹反」に換えたのだろう。つまり、「従う」の反対語は「反する」だろうという判断かと思うが、「背」は「背中」の背ではなく、「背(そむ)く」意味である。

(以下引用)

もともとの自民党は、戦後のアメリカ支配に対して「面従腹反」ありました。

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あなたの知らない「あなた(あなたのマイナンバーカード所有者)」

マイナンバーカード(紛失、盗難)で、あなたは知らないうちに犯罪者www

(以下引用)

少女のうそ見抜けず…大阪府警と地検が人定誤り 刑事裁判打ち切り

毎日新聞 によるストーリー • 昨日 18:10





 大阪地検と大阪府警は12日、窃盗事件で逮捕した少女(17)について、誤って20代の成人女性として起訴したことを明らかにした。少女は実在するこの日本人女性のマイナンバーカードを所持していたことから、検察や警察は他人へのなりすましを見抜けなかった。この日は初公判で、大阪地裁は刑事裁判を打ち切る公訴棄却の判決を言い渡した。地検は少女を大阪家裁に送致した。

大阪高検、大阪地検、大阪区検が入る大阪中之島合同庁舎=大阪市福島区で、岩井香寿美撮影
大阪高検、大阪地検、大阪区検が入る大阪中之島合同庁舎=大阪市福島区で、岩井香寿美撮影© 毎日新聞 提供

 地検や府警などによると、少女は2月下旬、大阪市中央区のバーで現金入りの財布を盗んだとして緊急逮捕された。捜査員に女性名義のマイナンバーカードを示し、正確な生年月日も説明した。女性からはカードの盗難届が提出されていたが、府警は少女の供述と身分証の内容が一致することから、十分な人定捜査を実施しなかった。

 検察は3月、窃盗事件を巡る府警の捜査結果を踏まえ、この少女を20代女性として起訴。弁護人は起訴後に少女から紹介された知人とのやり取りで身元について不審に感じたため、本人に確認したところ、少女は自身の名前や年齢とともに実際はタイ国籍だと告白。弁護人は担当検事に身元に関する補充捜査を要請した。検察もこの間、詳細な身元確認を怠っていたとみられる。


 弁護人は取材に「少女は日本語を非常に流ちょうに話し、私も日本人だと思っていた。マイナンバーカードの入手先は分からないが、捜査当局は入念に身元確認をする必要があったのではないか」と語った。カードには女性の顔写真もあったが、少女は「顔が似ていた」と話していたという。


 地検の佐竹毅刑事部長は「再発防止に努める」と話し、府警の津川浩徳刑事総務課長は「身分証をうのみにした。緻密な捜査を尽くすべきだった」と語った。府警はなりすまされた女性に謝罪したことも明らかにした。【古川幸奈、三上健太郎、安元久美子】




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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