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少年騎士ミゼルの遍歴 29

第二十九章 地底の神殿

 ミゼルとピオが洞窟の中の海を泳いで、透明な水の上をしばらく進むと、洞窟の日が入らない部分に入って暗くなった。しばらくは、頭上に二メートルほどの空間があったが、やがて天井が低くなり、とうとう頭上の空間はまったくなくなった。
 ミゼルとピオは顔を見合わせたが、互いに頷くと、水に潜って先に進むことにした。
 二十メートルほど潜水して進み、頭上に再び光が射してきた所で、二人は浮かび上がって水上に顔を出した。
 そこは、巨大な空洞であった。しかも、その内部は一つの建造物となっており、自然の地形を利用してはいるが、様々な装飾や彫刻は、そこが古代の神殿であることを示していた。空洞部分の広さは、およそ二百メートル四方、高さは二十メートルほどもあるだろうか。正面の階段の奥には、さらに何かがありそうだ。彫刻は、ミゼルやピオが見たこともない、異国風のものである。ある者は、牛頭人身、ある者は、人面鳥身、様々な姿の怪物に混じって、古代の衣服をまとった英雄の彫像がある。天井には穴があって、そこから光が射し込み、この地下神殿や洞窟全体を美しく照らしている。
 ミゼルとピオが、体から水を滴らせながら神殿の階段を上がろうとした時、頭上から声がした。
「お前達は何者だ。聖なる神殿に何の用がある」
 二人が見上げると、階段の最上部に、異国風の白い僧服をまとった長身禿頭の老人の姿があった。この神殿の神官だろう。彼は二人を厳しい目で見下ろしている。長い髭は白いが、体つきは非常にたくましく、年は五十代後半くらいだろう。
「無断でここに入った無礼はお許しください。我々は、この神殿に奉納されている破邪の盾を拝借するために参った者です」
 ミゼルは、丁重に言った。
「破邪の盾を何に用いる」
「レハベアムの国王、カリオスを倒すためです」
「なら、お前は、騎士マリスの息子か」
「父をご存じですか?」
「十一年前に、ここに来た。だが、神の試練に耐えきれず、不死の道という堕落を選んだのだ」
「不死の道という堕落?」
「そうじゃ。不死の体を持った者には、神の恩寵は与えられぬ。聖なる武器は使えず、悪魔を倒すこともできぬ。ただ、己が生き長らえることができるだけじゃ。しかも、不老の身ではないから、容赦なく年はとる。三百年もたてば、息をしているだけの、無惨な生ける死者になるだけだ。さらに時が経てば、肉体は滅んで、亡霊のような影となって、地上をさまようのじゃ。それが不死ということじゃよ。お前も、神の試練を受けてみるか? だが、これまでその試練に耐えた者は一人もいないぞ。死んだ者は数百人、不死の身になった者が僅かに三人いるだけだ。その三人のうち二人は、もはや影か亡霊同然の姿になっておる」
「私の身はどうなってもかまいません。どうか、その試練を受けさせてください」
 ミゼルは、その神官らしい老人に懇願した。おそらく、これがロザリンの言っていたプラトーだろう。
 その時、地上につながっているらしい岩壁の横の階段から、何者かが降りてきた。ミゼルとピオは、思わずそちらを見て、ぎょっとした。階段から降りてきたのは、一頭の大きなライオンだったからである。
 そのライオンは、四、五段くらいずつ跳ねながら降りてきたが、床に降り立つと、ミゼルとピオに向かって、うなり声を上げた。
「ライザ、おやめ。その方たちを傷つけてはなりませんよ」
 ライオンに気を取られて気が付かなかったが、階段の上から降りてきた者がもう一人いた。それは、真っ白い古代風の服を着た金髪の若い娘だった。 
(女神だ)、とミゼルは思った。それほどに美しい娘である。
「お父様、この方たちは?」
 その美しい娘は、神官らしい老人に向かって聞いた。
「リリアか。お前は、もう覚えていないかもしれんが、十一年前に、ここに来たマリスという騎士がいただろう。その息子だ」
「ああ、覚えていますわ。だって、この島で、お父様以外に私が話をした唯一の男の方ですもの。それで、この方たちは何の用でいらしたのかしら」
「破邪の盾を貰いたいそうだ」
「まあ、では、あの試練をお受けになるのですか? おやめなさいな。そのために命を失った方が何百人もいるのに」
 リリアは、じっとミゼルの目を見た。ミゼルは、その無邪気な瞳に、思わず目をそらしてしまった。先ほど、この娘を見た瞬間に抱いた恋心を、読み取られるのではないかと思ったからである。
「マリスの息子よ。名前は何という」
「ミゼルです」
「そうか。ミゼル、もしも、お前がどうしても破邪の盾が欲しいのなら、この神殿の奥にある、試練の洞窟に行け。東へずっと進んでいけば、その一番奥に、破邪の盾を納めた部屋がある。しかし、そこに行き着くまでには、洞窟の中の様々な怪物や魔物と戦わねばならん。そして、途中に、不死の泉があるが、その泉に身を浸したり、水を飲んだりしてはならん。そうすれば、破邪の盾のある部屋への入り口は閉ざされ、盾を得ることはできなくなるのだ」
 老神官の言葉に、ミゼルは頷いた。
「分かりました」
「まだ、これだけではないぞ。この試練は、一人で受けねばならん。それでも行く気か」
「はい」
「ミゼルさん、洞窟の中は迷路になってます。分岐したところに来たら、必ず何か目印を置いておくのです。あせって同じ所を何度も回らないようにね」
 リリアの優しい言葉に、ミゼルは感激した。
「そこの男は、ミゼルが出てくるまで、その辺で待っておくがいい」
 神官の言葉にピオは、頷いてミゼルの側に歩み寄り、
「しっかりやれよ」
と言った。
 ミゼルはピオに頷いて神殿の階段を上っていった。

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少年騎士ミゼルの遍歴28

第二十八章 風の島ヘブロン

 六日目の朝、船の前方にヘブロンの島影が見えた。
 朝日を受けて薔薇色に輝く岸壁は、神々しい雰囲気を漂わせている。
 ここから見える東側の海岸のほとんどは切り立った岩壁だが、しばらく島に沿って船を走らせると、やや岩壁が低くなったところの下に白砂の海岸が見えた。
 ミゼルたちは、船をそこに付けることにした。海の水は完全に透明で、朝の光が縞を作って海底まで届き、群れて泳ぐ魚が無数に見える。海底の珊瑚礁の上には、よく見ると海老や蟹がおり、その上を透明なクラゲが泳いでいる。そして、海草の赤や緑が美しい。
 船の碇を下ろしてミゼルたちは上陸した。海に飛び込むと、海水は温かである。
 先頭に立って歩いていたピオが足を止めた。
 その指さしたところには、人間の背丈ほどもある巨大な蟹の姿があった。
 ミゼルたちはぞっとした。
 蟹は、侵入者を察知したのか、岩壁に沿って動き、大きな岩の後ろに姿を隠した。
 ミゼルたちは、ほっと息をついた。
 海岸からしばらく登っていくと、岩壁の上に出た。そこから、さらになだらかに斜面は続いていたが、島の様子はここからでもだいたい分かる。島は、盾を伏せたような形をしており、岸壁の高さは、およそ十メートルから五十メートル、島の上部は起伏こそあるが、全体がなだらかな丘になっていて、地形は単純だ。それでも、一日で回れる大きさではない。丘の蔭には林も小川もあるようである。そして、風の島の名の通り、島全体を涼しい風が吹き巡り、気持ちがいい。
 ミゼルたちを見て、野ウサギや鹿が不思議そうな顔をしているが、逃げることもしない。敵を見たことがないのだろうか。
 小川の側で、ミゼルたちは一休みした。草の上に身を横たえて、久しぶりの大地の感触を味わう。川の水を手で掬って飲んでみると、なんとも言えない清涼な味がした。
「破邪の盾は、ヘブロンの神殿にあるという話だが、そのヘブロンの神殿は、人の目には見えないそうだ」
ミゼルは、ピオに言った。
「神殿というくらいだから、大きな物だろう。見えないってことは、何かの魔法がかかってるって事かな」
「多分、そうだろうな」
 ミゼルが答えると、メビウスが、
「そうとは限らないよ。地下神殿かもしれんしね」
と言った。
「成る程。だが、入り口くらい見つかりそうなものだ」
 ピオが頷きながら言った。
「もしも、これまで何人もの人間が、入り口を見つけきれなかったのなら、それは時間帯の問題じゃないかな」
 メビウスの言葉に、ミゼルとピオは不思議そうな顔をした。
「どういう事だ?」
「ある一定時間しか現れない入口さ。さあ、そろそろ船にもどろうぜ」
「おいおい、神殿を探すのはどうする」
「その為に船に戻るんだよ」
 狐につままれたような顔で、一行はメビウスに従って船に戻った。
 浜辺に停泊していた船の碇を上げ、メビウスは島の周囲に沿って船をしばらく走らせた。
「よく岸壁を見ていろよ。海面との境に空洞があったら知らせるんだ」
 メビウスは船を操縦しながら、皆に命令した。
 海は干潮になってきていた。
「そうか、干潮の時だけ、洞窟の入り口が海面上に現れるんだ!」
 マキルが叫んだ。海についての知識の無いミゼルとピオには、まだ何の事かわからない。
 船は、島の西側に来ていた。西に傾いた太陽に照らされて、空洞らしい黒い空間が見えたようにミゼルは思った。
「船を止めてくれ! あそこに入り口みたいなものがある」
 それは確かに洞窟の入り口だった。しかし、洞窟の下半分は水没しており、船が入れる大きさではない。仕方なく、ミゼルとピオの二人だけで、洞窟の中に泳いで入ることにした。

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少年騎士ミゼルの遍歴 27

第二十七章 海の旅

 次の日、ミゼルとピオは町で、船旅に必要な品物を買い込んだ。船の燃料の薪は前もって準備してあり、それらには、水に濡れても大丈夫なようにタールが塗られていた。メビウスは、一日かけて、船の点検と機関の整備を行っている。
 ピオとミゼルは、その前から航海のための船乗りを二人雇っていた。マキルとザキルという兄弟で、年は三十くらいである。兄のマキルは実直そうな男だったが、弟のザキルは目にずるそうな光があって、ミゼルには信頼できない男のように思われた。しかし、この危険な航海に同伴することを承知する漁師はほかには無く、この二人を雇うしかなかったのである。幸い、メビウスも一緒に船に乗ると言ったので、船の機関の操作や整備の点は安心だった。
 この五人とゼフィルが船に乗り込み、ハビラムに着いてからおよそ三週間後にミゼルたちはヘブロンに向けて出発した。季節は秋になっており、風は軽い逆風だったが、蒸気で走る船は、快調に波を蹴立てて進んでいった。
 秋空は美しく晴れ上がり、夏の名残の入道雲が水平線にはあるが、空の高いところは、軽く絵筆を走らせたような筋雲がかかっている。時折、海の上に飛び魚が群れ飛び、銀色の体をきらめかせる。海の色は、深い群青色だ。
「海の旅というのは退屈なもんだな。することもありゃしねえ」
 最初は海の景色に感嘆していたピオは、二日目には、早くもぼやき始めている。彼はザキルを相手にサイコロ博打などをしていたが、どうもザキルが好きになれないらしく、それもやめてしまっている。ミゼルの方も、ヘブロンに着くまではすることはない。
 三日目には、水平線の彼方に、鯨の姿が見えた。ミゼルもピオも、この海の怪物を見るのは初めてである。
「遠くにいるからわかりませんが、あいつはこの船より大きいんですよ」
 マキルが二人に教える。
「いくら大きくたって、人間にはかなわねえぜ。俺は、こいつであの鯨を何頭も倒してきたんだ」
 ザキルが、自分の銛を自慢そうにピオとミゼルに見せて言う。
「お前一人で倒したわけじゃない。仲間が何人もかかって、やっと倒したんだろうが。あんまり自慢めいた事を言うんじゃない」
 マキルがたしなめると、ザキルは不満そうに口をつぐんだ。
 その夜、船が大きくグラリと傾き、寝ていたミゼルたちは飛び起きた。
「何事だ!」
 真っ先に甲板に飛び出したピオが、船の操縦をしていたザキルに聞いた。
 ザキルは、真っ青な顔で、首を横に振った。何が起こったのか、分からないのだろう。
 船に乗っていた者は皆、海面を見つめた。
 夜空には無数の星が出ていたが、月は無く、星明かりでは海面の様子は、良く見えない。
 だが、やがて船の真下を行く巨大な白い姿が見えた。
「鯨だ!」
 ザキルが叫んだが、その声は昼間の大言壮語とは打って変わった震え声であった。
「違う、大烏賊だ!」
マキルが言って、銛を銛掛けから外して身構えた。ミゼルも、弓を構えた。
その時、船の舳先に、不気味な白く長い物が現れた。それは、舳先にからみつき、すぐに続けて、同じような物が数本現れて、こちらに伸びてきた。烏賊の足である。船は、大烏賊に絡まれて大きく傾いた。
ピオは、剣を抜いて大烏賊の足に斬りつけた。足は一瞬縮んだように見えたが、次の瞬間くねりながら甲板をのたうち回り、ザキルの体に触れて、それを絡み取った。ザキルは悲鳴を上げながら、宙に持ち上げられる。
ミゼルは、船の舷側に身を乗り出し、海上に現れた大烏賊の胴体の中にかすかに見えたその目に弓を射た。
大烏賊は、片目に射込まれた矢の苦痛のためか、ザキルの体を甲板に放り投げて、船に巻き付いていた手足を離した。
やがて、その悪夢のような白い姿は、船の後ろに遠く離れていった。
「鯨は得意でも、烏賊は苦手なようだな」
 ピオがザキルをからかったが、ザキルは何とも言わなかった。幸い、ザキルにも、他の乗組員にも怪我はなく、調べてみると、船もそれほど壊れてはいなかった。
 翌日の夜、異変は再び起きた。
 舵をとっていたのはマキルであった。マキルのかすかな悲鳴を聞きつけて目を覚ましたミゼルは、甲板に上がっていった。そこでミゼルが目撃したのは、海上を漂う幾つもの青白い人影だった。
「死人の魂だ。……あいつらは、俺達を死の国に連れて行くんだ。あいつらに出逢った船は、みんな沈んでしまう」
 マキルはぶるぶる震えながら言った。
 船に近づいた亡霊たちは、今では顔もはっきりと見えた。やはり、死人の顔である。この海で死んだ漁師や船乗りの亡霊だろう。
 ミゼルの心も、さすがに気味悪い思いに捕らえられたが、ミゼルは、ふと思いついて船室に戻り、アドラムの国王から手に入れた王者の剣を取って甲板に戻った。
 ミゼルが王者の剣を鞘から抜くと、青い光が、さっと輝き渡った。その光は、ミゼルやマキルの顔を明るく照らし出すほどの明るさである。
 その光が亡霊たちに当たると、亡霊たちは一瞬で消え去った。
 ミゼルとマキルは、顔を見合わせて、ほっと安堵のため息をついた。

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少年騎士ミゼルの遍歴 26

第二十六章 港町ハビラム

ミゼルとピオが、アドラム北西の海辺の町ハビラムに着いたのは、夏の終わりだった。二人はそこで宿を取り、ヘブロンへの船旅の準備をすることにした。ヘブロンまで、およそ三百海里、順風でも一週間はかかるが、今は西風が吹き始めているから、三、四週間くらいもかかるかもしれない。それに、南方からは、台風が時折発生する頃だ、と港町の古老は言っている。大風にも耐えられるだけの船は、すぐには手に入らない。船の乗組員の人数も揃える必要がある。
 ミゼルとピオは、漁民の家を回って、船を探してみたが、どの舟も、沿岸漁業用の小舟で、遠洋航海ができる船ではない。
「いっそ、新しく作らせちゃあ、どうだ。金はあるんだからな」
 ピオが言った。
 ミゼルは、レハベアムに行くのが遅くなる、と乗り気ではなかったが、ある日ピオは一人の少年を連れてきた。やせっぽちで、耳や鼻の大きい不細工な顔の少年だが、目には知的なきらめきがあった。
「こいつの名はメビウス。船大工だが、細工物ならなんでもできる天才的な男だそうだ。大きな船を作ったことはないが、作るのは簡単だ、と言っているぜ」
 ピオの言葉に、少年は平然と付け加えた。
「人手さえあれば、二週間で作るよ」
 ミゼルは驚いた。小さな舟でも、作るのに二、三ヶ月はかかるのが普通だからだ。
「もしも、金がたっぷりあるのなら、櫓も帆も無くても走る船を作ってやるよ」
 あっけにとられているミゼルとピオに、少年は、地面に図を描いて説明した。
「密閉した大釜に水を入れて、下から熱すると、蒸気が出る。その蒸気を、管に通して羽根のついた車に吹き付けると、車が回る。その回転の力で、船を進ませるんだ。もちろん、実際には、もう少し複雑な仕組みになるけどな」
 ミゼルの頭では、メビウスの言葉が実現可能なものかどうかわからなかったが、とにかく、この少年の頭が自分たちとは随分ちがったものであることは分かった。
 ミゼルは、メビウスに二千金を与えて、造船作業の一切の指揮を任せた。
 後は、ミゼルたちにはすることが無かった。ピオは乗組員を探しがてら港町の酒場で毎日酒を飲み、ミゼルは造船作業の進み具合を見るために、作業場に毎日通った。
 メビウスの仕事の進め方も、意表を突いたものだった。五十人あまりの人間が、幾つものグループに分かれ、それぞれ船の別の部分を同時に作っていくのである。各部分の設計図を見て作っていくのだが、最終的にそれらがきちんと一つに組み合わされるのか、ミゼルは不安でならなかった。
 十日目に、船はその全容を現した。作業場である海辺の小屋の側で組み立てられたそれは、全長およそ二十メートル、幅七メートルほどの大きさの船で、甲板と船室があり、船体の横には二つの外輪が両側にあって、船の中央には、煙突が突き出ていた。この当時の人間の目には、いかにも異様な形の船である。
全体が組み立てられた後、船板の継ぎ目にタールが塗られて防水された船は、タールが乾くのを待って海に浮かべられた。コロと滑車で海まで引かれていった船は、無事に海に浮かんだ。ミゼルとピオは、思わず顔を見合わせて、微笑した。
火釜に火が入れられ、しばらくすると、船は自力で動きだした。最初はゆっくりだが、段々と速度が上がり、思いもかけないほどの速さで船は走り出した。
「素晴らしい! これなら、レハベアムまで楽に行けるぞ」
ピオは叫んだ。

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少年騎士ミゼルの遍歴 25

第二十五章 灼熱の砂漠

 翌日、朝早い時刻に、ミゼルはマハンの屋敷を出た。ロザリン、ゲイツ、アビエル、アロン、マハンらが見送るのに手を振って、ミゼルはゼフィルを砂漠の中へと歩ませる。ゼフィルの後ろには、荷運び用の駱駝が一頭繋がれている。
 アサガイが砂丘の向こうに姿を隠すころには、日は高く昇り、焼け付くような暑さが襲ってきた。ゼフィルも、慣れない砂の上の歩みに苦労している。
 目的地は、北西の海岸である。そこの港町ハビラムが、ヘブロンには最も近いはずだ。そこでなら、船も求められるだろう。しかし、たった一人でヘブロンまで行き着けるだろうか。ミゼルの心は不安で一杯だった。旅の最初の頃は、すべてが未知だったから、旅の苦難についても悩むことはなかった。しかし、ヤラベアムからアドラムまでの旅の間に、ミゼルは、この旅が容易な旅ではないことが分かってきていた。ロザリンの魔法、ゲイツの世間知、エルロイの武勇、アビエルの機知があって、旅の危険から脱出し、旅の苦労が慰められたのである。だから、表面では仲間たちと明るく別れたものの、ミゼルの心は孤独を感じていた。なまじ仲間がいなければ、こんな孤独を感じることもなかっただろう。
 何日か砂漠の旅をした後、ミゼルは砂漠の真ん中で水を切らしてしまった。水は、アロンの忠告で、駱駝の背に革袋四つ分乗せていたのだが、ゼフィルがひどく水を欲しがるので、飲ませているうちに、足りなくなってしまったのだ。
 水なしで、さらに一日旅をすると、ミゼルの頭は朦朧としてきた。ずっと前から、ゼフィルの負担を軽くするために、ゼフィルには乗らず、自分の足で歩いていたのだが、灼熱の太陽の中で、ミゼルの足は、もはや一歩も進まなかった。急に目の前が暗くなったミゼルは、熱い砂の上に倒れた。
 倒れた瞬間、ミゼルは祖父シゼルの待つ故郷のことを想っていた。あの、さわやかな風の吹く草原を。
「お祖父さん、僕はもう終わりです。期待を裏切って済みません……」
 そして、ミゼルの意識は闇の中に沈んでいった。
 気が付くと、ミゼルの体は涼しい木陰に横たえられていた。頭には、水に濡らした布が置かれて、気持ちよく冷やされている。ミゼルは、思わず、その布を取って、布に含まれた水を吸おうとした。
「おっと待った。水ならあるぜ。ほら、飲みな」
 誰かの差し出した水筒を受け取って、ミゼルはその中の水をむさぼるように飲んだ。
 意識がはっきりと戻ってきた。
「こんな砂漠のど真ん中で遭うのは、奇跡に等しいが、俺が見つけなけりゃあ、お前さん、ここで日干しになっていたぜ」
 男は、日に焼けた顔で、にかっと白い歯を見せて笑った。顔一杯に広がるようなでかい口だ。その顔には見覚えがあった。ピオである。ミゼルからゼフィルを盗んだ男だ。
「実は、お前さんに用があって、アサガイを訪ねたんだ。そこで、お前さんの旅の目的も聞いた。どうだい、一つ、俺を仲間にしないかね。どうやら、この旅は、お前さん一人じゃあ、無理なようだぜ。俺も、長年の泥棒稼業に嫌気がさして、何か面白いことをしてみたいと思っていたところなんだ」
 ピオの申し出に、ミゼルは一瞬考え込んだ。
「もちろん大歓迎だが、ヘブロンから、エタム、レハベアムという、まだ誰も行ったことのないような所までの危険な旅だよ。途中で命を無くすことになるかもしれないが、それでもいいのか?」
「望むところさ。もともと、あって無いような命だ。まだ見たことも無いような所が見られるなんて、面白いじゃねえか」
 ミゼルにとっては、命の恩人だ。それに、この男は泥棒だが、けっして悪い男ではないとミゼルは感じていた。ミゼルはピオの申し出を有り難く受け入れた。これで、孤独から解放されると思うと、ミゼルの心にほっとした思いが広がった。

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少年騎士ミゼルの遍歴 24

第二十四章 別れ

 アサガイに着いた一行は、そこで何日かを過ごした。都からの噂では、宰相アブドラが、自分の私兵を連れてムルドを脱出し、各地の豪族に呼びかけて内乱を起こしているらしい。ミゼルたちを王に目通りさせた事が王の怒りに触れ、処刑される事を恐れて先回りして行動したものだろう。ミゼルは、アブドラにも済まないことをした、と思ったが、アロンの父のマハンは、笑って言った。
「もともと、今のエリアブ王家は、その前のダタン王朝に仕えていたヤラベアム出身の宰相カロンが王位を簒奪して作った王朝で、我々アドラム人の王家ではありません。見ての通り、我々とあなた方ヤラベアム人とは、肌色も髪の色も違う。アドラム人には、あなた方のような金髪や青い目の者はいません。アロンがアドラム人でないことは、見ればわかるでしょう。いずれにせよ、エリアブ王家の悪政に苦しめられたアドラム人が立ち上がるのは、時間の問題だったのです」
 ミゼルは、アドラムに残ってロドリグ王との戦いに協力したいと思ったが、その一方では、早く風の島ヘブロンに渡って聖なる武具の二つ目を手に入れたいとあせる気持ちがあった。
 ある日、アロンがロザリンを連れてミゼルの所に来て、ロザリンが自分の求婚を受け入れたということを告げた。ミゼルは喜んで二人を祝福した。
「そういうわけで、ミゼル、残念だけど、あなたの旅に付いていく事ができなくなったの。御免なさいね」
 ロザリンはミゼルに向かって言った。ミゼルは頭を振って、ロザリンがアロンを選んだのは良かった、きっと幸せになるだろう、と言った。
 ロザリンは、ゲイツやアビエルからも祝福を受けたが、その席で、驚くべき事を告白した。
「実は、私はヤラベアムの王女なの。本当の名前はエステルよ」
 ミゼルたちは信じられない思いだったが、ロザリンが顔の化粧を拭い去って本来の色白の肌を顕した時、ミゼルは、彼女が、御前試合の時に少しだけ見たエステル姫本人であることが分かった。
「俺達はとんでもない人と一緒に旅をしていたんだなあ」
 アビエルはあきれたように言った。
「これまでの無礼の数々、お許しください」
 ゲイツは、青くなって詫びた。
「無礼どころか、皆にはいろいろと迷惑をかけたわ。それに、これまでの旅は、今までで一番楽しい思い出よ」
 ロザリン、いや、エステル姫は、笑って答えた。
「エステルの魔法で、ロドリグ王と戦うことができるし、何とかしてヤラベアムに使者を送ることができたら、ヤラベアムからの援軍を頼むことができるでしょう。そうすれば、この戦いを勝利に導くことは、決して不可能ではありません」
 アロンは自信に満ちた微笑を浮かべて一同に言った。
 翌日は再び旅に出ようという前の晩、ミゼルの居室にゲイツが済まなそうな顔で現れた。
「ミゼルさん、お話が」
「何ですか」
「実は、あなたには申し訳ないんだが、私はここにしばらく残りたいんですよ。例のシケル山で見つけた燃える水で何か商売をしてみたいと思いましてね。うまくいけば、大儲けができそうな気がするんです。それに、あれは、もしかしたら戦の武器に使えるかもしれませんからね。アロンさんたちの戦いに、お役に立てるかもしれません」
「そうですか。それは素晴らしい事だ。ゲイツさんも、旅の目的に一歩近づいたわけですね」
「それで、これも言いにくいことなんだが、アビエルを私の片腕に欲しいんですよ。あいつは、目端が利くし、口も上手い。商売人にはうってつけだ。本人も私の話に乗り気なんだが、そうするとミゼルさんが一人になってしまうんで困ってるんです」
「ああ、それなら、気にしないでください。私はもともと、一人で旅をするつもりでしたから大丈夫です。これまで、助けてくれて有り難う。二人で頑張ってください」
 ミゼルは、ゲイツを力づけるように明るく言った。

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少年騎士ミゼルの遍歴 23


第二十三章 脱出

 ミゼルは、ゼフィルの脇腹にくくりつけてあった弓を素早く手にとって矢をつがえ、王の胸に狙いをつけた。
「動くな! 誰でも動くと、王の命はないぞ」
 王の側近たちは凍り付いた。護衛の武官たちも動けない。
「王者の剣を持ってくるように言え」
 ミゼルは王に命令した。
 王は、宰相に向かって頷いた。
 やがて、宝物庫から届けられた剣が、アロンに渡された。アロンは、それをロザリンに見せた。ロザリンが、魔法の力でその霊力を確かめ、頷いた。
「王よ。残念だが、ロザリンは渡せない。最初に約束を破ったのはそっちだから、恨まないことだ。もし、我々の後を追おうとしたら、こういうことになる」
 ミゼルはロザリンに、目で合図した。
 ロザリンが、軽く頷いて、手を前方に伸ばした。その指先から稲妻が出て、爆発音と共に、広場の中心に巨大な穴が開く。
 見ていた者たちは声を失った。
 ロザリンが呪文を唱えると、今度は、その穴の中から奇妙な怪物たちが現れた。大きさは人間くらいのハサミムシである。その虫たちは、ぞろぞろと宮廷の人々の前に行って、ハサミを振り上げて威嚇した。女官たちは悲鳴を上げる。
「ロドリグ王、私の魔法で、あなたに死の呪いをかけることもできます。もし、あなたが私たちの後を追わないと約束するなら、魔法はかけません。追わないと約束しますか?」
 ロザリンの言葉に、王は、ためらったが、弱々しく頷いた。
ミゼルたちは、エルロイの遺体をゼフィルに乗せ、中庭から脱出した。
 ミゼルたちが王宮から離れてしばらくたつと、巨大なハサミムシたちは、急に姿を消した。宮廷の人たちがその後の地上をよく見たなら、本物の小さなハサミムシの姿が見られただろう。
 ミゼルたちは、そのままムルドを離れ、砂漠に脱出した。
 夕陽の中を行くミゼル、ロザリン、アロン、ゲイツ、アビエル五人の姿は葬送の列のようだった。
 ミゼルの心は、悲しみと後悔で一杯だった。王者の剣はやっと手に入れたが、その代償は、何と大きな物だっただろう。かけがえのない友人エルロイの死は、代償としてはあまりに大き過ぎた。
 ロザリンの悲しみは、最も大きかった。泣き濡れるロザリンの肩に手を置いて慰めるアロンの声も耳に入らない様子ではあるが、アロンがこの場にいて良かったとミゼルは思った。ミゼルはもとより口下手だし、口の上手いゲイツでも、アビエルでも、今のロザリンを慰める適切な言葉は出てこなかっただろう。アロンだけが、この場にふさわしい言葉を言うことができた。それは、おそらくロザリンの胸にも沁み入っているはずである。
 ミゼルたちは、翌朝、ある丘の蔭にエルロイの遺体を埋めた。墓泥棒に遺体の衣服や刀剣が盗まれないように、墓標は立てず、大きな石を目印に乗せるだけにした。
 アロンが聖書の祈りの言葉を暗唱して、一同はエルロイの魂が天国に迎えられることを祈った。
 エルロイの墓に心を残しながら、ミゼルたちは、アロンの故郷アサガイに戻って行った。おそらく、ミゼルたちへの恨みを晴らすため、その仲間のアロンの父マハンを王は襲うだろう。その対策を講じなければならないからである。

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仙人
趣味:
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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