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「ナイーブ」さという知的欠陥

「晴耕雨読」より転載。
前説は無用だろう。


(以下引用)

2014/9/21

「素朴な「感謝」がファシズムを支えるとき 映画作家・想田和弘の観察する日々:「マガジン9」」  天皇と近代日本
http://www.magazine9.jp/article/soda/14678/
2014年9月17日up
映画作家・想田和弘の観察する日々 

第20回

素朴な「感謝」がファシズムを支えるとき

 来年、テレビ東京開局50周年企画として、百田尚樹氏の小説『永遠の0』(太田出版)がドラマ化されるそうである。周知の通り、本作はすでに映画や漫画になっている。原作は累計で530万部を売り上げ、映画は700万人を動員したという。今度のドラマ化は「2匹目だか3匹目のどじょう」を狙ったものなのだろう。



 ドラマのウェッブ・サイトには、次のような百田氏のコメントが寄せられている。

 「このたび、テレビ東京から『永遠の0』をドラマ化したいという申し出を受けました。三日間通しての放送と聞いて、心が震えました。映画版は原作者である私自身が大いに満足した出来栄えでしたが、もとが600ページ近い長編だけに、原作の世界観が十全に再現されたものではありませんでした。しかし、今回のテレビ東京の企画は、限りなく原作に近づいたものです。脚本も見せていただきましたが、主人公である宮部久蔵だけでなく、彼を取り巻く様々な男たちの姿が生き生きと描き出されていることに感動しました。どんな風に映像化されるのか、本当に楽しみです」

 『永遠の0』の物語の構造は、原作も映画も同じである。

 思い切って単純化するならば、それは「だらけきった戦後民主主義の日本人(健太郎と慶子)」が「誤解され、忘れ去られた戦前・戦中の日本人(宮部久蔵)」の「本当の姿」を発見し、その愛の強さや自己犠牲の精神に驚嘆すると同時に、自らの認識と生き方を改めていくという物語である。「私は死にたくありません」と言い続ける厭戦的な宮部を主人公に据えたことで、本作は一見「反戦作品」にも見えるが、その本質を冷静に分析するならば、安倍首相や百田氏らが好む「靖国史観」に沿ったプロパガンダだといえる(詳しくは拙著『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)をご参照のこと)。

 百田氏のコメントによれば、ドラマも「限りなく原作に近づいたもの」だそうだから、きっと同じような作品になるのであろう。ドラマの「協力」に、防衛省、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊が名を連ねていることを考えれば、すでに国を挙げたプロパガンダが始まっているとみるべきではないだろうか。

 ドラマの主役には、向井理氏が起用された。彼は「靖国史観」に共感を寄せているようで、2010年の8月15日に「幸せ」というタイトルで次のような文章をブログに投稿している。

 今日は日本がポツダム宣言を受諾して65年の日です。(略)
 昨日放送したドラマ『帰国』の撮影前に靖国神社に参拝に行きました。
 劇中の自分のセリフにもありましたが、『国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃないのか』(略)
 八月十五日が来ると改めて今の自分は幸せだと思います。
 ちゃんと生きて、生活できているから。
 それこそ戦争中はいつ死ぬか、家族の安否もわからぬ生活を送る人が多かった訳だから、それに比べたら幸せ過ぎて申し訳ないくらいです。(略)
 そして、必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気持ちで一杯です。
 さらにあの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います。(略)

 衝撃的なのは、「あの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います」という記述である。向井氏は「ポツダム宣言」や「無条件降伏」の意味を理解していないのだろうか。理解していれば、「無条件降伏まで持っていった」などという記述になるはずがない。

 このブログ記事には約4400件ものコメントが寄せられている。その全部を読んだわけではないが、ざっと見た限り、そのことについて指摘したり批判したりしたコメントは見当たらなかった(見落としてたらごめんなさい)。コメントの大半は向井氏に共感し、向井氏や戦死者に感謝する内容である。その典型的なものをいくつか紹介する。

「向井さんの考えを読んで、あらためて今の何気ない幸せを当たり前にある幸せではないのだと感じました。自分達の行く末を案じて逝かれた方々に同じ日本人として感謝したいです」
「亡くなった方々の御冥福を、お祈り致します…素直な心で…そんな気持ちを、思い出しました…ありがとう」
「生半可な覚悟じゃ、特攻玉砕なんて出来ない。命と引き換えに日本の未来を護って下さったのです。英霊の方々には感謝の気持ちで一杯です。今度の日曜に、靖国に行こうと思います」
「広島で生まれ、育ちました。読んで、なんだか泣けてきました。ありがとう。」
「あなたのように、人気、実力共に兼ね備えた素晴らしい俳優さんが、このようなブログを書かれることで、多くの方に靖国神社の大切さや、そこに眠っておられる英霊の皆様の事を知っていただけると思います。本当にありがとうございます!これからのご活躍を応援させていただきます。お身体に気をつけて頑張って下さい!」

 僕はこのブログを読みながら、なんともやるせない気持ちになった。

 おそらく向井氏はポツダム宣言の意味を誤解しているわけだが、それほどまでに基本中の基本である事実を正確に理解することなく、靖国や戦死者に対する感傷だけをナイーヴ(naive)に表明し、読者と共有してしまう。読者も歴史的事実など考慮せず、素直に感動してしまう。この図は、なんだか現代日本の極めて典型的な光景のように思えたのだ。

 向井氏はこう書く。
「必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気持ちで一杯です」

 そしてコメント欄の読者も、しきりに「英霊」に対する「感謝」の気持ちを表明する。というより、靖国史観に共感する人々からは、決まってこの「感謝」という言葉を聞く。

 それは一見、単に人畜無害な言葉にもみえる。彼らはきっと善意で無邪気に感謝を表明しているのであろう。しかしだからこそ、その言葉の強い政治性は自覚されにくく、余計にタチが悪いように僕は思う。ナイーヴであることは、罪なのである。

 そもそも向井氏らは「英霊」に感謝するとき、いったい何に対して感謝しているのか、つきつめて考えたことが一度でもあるのであろうか?いや、歴史を正確に知ることなく、自分が「何に対して感謝すべきか」を見極めることなど、そもそも可能なのだろうか?

 僕自身はもちろん、戦死者に対して素直に単純に「感謝」することなど、断じてできない。

 日中戦争から太平洋戦争で亡くなった日本軍兵士の数は230万人といわれるが、歴史学者の故・藤原彰氏の研究によれば、そのうちの6割は戦って死んだのではなく、餓死したのだという。

 物資の補給をないがしろにし、彼らを見殺しにした戦争指導者には憤りを覚えるし、無益な殺生をさせられた上に餓死させられた人たちは本当に気の毒だと思う。おまけに彼らが自らの死について「国や家族のためになる」などと本気で信じ込まされていたのだとしたら、洗脳とは全く恐ろしいものだと戦慄を覚える。

 だがそれは、「感謝」という気持ちとはほど遠い。というより、彼らの境遇や行為の本質を「日本の行く末を案じながら散っていった」などというセンチメンタルな言葉で曖昧にし、さらに「感謝」という言葉で無前提に美化することは、倫理的に許されないと思うのだ。

 ブログのコメント欄には、「生半可な覚悟じゃ、特攻玉砕なんて出来ない。命と引き換えに日本の未来を護って下さったのです」という文章があった。それは『永遠の0』を読んだり観たりした人の多くも抱いた感想であろう。

 だが、周知の通り、彼らが特攻を命ぜられた時期には、日本の敗戦はすでに決定的であった(というか、戦争を始めたときから負けることは分かっていた)。彼らがいくら敵艦に突っ込んで自爆をしても、それは敗戦の時期を多少先延ばしにすることはあっても、「日本の未来を守る」ことには決してならなかった。それはまことに無念かつ遺憾ながら、徹頭徹尾、「無駄死に」であった。彼らはむしろぜひとも生き残って、戦後の日本を作り上げていく存在になるべきだったし、私たちは彼らを無駄に死なせた人たちの責任を問うべきなのだ。

 にもかかかわらず、「特攻隊員が日本を守ってくれた」などと「感謝」するのであれば、それは彼らに自爆を強いた当時の戦争指導者の方針をも正当化することになる。ましてや感謝の表明を、天皇のために死んだ兵士だけを神として祀る靖国神社に絡めて行うことは、戦争ファシズムに協力した当時の日本の「素朴な庶民」と、何も変わらないのではないだろうか。

 今のうちに不吉な予言をしておく。

 もし万が一、安倍首相かその後継者が将来「戦争指導者」になったとき、向井氏らはやはり素朴に、善意で自衛隊員への「感謝」の念を表明するであろう。しかしそのとき彼らの頭の中には、「そもそも日本が戦争すべきかどうか」という疑問が湧くことはたぶんない。過去に起きた戦争の本質を問わない人間が、これから起きる戦争の本質を問うとは、考えにくいからである。

 彼らはそのとき、胸を張って、心に一点の曇りもなく、こう言うのではないだろうか。

 「戦争になった以上、今は戦争の是非を議論するときではない。日本人なら一丸となって自衛隊を応援し、英霊には感謝しようよ」

 かくして戦争そのものを批判し、戦死者に感謝しない人間は、「非国民」となるのである。

 

※コメントは承認制です。
「第20回 素朴な「感謝」がファシズムを支えるとき」 に1件のコメント

magazine9 より:
2014年9月16日 8:46 PM

〈彼らはむしろぜひとも生き残って、戦後の日本を作り上げていく存在になるべきだった〉--以前、初めて遊就館(靖国神社併設の資料館)を訪れたとき、まったく同じことを考えました。おそらくはたくさんの未練も無念もありながら、死に追いやられた人たち。そこに無批判に「感謝」を捧げることは、彼らの死を強要した「戦争」を正当化することにしかならないのではないか。私たちがすべきことは、彼らの死を美化するのではなく惜しみ、同じことを繰り返さないと誓うことではないのか…。
そこから十数年経って、当時よりもさらに「無批判な感謝」が広がっていることに愕然とします。「戦争そのものを批判し、戦死者に感謝しない」ことが「非国民」になったとき、自分はどこまで「非国民」であり続けられるだろう? そんなことも考えてしまいます。


※記事を引用する場合は出典の明記「マガジン9:http://www.magazine9.jp/」をお願いします

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オバマと共和党と石油メジャーとイラク空爆の関係

「日刊SPA!」というサイトから転載。低俗な記事が多く、あまり閲覧しないサイトだが、時にはこうした真面目な記事も出すようだ。別に目新しい情報は無いが、戦争(特に米国の戦争)は何のために起こされるのかをはっきり言っている点で良記事と言えるだろう。
ただし、ここに書かれただけでは、イラク空爆が石油メジャーにとってどんな利益になるのか、明確ではない。まあ、戦争があるだけで、既に軍需産業(ハリバートンはその一つ)は大儲けだから、石油メジャーよりも軍需産業が背後で糸を引いているとは思うが、中東が混乱状態になれば石油価格は高騰する、ということはあるだろう。
だが、イラク空爆よりも、本命はシリア空爆ではないか。テロとの戦いという名目さえあれば、アメリカはどこの国でも空爆できるようだ。(笑)




(以下引用)


やはり…イラク空爆に見え隠れする石油メジャーの影


アメリカのイラク空爆、中国のウイグル自治区弾圧、ウクライナの内乱、イスラエルのガザ地上侵攻など、戦争・紛争のニュースが絶えなかった昨今。一部は停戦も進んでいるが、現在も多くの民間人が戦闘に巻き込まれ、殺されていることに変わりはない。こうした争いは宗教や民族対立などが原因といわれているが、その陰には「カネと資源」の問題が潜んでいた!!

◆「戦争は石油が目的」と米国要人が明確に発言!?【アメリカ】

アメリカ

イラク北部を制圧したイスラム国は、ガソリンを無料で提供するなど人心掌握術に長けている(写真/Getty Images)


 米軍がイラク北部への空爆を続けている。’03年にアメリカが侵攻し、戦争が始まって以降、11年を経ても平和が訪れることがない。ここにもカネの影が見え隠れする。イラクを継続的に取材しているジャーナリストの志葉玲氏に話を聞いた。

「共和党は湾岸戦争以降、強力に戦争への民間会社の参入を推し進めてきました。イラク戦争開戦当時、ブッシュ政権の副大統領を務めていたディック・チェイニーは、以前にハリバートン社という石油関連企業のCEOの座にありました。ハリバートンの子会社のKBR社は競争なしの契約で、海外に展開する米軍兵士向けの住居・食事・水・風呂サービスなどの事業を受注。10年間で、395億ドル(約4兆円)も荒稼ぎしました。イラク戦争直前と比較して、米軍のイラク撤退’11年末までにハリバートンの株価も最大で6倍近くまで跳ね上がりました」

 イラク戦争は「アメリカが石油を得るための戦争」と呼ばれることが多いが、実際のところはどうなのか。

イラク北部、キルクークの油田

イラク北部、キルクークの油田。イラクの石油埋蔵量は世界5位。世界有数の石油産出国だ(撮影/志葉玲)


「米連邦準備制度理事会(FRB)の前議長だったアラン・グリーンスパンは自身の回顧録の中で『イラク戦争は主に石油が目的だったことは周知の事実』と発言しています。現国防長官のチャック・ヘーゲルも『石油のために戦争をしているわけではないと人々は言う。とんでもない。むろん、石油のためだ』と上院議員時代に発言していました。どちらも政界・財界に強い影響力を持つ人物です。特に石油メジャー最大手のエクソン・モービルは露骨で、’00~’04年3月まで、共和党に対して247万ドル(約2.5億円)の資金を提供。その結果、クルド人自治区をはじめイラクで優先的に石油開発を行っています」

 しかし、民主党オバマ政権になって以降、軍をイラクから撤退させるなど関与を徐々に減らしていた。一転しての空爆にはどのような理由があるのだろうか?

「オバマ大統領は共和党と違い、石油メジャーとの関連の薄い政権です。オバマ自身も議員時代にイラク戦争を痛烈に批判していました。オバマとしてはそれほど乗り気だとは思えませんが、アメリカは共和党が議会で多数を占める“ねじれ国会”です。石油メジャーから多額の献金を受ける共和党議員らから押し切られて空爆に踏み切った、という面も否定できないでしょう」(志葉氏)

イラク― [戦争とカネ]を読み解く世界地図【2】 ―



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愚民が特権階級を支えている

「東海アマ」ツィッターより転載。
官僚、大企業、政治家、学界、マスコミ、暴力団、芸能人が日本でいかに特権的な扱いを受けているかを見れば、下の阿久津先生の言葉に反論できる者はいないだろう。
何より、フクシマの責任を取るべき原子力村住人が誰一人処罰されていないことが、この言葉が真実そのものであることを示している。



(以下引用)


     アマちゃんださんがリツイート

如実… 上司の言う事を大人しく聞いて、 戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。 ” 今から10年ほど前に「女王の教室」というドラマがあったが、天海祐希の演じる鬼教師の発言が日本を如実に表している。

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日本の構造改革のための石井コウキプログラム

「阿修羅」記事から石井コウキの「日本が自滅する日」第四章目次のみ転載。
後々の参考として。

(以下引用)

第四章 構造改革のための二五のプログラム
第一節 官企業の全廃がもたらす経済の覚醒
  プログラム一 既得権益と闘う国民政権をつくる 238
  プログラム二 すべての特殊法人廃止を急ぐ 240
  プログラム三 高速道の建設を凍結する 241
  プログラム四 日本道路公団の借金は二〇年で償却する 242
  プログラム五 公団のファミリー企業から資産を回収する 244
  プログラム六 都市基盤整備公団などは、民営化でなく解体する 246
  プログラム七 住宅ローン証券化で公庫を保証機関にする 248
  プログラム八 政府系の公益法人と認可法人を即時廃止する 250
  プログラム九 地方公社と第三セクターを清算・整理する 252
  プログラム一〇 真の公益法人を支える税制つくる 253
  プログラム一一 二〇〇万人が失職するが六〇〇万人の職が生まれる 254
第二節 権力の市場からの退却
  プログラム一二 特別会計、財投、補助金を原則廃止する 256
  プログラム一三 「開発」「整備」「事業」法を撤廃する 258
  プログラム一四 公共事業長期計画を廃止する 258
  プログラム一五 新しい民間の公共事業勃興策を打ち出す 260
  プログラム一六 〝政治農業″をやめ、産む農業をとりもどす 262
  プログラム一七 徹底した地方分権を断行する 263


第三節 国家予算の半減
  プログラム一八 五年で予算規模を二分の一に縮小する 266
  プログラム一九 国債の新規発行をゼロにする 269
  プログラム二〇 「中高年一〇〇万人のボランタリー公務員制度」をつくる 271
  プログラム二一 二〇兆円を社会保障、一〇兆円を環境保全に追加する 272
  プログラム二二 大規模減税を実現する 273


第四節 品格ある「公務」の復活
  プログラム二三 「公務分限法」を制定する 275
  プログラム二四 行政監察を徹底し、会計検査院を強化する 277
  プログラム二五 天下り禁止法を急いで定める 282

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「我々は他人の不幸に平然と耐えられるほど勇敢だ」

「神州の泉」記事全文を転載。ただし、趣旨に同意してのものではない。
私にはむしろ、マサダ砦で全滅したユダヤの民が、太平洋戦争で悲惨な運命に追いやられた日本国民の姿に重なって見える。そして、生きるために食物に群がる人々を叱責した「武家の女性」の姿が、日本を亡国に導いたA級戦犯たち(今日の「徽宗皇帝のブログ」参照)の姿と重なって見える。
自分自身が、自分自身の主義主張のために死ぬのは結構な話だ。だが、自分の信条のために他人を死に追いやる人間というものほど悪質な存在は無い。また、そういう人間に踊らされてご立派な愛国心とやらを周囲に強制し、自らも先頭切って討ち死にするような「勇者」もはた迷惑な存在だとしか私は思わない。要するに、戦争を正当化する言説はすべて戦争から利益を得る人間に踊らされているだけだ、としか私は思わないのである。
国家や民族や愛国心という抽象物のために死ぬ大人はただの狂信者や、強者(国の上層部)に抵抗する勇気が無かっただけの卑怯者だから勝手に死ねばいいとしても、戦争でいわれなく死ぬ乳幼児や子供たちが存在することを正当化するどのような言説がありうるだろうか。


(以下引用)

2014年9月18日 (木)

惰弱なる日本に残された時間はあとどれくらいあるのか



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自分も含めて、日本人は全体的にわずか数年前の過去のことをすぐに忘れてしまうのだろうか。これに比べてユダヤ人は数千年も前のことを忘れずに子々孫々に言い伝えている。例えば“マサダ”である。マサダとはヘブライ語の要塞という意味で、イスラエルの東部にある歴史的な遺跡である。そこは自然に切り立った崖からできている峻険な岩の砦である。


西暦66年にユダヤとローマ帝国との戦いが始まり西暦70年にエルサレムは陥落した。避難民の兵士と女子供を含む967名はマサダに籠城した。マサダは峻厳な自然要塞であっためにローマ軍は攻めあぐねていたが、大勢の捕虜と奴隷の人海作戦で崖を埋め、突破口を築いたという。西暦73年、ようやく避難民の陣地に突入したローマ軍は、戦う相手が一人もいないことをすぐに悟った。967名の内、女性2名と子供5人を除いて960人全員が集団自決していたのである。


約2000年前のこの遠いできごとをユダヤ人は昨日のことのように決して忘れないという。ところが日本人はどうだろうか。わずか70年前の集団自決、玉砕死、特攻死について、ほとんど何も記念しないし何も決意しない。それどころか大勢の人がまるで唾棄すべきできごとであるかのように、そのことを記憶から消し去ろうとしている。


同じ血が流れていた直近の先祖たちを、まるでエイリアンか何かのように異邦人扱いして恥じない。このような忘恩の徒に変節しているからこそ、日本は貪り尽くすアメリカに心まで牛耳られ、亡国のとば口に立たされているのだ。


マサダの自決例と、今村仁(いまむら ひとし)起草の戦陣訓にある「生きて俘囚の辱めを受けず」が同質のものかどうか、浅見にして判断できないのだが、少なくとも平安時代から武士階級には戦時における心構えがあったのであり、それは江戸時代の常朝の「葉隠」などにもあったものだ。人間だれしも死ぬことは恐怖であり、第一に避けるべきは自死である。


しかし、場合によっては死ぬことが不可避のことや、死ぬよりも耐え難いことがあるのも事実だ。日本人は全てではなかったにしろ、一千年以上も死生観を研ぎ澄ましてきた歴史があった。それがわずか70年に満たない月日の東京裁判史観や戦後教育で死滅してしまったのだ。先祖たちはさぞかし無念ではないのかと、凡愚の身ながら時折斟酌(しんしゃく)する。


神州の泉の母は満州北部の開拓団にいたが、ソ連兵に追われて家族と離れ離れとなりながら、命からがらハルビンまで逃避行をした。空腹と疲労で参っていた母たちの集団へ、満人(中国人)の子どもたちが握り飯を売りに来たという。


その時、母たちとは別の集団でハルビン市にたどり着いたある武家血筋の奥さんが、やおら懐刀を抜いて高く差し上げ、空腹で握り飯に飛びついた日本人たちに向かって、『いやしくも日本人であるなら、浅ましい振る舞いだけはするものではない!』と喝破したそうである。周囲が押し黙ってしまうほどの大音声だったそうだ。


母はこの奥さんも空腹で疲れきっていたことを知っていた。また、母は「武家の女性はほんとうに肝が据わっている」と、このとき強く感じたそうだ。母が伝えようとしたことは何だったのだろうか。この当時は決然たる死生観を持っていた日本人がまだいたんだよということだったのか。今となっては分からない。


生前、母は何度もこの話を自分にしてくれたのだが、それを思うと、若かった母にはよっぽど印象深いことだったのだろう。ふと思う。今、このような凛冽(りんれつ)なる日本人がどこかにいるのだろうか?鼻水とよだれを垂らし、惰弱なる平和に埋没した日本は、今、グローバル資本によって、富だけではなく精神も未来も奪い去られようとしている。


戦後は、アメリカの価値観とアメリカの核にすがりつきながら商魂だけはたくましい日本人となった。だが、何か大事なことを置き忘れているような気がしてならない。いつまでも戦勝国を飼い主として崇め奉り、先祖たちを軽視する日本人はもう先がないのでは。





(夢人付記)magictrainさんのサイトから転載。なぜ我々はこの素晴らしき世界を血に染める必要があるのか。

この素晴らしき世界 – ルイ・アームストロング:Louis Armstrong – What a wonderful world







Louis Armstrong – What a wonderful world



I see trees of green,
red roses too.
I see them bloom,
for me and you.
And I think to myself,
what a wonderful world.


I see skies of blue,
And clouds of white.
The bright blessed day,
The dark sacred night.
And I think to myself,
What a wonderful world.


The colors of the rainbow,
So pretty in the sky.
Are also on the faces,
Of people going by,
I see friends shaking hands.
Saying, “How do you do?”
They’re really saying,
“I love you”.


I hear babies cry,
I watch them grow,
They’ll learn much more,
Than I’ll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.


Yes, I think to myself,
What a wonderful world.


Oh yeah.


(意訳)


私には緑の木々が見える、
赤いバラの花々も
私と君のために
咲いているんだ。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


私には青い空が見える、
白い雲も
輝き祝福された日、
暗い神聖な夜。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


虹の色彩、
空にあって何と可愛らしい
行き交う人々の
その顔にもあって
私には友人たちが握手しているのが見える、
「ごきげんいかが?」って言ってるよ
彼らは本当は言ってるんだ
「愛しています」って


私は赤ちゃんたちの泣き声が聞こえる、
彼らの成長を見守ろう
彼らはより多くを学ぶだろう、
私が知るだろうことよりも。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


そうさ、ひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


ルイ・アームストロング(Louis Armstrong:1901-1971)の「この素晴らしき世界」(What a Wonderful World)は、G・ダグラス(Bob Thiele as George Douglas)とジョージ・デヴィッド・ワイス(George David Weiss)が作詞作曲した1968年のヒット曲です。
当時の泥沼化したベトナム戦争への嘆きからこの歌詞が書かれました。
66才になっていた晩年のルイ・アームストロングにとっても久々のヒット曲でしたが、本国アメリカよりもイギリスを中心としたヨーロッパからのヒットを受けて世界的に人気を得ました。


歌詞は分り易い言葉で書かれていますが、少し個人的な解釈を書いておきます。
先ず、この歌がベトナム戦争への嘆きから書かれていることを考えると、この平和な歌詞は悲惨な現実に対するアイロニー(irony)の意味があることを知っておく必要があると思います。
ベトナムの戦場では、人が常には感じるはずの素晴らしく美しい世界感は忘れられて、緑の木々は焼かれ、赤いバラも野の花も踏みにじまれました。もう一度普通の人間としての感情を持とうよ、というメッセージが最初の節から感じられます。
次に青い空と白い雲はアメリカ国旗のホワイト・ストライプスを連想させる色です。そして輝く日と暗い夜の対比は、白と黒の色です。また神聖な日・夜から独立記念日やクリスマスを連想させます。これらの要素を組み合わせることで、アメリカという国の理想が再確認されています。
次の節では虹の色、それが行き交う人々の顔に恩寵を与えているということと、実際に多様な色の顔があるということ、多様な人種の人々が挨拶を交わし、お互いを理解しあえる社会のことを書いています。
そして、この世界が本当に「素晴らしき世界」であるよう托すのが、泣き声を上げている赤ちゃんたちで、彼らが成長して私たちが経験し、知ったことから多くを学ぶ希望でこの歌は終ります。


世界は美しいのですが、その美しさに目を向けられなくなる現実的な不幸が無くなったときに、この歌はアイロニーではなくなるのです。



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ハリーはなぜホリーを呼んだのか

「第三の男」はもっとも好きな映画の一つなので、こういう問題提起には黙ってはおられない。この問題は考えたこともなかったが、単純に、(まあ、今さらネタバレを気にすることもない古典だからネタバレしてしまうが)ハリーは自分の死亡(実は偽装死)の証人を「一般市民」から作っておきたかっただけではないか。麻薬密売仲間や偽パスポートによる不法滞在中の愛人以外にも「普通の」葬儀参列者がいたほうが本物の葬式らしい、という判断だろう。ところが、自分が馬鹿にしていたホリー・マーチンスが、意外に頭が良く、しかも友達思いで、この偽装死を詮索しはじめてしまったために本当に自ら「墓穴を掘った」という皮肉である。


(以下引用)


竹熊健太郎《編集家》 @kentaro666  ·  5 時間

久し振りに『第三の男』をDVDで鑑賞しましたが、ひとつ腑に落ちないことが。何故ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)は旧友のホリー(ジョセフ・コットン)を冒頭ウィーンに呼び寄せたのでしょう? わざわざ呼ばなければ、ホリーがあれこれ詮索せず、最後は下水道で死ぬこともなかったのに。


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朝日新聞の「転向」表明

今日の「徽宗皇帝のブログ」の補足で、「世に倦む日々」記事を転載。
私自身も朝日新聞の「謝罪」は一種の「転向表明」だと考えていたのだが、「世に倦む日々」氏もそれに近い考えのようだ。これでめでたく4大紙は揃って「大政翼賛会」入りである。(朝日が「誤報」を認めたのも、こうした成り行きを最初から考えてのことだろう。)次は中国との戦争か。日本国民はいったい何度騙されたら目覚めるのだろうか。
なお、「戦争に行かない者たち」にとっては、戦争は金儲けのための産業でしかないことをまだ日本国民は理解していない。国民にとっては戦争は地獄だが。
まあ、「上の人間」にとっては「あの戦争」の記憶を持つ者が消えつつある来年、戦後70年くらいが「そろそろ次の戦争のやり時だ」ということだろう。

*最初に書いた記事でワードが「たいせいよくさんかい」を「体制翼賛会」と変換し、私もその誤記に気づかないまま掲載したが、実際「大政翼賛会」とは「体制翼賛会」でもある。(笑)


(以下引用)

朝日新聞の屈服 - 安倍晋三による調略、集団リンチと内部工作員の揺動

週末のマスコミ報道も「朝日叩き」が中心だった。「朝日叩き」に対する懸念や反発の声も、ネットの中で一部ながら出始めている。1週間前、池上彰に対する批判の記事を書いていたときは、まさか9/11に朝日の社長の謝罪会見するとは思わなかった。あれほど呆気なく全面降伏して、右翼媒体による袋叩きと吊し上げの前で惨めに平身低頭するとは思わなかった。私は、この国のファシズム化の計測について他の者より敏感で、客観状況を正確に捕捉していている自信があり、したがって誰よりも早く、一般の者が聞けば「オオカミ少年」的な誇張に聞こえる悲鳴警告を発していたつもりだったが、どうやら事態は私が思っていたよりも速く進行している。次に何が起きるか分からない。朝日が陥落した。安倍晋三の前に屈服した。これ以降、もはや政権を正面から批判する記事や社説は書けないだろう。安倍晋三と右翼に抵抗する言論の拠点が崩れた。顔面を思いっきり殴られて、前歯と鼻骨を叩き折られた。面相はもう元に戻らない。何度も紹介しているF2の『ヒトラー 権力掌握への道』を見て欲しい。1930年代半ば、ナチス支持に傾斜しながらも、ドイツ国民はあのような戦争に巻き込まれるとは思っていないのである。空襲され、占領され、国を二つに割られ、ソ連兵にレイプされという悪夢を予想していない。戦争になる。ファシズムの次は戦争だ。中国と戦争を始める。全面戦争になり、総力戦となり、核戦争になる。 

この国の人々には危機感がなさすぎる。左翼もリベラルも、あまりに安穏として、今日と同じ明日が続くと思っている。平和の空間の中で惰眠を貪っている。アベノミクスがどうだとか、デモを文化として定着させるだとか、そんな気楽な四方山話をして無駄に時間を過ごしている。今の時代環境こそがファシズムだということ、ファシズムの次は戦争だということ、その事実への正しい認識と自覚がない。ファシズムは足下まで来ているのではない。もう腰までずっぽり浸っている。もうすぐ首まで漬かる。そして戦争に突入する。悲観して正直に言えば、ファシズムを阻止するとか反撃することはすでに難しく、個人にできることは戦争から逃げることだけだ。脱出のみだ。F2の番組はこう説明していた。(1)裕福なユダヤ人は、全ての資産をナチスに渡すことと引き換えに、海を渡ってアメリカに逃げた。(2)貧しいユダヤ人は、強制的に東ヨーロッパに追放され、開戦後に捕獲されて収容所に送られた。(3)抵抗した社会主義者たちは、西の国境から脱出し、フランス占領後に捕まった者は収容所に送られた。とても印象的で、歴史の真実がよく分かった。お金のある者だけが(1)が可能だったのだ。ハンナ・アーレントは(3)の西へ逃げた組で、危機一髪、占領下のフランスで捕まらずに米国へ逃れた一人だ。戦争が始まれば、中国と尖閣で軍事衝突を起こせば、国内は戦時体制下になる。まともな人権の保障などなくなる。

朝日を転覆すること、ファシズム政権の抵抗勢力にとどめるのではなく、牙を抜いて屈服させ、翼賛勢力に調教することは、安倍晋三ら右翼にとっての積年の政治事業の里程標だった。重要なロードマップ上のチャレンジだった。執念深く狙い続けてきた政治課題だった。それを今回、安倍晋三のチームは首尾よく達成した。このサクセスは、集団的自衛権の行使容認の突破に匹敵する快挙だろう。朝日を叩き落としたことで、ファシズムの側にとって戦争への障害は小さくなった。安倍晋三の「千年王国」の行く手を阻む邪魔者が消えた。ネットで「朝日叩き」に加担協力した左翼やリベラルは、朝日の従来の存在意義を過小評価しすぎている。朝日の重要性を正しく測定していたのは、左翼ではなく右翼の方だった。例えば、橋下徹の慰安婦問題の騒動のとき、タイミングよく国務省のサキの会見で質問を発し、米国政府による批判のコメントを取ったのは朝日の記者である。当然、あの場面は(国務省と朝日との間で)事前に準備された政治であり、当日のアドリブでも偶然でもない。あの一幕が、昨年の慰安婦問題の政治戦の攻防でどれほど決定的な一撃となったか。朝日の地位があり、米国政府の信用があったから、それが可能だったのである。東京新聞はあんな場に記者を出せないし、共同通信は保守だから質問をしない。橋下徹や百田尚樹が血相を変えて朝日を罵倒するのは、ヒステリーの発作ではなく理由と意味があるのだ。

米国政府から見て、朝日は日本のNYTなのであり、NYTの位置づけで対日工作に利用する。親米派に飼育し、米国の都合のいいように変質させつつ、朝日と読売で臨機応変に使い分ける。昨年の慰安婦問題でのサキの一撃は、私の観測では、サキの方から朝日に打診して質問をさせている。安倍晋三の歴史認識の暴走に歯止めをかけ、日韓関係のこれ以上の悪化を防ぐべく、ケリーとサキは橋下徹を屠りに出た。その結果、河野談話を見直さないという政府発表になった。映像を見れば分かるとおり、サキは原稿を読み上げている。朝日も往年の論調と較べればずいぶん保守に寄り、霞ヶ関の代弁者の姿に変わり果てたが、それでも読売とは区別される報道スタンスを保持していた。今回、高市早苗のネオナチ問題について、DCの朝日の記者がサキに質問する場面がなかった。その政治が出現しなかった。もし実現されていれば、そこから国内で騒動が起こり、高市早苗の進退問題に発展し、安倍晋三は窮地に立たされていただろう。国務省の定例会見でそれがイシューにならなかったのは、米国の対日政策が昨年とは変容している点もあるが、二つの「吉田」問題で朝日が炎上し、安倍晋三に白旗を上げたからだ。牙を剥く意思と気力を失ったからだ。左翼とリベラルは、高市早苗の問題の静寂について、こうしたリアルな分析視角を持たなくてはいけない。Twの小さな池で日本の左翼が騒いでも、米国政府を動かす力にはならないのである。

右翼が朝日を集中攻撃するのは、朝日が政治力を持っているからである。政治的な影響力や説得力は、そのときの社会のイデオロギー座標軸において、より中心点に近い勢力や論者が持つ。だから、右翼は共産党ではなく朝日を標的に据えるのであり、権力や暴力で朝日を脅し、朝日を巧妙に調略して、その言論姿勢を変えさせようとするのだ。実家に放火されて全焼させられたのは、志位和夫ではなく加藤紘一だった。今度の朝日の問題は重大だ。状況をよく注視していなかったが、どうやら、幹部の中に安倍晋三の手下がいて、社内メールや幹部会議の情報をすべて外に筒抜けに出し、内側から朝日を瓦解させていた者たちがいる。しかも、その工作員が決して少数ではなく、一気に内側から攻略していた。社内で権力闘争になり、内部の中枢の動きが丸裸にされるのだから、朝日が頑張ろうとしても頑張りようがない。崩壊、落城だ。戦前の日本共産党と同じだ。8/5の訂正報道は突然の意外な出来事だったが、検証すれば、その経緯の真相が分かるかもしれない。嗅覚に謀略を感じるのは私だけだろうか。7/1に集団的自衛権の閣議決定があった。それまで半年間、朝日はずっと抵抗の論陣を張り、反対派の先頭に立って安倍晋三を牽制していた。7/1に敗北が決まり、朝日の反安倍記者は天を仰いでいたはずだ。それから1ヶ月後、8/5に訂正報道が出た。7/1の後、潜伏していた親安倍派が蹶起し、社内で権力闘争に出る謀略を起こしたのではないかと推測する。

社長の木村伊量が、果たして親安倍派の裏切り者なのか、それとも朝日正統のリベラルなのか、よく分からないし、現時点で立場を判別する情報に接していない。ただ、8/5の訂正報道から9/11の謝罪会見まで、あまりに素早い流れだった。社長の謝罪会見など、余程のことがない限りあり得ない。脱税で摘発されたとか、幹部が殺人を犯したとか、刑事事件なら話が分かるが、誤報で社長が謝罪会見の針の筵に座るものか。しかも、二つの「吉田」問題のうち、吉田調書の方は誤報なのかどうか実は微妙で、今後の調査で真実だったという結果になるかもしれない問題だ。吉田昌郎の証言がすべて真実であれば、朝日の「命令違反」の報道は誤報だが、吉田昌郎が嘘をついている可能性もある。吉田昌郎が嘘の証言をし、福一の関係者が口裏を合わせている疑惑も否定できない。吉田昌郎は病死していて、死人に口なしである。事故後、右翼媒体のプロパガンダで吉田昌郎は神様に化けていた。吉田昌郎の証言を全て真実だと信用できるのか。鵜呑みにしてよいのか。その点は、この「命令違反」の問題を考える上で一つのポイントだっただろう。だとすれば、朝日はこの件で社長が謝罪する必要はなかった。朝日側に踏ん張る余地はあった。あっと言う間に謝罪に追い込まれたのは、吉田証言の問題と二つが重なり「合わせ技」の図になっていて、そこへ池上彰の事件が起き、朝日の権力闘争に完全に決着がついたからだ。リベラル派が殲滅された。今後の人事で反安倍派は一掃されるだろう。

社長の木村伊量や政治部長の曽我豪は、安倍晋三と何度も会食を重ねている。話の中味は外に漏れない。おそらく、安倍晋三は繰り返し朝日に要求したはずだ。そろそろ、吉田証言は誤報だったと発表してくれんかと。朴槿恵と青瓦台が頑固だから、日本側の思惑どおりに首脳会談を応諾してくれないのだと。慰安婦問題の善処を要求して引き下がらないので困っていると。朝日が32年ぶりに「吉田証言は虚報だった」と言ってくれれば、青瓦台を揺さぶってこちらへ引き寄せられると。このことはアーミテージ閣下も強くお望みなのだと、一肌脱いで日韓外交に貢献してくれと、そう安倍晋三に要請されたのだろうと想像する。8/5の吉田証言の訂正報道が、日韓関係を考慮しての決断だという言い訳は、9/13の社説にも書いていた。木村伊量の方も、7/1の閣議決定を経て、これ以上抵抗しても窮屈だし、安倍晋三と癒着する翼賛仲間に入ろうと、そう方針を決めたのではないか。いずれにせよ、7/1、8/5、9/11とあっと言う間の進行だった。7/1と8/5の間に、この推理に少し根拠を与える紙面事実がある。7月中旬だったか、横田滋・早紀江の二人が1面から3面に大きく登場した日があった。まるで読売か産経かと見まがうような、北朝鮮拉致事件のプロパガンダの紙面を見た。それを見たとき、ああ、7/1を受けて朝日も変わるんだなあと苦い感触を覚えたものだ。横田早紀江の宣伝報道も、おそらく、安倍晋三が会食時に朝日に注文した事案の一つだったのだろう。この事件は、まさにファシズムと戦争へ向かう政治の一里塚である。象徴的な事件だ。

小泉政権から第1次安倍政権のとき、外務省のチャイナロビーが粛清され、外務省が媚米右翼外交の巣窟に変質したように、朝日新聞は劇的に変わるだろう。
 

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