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気の赴くままにつれづれと。
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2014年度における国の予算 中身は恐ろしい内容に 91兆円 国債費(過去の借金返済分)全体の38% 78兆円 社会保障費 全体の32% 国債費と社会保障関係費が 「一般会計」と「特別会計」の歳出純計に占める割合は7割にも及ぶ http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6b4743b0497a832e8a1ff90eb3fa8ecd …
2014/7/30 河野太郎が、厚労省資料を入手「真の年金納付率は約40%」にすぎない 年齢層ごとの「真の年金納付率」その数字は衝撃的なものだった ●20~24歳:21.4% ●25~29歳:31.7% ●30~34歳:38.2%・・ http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6b4743b0497a832e8a1ff90eb3fa8ecd …
44件のリツイート 24件のお気に入り生徒B「次行きます。『He knew everybody in Puddleby,and he knew all the dogs and all the cats.』」
生徒C「『彼はパドルビーのすべての人間とすべての犬や猫を知っていた。』」
生徒A「次行きます。『In those times being a cats-meet-man was a regular business.』」
生徒B「『その当時、猫肉屋はありふれた商売だった』」
生徒C「次行きます。『And you could see one nearly any day going through the streets with a wooden tray full of pieces of meat stuck on skewers and crying ,“Meat! M―e―a―t!”』」
生徒A「『そして、ほとんど毎日のように、その猫肉屋が、木の盆の上に『stuck on skewers』された一杯の肉を手にして『肉! に、い、く、う!』と叫びながら大通りを行くのを見ることができた』」
先生「苦心の訳だな。でも、『skewers』は、多分荷車か何かだな。つまり、木の盆の上にあるものじゃなくて、逆に木の盆が『skewers』に『stuck』されているわけだ。」
生徒C(辞書を引いて)「先生、間違ってます。『skewer』は『串に刺す』ですね」
先生「あれ、そうだっけ? 僕の頭の中には猫肉屋が荷車を引いているイメージがあったんだけどな。じゃあ、そういうことで訳して」
生徒A「『そして、ほとんど毎日のように、その猫肉屋が、木の盆の上に載せた、肉の串刺しを持って『肉! に、い、く、う!!』と叫びながら大通りを行くのを見ることができた』」
生徒B「次行きますよ。『People paid him to give this meat to their cats and dogs instead of feeding them on dog biscuits or the scraps from the table.』」
生徒C「『人々は自分たちの猫や犬に犬用のビスケットやテーブルの残飯をやる代わりに、彼に金を払ってその肉を買うのだった。』」
先生「いい訳だね。『買う』という言葉は原文にはないけど、確かにここでは、それを入れた方が原文の意図を伝えている。『犬用のビスケット』は、現代なら『ペットフード』となるところだけど、時代色を出すためには、『犬用のビスケット』の方がいいね。『scraps』を『残飯』としたのもいい」
生徒A「次行きます。段落が変わります。『My third great friend was the Luke the Hermit.』」
生徒B「『私の三人目の友達は、ルーク・ザ・ハーミットであった。』……先生、『Hermit』って何ですか?」
先生「さあ、何だろう。辞書を引いてみようか。『隠遁者、隠者』とあるな。『隠者のルーク』とでもしておくか」
生徒C「先生、隠者って何ですか?」
先生「世を逃れて孤独に住んでいる人間だ」
生徒C「乞食ではないんですね?」
先生「乞食は生活の手段だから、関係ないね。まあ、隠者が乞食をすることもあるだろうけどね」
生徒C「段落が変わります。『I did not go to school,because my father was not rich enough to send me.』」
生徒A「『私は学校には行っていなかった。なぜなら、私の父は、私を学校にやるほど金持ちではなかったからだ。』」
生徒B「先生、この話はいつ頃の話なんですか?」
先生「さあ、19世紀の終わり頃じゃないかな。つまり、シャーロック・ホームズと同じ頃だ。20世紀初め頃かもしれない」
生徒B「イギリスでは義務教育制度はなかったんですかね」
先生「まあ、そうかもしれないね。後進国の日本が義務教育制度を実施したのは英断だったと思うよ。そのおかげで日本は20世紀に先進国の仲間入りできたんだ。それより、もう少し進めておこうか」
生徒B「『But Ⅰ was extremely fond of animals.』」
生徒C「『しかし私は特別に動物が好きだった。』…うーん、あまりいい訳じゃないな。」
先生「悪くはないさ。『でも、私はとても動物が好きだった』とすれば口語的な自然な感じにはなるけどね」
生徒A「『So Ⅰ used to spend my time collecting bird‘s egg and butterflies , fishing in the river , rambling through the countryside after blackberries and mushrooms and helping the mussel-man mend his nets .』」
生徒B「『だから私はいつも鳥の卵や蝶々を集めたり、川で釣りをしたり、田舎でブラックベリーやマッシュルームを探してぶらぶらしたり、貝掘りが彼の網を修繕するのを手伝っては時間を過ごしていた。』」
先生「いいところとわるいところがあるね。全体的にはこなれた訳だけど、『countryside』を田舎とするのはおかしいだろう。子供の足でいきなり町から田舎に行くのは変だから、ここは『町のひなびたところ』くらいがいいんじゃないかな」
生徒B「『ひなびた』ってどういう意味ですか?」
先生「田舎じみたところってことさ」
生徒B「うーん、あまり変わらないような気がするけど……」
先生「そうかい? まあ、じゃあ今日はここまでにしておこう」
第二回目の授業 (第一章の続き)
先生「じゃあ、前回の続きを行こうか。前回は、語り手の少年、トミー・スタビンスが、
見たことのない世界にあこがれていた、という所までだったね。例によって、A君、B君、Cさんの順に、一文ずつ読んで、訳してもらおうか」
生徒A「『Three great friends I had in Puddleby in those days.』」
生徒B「『三人の偉大な友人を、その当時私はパドルビィの町で持っていた。』?」
先生「『great』は、『偉大な』ではなく、『大人の』か、『大きな』がいいだろうね。後でわかるけど、その三人のうち二人はまったくの貧民だからね。英語の『great』には、我々が思うほどの賛嘆の気持ちは無いようだよ。プラターズの歌にも、『great pritender』ってのがあるけど、これも『偉大な嘘つき』とすると変だしね.次行こうか」
生徒C「『One was Joe ,the mussel-man ,who lived in a tiny hut by the edge of the water under the bridge.』」
生徒A「『そのうちの一人はジョーで、彼は『mussel-man』で、川沿いの、例の橋の下の小さな『hut』に住んでいた。』」
先生「A君、『hut』は何だと思う?」
生徒A「小屋でしょうね。橋の下にあるんだから」
先生「多分ね。『mussel-man』は私も分からない。ええと、辞書では『mussel』しかないけど、『イガイ科二枚貝の総称』となっている。わけがわからないね。しゃくだけど、本の後ろの注釈に頼ろう。ええと、『貝を掘る男』だって。なあんだ。でも、なあんだ、と言っちゃあ、本当はいけない。「解体新書」の「フルッヘンド」の話にもあるように、初めて翻訳する時は、意外な、単純なところに苦労するものだし、後から来た人間がそうした先人の苦労の遺産の有難味を忘れてはいけないんだ。おっと、次に行こう」
生徒B「『This old man was simply marvellous at making things.』」
生徒C「先生、この『simply』は、『単純に』と訳していいんですか?」
先生「よくないだろうね。次の『marvellous』と矛盾する。これは強調の副詞だろうから、『とても』とでもすれば?」
生徒C「『この老人は物を作ることにかけてはとても素晴らしかった。』」
先生「OK、次」
生徒A「『I never saw a man so clever with his hands.』」
生徒B「『手仕事については、これほど優れた人間を私はかつて見たことがない』」
先生「いいね。『clever』を『賢い』としなかったところは偉い。多くの生徒の欠点は、自分が知っている訳語にこだわって、文脈をまったく考えない訳をしてしまうことだ.『hands』を『手仕事』としたのもいい」
生徒C「『He used to mend my toy ships for me which I sailed upon the river ;he built windmills out of packing-cases and barrel-staves ; and he could make the most wonderful kites from old umbrellas.』」
生徒A「『彼は私のために、私が川の上を走らせるためのおもちゃの船をいつも修繕してくれたし、荷箱や『barrel-staves』から風車を作ってくれたし、古い傘から最高に素晴らしい凧を作ってくれた』」
先生「『stave』は『樽板』だと辞書にはあるね。まあ、『barrel』が樽だということくらいは分かっていただろうけど。ここで、“out of”を『~から』としたのはいいね。まあ、常識だろうけど、“of”自体が、“out”を起源としているという説があるね。つまり、その物が何から出て来たかを表す前置詞だ。“チーズは牛乳から出来る”とかね。だから、ある人間の出身地や、帰属する集団なども“何とかof何々”というように表すね。……これは脱線だな。次いこうか」
生徒B「段落が変わります。『Another friend I had was Matthew Mugg,the cats-meet-man.』」
生徒C「『cats-meet-man』の訳は『猫肉屋』でいいんですね?」
先生「それしかないね。井伏先生の名訳だからね。これを『ペットフード屋』としちゃあ、この話の雰囲気が変わってしまう」
生徒C「『私の持っていたもう一人の友人は、猫肉屋のマシュー・マグであった。』」
生徒A「続けますよ。『He was a funny old person with a bad squint.』」
生徒B「『彼は『bad squint』な面白い老人だった』」
先生「辞書では、『squint』は斜視、やぶにらみの事だな。それに、ここでのoldは、語り手のトミーから見ての話だから、『老人』とするよりは『大人』とするほうがいい」
生徒B「『彼は、ひどいやぶにらみの面白い大人だった』」
生徒C「続けます。『He looked rather awful but he was really quite nice to talk to.』」
生徒A「『rather』は『やや』ですか、『かなり』ですか?」
先生「困ったな。辞書には両方出ている。『やや』と『かなり』は正反対だのに、二つとも『rather』の訳になるってのが問題だよな。こうしたことから英語が嫌いになる生徒も多いんだけどね。まあ、『ひどい斜視だ』とあるから、『かなりawfulだ』にしておこう」
生徒A「『彼はかなり恐ろしい顔をしていたが、話してみるととても素敵な人間だった』それとも『話すには素敵な人間だった』がいいですかね」
先生「どっちかな。まあ、どっちでもいいさ。それより、『nice』を『素敵』とするのはどうかな。どうも女性的な感じの表現だから、『感じのいい』くらいがいいかもしれない」
生徒B「先生、『nice』には、『愉快な』という訳もありますよ」
先生「えっ、そうなの? なら、マシュー・マグのキャラクターなら、そっちがいいな」
生徒A「『彼はかなり恐ろしい顔をしていたが、話すととても愉快な人間だった。』」
生徒A「『Sailing ships came up this river from the sea and anchored near the bridge.』」
生徒B「『Sailing ship』は帆船でいいんですか?」
先生「いいんじゃない?」
生徒B「『帆船がこの川を海から遡ってきては、この橋の近くに錨を下ろすのだった。』」
先生「いいねえ。『おろした』ではなく、『おろすのだった。』というところがいい。――日本語の困るのは複数表現がしにくいところだな。『帆船』を『帆船たち』とするわけにはいかないからねえ。もっとも、最近では、物にも『何々たち』という言い方をする表現者も多いようだけど、まだ日本語としては熟していない表現だな。次行こう」
生徒C「『I would sit on the river-wall with my feet dangling over the water and watch the sailors unloading the ships and listen to their songs until I too could sing them by heart.』」
生徒A「このwouldは習慣を表すのですね?」
先生「まあ、そうだろうね」
生徒A「『私はその川の壁に……』先生、川の壁って何ですか」
先生「堤だけど、挿絵で見ると、ブロック造りの、文字通りの壁だな。でも、どう訳そう。そのまま『川壁』としておいて。井伏先生だって、後に出てくる『cats-meet-man』を『猫肉屋』と訳していたからね」
生徒A「『私はその川壁に座って、足を水の上で『danglimg』させながら,水夫たちが船を『unloading』しながら歌うのを、それを私自身も覚えてしまうまで聞いていた。』」
先生「ここは辞書に頼らないで考えてみようか。こういうのも翻訳の楽しみだからね。A君、『dangling』はどういう動作だと思う?」
生徒A「挿絵から見て、『ぶらぶらさせる』ですかね」
先生「そうだろうね。挿絵のある本は、こういう時、本当に助かる。もっとも『川壁』に座って、足のできる動作と言えば、ぶらぶらさせるしかないけどね。でも、英訳の際に、その程度の頭さえも使わない生徒は結構いるよ。じゃあ、『unloading』は?」
生徒A「『荷下ろし』ですかね。loadigが『負担する』とか『負荷する』だし、それに否定の『un-』がついているわけだから」
先生「いいねえ。頭ってのは、そういう具合に使うんだ。ゲームをする人間なら、『now loading』という表示はおなじみだけど、そういう身近な英語も、ちゃんと意味を調べる生徒は少ないよ。これでこの段落は終わりだ。じゃあ、次の段落に行こう」
生徒B「『When they set sail again I longed to go with them and would sit dreaming of the wonderful lands I had never seen.』」
生徒C「『その船たちが再び出帆する時は、私は彼らと一緒に行きたいと心から願い、そして、私のまだ見たことのない素晴らしい世界を夢見ながら座っていたものだった。』」
先生「おっと、『物―たち』表現で来たね。まあ、それほど違和感もないからいいか。『wonderful』は、まあ、『素晴らしい』が一般的な訳だろうけど、ここは文字通り『wonder-ful』な、つまり、驚異に満ちた世界のイメージだろうね」
生徒A「次行きますよ」
先生「ちょっと待って。この段落は、この一文だけで一段落だ。つまり、ここでのトミー・スタビンスのこの述懐が、『ドリトル先生航海記』の、素晴らしい、『wonder―ful』な航海を予告していることに注意しておこうか。おっと、だいぶ、時間もたった。今日はここまでにしておこう。じゃあまた」
仮想教室:「ドリトル先生航海記」を読む 2006年3月12日開始
序
私の夢は、英語の原書をすらすら読めるようになることであるが、これはまさしく夢であり、ろくに勉強もしていないのだから、その夢は50歳を過ぎた今でも実現していない。兼好法師は、「齢40になるまでに物にならない技芸は捨てよ」と言っているから、そろそろあきらめてもいい頃ではある。それに、ほとんどの本は日本語訳で読めるのだから、無理して今さら英語の勉強をする必要も、本当は無いのである。しかし、今でも「英語で」読むこと自体は嫌いではないから、楽しみのための勉強(「勉強」とは、「勉め、強いる」ことだから、これは矛盾だが)として英語の本を読むことは少しはやっている。古本屋に行けば、面白そうな英語の本が良く見つかるから、それを少しずつ読むのが私の趣味の一つだ。そうした本の一つにヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」があった。
この「ドリトル先生航海記」は、おそらく現在の大人の多くが、子供の頃に夢中になって読んだ本の一つだろう。動物と会話が出来る人間の話というアイデアも素晴らしいが、ストーリーの細部に見られるドリトル先生の温かな人間性の魅力は、凡百の児童文学には見られないものである。もう一つ、この作品が日本で迎えられたのは、井伏鱒二の名訳のおかげもあると思う。これは石井桃子が戦争中に、井伏鱒二に頼み込んでやらせた仕事らしい。私の考えでは、井伏鱒二の仕事の中で、一番長い生命を持つのは、「山椒魚」以外では、この翻訳ではないかと思う。
さて、これから私がやろうとしているのは、この「ドリトル先生航海記」を教材とした架空授業である。授業というよりは、セミナーというか、雑談形式あるいは、輪読のような感じで、原書を読み解いていこうという趣向だ。それを架空授業の形で文章化していけば、私自身が飽きないでできるのではないかという狙いである。原書を読みながら、私自身が疑問に思ったことを記録し、それを後で井伏鱒二の訳と対照すれば、私は井伏鱒二から英訳の授業を習うという、素晴らしい体験ができることになる。これは英語の学習法としても、相当に面白い趣向ではないだろうか。もちろん、私の英語の学力は高卒レベルだから、とんでもない間違いを人前にさらすことになるが、この年になれば、恥をさらすことへの恐れはあまり無い。それが年をとることの一つのメリットだ。では、始めよう。
第一回目の授業 ( 第一章 The cobbler‘s son )
先生「まず、第一章の題名からして、分からないね。Cobbler って何だろう。辞書を引いてごらん」
生徒A「靴の修繕屋ですね。靴直し。ついでに言うと、Cobbleには舗道の丸い敷石の意味があります」
先生「そういえば、確か、サイモンとガーファンクルの歌の何かに、cobble stoneってのが出てきたな。第一章の題名は、そうすると、『靴屋の息子』かな」
生徒A「『靴屋』と『靴の修繕屋』は違うでしょう。靴の修繕屋の方が、より貧しい感じではないですか?」
先生「そうだな。井伏先生がどう訳しているかは後で見ることにして、ここは『靴直しの息子』にしよう。では、とりあえず本文を、一文ずつ読んでいこうか。B君、読んでごらん」
生徒B「First of all I must tell you something about myself.」
先生「特に問題は無いね。A君、訳してごらん」
生徒A「『まず最初に、私は自分自身について何かを言わねばならない。』」
先生「うーん、間違いじゃないけど、硬いね。いちいち、原文に忠実に訳すと、かえって原文のニュアンスが失われてしまうこともあると思うよ。このmustは、それほど重々しい感じは無いと思う。単に、語り手が読み手に、物語の進行のために必要な情報を語っておこう、というだけだろう。B君、訳し直して」
生徒B「『まずはじめに、私は自分自身のことを語っておこう。』くらいのものですかね」
先生「『まず』と『はじめに』は同じ意味だから、いわゆる『馬から落馬した』式の重言になるけど、これは日常的によくでてくる言い方だし、細かいことにこだわりすぎても話が長くなるから、あまり細かいことは言わないで先に進もう。Cさん、次を読んで」
生徒C「My name is Tommy Stabbins,son of Jacob Stabbins,the cobbler of Puddleby-on-the-Marsh;and I was nine and a half years old when I first met the famous Doctor Dolittle.」
先生「A君、訳してごらん」
生徒A「ええと、『私の名前はトミー・スタビンス、パドルビー・オン・ザ・マーシュという町の、ジェイコブ・スタビンスの息子で、あの有名なドリトル先生に最初に会った時は九歳半であった。』」
先生「なかなかいいね。井伏先生はこの町の名前を『沼の上のパドルビー』と訳していたけど、Marshを一応調べてみようか。Cさん、辞書を引いてごらん」
生徒C「『低湿地、沼地』とありますね」
先生「じゃあ、やはり『沼の上のパドルビー』だ。でも、ここで『上』というのは、『ほとり』の意味だから気をつけてね。それから、トミーの父親の名前は、ジェイコブでもいいけど、ヤコブと読めば、この家族が多分ユダヤ系だということがわかりやすい。ユダヤ人というと、我々は、ロスチャイルドみたいな金持ちを想像しがちだけど、一般のユダヤ人は、この家族のような貧しい人々が多かったのではないかと思われるね。ここで第一段落は終わりだ。では、第二段落の第一文をB君、読んでごらん」
生徒C「先生、ちょっといいですか」
先生「何かな、Cさん」
生徒C「セミコロンにはどういう意味があるんですか。コンマやコロンとの違いが良く分からないんですけど」
先生「難しいことを聞くなあ。ぼくがそんなの知ってるわけはないでしょう。とりあえず、推測で言うけど、コンマは短い句を並列する場合、セミコロンは、長めの句を並列する場合って感じじゃない? コロンは文章の区切り目というよりは、時刻の時と分の区切り目とか、算数の比の何対何の対の記号に使うんじゃないのかな」
生徒C「……」(疑惑の眼差し)
先生「先に行こう。B君、読んで」
生徒B「At that time Puddleby was only quite a small town.」
先生「問題ないな。『その当時、パドルビィはただの、とても小さな町だった。』。A君、次を読んで」
生徒A「A river ran through the middle of it ; and over this river there was a very old stone bridge,called Kingsbridge.」
先生「Cさん、訳してごらん」
生徒C「『一本の川がその間を流れていた。そして、その川の上にはとても古い石の橋がかかっており、それはキングスブリッジと呼ばれていた。』」
先生「いいね。でも、『その間を』というところは、『町の中を』としたほうがいいかもしれない」
生徒C「先生、私、やっぱりセミコロンが気になるんですけど、ここ、2文に分けていいんでしょうか」
先生「いいんじゃないの。まあ、1文でも訳せそうだけどね。細かいことは気にせず、次にいこう。次は第三段落だな。面倒だから、もう、いちいち指示はしないよ。A君B君Cさんの順に一文ずつ読んで訳してもらおうか。次はA君が読んで、B君が訳す番だ」
東京新聞筆洗 第96代の安倍首相は憲法96条の改正を目論んだ。 97代の首相に再任された安倍氏は… 自民党「憲法改正草案」では憲法97条が削除されている。 憲法97条は 基本的人権の信託 @tim1134 pic.twitter.com/Pw55CQjioV
堤未果「本当は政府は「期待」するものではなく「監視」する存在。そこを誤解して有権者が政治から目を離したすきに政府があっという間におかしな方向に暴走したのが911後のアメリカでした。そして311後の日本も今それと同じ方向に行き始めている」http://amzn.to/X5Jdtw
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