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死刑なんて生ぬるいんじゃね?

「2ちゃんねる」系のサイトから転載。
死刑制度については、コメント13の意見はなかなか鋭いと思うが、しかし日本という「非法治主義社会」、つまり権力が恣意的に法を運用している社会では、冤罪の可能性があまりに高すぎて、今の状態では死刑存続(肯定)論には賛成しがたい。そして、ビートたけしの意見に近いかもしれないが、死刑が社会的に最適な「極刑」だとも思わない。もちろん、国家経済的に言えば、無期懲役も金の無駄遣いである。
私が提案するのは、入れ墨、手足や耳・鼻の切断などであるが、後者は単に事故で不具になった人間が犯罪者と間違われる恐れがあるから、入れ墨刑と併用するのがいいだろう。ファッションのタトゥーとの区別が難しい? まあ、親から貰った大事な体にタトゥーなど入れるような阿呆どもにかまう必要はない。
終身刑と強制労働との併用も悪くない。ただし、犯罪者に食と住を与えるのは刑罰にならない、という意見もあるだろうから、職にありつけず、食と住を求めて監獄に入りたいために罪を犯す人々は、「自己申告」によって、特に罪を犯さなくても監獄に入れるようにすると良い。これこそ今の日本に最適な「福祉政策」でもある。(笑)なお、昔のイギリスには「破産者監獄」というようなものがあって、破産した人間を家族とともにそこに収容したという。日本でもそういうものが必要だろう。あるいは「救貧院」というものもあったようで、これは「年越し派遣村」の親戚だと言える。 
ところで、日本を半分滅ぼした「原子力村」の東電や官僚たち(ついでに小泉、竹中)はまだ起訴されないのかね? 当然、死刑相当のはずなのだが。殺した人間の数から言えば、一人当たり、10回ずつ死刑になってもいいところだが、人間は一度しか死刑にできない、というのが死刑制度の欠陥だ。



(以下引用)

ビートたけしが死刑制度に異論 「死刑が極刑とは思えない」「被害者遺族が刑執行のボタンを押すのはどうか?」

1:ぱぐたZφ~社会篇◆FdDsU0B5ivx5 2014/04/08(火)22:38:59 ID:???
ビートたけしが死刑制度に異論 「死刑が極刑とは思えない」「被害者遺族が刑執行のボタンを押すのはどうか?」

7日放送の「TVタックル」(テレビ朝日系)で、ビートたけしが犯罪者の更生や死刑について意見を述べた。

同番組は「日本の死刑制度どう考えますか!?」をテーマに議論をする構成で、世界的には死刑制度が廃止に向かう中、日本ではいまだ85.6%が賛成している現状が紹介された。

番組冒頭で、たけしは「死刑というのはダメなんですよ。それは、死刑が極刑とは思えない。そんなんじゃすまない」と、日本の死刑賛成多数の現状に異論を唱えた。

罪を犯した人にはもっと生きてもらい、人間とはなにか?命とはどういうものなのか?を学ぶ意味では、死刑ではなく終身刑のほう適しているのではないかとした。

さらに「中には(自分が)死にたいから、人殺しして殺してくれってやつが出てくるとこれどうなんだっていうことになってね。人権とかそうじゃなくて、もっと更生のさせ方が、もっと罰せられる方法があるんじゃないかと」と話した。

スタジオでは賛成派と反対派に分かれ、議論が展開されたが、実際に拘置所内で刑を待つ死刑囚や、刑が実行される様子など、ショッキングな内容も紹介されていた。

〈以下略〉

ソース
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/8715787/



 

     
3:名無しさん 2014/04/08(火)22:41:18 ID:Hcl8H6RH7
でも終身刑に使うお金とか考えるとコロコロしたほうがいいんじゃないかって思う
4:名無しさん 2014/04/08(火)22:42:28 ID:Mfjzr2K1d
仇討ちの復活だろ。
近代国家において、いかなる仇討ちがありうるかを論じるべき。
5:名無しさん 2014/04/08(火)22:46:31 ID:Rww1L162u
終身刑を与える価値もないやつが居るんだよ
6:名無しさん 2014/04/08(火)22:47:40 ID:ICxpt7iU6
(*´ω`*)間を採って、拷問付き終身刑でお願いします。
7:名無しさん 2014/04/08(火)22:49:29 ID:WwXtKqzS4
>「中には(自分が)死にたいから、人殺しして殺してくれってやつが出てくるとこれどうなんだっていうことになってね。

安楽死合法化しようぜ!
9:名無しさん 2014/04/08(火)22:51:43 ID:pYRRalXjy
死刑絶対反対!
人類にはまだ克服できない病気がたくさんある
人体実験用の「丸太」として人類全体のために利用するべきだ
10:名無しさん 2014/04/08(火)22:53:05 ID:8A9Y2iyYe
執行のボタンはネットに公開。
時間になると押せるようになる。
間違いなくポチる奴殺到。
12:名無しさん 2014/04/08(火)23:08:23 ID:8AIgonNzO
人権剥奪こそ極刑だろ
13:名無しさん 2014/04/08(火)23:08:39 ID:ZYJLObeiR
■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
さらに現行犯も死刑にできなくなる矛盾。
■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
ならば懲役も反対しなければダブルスタンダートである。
■死刑廃止は世界の潮流である
嘘。死刑廃止は90国、死刑存置は97国。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、
仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。
■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)
■国が殺人を容認するのはおかしい
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。
■犯罪者にも人権がある
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。
■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
国勢調査で8割の国民が死刑を望んでいると出ている。
■自分がいつか殺人を犯すかもしれないだろ!
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
■刑務官がかわいそう!
職業選択の自由が日本にはあります。
■野蛮!
日本は世界のどの廃止国よりも犯罪率の低い国です。ちなみに廃止国は現場で射殺しています。
日本では正当防衛で撃っただけで問題になります。
29:名無しさん 2014/04/08(火)23:56:10 ID:sslX7DSn5
>>13
一番最後目から鱗だわ
確かにそうだよな
15:名無しさん 2014/04/08(火)23:09:46 ID:FIaBnNsn8
冤罪がなければ
死刑囚の人権なんて無視して
モルモットが最適なんだけどね
16:名無しさん 2014/04/08(火)23:12:02 ID:GDOTwcBds
人権尊重で死刑反対って意見が嫌なんで、
人権じゃなく死刑より生かしたままで死刑よりももっと苦しめる極刑というならありだな。
18:名無しさん 2014/04/08(火)23:16:51 ID:zjwYmw8Kn
もしも自分の身内に危害が及んだら、喜んで加害者の首に縄掛けて引き摺ってやる。
一瞬じゃ終わらせない、ジワジワとな。
19:名無しさん 2014/04/08(火)23:22:32 ID:2NIcQgsix
うっせーな
奇を衒った解決法なんて要らねーよ
反対派の主張なんて言い掛かりなんだから奴らは納得させなくておk
20:名無しさん 2014/04/08(火)23:23:35 ID:tKRrFZ3uW
人権剥奪して過酷な強制労働をさせるのが一番役に立つ極刑だと思うが
21:名無しさん 2014/04/08(火)23:27:39 ID:YNBUbpyW2
いや、自分の手は汚したくないわ
なんで死刑囚のクズのために嫌な思いしなきゃなんないのさ
23:グナッシー 2014/04/08(火)23:35:43 ID:qxErD3aBV
>>21
おいらが肉親殺された遺族だったら、刀で切り刻んでやりたいがね。 

ボタン押させてくれたら有りがたいよ。
22:名無しさん 2014/04/08(火)23:34:04 ID:708IAc06P
仇討ちっていうのは少しでも相手と戦って止めを刺すから意味があるのであって
袋かぶって椅子に縛られてる奴をスイッチ一つでやっても気は晴れないと思う
24:名無しさん 2014/04/08(火)23:36:27 ID:zPUOPXmvE
東南アジアで地雷10個除去したら死刑から仮釈無しの無期懲役に減刑とかすればいい
25:名無しさん 2014/04/08(火)23:47:41 ID:pnD8Vzu0p
自己の欲や利益の為に他人の生きる権利を奪っておいてのうのうと生き長らえるなんて許せない。
死刑反対の人間て被害者の人権をどう捉えているのか疑問。
これじゃほんとに殺ったもんの勝ちみたい。
26:名無しさん 2014/04/08(火)23:49:12 ID:SOcrCMKSA
反対派の人権派弁護士JJIはいかにもサヨクっぽくて、
鳩山(弟)に向かって「あなたね~」って言ってた。
自分は先生と呼ばれたいが、他人を先生とは呼びたくないんだなと思った。
27:名無しさん 2014/04/08(火)23:52:35 ID:6nQU95b8w
>たけしは「死刑というのはダメなんですよ。それは、死刑が極刑とは思えない。そんなんじゃすまない」

同感。
30:名無しさん 2014/04/08(火)23:56:27 ID:w3eAyg5WH
死刑でいいよ、年間で300万もかかるんだぜ?
一人養うのにさ
40:府肉◆HUNIKUxL/w 2014/04/09(水)00:08:17 ID:PucTEkqGN
>>30
まあそれは大げさに言ってる数字だけどな
実際は100万以下
32:名無しさん 2014/04/08(火)23:58:15 ID:pYRRalXjy
自分の子供を殺されて、反対派から賛成派に豹変した弁護士がいたような
死刑がなかったら光市事件の被害者は犯人を殺すだろうね
33:名無しさん 2014/04/08(火)23:58:30 ID:dRSmZxJPv
目には目を。今は贖罪までリーズナブル過ぎる。
34:名無しさん 2014/04/09(水)00:01:26 ID:exZWGYBzr
死んだ方がマシという辱めを与え続けるってのはどうだ?
38:名無しさん 2014/04/09(水)00:06:55 ID:nbqgpwoUa
>>34
グアンタナモのような収容所を作るか、脳みそ弄って自由意思を無くしたうえで
死ぬまで肉体労働に従事させる動物にするかどっちかだな。

死刑より重い刑が作られなければ死刑はなくならんよ。
35:名無しさん 2014/04/09(水)00:04:50 ID:iV05CGEJB
もし俺が家族を殺され、
犯罪者の死刑ボタン押せるなら、
高橋名人並みに連打するわ。
41:名無しさん 2014/04/09(水)00:10:10 ID:U11FWlZRC
>>35
いやいやw
押すよ?押さないよ?どーしよっかな?
これを繰り返して精神的苦痛を与えつつ殺す
36:名無しさん 2014/04/09(水)00:05:04 ID:S5wKLy7Wb
なんで反日左翼が死刑反対してるんだろう
日本人を大量虐殺する計画でもあるの?
37:名無しさん 2014/04/09(水)00:06:48 ID:iV05CGEJB
>>36
ヒント
犯罪者の大半がテョン
オウムや日本赤軍の残党。
39:名無しさん 2014/04/09(水)00:08:03 ID:S5wKLy7Wb
>>37
あーそういうことかw
42:府肉◆HUNIKUxL/w 2014/04/09(水)00:10:34 ID:PucTEkqGN
犯罪者を出した一族に責任が及べば自浄作用が生まれる気がする

ただ、どうしようもない理不尽に遭遇した時犯罪に手を染めることもあるとは思う
自分勝手な池沼が起こす犯罪とは質が違うものってあると思うわ
そういう人はだいたい自決してしまうことが多い気がするが
45:名無しさん 2014/04/09(水)00:13:41 ID:DA5yQ3BNs
>>42
東野圭吾の『手紙』がそんな内容だったよ
殺人犯した兄のせいで仕事も友達もなくして苦悩する話
48:名無しさん 2014/04/09(水)00:26:35 ID:K8QOqmv3Q
死刑・人体実験刑で生き残ったら終身刑・人権剥奪刑を本人に選択させればいいんじゃないの?

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聖書「雅歌」より





・視よ 冬すでに過ぎ 雨もやみてはや去りぬ もろもろの花は地にあらはれ 鳥のさへづる時すでに至り 山鳩の声われらの地に聞こゆ






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ブラック官兵衛

「紙屋研究所」から一部転載。
省略した最初の部分は、NHKの「黒田官兵衛」が視聴率的に苦戦しているという話から始まって、そもそもなぜ黒田官兵衛レベルの人物をなぜ大河ドラマの主人公に選んだのか、という疑問を呈している。そのあたりも面白いのだが、おそらくプロの書き手である管理人氏の文章を全文コピーするわけにもいかないので、後半だけ転載した。
吉川英治の「黒田官兵衛」(題名もこうだったかは忘れた)を少し前に読んだ(NHKがドラマ化するというニュースを知る前である)ために、黒田官兵衛の名前は私には親しいものとなっていたので、NHKのドラマ化の結果がどうなるかにも関心はあったのだが、最初のあたりを瞥見すると、意味不明の色事(恋愛沙汰)に長々と時間を使っているようで、まったく見る興味を無くしたものである。ドラマというと色事(恋愛)を入れないと成立しないという、ハリウッド映画式、あるいはアメリカテレビドラマ式の思想が、日本の時代劇や歴史ドラマまでいかに毒しているか、ということである。アメリカのドラマ(たとえば「ユーレカ」など)は、地球が破滅するかという危急の際でも、それに立ち向かうべき主人公の男と女がいちゃいちゃしたり、痴話喧嘩ばかりしているので、見ているこちらは腹が立つばかりである。私はかつて、「スーパーマン」のテレビ放映を友人たちと見ていて、地球の危機を前にして自分の恋愛だけにかまけているスーパーマンにあきれ、「愛は地球を滅ぼす」と言って、友人たちに大うけしたものだ。(これは、当時の「24時間テレビ」の「愛は地球を救う」というキャッチコピーへの皮肉。)
いや、興奮してつい話が逸れた。とにかく、アメリカドラマの恋愛病、色情狂ぶりは、日本のドラマも汚染している、ということである。日本の歴史ドラマに「政略結婚」はあっても、「恋愛」などあってはおかしいのである。それが歴史に忠実な描き方だろう。壬申の乱だって、べつに額田王をめぐる三角関係からの戦争ではない。そうだったら、トロイ戦争みたいで面白いが。
さて、駄弁が長くなったが、紙屋研究所管理人氏が見落としている漫画がある。
それは平田弘史の「黒田三十六計」で、コンビニで買える。「ブラック官兵衛」を描いている点では、これに勝るものは無いのではないか。平田弘史の作品の中では最上というわけではないが、官兵衛がNHKドラマの主人公にいかに不適であるかはありありと分かるだろう。


(以下引用)






「生涯の汚点」としての宇都宮鎮房暗殺

 さて、こうした「官兵衛」本、あるいは「官兵衛」マンガが中心な中で、ぼくが驚いたのは中津市(大分県)が監修している屋代尚宣『マンガ 戦国の世を生きる 黒田官兵衛と宇都宮鎮房』(梓書院)である。


 何が驚いたといって、まさか宇都宮鎮房(しげふさ)の謀殺をこんなに正面から描くなんて思いもしなかったからである。


 秀吉の九州平定後、官兵衛は豊前(大分県)に領土を与えられるが、秀吉に協力した土豪・宇都宮鎮房は伊予(愛媛県)に領地を移すよう秀吉に求められる。また、太閤検地によって兵農分離がすすめられ、中間搾取者としての地付きの小勢力の武士(国人)は農民になるか俸録(給料)制の家臣になることを迫られた。

 これらの不満が一体となって、大規模な反乱となる。

 黒田は大苦戦を強いられ、最終的には和平とみせかけ、政略結婚まで用意しながら、城内に誘い入れ、謀殺。一族皆殺しにしてしまう。


 どこが不敗の軍師だよ、何が平和を願った男だよ、と言われてしまう官兵衛の「黒歴史」である。「あれは子の長政がやったことで、官兵衛の所業ではない」という言い訳もあるが、かなり苦しい。


 司馬遼太郎はこの一件を次のように評している。




留守居の官兵衛の嫡子の長政がこれらと戦い、とくに最大の土豪である宇都宮鎮房との戦いで惨敗した。宇都宮氏は城井(きい)谷を根拠地とし、鎌倉以来の地頭で土地の者からよく崇敬されていた。長政がこの鎮房をもてあまして陰惨な謀殺をやっているが、このことに官兵衛は無縁とはいえず、この男にとっては生涯の汚点といっていい。(司馬『新装版 播磨灘物語(四)』講談社文庫p.331、強調は引用者)


 「生涯の汚点」。

 相当に厳しい言葉である。

 宇都宮氏はすでに一族としてのまとまりがないほどに分立していたが、少なくとも鎮房の本家に関しては、黒田によって根絶やしの凄惨な弾圧が行われる。政略結婚のために嫁ぐことになっていた13歳の鶴姫は磔(はりつけ)にされるのだ。


 NHKパンフの描き方にみられるように、大河ドラマの主人公が謀殺などをした男であってはならず、このエピソードがとりあげられることはまずない。特に何かにつけて教訓くさく大河ドラマの主人公を押し出したい行政などにとっては、タブーではないのか、とぼくは思っていた。


 ところが、である。


 このマンガは、中津市が「監修」にもかかわらず、このエピソードを取り扱う。いや扱うどころじゃねえ。タイトルがそもそも『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』であり、まさにド真正面から扱っているのだ。


異色のマンガ『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』

 職場でこういう話が好きな人と、「まさかあのエピソードは扱うまい」と話題にしていたので、こんなマンガを中津市が出したという新聞記事(読売新聞)を読んだとき、びっくりして「ぜひ読まねば」と思った。


 ところが、書店はおろか、Amazonでさえ入手できなさそうである。現地でお土産としてしか売ってないらしい。

 記事に、中津市教育委員会に電話しろとあったので、電話した。本体が700円、送料が740円もする(さらに少額小為替の換金手数料が200円かかった)。しかし、何としても手に入れたいと思い、郵送してもらった。

http://www.city-nakatsu.jp/docs/2014022000106/


 絵柄がすごいね。

 中津市のホームページには「親しみやすいマンガで」とあるのだが、全然親しみやすくねえ。まあ、マンガという表現形式が一般的に親しみやすいという意味だろうけど、一人残らず目が切れ長の劇画調。怖い。


 官兵衛の半生も手際よくまとめているが、中心は宇都宮と黒田の相克。

 ヤマ場は、やはり和睦の酒宴ということで入城した宇都宮鎮房を暗殺するシーンである。「官兵衛は謀殺に関係ありません」という立場をとらず、子・長政に実質的な指揮命令をして殺したのが、まさに当の官兵衛であるという考証に立っている。




再び一揆が起これば今度こそ黒田は詰め腹を斬らされる

喰うか喰われるか

これが世の中の流れじゃ


とミもフタもない弱肉強食の世界観を口にする官兵衛。

 いいねえ。リアル。

 いや、これがホントのところだと思うよ。

 正直。

 マンガにも書いてあるけど、同じ九州(熊本)で、佐々成政が過酷な圧政と検地を行ったために、同じように反乱がおき、秀吉に失政の責任を問われて文字通り詰め腹を切らされた。

 官兵衛は秀吉の怒りを恐れて、徹底した弾圧を決意していたとみるのがまあ正当なところだろう。太平の世を願って……とかそういう寝ぼけた主張はアレですわ。


「中世対近世」という解釈の正当性

 本書に「刊行にあたって」という中津市長の言葉が載っている。



敵を殺さず戦に勝つといわれた官兵衛も、この時ばかりはそうもいかず、鎮房と徹底的に交戦し、最後は謀殺という非情な手段をもってこれを鎮めました。新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです。(本書p.109)


 うむ、これだけではなかなか苦しい。

 観光の目玉としたい行政であるにもかかわらず、このテーマを正面から扱ったことには拍手を送りたいが、「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」とは「いい話」っぽくまとめすぎである。

 後述するように実はこの市長の述べた評価は妥当なのだが、肝心のロジックが抜けているので、「いい話」にまとめる横車を押している感じが否めない。


 この「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」というロジックは、本書の「おわりに」として市教委の一人(三谷紘平)が書いているのがより詳細に伝えている。


 三谷は、宇都宮対黒田は単なる一地方の勢力争いではなく、検地と兵農分離によって中間搾取者であった土着の小勢力を徹底的に排除し、封建革命を完成させようとする秀吉側と、それに抵抗する中世の旧権力との闘争であると見ている。中世対近世というわけである。



宇都宮鎮房については、滅びてまで自らの土地を守ろうとした、中世を代表する武士であったと、あらためて評価すべきではないでしょうか。(本書p.146)


 これは得心がいく。

 これに対する近世権力の代表、黒田の評価はどうか。




官兵衛の豊前平定は、この中津の地を豊前の中心に定め、戦国の世から平和の時代へ変えるための行動であったということができます。(同前)


 「平和の時代へ」というのは、「平和主義者である官兵衛」という解釈だといかにもとってつけた感じになるけども、この文脈でいうと「中世の分立する小勢力を整理・掃討して、近世権力をうちたて、強力な秩序をつくりだす」というふうに読めばさほど無理はなくなる。統治が混乱することを望む支配者はいないのだから。それを「平和の時代へ変えるための…」などというのは、ちょっと強引なように思われるけど、こういう流れの中であれば許されるだろう。

 じっさい、マンガとして、こういう場合、黒田は正義、宇都宮は悪、のような造形に描かれがちである(あるいは郷土的愛着からまったく逆にする)。しかし、さっきぼくが「怖い」と評した作者・屋代の、「どの人物も酷薄なフォルム」というタッチがここではプラスに生きている。読者はどちらにもあらかじめの正義を感じることなく、「喰うか喰われるか これが世の中の流れじゃ」的な感覚を味わうことができる。


 だから、この本をぼくは高く評価する。

 行政が主体でつくったにもかかわらず、大河ドラマの英雄の「汚点」に斬り込み、なおかつギリギリのリアルな解釈をしているからである。


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桜散る中で

「竹熊健太郎ツィッター」から転載。ツィッター特有の不要情報(連絡用の情報)をカットした結果、箇条書きが見づらいのはご容赦願いたい。



日本で生まれ、日本で育ち、日本語以外は満足に会話が出来ず、日本を愛し、日本で生活基盤を築いた人間


であるのはほとんどの人間がそうだろう。いくら「国際化」を叫んでも、ほとんどの人間は日本語で考えるしかなく、日本語しか本当には理解できないのである。そういう人間が外国で暮らす苦労や苦痛は容易に想像できる。
外国に脱出する、という選択ができるのはさまざまな意味で恵まれた人間(恵まれたと言うと語弊があるかもしれないが)だけだろう。もっとも、たとえ放射能に汚染された日本でも、この国の自然や文化は、少なくとも表面的にはまだ維持されるだろうから、残り少ない余生を外国で苦労して生きるよりは「少しずつ転落しながら」この桜の国で生きていく、という選択をするというのも愚かではないと思う。桜の花びらが落ちていく「秒速5センチメートル」くらいの落下速度で、「無為」によって不幸になることを選ぶという選択だ。




(以下引用)




竹熊健太郎《編集家》 @kentaro666 4月5日

  1. 今年に入って様々な局面で風雲が急を告げてますね。私の周囲は、既に3人、国外脱出を決行しました。準備中も掴んだ範囲で2人。とんでもない事態が、深く静かに進行しています。 私は、考え中です。
    1. 日本で生まれ、日本で育ち、日本語以外は満足に会話が出来ず、日本を愛し、日本で生活基盤を築いた人間が、私が知る範囲で、5人もこの国を見離す事を考え初めてます。 大変な事が起き始めていると私は思います。
    1. 私もできることなら脱出したいです。暮らしにくくてストレスたまります。でもな…。この国、そのままにすると世界中に迷惑かけそうで…。
     
    1. . もはや民主的な方法でこの国を良くする事は不可能だと私は思います。武力革命以外の方法を私は思いつきませんが、私は暴力が大嫌いです。
                              
  1.                           
    1. 直感ですが、そもそも日本から脱出した位で何とかなるとも思えないんですが。全世界的な崩壊過程で、早いか遅いかの違いだけでは?
     
    1. まぁ、そういう側面もあるかもしれませんが数年でも他の国に住んでみると日本の、特に東京の異常さを身にしみて感じます。生きにくい社会だなと思います。
                              
    1. はい。しかし日本よりマシな国はまだあるだろうと思いますよ。少なくとも私には、この国は最低最悪です。
                              
  1.                           
  2. だから、良い点だけを利用するっていうのが賢いやり方です。海外にも軸足を置いておくことは必要ですが、あくまで海外に本拠をおくといつ排斥的な運動に巻き込まれないともかぎりません。反日運動と嫌中韓運動はカードの表裏なのです。








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二つの自由

「春と修羅☆」から転載。
「アナと雪の女王」主題歌翻訳の一部である。(一箇所だけ、勝手に私が変えた。「全てのものをちっぽけなものに」を「全てのものをちっぽけなものにし」と変更。そうでないと、この部分が「恐怖」の修飾語でなく、語り手自身が「すべてのものをちっぽけなものにする」独裁者的存在であるかのようになる。もっとも原詩を知らないので、これは私の独断。歌詞は曲に乗らなければならないから、舌足らずな文になったのだろうと思ったわけだ。)

私は「新自由主義」ひいては「自由主義」が大嫌いなのだが、それは、そうした思想が現実には「一部の特権階級の自由」だけを拡張する装置として働いているからであり、その結果、99%の人間は自由どころか奴隷的境遇にどんどん押し込められていっているからだ。
しかし、下の歌詞に言うように「正解も間違いもルールもなく」「空や風と共に生きる」という(内面的)自由は、人間の生き方の理想であり、禅で言う「随所に主となる」生き方だと思うので、ここに紹介したわけである。
まさに、生きることには本来、正解も間違いもルールも無いのである。
ただ、社会を形成し、社会の中で生きるために、さまざまな正解や間違いやルールが作られ、人を縛り、あるいは自律的にそのルールに従うだけのことだ。
その「正解」やら「ルール」が過大視され(「小保方事件」などもその一例か)、それが社会的精神病になったために、多くの人にとって「生き難い」社会が作られてきたのが近代文明の大きな特質だろう。つまり「行為」に対する罰や褒賞が異常に偏向し、あまりに過大であるため、社会全体が神経症的になり、やたらに攻撃的になるか、あるいは何をするにも怯えて生きているわけだ。
ところで、その「ルール」を作り、これが「正解」だとしている連中は誰なのだ、その「ルール」で得をしているのは誰なのだ、と考えれば、我々は少なくとも、そのルールや正解の虚妄性を知り、少なくとも精神的には「自由」になることができる。そして、精神的な自由は、あるいはそれを得ることで物質的・社会的な犠牲を払うにしても、それに値するものなのかもしれないのである。





(以下引用)



全てのものを
ちっぽけな物にし、 そして、以前は私を 抑圧していた恐怖も
今では私に届かないのよ

 


私が出来ることを 理解する時よ 限界を知り それを乗り越える


 


正解も、間違いも無く ルールも無いわ


 


私は自由なの なすがままに ありのままで
私は空と風と 共にある者よ


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春風馬堤曲

「小さな資料室」から転載。
ようやく春になったこの頃の気候にふさわしいか、と思っての転載である。コピーの際に注の部分が見づらくなってしまったが、高校で古文を学んだ人なら原文で十分に理解できるだろう。
これは、俳句と散文と漢詩などをコラージュした詩(漱石の「猫」では、明治時代に流行した「新体詩」の先駆けのようなもの、としている。)であり、江戸時代にこのような作品を作った蕪村の独創性に驚かされる。最後の一句は蕪村の知人であった太祇のものであるが、他人の句で自分の「詩」の最後を飾るという、現代の詩人ではまず考えられない離れ業だ。(もっとも、西脇順三郎がキーツの詩の一節を自分の詩に引用した例はある。「『覆された宝石』のような朝」というフレーズがそうだという。)
長柄川に沿う、馬堤の上を春風に吹かれながら故郷に帰る若い娘の浮き浮きとした気分、故郷で自分を待つ母親の姿を見た喜びが、時間と風景の流れの中でさりげないドラマとなっていく。しかし、よく読むと、最後のクライマックスに至る布石が見事に敷かれているのである。「親鳥と雛」「たんぽぽの『乳』」そして、最後に待ち受ける


嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春



その夜は、この薮入りの娘は老いた母と枕を並べて寝て、幼い頃に帰っただろう。





(以下引用)



資料335 与謝蕪村「春風馬堤曲」





 


        春風馬堤曲   
                
謝  蕪  邨





 


    余一日問耆老於故園。渡澱水
    過馬堤。偶逢女歸省郷者。先
    後行數里。相顧語。容姿嬋娟。
    癡情可憐。因製歌曲十八首。
    代女述意。題曰春風馬堤曲。


   
春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤
ヨリ摘芳草  荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情    裂裙且傷股
○溪流石點々   踏石撮香芹
 多謝水上石   敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客   能解江南語
 酒錢擲三緡   迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄   籬外草滿地
 雛飛欲越籬   籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側



 


 


 




(書き下し文・読み仮名付き本文)

   春 風 馬 堤 曲 

  余、一日
(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。
  澱水
(でんすい)を渡り馬堤(ばてい)を過ぐ。偶(たま
   たま)
(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。
  先後して行
(ゆ)くこと數里、相(あひ)顧みて語る。
  容姿嬋娟
(せんけん)として、癡情(ちじやう)(あはれ)
   
むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)
  に代はりて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰
(い)
   
ふ。
  


   春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入
(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)
○春風や堤長うして家遠し
○堤より下りて芳草を摘めば 荊
(けい)と蕀(きよく)と路を塞(ふさ)
 荊蕀何ぞ妬情
(とじやう)なる 裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
○溪流石點々 石を踏んで香芹
(こうきん)を撮(と)
 多謝す水上の石 儂
(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ
○一軒の茶見世の柳老
(おい)にけり
○茶店の老婆子
(らうばす)(われ)を見て慇懃に
 無恙
(ぶやう)を賀し且(かつ)(わ)が春衣を美(ほ)
○店中二客有り 能
(よく)解す江南の語
 酒錢三緡
(さんびん)(なげう)ち 我を迎へ榻(たふ)を讓つて去る
○古驛三兩家
(さんりやうけ)猫兒(びやうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず
○雛
(ひな)を呼ぶ籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外草(くさ)地に滿つ
 雛飛びて籬
(かき)を越えんと欲す 籬高うして墮(おつること)三四
○春艸
(しゅんさう)(みち)三叉(さんさ)中に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲
(さけ)り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得
(きとく)す去年此路(このみち)よりす
○憐
(あはれ)みとる蒲公(たんぽぽ)莖短(みじかう)して乳を浥(あませり)
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍
(くわいはう)別に春あり
○春あり成長して浪花
(なには)にあり
 梅は白し浪花橋邊
(なにはきやうへん)財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
(なにはぶり)
○郷
(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)
 本
(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅
○故郷春深し行々
(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
 楊柳
(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
○嬌首
(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)
 戸に倚
(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
 待
(まつ)春又春
○君不見
(みずや)古人太祇(たいぎ)が句
  藪入の寢
(ぬ)るやひとりの親の側(そば)


 


 


 


 


 


 


 


 


 




    (注) 1. 上記の与謝蕪村「春風馬堤曲」の本文は、講談社版『蕪村全集 第四巻』(1994
          年8月25日第1刷発行)によりました。ただし、本文の振り仮名は省き、漢字は新字
          体を旧漢字に改めました。
         2.  本文の平仮名の「こ」を縦に潰した形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあり
          ます(點々、三々五々、行々)。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符
          号は、普通の平仮名に置き換えてあります(むかしむかし)。
         3. 「荊蕀何妬情」については、全集の頭注に、「「妬情」はやきもち。寺村家本に蕪村
          自筆で「無情」(つれない)と朱で訂正する(頴原ノート)」とあります。従って、「荊蕀
          何無情」としてある本文もあります。
           全集の本文には、「妬」の右に「(無)」としてあります。 
         4. 「春風馬堤曲」の読み方は、「しゅんぷうばていきょく」「しゅんぷうばていのきょく」
          の両方の読みがあります。手元の書物では、
           「しゅんぷうばていきょく」と読んでいるもの
             揖斐 高 校注・訳『蕪村集 一茶集』
(日本の文学 古典編、ほるぷ出版、1986年) 
             尾形仂・校注『蕪村俳句集』
(岩波文庫、1989年) 
             尾形仂 山下一海・校注『蕪村全集 第四巻』
(講談社、1994年)
           「しゅんぷうばていのきょく」と読んでいるもの
             清水孝之・校注『与謝蕪村集』
(新潮日本古典集成、1979年)
         5. 与謝蕪村(よさ・ぶそん)=江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、のち
              に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼時から絵画に長じ、文人画
              で大成するかたわら、早野巴人
(はじん)に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を
              唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「た
              まも集」など。(1716-1783)            
 (『広辞苑』第6版による。)
         6. 春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)=俳詩。与謝蕪村作。「夜半楽」(1777年
              (安永6)刊)所収。藪入りで帰郷する少女に仮託して、毛馬堤(現、大阪市)の
              春景色を叙した、抒情性豊かな郷愁の詩。      
(『広辞苑』第6版による。)
            
春風馬堤曲(夜半楽)=蕪村が安永6年の春興帖として出した俳諧撰集「夜半楽」
              (半紙本1冊)に、正月の夜半亭歌仙1巻、春興雑題43首、澱河歌などととも
              に収められている。小冊子でありながらこの書が知られているのは、実は「馬
              堤曲」と「澱河歌」のあるがためである。「馬堤曲」の制作は同年正月と推定さ
              れ、帰郷の藪入娘に仮託して、蕪村みずからがその郷愁をうたったものであ
              る。俳句と漢詩とが見事にとけあい、和詩として最高の地位を占めるものとい
              っても過言ではない。          
(日本古典文学大系の「出典解題」による。)

         7. 資料334に、与謝蕪村「北寿老仙をいたむ」があります。




(追記)前説に書いた、「覆された宝石のような朝」は、これ全体ではなく、「覆された宝石」の部分が引用だったと思う。つまり、「『覆された宝石』のような朝」という詩句だったと記憶している。紛らわしい文章を書いて済まない。手元に何の本も無く、記憶だけで書くことが多いので、こういうドジをよくやる。



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