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色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ

現代の若者はかなり早い時期からセックス関係の情報に触れているから、男女関係も性的関心が中心になっているのではないだろうか。それはむしろ不幸なことなのではないか、というのが、私が今ふと思ったことである。もちろん、性的好奇心は恋愛の重要要素だろうが、その度合いが高すぎると、それは「恋愛の品質」を低下させるのではないか、ということだ。つまり、性欲は恋愛か?というのが私の疑問なのである。
また、相手の美醜も恋愛の大きな要素とされているが、私が中学高校のころ関心を持った相手は、美人だから好きになった、ということはなかった。ほとんどは「雰囲気」がその関心の要素だったと思う。無理に言えば「品のいい子だな」という感じだろうか。あるいは、「他の子と違う雰囲気だな」という感じか。それが何によるものかは知らない。
もちろん、ガキだから美人や美少女は大好きであったが、それは恋愛につながる意味での「好き」ではなかったと思う。一般的な顔の美醜は、その顔の持ち主の精神性とはあまり関係がないと深層心理で感じていたのかもしれない。芸能人などでも美人・美男子だが顔を見れば精神の下種さが分かる顔というのはよくある。
「売色」という言葉があるが、色(容色)を売ることは下種行為とされているのである。ただ、もちろん、手っ取り早くカネにはなるだろう。顔以外に売れるものが無い人間がその容色を売るのは仕方が無いことでもあるが、誇れることではない。
芸能人やアナウンサーの女が、容色が衰えてくると政治家に転身するのは、「売り方」を変えただけである。彼女たちは自分の賞味期限が20代までしかないことを熟知しているからだ。で、今度は与党の大物政治家に「媚びを売って」政治家としての上昇を図るわけだ。ある意味気の毒ではあるが、しかし、政治の世界に入るべき連中ではない。
男の場合は、美男子ではなくても実力だけで評価されることが多いから恵まれた境遇だが、その代わり、出身階層(貧富)によって苦労の度合いがまるで違う。実力の世界とは、「下の部分」だけの競争なのである。上の部分はスタート時点から安泰なのは、二世三世政治家を見れば分かるし、大金持ちの世界も同じだ。ビル・ゲイツなどその代表である。
かなり話が取っ散らかってきたが、まあ、世の中とはそういうものだろう。恋愛論をするつもりが政治論・社会論になるのは、私がいかに色気と無縁の木石人間かの証拠だろう。


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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