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子供に「偽善(あるいは社会的演技)」を教える難しさ

某漫画家がリツィートしたもので、私もこのツィートには激しく同意する。
謝罪する状況というのは屈辱と怒りで心は溢れていて、「自分が悪かった」という気持ちがあるにしても、「心から」謝罪などできるはずがない。
ただ、この子供のように「謝罪の恰好だけした、さらなる反抗」というものの無益性や損失は(それを教えるのは「偽善」を教えることだから)なかなか教えられないと思う。だから「心がこもっていない」と叱るしかできないだろう。

前から何度か書いていると思うが、「偽」とは「人為」ということであり、「善」あるいは倫理道徳というものが自然の存在でなく人間界の社会的合意である以上、善は人為的に身に付けていくもので、つまり「偽善は善の同類、あるいは出発点」ではないだろうか。
まあ、よく言われる「やらぬ善よりやる偽善」という言葉にも一理あるわけだ。ただし、ここで「やる偽善」というのは、その「偽善」行為が社会に物質的な利益をもたらすものである。大人の口先だけの偽善は自己保身の意味しかない。


(以下引用)

desean takahashi
@desean97
·
娘の「はいはいごめんなさ~い」というおざなりの謝罪に妻が「心がこもってない!」と怒るのだが、謝罪ってそもそもそんなものじゃなかろうか。あくまでも儀式であって。

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