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ルッキズムは「思想」か、文化的に形成された「二次的本能」か

「はてな匿名ダイアリー」から転載。
真面目そのものの内容で、実に切実感があり、自分の内面をはっきり描いていて引き込まれる内容だったが、最後でずっこけた。「キンプリって何????」アイドルグループか何かなら、「別の『宗教』を見つけた」だけではないか?
しかし、書かれた内容の大筋は、女性にとっての「社会的価値」は何か、という重大な問題を論じていて、読む価値がある。これは、不細工な顔やスタイルでも金儲けをすればいくらでも社会的評価は上がる、という男の場合とは根本的に異なるものだろう。
「ルッキズム」を社会から排除すればいいという話でもないだろうし、またそれは不可能だろう。女性でも男性アイドルグループに全身全霊で惚れ込む女性はいるのだから、ルッキズムは男の悪徳というわけでもないし、また、女性でも「美しい女性が好き」という人も多いのではないか。
まあ、韓国のように、「整形すれば?」で終わる話かもしれない。
なお、顔貌の「美しさ」の評価は時代で変わるもので、平安時代の美女は今ならブスだと思われる。鼻輪や耳輪をつければ美人とされるという安易な土人社会も昔はあった。私は耳輪や入れ墨をした男女を見ると、それを連想する。

(追記)一応調べた。「キング」と「プリンス」はどういう差異があるのだろうか。



King & Prince(キング アンド プリンス[2])は、日本の男性アイドルグループジャニーズ事務所所属、所属レコードレーベルはJohnnys’Universe / ユニバーサルミュージック[注 1]2015年結成。愛称は「キンプリ[4][5]


旧グループ名はMr.King vs Mr.Prince(ミスターキング ブイエス ミスタープリンス)[6]




(以下引用)

2021-11-16

私がフェミニズムという宗教から抜け出せた理由

脱コルや反ワクチンのように怪しいものから抜け出した体験談を語るとみんなから褒めてもらえると聞いたので私の体験を書く。


むかしシドニィ・シェルダンの人が書いた小説でこんな話があった。たしか時間の砂」か「星の輝き」のどちらかだったはずだ。


あるところに二人の姉妹がいた。最初お姉さんはブスだけど心優しい女性だった。妹は美人で誰からも愛されてた。


最初姉妹は仲良かったが、姉は何をやってもかわいい妹と比べられた。何をやっても妹は愛された。努力して何でも妹より良くできるようになったが、結局愛されるのは妹だけだった。


そんな姉の唯一の自慢は歌うことだった。歌を歌っているときだけは家族も褒めてくれた。何もかも忘れて歌うことが一番楽しい時間だった。あるとき、妹が勝手に姉の録音をテレビ局に送ったらプロデューサー家族のもとにスカウトにやってきた。そのとき何も知らないプロデューサーは見目麗しい妹が声の持ち主だと思って熱烈にスカウトした。テレビ番組デビューまで持ちかけた。しかし、その声の持ち主が姉だとわかると途端に手のひらを返し、「声優事務所にでもいけ」と冷たくあしらい、なおも妹をスカウトしようとした。


唯一の心の支えだった歌すらも自分を苛むようになった姉は絶望し、すべての執着を捨てようと厳格に清貧生活を求めるキリスト教教会に入った。その修道会で数年は平穏な日々を過ごしていた。しかし、ある時事件に巻き込まれ男を知った彼女は、押さえつけていた欲望を取り戻す。そして、自分がすべてを諦めるきっかけになったあのときのことを深く恨んでいたことに気づく。その後はキリスト教という正義を元にやりたい放題するようになる。あのとき自分否定したものを逆に否定し、自分のほうが正しいと証明しようとする。


見た目に反して心は美しいと語られていた彼女だったが、最後には自分に逆らうものは見境なしに攻撃するような、見た目にふさわしいおぞましい怪物になってしまったのである


子供の頃この小説を読んだとき私は怖くて仕方なかった。私にも可愛い妹がいて、コンプレックスを感じていたから、将来こんななってしまうのかと思うと涙が止まらなかった。







今の社会では女性は誰かから愛されてようやく一人前という扱いをされがちだ。男性でなくてもいい、だれかから愛されないと人間失格のような扱いを受ける。


そういう状況で、自分は愛されないのに自分の妹がアイドルのように美人であり、妹だけが家族からも周りからも愛されているのを毎日のように見せられる生活を考えてみてほしい。


毎日のように自己否定され続けた人間はいったいどうやって自己肯定すればよかったのだろう。


これは私だけの話をしているのではない。普遍的テーマだ。ファイアパンチの作者も少し位相を変えて妹の姉という作品を描いた。


かに美人友達嫉妬するブスのマンガtwitterしょっちゅうバズっている。ああいものに「痛いほどわかる」などと軽い気持ち共感する女が私は大嫌いだ。本当にわかるならそんな軽い気持ち共感などできるはずがない。私はそういう漫画賞賛されているのを見るたびに怒りで震えそうになる。


妹のことは好きなのだ。妹を憎んでるわけではないし、憎んでも解決しない。しかしそれならこの劣等感はどうやって解消すればいいのだろう。



答えは決まっている。フェミニズムだ。



こんな劣等感を感じさせる社会が間違っているのだからそれを打倒するしかない。ルッキズム批判したり、若くてきれいな女を好む男社会すべてを否定するのだ。買春している政治家などこの世で最も許せない存在だ。妹への愛情と妹へのコンプレックスという矛盾を解消するには、社会を打倒するしかない。それができないならキリスト教にでもはいって神の元の平等を願うしかない。大抵の人間フェミニズムを選ぶ。


一歩踏み出せばあとは簡単だ。自分は妹より美しくないというだけで否定されてきたのだから自分よりキモい存在市民権をえていることなど許せるわけがない。私の願いは、表面的には全ては自分否定した男社会への復讐であるが、本心は「私も妹のように美しく生まれたかった。自信を持ちたかった」である。そのために努力しても報われなかったのに、なんの努力もせずキモい姿を晒しながらヘラヘラしてる連中が許せるわけがない。


リベラルフェミニズム自分に自信がある女性自分能力に見合った評価を得たいとする真っ当な社会運動だ。しかしこの形のフェミニズムは私を救わなかった。私が求めていたのは男女平等ではない。私自身が男中心社会コンプレックスを抱かずに自身を持って過ごせることだった。


一方でラディカルフミニズムは「美しく生まれることがなかった女性」たちのコンプレックスを解消してくれた。全ては男が悪いのである。こんなに簡単自分を救ってくれる思想が他にあっただろうか。ラディカルフミニズムを唱え、男を攻撃しているときだけ、私は私のコンプレックスから解放された。


男性に限らず、コンプレックスを感じたことのない女性も、ラディカルフミニズムにのめり込む私をバカにするだろう。私だって頭の片隅では何かがおかしいとわかっている。しかし他にどうすればよかったというのか。そのくらい日本という国は、美しくない女性の心を蝕む力学が強い。私は努力していい大学にも入ったし恋人を作ったこともある。ボランティアで人から感謝されたこともあるし企業設立して人の上に立ったこだってある。それでも女性であるというだけで汚らわしいオタクどもよりも低い自尊心しか得ることができなかった。他の何者も、ラディカルフミニズムほどには私を救ってくれなかった。


フェミニストたちは二次絵にまでいちいちキレる頭のおかしいやつだというが、こちからしたらおかしいのは男社会中心の現実の方だ。





そんな感じで長年苦しんで来たが、私はキンプリ出会ってから苦しみから解放されました。キンプリはいいぞ


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