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図書館をどんどん利用しよう

「シロクマの屑籠」から記事の一部を転載。
私がよく利用している図書館は蔵書数が少ないので、逆に、これまで自分と縁の無かった本を適当に借りだすことが多い。その中には、家で目を通して、「やっぱり自分には合わない」と思って、読まずに返す本もたくさんある。そもそも、自分が何となく敬遠していた著者の本などだから、それで当然だ。
だが、中には素晴らしい本と出会うこともある。特に児童書にそれが多い。前にも書いたが、「黒い兄弟」や「思い出のマーニー」などがそれである。ちなみに、私はそれらのアニメ化は見ていない。(「黒い兄弟」を原作とする「ロミオの青い空」は。主題歌が嫌いで見なかった。あの元気で陽気な主題歌と主題歌をバックにした明るい映像は、はっきり言って詐欺である。原作は、子供版「レ・ミゼラブル」だ。)

(以下引用)

なかには「買うほど重要じゃないかも、でも目は通しておきたいな」って本もある。『ヒトラーとドラッグ』などもそうした書籍のひとつだった。自宅に置いても腐ってしまう、でも念のため読んでおきたい書籍を借りる場として、図書館はありがたい。そうやって知識を耕す公共の引き出しとして図書館を用いはじめたら、やめられなくなってしまった。そして私は少しずつ読書のキャパシティを広げていって、10年前に比べてより多くの本が読めるようになった。それは図書館のおかげだ。
 
 


「おれが借りなきゃ、誰が借りるんだ」の精神でバシバシ借りる

 
私は、そうした図書館での書籍の貸し出しについて罪悪感をまったく覚えていない。ひとつには私が小さい頃から図書館で本を借り続け、その恩恵を受けてきたからだが、もうひとつには、私が借りることでその書籍の運命が変わるかもしれない……というものもある。
 
どういうことかというと、図書館の書籍って借りてあげないと処分されちゃうことがままあるよう、思われるからだ。
 

 
たとえば我が家にはこのE.エリクソン『洞察と責任』の旧版があるが、古本屋でこれを購入した時、そこには○○大学図書館 というはんこが押されていた。除籍されてしまった本が古本屋に回ったのだろう。図書館の本はボロボロになっても除籍されるが、まったく読まれなくなっても除籍される運命だ。
 
だとしたらだ。図書館の本にとって、借りられる、ということは結構大事なことではないかと私は思う。まるで書籍に魂が入っているような、除籍する時に供養が必要そうな物言いに聞こえるかもしれないが、実際私はアニミズムな日本人なのでそういう感性を持っている。そして図書館には誰にも借りられることのないまま年を取っていく書籍がたくさん眠っている。
 
さきに紹介した『<子供>の誕生』やプレミア本である『逸脱と医療化』も、図書館で会った時にはそうだった。それらは通常の本棚には置いてなく、奥の書架から取り出していただいたものだった。たくさんの人が予約し、たくさんの人に読まれていく人気書籍たちをよそに、図書館には、ありとあらゆる分野の素晴らしい、でもあまり読まれる機会のない学術書や専門書、しっかりとした解説書が無数に眠っている。それは貴重だし、それらも図書館を図書館たらしめているもの、自治体ひいては県民/市民全体の知識の源たらしめているものだと思う。
 
そうはいっても一人の人間が借りられる書籍の数なんてたかが知れている。また、除籍の判断にあたって読者が借りた実績がどれぐらい重視されるのかも私にはわからない。けれども図書館で眠り続けているありがたい書籍たちに私が(それとも私たちが、だろうか)できる最善のことは、そうした眠れる書籍たちをちゃんと借りて参考にして、利用者の一人として知識をつけること、そしてなにかに役立てること、得たものを社会に還流していくことだと思う。
 
私の場合、とにかく文章を書きたい人間だから、図書館で借りた書籍は第一に参考文献として用いる。それだけじゃない。ブログを書くでもいいし、誰かとのおしゃべりに役立てるでもいい。自分が本を買うかどうかの下見としても遠慮しないし、小説や絵本からインスピレーションや感動をもらい受けるかもしれない。とにかく、図書館とその蔵書にとって好ましいのは、借りられること・貸すことをとおして利用者に良い影響を与えていくことだから、借りて役立てるのが筋ってものではないかと思う。
 
特にプレミア本や学術書を自分で買うのを躊躇している人には、図書館の奥の書架で眠っている本を借りて、読んでみるのをオススメしたい。もちろん図書館の本はみんなのものだから丁寧に扱わなければならないし、ちゃんと期日に返さなければならない。もっとも、そういう本は2週間では到底読み切れず、レンタル延長を申し出ることもあろうけれども。いずれにせよ、公共物という意識のもと、節度と分別を弁え、感謝の気持ちを持ちながら貸していただくものだろう。そうして自分の血肉としたり参考にしたりすると同時に、その、書架に眠ったままになりがちな書籍には「この本を借りて必要としている県民/市民がいました」という履歴が残ることになる。
 
奥の書架から出していただく書籍のなかには、手垢のまったくついていない品もあったりする。たくさんの人に読まれる書籍を用意するのも図書館の役割だが、こんなに読まれない書籍まで取り揃えてあるのも図書館の役割だと私は思うので、その新品同様の書籍を喜び勇んで読みにかかる。そして自分が借りることをとおして、その書籍の命運が少しでも長くなればいいなと願ったりする。もちろん、一度借りられたぐらいでは何も変わらないに違いない。それでも一人の利用者として図書館の書籍にできること、ひいては図書館の役割や存在意義を浮き彫りにすることとは、自分が借りるべき本を借り、そこから何かを読み取って、得たものを世の中にそれを還流させていくことではないか、と思う。
 
図書館には、予約が殺到する書籍もあれば誰かに借りられるのを静かに待っている新品同様の書籍もある。そこにこそ、図書館にならできる、図書館にしかできない公共の知恵を提供する大事な機能があり、インターネットでは得ようのない知識の泉もあるように思う。だから図書館、もっと使ってもっと知識を汲み取ろうよ。そこで大事な書籍に出会ったら本屋さんで買っちゃおうよ、と言ってみる。
 

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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