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技術の進歩と「話の面白さ」

ネットテレビで見たい作品というか、食指の動く作品が見当たらないので、選択レベルを下げて、「取りあえず、最初だけでも見てみる」ようにしているのだが、「たぶん面白くないだろう」という最初の勘が外れて面白かったのは数えるほどしかない。ただ、面白くなくても、細部に感心することはある。
で、全体として言えることは、今のテレビ映画(とでも言っておこう。)は、技術的には最高度に達しているのではないかということだ。特殊技術で何でも描ける。しかし、「話そのもの」が面白いという作品は数えるほどであり、またその「面白さ」も「不愉快さ」を伴った面白さだ、と私には感じられる。いわば、「Q・タランティーノ的な面白さ」が世界に広がっているという感じだ。「面白ければ何でもあり」という、「抑制を取っ払った娯楽性」である。映画的な常識や文法も破壊し、メタ視点が平気で横行するわけだ。
もうひとつ、面白さ自体が破壊されるのは、今さらだがポリコレである。テレビ映画の7割くらいが主人公が若い女性か少女で、それが男のように戦争をしたりアクションをしたりするわけである。それを見ていてうんざりするのは私が単に爺いだからか。そして、人種がいろいろ混じっていて、黒人はほぼ必ず理性的で善良、白人は主人公以外は馬鹿か悪人とされていて、アジア人はまあ、ただの脇役だ。現実世界の差別構造が、フィクションの中では「ポリコレ化」されて漂白されるわけだ。LGBTも同様だ。現実世界での女性への差別が、フィクションの中では女性のヒーロー化で誤魔化されている。おそらくそういう脚本を優先的に採用しているのだろう。その結果、見るもの見るもの、すべて似たような印象のフィクションとなる。
まあ、ためしに「ジェイコブと怪物」というアニメ映画を見てみるといい。技術的には完璧であり、今や3Dアニメは実写映画以上の表現力を持っているとすら言える。風景や物体の質感は見事に現実に迫っている。しかし、フィクションとしては物語性が最低である。明らかに「白鯨」を土台にした話だが、「白鯨」の持つ荘厳さと神秘性と話の面白さをこれほど台無しにした「二次創作」は、まさに原作への冒涜だろう。日本の「空挺ドラゴンズ」も、話のつまらなさに途中で視聴放棄したが、「ジェイコブ」は、映像技術の見事さだけを見るために、とうとう最後まで見てしまった。で、見た後で、時間を浪費したと物凄く後悔した。(途中からは冷静に批評するために音声を消して見たので、何とか最後まで見たのである。)
要するに、いくら映像技術が発達しても、「話の面白さ」を作る能力はけっして発達しないということだ。それは個人の天才性によるもので、時代や技術の進歩はまったく関係しない。

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