「逝きし世の面影」から転載。
長いので、私の前説は無し。私自身も「革命者キリスト」という小論で同じようなことを書いている。
(以下引用)
『旧約聖書とは何か』
ユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典の一つでも有る『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。
『偽書』
人類の歴史には出処の怪しげな文章が突然に見つかり、発見者の立場を強力に支持するような重要な情報をもたらしてくれる。
しかし、入念に、時には勇敢に調べてみると、その文章は贋作で有る事が判明する。
でっちあげをする側の動機は非常に判り易く、旧約聖書の申命記がその典型と言えるだろう。
この文章は、エルサレムの神殿に隠されていたところを、紀元前7世紀にヨシア王によって発見された事になっている。
宗教改革闘争のさなかにあったヨシア王は、自分の考えを全て支持してくれる新しい聖書の部分(申命記)を奇跡的に発見したと言うわけだ。
(旧約聖書・申命記 7章1-4)
『お前たちの神がこれらの民をお前たちに与え、それをお前たちが征服するときは、彼らを徹底的に破壊するのだ。
彼らを相手にしてはならない。憐れみも掛けてはいけない』
旧約聖書の『ミカ書』は『正義を行い、慈しみを愛せ』と教えている。
『出エジプト記』には、『殺してはならない』と書いて有る。
『レビ記』には、『自分自身を愛するように隣人を愛せ』と書いて有るし、『福音書』には『汝の敵を愛せ』と教えている。
このように良き教えが沢山書かれていると人々に信じられている『聖書』の教えを奉じる者達が、どれほどまでに多くの血の海を作ってきたかも聖書には書かれているのである。
『ヨシュア記』や『民数記』の後半には、カナン(パレスチナ)全域で行われた大量殺戮の事が記されている。
町という町で、男ばかりか女子供、はては家畜までが皆殺しにされるという出来事が,さも嬉しそうに書かれているのだ。
エリコの町は『聖戦』の為に跡形も無く破壊された。
『ヨシュア記』には、
『息の有る者はことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった』
この大量殺人の理由はただ一つ、殺した側(ユダヤ人)のこんな言い分だけた。
『遥か昔に、神は我等の先祖に約束された。息子に割礼をほどこし、一定の儀式を執り行うならば、この土地を我等に下さると』。
(士師記 21章10-24)
「そうして彼らは1万2千の兵士をヤベッシュ・ギリアッドに送り、女子供も含め、そこの住民を皆殺しにしろと命令した。
『これがお前たちがやることだ』彼らは言った。『すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ』。
(エゼキエル書9章5-7)
「それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ」
「彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした」。
(民数記第31章18節)
『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。
彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い』
(ヨシュア記第6章21節)
モーゼの時代に始まった民族浄化は『ヨシュア記』において血まみれの成果をもたらす。
『ヨシュアはエリコを攻めた。崩れ落ちる城壁・・・エリコの戦いにおける古のヨシュアにかなうものなんて無い』
いにしえのヨシュアは、イスラエルの民が『男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすまで、休む事が無かった』。
聖書の物語における『神』と言う人格は、約束の地(パレスチナ)の占領に伴う大虐殺や民族殲滅について、何らかの疑念や罪の意識を感じていた形跡は全く無い。
『申命記』第20章における神の命令は、情けの欠片も無くあけすけである。
彼(神)は自分自身にとって必要な地に住んでいる人間と遠くはなれたところに住んでいる人間とを明確に区別した。
後者は平和的に降伏するように勧告しなければならない。
もし拒絶すれば、男は殺し、女は繁殖の為につれさられた。
この比較的人道的な扱いと対照的に、あまりにも不運な事に、すでに約束された生存圏(レーベンスラウム)に定住してしまっている民族に対しては、一体どんなことが用意されていたのか読んでみると、
『あなたの神、主の嗣業として与えられれる諸国の民に属する町々で息の有る者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない』。
長いので、私の前説は無し。私自身も「革命者キリスト」という小論で同じようなことを書いている。
(以下引用)
『旧約聖書とは何か』
ユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典の一つでも有る『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。
『偽書』
人類の歴史には出処の怪しげな文章が突然に見つかり、発見者の立場を強力に支持するような重要な情報をもたらしてくれる。
しかし、入念に、時には勇敢に調べてみると、その文章は贋作で有る事が判明する。
でっちあげをする側の動機は非常に判り易く、旧約聖書の申命記がその典型と言えるだろう。
この文章は、エルサレムの神殿に隠されていたところを、紀元前7世紀にヨシア王によって発見された事になっている。
宗教改革闘争のさなかにあったヨシア王は、自分の考えを全て支持してくれる新しい聖書の部分(申命記)を奇跡的に発見したと言うわけだ。
(旧約聖書・申命記 7章1-4)
『お前たちの神がこれらの民をお前たちに与え、それをお前たちが征服するときは、彼らを徹底的に破壊するのだ。
彼らを相手にしてはならない。憐れみも掛けてはいけない』
旧約聖書の『ミカ書』は『正義を行い、慈しみを愛せ』と教えている。
『出エジプト記』には、『殺してはならない』と書いて有る。
『レビ記』には、『自分自身を愛するように隣人を愛せ』と書いて有るし、『福音書』には『汝の敵を愛せ』と教えている。
このように良き教えが沢山書かれていると人々に信じられている『聖書』の教えを奉じる者達が、どれほどまでに多くの血の海を作ってきたかも聖書には書かれているのである。
『ヨシュア記』や『民数記』の後半には、カナン(パレスチナ)全域で行われた大量殺戮の事が記されている。
町という町で、男ばかりか女子供、はては家畜までが皆殺しにされるという出来事が,さも嬉しそうに書かれているのだ。
エリコの町は『聖戦』の為に跡形も無く破壊された。
『ヨシュア記』には、
『息の有る者はことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった』
この大量殺人の理由はただ一つ、殺した側(ユダヤ人)のこんな言い分だけた。
『遥か昔に、神は我等の先祖に約束された。息子に割礼をほどこし、一定の儀式を執り行うならば、この土地を我等に下さると』。
(士師記 21章10-24)
「そうして彼らは1万2千の兵士をヤベッシュ・ギリアッドに送り、女子供も含め、そこの住民を皆殺しにしろと命令した。
『これがお前たちがやることだ』彼らは言った。『すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ』。
(エゼキエル書9章5-7)
「それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ」
「彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした」。
(民数記第31章18節)
『民数記』は、神がモーゼにどのようにミディアン人を攻撃するように仕向けたかを述べている。
彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
『女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い』
(ヨシュア記第6章21節)
モーゼの時代に始まった民族浄化は『ヨシュア記』において血まみれの成果をもたらす。
『ヨシュアはエリコを攻めた。崩れ落ちる城壁・・・エリコの戦いにおける古のヨシュアにかなうものなんて無い』
いにしえのヨシュアは、イスラエルの民が『男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすまで、休む事が無かった』。
聖書の物語における『神』と言う人格は、約束の地(パレスチナ)の占領に伴う大虐殺や民族殲滅について、何らかの疑念や罪の意識を感じていた形跡は全く無い。
『申命記』第20章における神の命令は、情けの欠片も無くあけすけである。
彼(神)は自分自身にとって必要な地に住んでいる人間と遠くはなれたところに住んでいる人間とを明確に区別した。
後者は平和的に降伏するように勧告しなければならない。
もし拒絶すれば、男は殺し、女は繁殖の為につれさられた。
この比較的人道的な扱いと対照的に、あまりにも不運な事に、すでに約束された生存圏(レーベンスラウム)に定住してしまっている民族に対しては、一体どんなことが用意されていたのか読んでみると、
『あなたの神、主の嗣業として与えられれる諸国の民に属する町々で息の有る者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない』。
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