漫画家ヤマザキ・マリさんのブログから転載。
(以下引用)
この世界の片隅に
戦争を捉えた表現作品はこの世に沢山あります。
中には傑作といえるものも少なくありません。
ですが、苦しみと悲しみを盛り込むだけでいっぱいいっぱいになりがちな戦争というものを、こんなふうに描けるのは日本人だけかもしれない、というのが鑑賞後の一番具体的な感想でした。
淡々と、飄々と。情動性は抑えられ、過剰なドラマチックさもありません。
この物語の中の登場人物たちは、戦争という容赦の無い社会の不条理と、内側では壊れんばかりに苦しみつつも、ただ毅然と向き合いながら過ごしているのです。
この作品の中では、当たり前の暮らしや、他愛の無い笑顔や、青い空や、かたわらを飛んでいるトンボや、草花から、命の儚さと慈しみが鮮やかに描かれていますが、そういった描写から、言葉にならない悲しみというものが、涙や叫びだけで表現されるとは限らない、ということを感じ取れるでしょう。
このアニメーションはまさに、自分たちの中にある、そのような感性という機能をフルに起動させてくれる力を持っています。
先日リスボンの家へ久しぶりに戻った時、7年もの間ほったらかしになっていた本棚に、このマンガが並んでいたのを見つけてつい手に取って読み始めてしまったところ、夢中になって途中だった掃除がそのままになってしまいました。
数年前に、この作品のアニメ化の企画が上がっていることを知った時は「これこそアニメ化されるべきマンガ作品だ!」と興奮し、クラウドファンディングにも参加しました。
アニメというのは、マンガよりも遥かに大きな影響力を持っています。
アニメは、老若男女、普段マンガを読まない人にもその作品の存在を知ってもらえる、この上無い媒体です。
それを考えると、「この世界の片隅に」のアニメ化は、この作品がマンガとして生まれた時点で発生していたもうひとつの到達地点だったのだろう、という気もします。
片瀬監督はまさにそれを感知し、いかなるハードルが立ちはだかろうともその強い使命感と情熱でこの作品を仕上げられたのでしょう。
おっとりしていてぼんやりさん、絵を描くのが大好きだけど強い自己主張も持つこともなく、与えられた日常と朗らかに生きる主人公すず。その声をあてたのは女優ののんさんです。
映画の後半、すずという一見お気楽なキャラが、胸の内に秘めているエネルギーを耐えられずに放出させるシーンがあります。彼女の普段のほっこりした声と、その場面で炸裂する激しい声とのコントラストには鳥肌が立ちました。
のんさんとすずは、何かが凄く似ているのかもしれません。そういえばのんさんもすずと同じく、絵を描くのがお好きだったはず....
実際に体験した経験を語り継げる人達が少なくなっていく中でも、こうの史代さんや片渕監督、そしてのんさんのように、戦争を知らない新しい世代の表現者達によって、これほどまでの説得力と観衆の感情を動かすエネルギーを持った作品が生み出されることも、可能なのです。
今や情報というフィルターを通じてでしか知る事ができない戦争という既成事実は、まるで経験してきたかのような、リアリティや情動性ばかりを求めた表現を追求しても、過剰で嘘くさくなってしまうのはいろんな作品を見て感じて来たことです。
でも「この世界」にはその“過剰さ”が感じられません。
この恐ろしい時代を経験をしていない立場である謙虚さがベースにはあっても、次世代であるが故に芽生える感性としなやかな想像力のちからで、等身大の、気負いのない、あるべき戦争の有様を描く事も可能なのだということを、しみじみと痛感させられました。
ふだん動かす事のない、動かす必然にも迫られない、だけど我々全員の胸の奥底にある、人としてとてもとても大事な機能に大きくはたらきかけてくる「この世界の片隅に」。
できるだけ多くの方達に見てほしいと、本気で心底から感じた作品です。
公開は11月12日より。
http://konosekai.jp/
(試写会の舞台挨拶にて。音楽を手がけたコトリンゴさん、すず役のんさん、片渕須直監督)
(以下引用)
この世界の片隅に
戦争を捉えた表現作品はこの世に沢山あります。
中には傑作といえるものも少なくありません。
ですが、苦しみと悲しみを盛り込むだけでいっぱいいっぱいになりがちな戦争というものを、こんなふうに描けるのは日本人だけかもしれない、というのが鑑賞後の一番具体的な感想でした。
淡々と、飄々と。情動性は抑えられ、過剰なドラマチックさもありません。
この物語の中の登場人物たちは、戦争という容赦の無い社会の不条理と、内側では壊れんばかりに苦しみつつも、ただ毅然と向き合いながら過ごしているのです。
この作品の中では、当たり前の暮らしや、他愛の無い笑顔や、青い空や、かたわらを飛んでいるトンボや、草花から、命の儚さと慈しみが鮮やかに描かれていますが、そういった描写から、言葉にならない悲しみというものが、涙や叫びだけで表現されるとは限らない、ということを感じ取れるでしょう。
このアニメーションはまさに、自分たちの中にある、そのような感性という機能をフルに起動させてくれる力を持っています。
先日リスボンの家へ久しぶりに戻った時、7年もの間ほったらかしになっていた本棚に、このマンガが並んでいたのを見つけてつい手に取って読み始めてしまったところ、夢中になって途中だった掃除がそのままになってしまいました。
数年前に、この作品のアニメ化の企画が上がっていることを知った時は「これこそアニメ化されるべきマンガ作品だ!」と興奮し、クラウドファンディングにも参加しました。
アニメというのは、マンガよりも遥かに大きな影響力を持っています。
アニメは、老若男女、普段マンガを読まない人にもその作品の存在を知ってもらえる、この上無い媒体です。
それを考えると、「この世界の片隅に」のアニメ化は、この作品がマンガとして生まれた時点で発生していたもうひとつの到達地点だったのだろう、という気もします。
片瀬監督はまさにそれを感知し、いかなるハードルが立ちはだかろうともその強い使命感と情熱でこの作品を仕上げられたのでしょう。
おっとりしていてぼんやりさん、絵を描くのが大好きだけど強い自己主張も持つこともなく、与えられた日常と朗らかに生きる主人公すず。その声をあてたのは女優ののんさんです。
映画の後半、すずという一見お気楽なキャラが、胸の内に秘めているエネルギーを耐えられずに放出させるシーンがあります。彼女の普段のほっこりした声と、その場面で炸裂する激しい声とのコントラストには鳥肌が立ちました。
のんさんとすずは、何かが凄く似ているのかもしれません。そういえばのんさんもすずと同じく、絵を描くのがお好きだったはず....
実際に体験した経験を語り継げる人達が少なくなっていく中でも、こうの史代さんや片渕監督、そしてのんさんのように、戦争を知らない新しい世代の表現者達によって、これほどまでの説得力と観衆の感情を動かすエネルギーを持った作品が生み出されることも、可能なのです。
今や情報というフィルターを通じてでしか知る事ができない戦争という既成事実は、まるで経験してきたかのような、リアリティや情動性ばかりを求めた表現を追求しても、過剰で嘘くさくなってしまうのはいろんな作品を見て感じて来たことです。
でも「この世界」にはその“過剰さ”が感じられません。
この恐ろしい時代を経験をしていない立場である謙虚さがベースにはあっても、次世代であるが故に芽生える感性としなやかな想像力のちからで、等身大の、気負いのない、あるべき戦争の有様を描く事も可能なのだということを、しみじみと痛感させられました。
ふだん動かす事のない、動かす必然にも迫られない、だけど我々全員の胸の奥底にある、人としてとてもとても大事な機能に大きくはたらきかけてくる「この世界の片隅に」。
できるだけ多くの方達に見てほしいと、本気で心底から感じた作品です。
公開は11月12日より。
http://konosekai.jp/
(試写会の舞台挨拶にて。音楽を手がけたコトリンゴさん、すず役のんさん、片渕須直監督)
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