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自由と道徳(オブジェクティビズムの危険性)

「徽宗皇帝のブログ」記事に出て来た「ランド研究所」は、おそらくアイン・ランドの名を冠しており、つまりランドの思想の継承者による国際政治研究所だろう。そのランドの思想の名称であるオブジェクティビズム(客観主義)というのが分かりにくい、と言うか、その実態と遊離した名称だと思うので、ウィキペディアからその解説を引用する。この名称の何が問題かというと、哲学思想としての客観主義はごく当たり前の思想だが、それとほとんど無関係な政治思想(下の記述の中で私が赤字にした部分)までこの名称に含有させている、つまり詐欺的名称だからだ。
なお、茶色にした部分は哲学思想と政治思想の中間部分である。その茶色部分の中にも、利己主義を「道徳的」とする詐欺がある。私は「自己愛」は人間の本質だが、利己主義は反社会的かつ非道徳的だと考えている。道徳とは本来(社会全体を守るための)「自由の束縛」であり、「禁止の体系」なのである。

「進撃の巨人」で、自分の自由を最大限に追及したエレンが最終的に「自分たちの属する集団以外の世界のすべてを破壊し、殺戮するに至った」ことは象徴的だろう。(なお、この作品は批判的・分析的に見るのはいいが、頭の悪い人や子供は見ないほうがいい。)
ついでに言えば、自分の自由を最大に追及したら、最後には自分以外の存在は、自分の属する集団も含め、単なる自分の「道具」となり、「物」となり、場合によっては「敵」にもなるのである。これはエレンが、自分に献身し通し、自分を守り続けて来たミカサを最後の別れの場面で「俺は最初からお前が嫌いだった」と突き放すところに明示されている。つまり、「守られる存在(全能でなく、自由でない存在)としての、嫌悪の対象となる自分」をミカサという守り手の存在が露呈していたからだ。(ただし、作者がそこまで考えて描いたかどうかは分からない。あちこち不合理な部分だらけの作品なのである。しかし、無意識レベルでは「自由」の本質について正解に達していたと思う。)
ついでに言えば、「禁止の体系」の最たるものは道徳より法律である。絶対の自由を主張する者は、法律を廃止し、すべてに「自由競争」を求めるのが当然であり、それはすなわち「暴力の支配」である。(ある意味、「進撃の巨人」とはその象徴だ。)つまり政府という存在を自分の手足とするか、廃止するのが筋だろう。前者がDSであり、後者が新自由主義の主張する「小さな政府」の帰結、アナーキズム(無政府主義)である。
さて、自由を信仰するあなたは道徳も法律も不要だ、と主張するだろうか。

(以下引用)

オブジェクティビズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オブジェクティビズム英語Objectivism、別訳「客観主義」)は、ロシア系アメリカ人作家アイン・ランド(1905–1982)が創出した思想体系である[1]。最初はランドの小説(特に『水源』および『肩をすくめるアトラス』)で表明され、後にエッセイおよび評論集で表明された[2]。オブジェクティビズムを支持する者をオブジェクティビスト英語Objectivist、別訳「客観主義者」)と呼ぶ。哲学研究者でランドの知的相続人に指名された[3]レナード・ピーコフは、オブジェクティビズムをより厳密に体系化した。ピーコフは、オブジェクティビズムは不変の「閉じた体系」(closed system)であるとしている[4]


オブジェクティビズムの中心的主張は以下である。

  • 現実意識から独立して存在している。
  • 人類は感覚を通じて現実と直接接触する。
  • 人は概念形成と帰納的論理を通じて客観的な知識を獲得できる。
  • 人が生きる適切かつ道徳的な目的は、自分自身の幸福の追求である(「合理的利己」)。
  • この道徳にかなう唯一の社会体制は、個人の権利を最大限に尊重する社会体制であり、具体的には自由放任資本主義である。
  • 人間生活における芸術の役割は、人間の形而上学的観念を、現実の選択的な再現によって芸術作品という物理的形式に変換することにより、人が理解し感情的に反応できるようすることである。

アカデミックな哲学研究者は、ランドの哲学をほぼ無視ないし否定している[5]。しかしオブジェクティビズムは、米国のリバタリアンや保守派の間では大きな影響を持ち続けている[6]。ランドが創始したオブジェクティビズム運動は、ランドの思想を一般社会やアカデミズムの世界に広げる運動である[7]

哲学[編集]

「私の哲学の本質は、人間は英雄的存在であり、自己の幸福の追求を人生の目的とすることは道徳的であり、生産的達成は最も崇高な活動であり、理性だけが絶対的基準である、と見なす人間観である」
アイン・ランド[8]

最初ランドは、自分の哲学的アイデアを小説、特に『水源』と『肩をすくめるアトラス』で表現した。その後「ザ・オブジェクティビスト・ニューズレター」(The Objectivist Newsletter)、「ザ・オブジェクティビスト」(The Objectivist)、「ザ・アイン・ランド・レター」(The Ayn Rand Letter)などの定期刊行物や、『オブジェクティビズム認識論入門』( Introduction to Objectivist Epistemology)や『利己主義という気概』(The Virtue of Selfishness)などのノンフィクション書籍で、自分の哲学的アイデアをさらに詳しく展開した[9]


「オブジェクティビズム」という名称は、「人間の知識や価値は客観的(objective)である」という考え方、すなわち、「知識や価値は、実際に存在し、現実それ自体の性質によって規定され、人の精神によって発見されるのであり、人の思考が勝手に生み出すわけではない」という考え方から取られている[10]。ランドが「オブジェクティビズム(objectivism、客観主義)」という名称を選んだのは、実存の優越を基礎に置く哲学の名称としてランドが好んだ「実存主義(existentialism)」という名称が、既に使われていたからである[11]


ランドはオブジェクティビズムの特徴を、「地上で生きるための哲学(a philosophy for living on earth)」であること、すなわち、現実に根拠を置きながら、人間および人間が生きる世界の性質を定義することを目指す哲学であること、と表現した[9]


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