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昇る太陽 6

    六

 秀吉が自分の運命を悟ったのは、同僚の明智光秀が本能寺に於いて謀反をし、主君の信長を討ったという知らせを、中国毛利攻めの陣内で受けた時だった。
 実は彼はこの事件を予知していた。はっきりとではないが、光秀が信長に叱責され、耐えるその眼の光の中に、いつかただならぬ事態が起こることを感じていたのである。
 そして、その日が来た時、どうするか。秀吉はずっとその事を考えていた。これは恐ろしい想像ではあるが、戦国の侍大将の一人として、天下を取ることを想像しない者は少ないだろう。彼は自ら信長を裏切る気はなかったから、その日は永遠に来ないかもしれない。だが、もしも仮に、そのような日が来たならば、自分はどうするか。勿論、その時こそ天下に名乗りを上げるのである。信長の家臣の中でも四番手五番手の秀吉が天下取りに参加するとは誰も思っていないだろうが、この頃、秀吉にはすでに、信長の家臣の中では自分が一番だという自負があった。度胸もあるし、頭も良いという自信が。他の連中は、柴田勝家のように度胸だけか、光秀のように頭だけ、という連中である。
 一人だけ、秀吉が恐れていたのは、信長の家臣ではないが、徳川家康だけであった。あの茫洋とした風貌の男は、得体の知れない深さを感じさせる。軍略の面でも統率力の面でも、勝れた武将だ。しかし、今は織田の天下であり、信長の跡を継ぐのは信長の家臣から出るのが当然と、誰でも思っている。
 だから、自分だ、と秀吉は考えた。
 中国の毛利攻めを中断して京都に取って返した秀吉が、山崎の戦いで光秀を破ったのは、知られた通りである。自ら天下を取る意思で謀反したというより、突発的、発作的に信長に謀反した光秀には、その後のプログラムはなかった。ふわふわと秀吉の軍に向かった光秀の軍勢を破ることは、どの武将にとってもたやすいことだっただろう。おそらく、光秀軍の兵士たちには、そもそもその戦いが何のためなのかの確信も無かったはずである。山崎の戦いで秀吉が勝ったのは当然すぎるほど当然の話であり、秀吉の偉さは、この戦いなどにではなく、一瞬のうちに天下取りの決意をして、毛利と偽りの和議をして誰よりも早く京都に向かったという「中国大返し」にあるのである。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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