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化けるから化粧と言う

サラリーマン川柳のひとつだが、女性にとっては大問題ではないか。まあ、女性がノーメイクで会社に行くという事態は、ゾンビが街に溢れた時(つまり周りがみんな化け物だからすっぴんでも平気)くらいだろうけど。
私など、他人の顔を観察する習慣が無い(この人はだいたいこんな顔、くらいで覚えているだけだ。)から、女性が化粧法を変えたら、元の人物と同じかどうか判別もつかない。AIの顔認証は女性の化粧法の変化に対応できるのか。






『ノーメイク 会社入れぬ 顔認証』(北鎌倉人)

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「体罰容認」の意味

私自身は体罰を受けた記憶が無いが、たとえば学校で悪さをして跪き(これは方言らしいが、正座と言うより実際のイメージに合う。)などをさせられたのは体罰なのだろうか。中一か中二のころだと思うが、職員室で罰の跪きをしていると目の前に女教師の机があって、そのスカートの中が偶然見えたので、体罰なのかご褒美なのか分からない結果になった記憶があるwww まあ、さほど美人ではなかったが、そういうのが嬉しい年頃だったわけだ。
自分の子供に対しては体罰は一度もしていないと思う。まあ、怒鳴ったことはあるかもしれないが、ほとんど記憶にはない。では、私は体罰否定派かというと、そうでもない。子供が道路に飛び出そうとしたら大声で怒鳴るだろうし、場合によっては体に痛みを与えないと子供(と言うより幼児)が自分の行動の過ちを学習できないこともあるとは思う。下のアンケートの「体罰容認が6割」というのはそういうことではないか。これは学校教師などが、自分の指導の無能さを隠すために行う体罰とはまったく別の話なのである。少なくとも、小学校入学以降は体罰はあるべきではないだろう。


(以下引用)



しつけで体罰容認6割=「たたく」「怒鳴る」高い割合-NGO、2万人調査


時事通信




 子どものしつけの一環で体罰を容認する人が6割近くいることが15日、国際NGOの意識調査で分かった。たたいたり、怒鳴ったりすることも子どもの成長に悪影響を及ぼす恐れがあるが、容認派の割合が高かった。


 NGOの担当者は「虐待や学校での体罰は禁止されていても、家庭を含むあらゆる場面では禁止されていない」と指摘。民法が認める「親権者による懲戒権」の削除などを提言している。


 調査は、子どもの支援を専門とする「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が昨年7月にインターネットで実施。成人男女2万人から回答を得た。


 しつけのための体罰を「積極的にすべきだ」は1.2%だが、「必要に応じて」「他に手段がない時」を合わせると57%が容認。たたく行為は60%が肯定し、体罰否定派でも4割が尻や手の甲をたたくことは容認した。


 「怒鳴りつける」は6割近く、「にらみつける」は半数近くがそれぞれ容認していた。


 子育て中の1030人に尋ねた実態調査では、7割がしつけの一環で子をたたいた経験があると回答。8割は子どもの言動にいらいらしたことがあるとし、6割は育児と仕事などの両立が難しいと感じたことがあったと答えた。


 厚生労働省によると、厳しい体罰で感情などをつかさどる脳の前頭前野の容積が2割近く萎縮し、言葉の暴力で聴覚野が変形するとの研究もある。同省は、いらいらしたら深呼吸するなど「愛の鞭(むち)ゼロ作戦」を呼び掛けている。 (了)









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入れなくても死ぬけどね

私は体に入れ墨を入れる人間(まあヤクザや犯罪者と頭の悪いDQN連中だ)が大嫌いなのだが、下のコメント75は面白い。これは反論の余地無しであるwww


(以下引用)




68: 2018/02/15(木) 12:15:02.69 ID:lL19V6O00
タトゥー入れたヤツらはほぼ100%あとから死ぬほど後悔してるよ
若気の至りで本当に馬鹿なことしたなって
75: 2018/02/15(木) 12:15:59.49 ID:eBZb5o/80
>>68
タトゥー入れたヤツはあとからほぼ100%死ぬしな




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去勢された若者と体制べったりの若者だけしかいないのか

なぜかツィッターの画像と文字が重なっているようだが、ネットに上げるとどうなるか。
山田洋次のこの発言が一部では「老害」呼ばわりされているようだが、山田洋次は昔からどこかピント外れな人間であって、年とは関係ない。寅さんシリーズなど、インテリが頭で作り上げた庶民像というのが私のイメージだ。実際の庶民はそれほど美しくも純朴でもないだろう。まあ、左翼の「ウ・ナロード」である。
とは言っても、現実にはそうした左翼シンパだけが庶民の味方であり、その存在によって庶民生活は向上してきたのである。katana氏の発言の意味はよく分からないが、山田洋次の言葉のどこが「リアルに弱い立場の人たち」を蔑ろにしているのか。もしも、若者が反体制的な政治的行動に立ち上がれば、支配体制から目を付けられてしまうではないか、ということなら、それは60年安保のころも70年安保のころも同じだろう。ならば、katana氏のような考え方こそ、支配体制のまさに狙ったところではないか。つまり、支配される側の自主規制で、反抗の芽が摘まれるわけである。
まあ、私はデモ行進のような行動で政治が変わるとは思っていないが、かと言って、被支配階級がおどおどしすぎるのも問題だと思う。とりあえず、選挙には行き、投票だけはするようにしたら、と勧めたい。(先ほど「帰ってきたヒトラー」という映画を半分ほど見たが、ドイツでも「選挙結果は操作されている」、と思っている人がいるようで、少し心の中で笑った。いや、実際、その可能性は高いとは思うが、選挙以外に穏健な変革手段はないだろう。)







こんなに「リアルに弱い立場の人たち」を蔑ろに出来るひとが、何であんな映画を撮れるのか、謎だ。






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ソーリが滑った

一番おかしいのは、テレビでも新聞でもこの件にほとんど触れない、ということで、さすが電通案件、安部案件www
日本から電通(CIAの日本支店でもあるwww)を追い払えないものか。



(以下「ネットゲリラ」から引用)





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ソリもソーリもクソだったというオチ
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↑うまい
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ところで、みんな忘れているのか、あえて触れないのか、日本には今、ボブスレーが出来る場所は1カ所もない。札幌が廃止され、維持に年間3億円かかるからというので、日本で唯一の施設である長野スパイラルが休止している状況で、走れもしないボブスレーだけを作っても意味がない。作ってもテストする場所すら、ないのだ。そんな状況で、アベシンゾーはよくもまぁ、ヌケヌケと得意満面、ボブスレーに乗り込んで写真なんか撮らせて、あまつさえ、それを道徳の教科書に載せたりしたもんだw キチガイだわw


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日教組が自民党政権の恩人?

私自身は子供の頃は教師の政治活動(基本的に学校外だけでの活動だ。)に批判的で、当然日教組嫌いだったのだが、学校や教室の中で教師が政治的な発言をしたのを聞いたことは無い。それくらいの良識をほとんどの教師は持っており、また仮に教師が教室で左翼的発言をしたら、子供はむしろそれに反発して右翼化したと思う。
子供の6割くらいは学校で糞面白くもない授業を受けるのも、糞面白くもない授業をする教師も嫌いだろうから、その嫌いな相手と反対の政治的見解を選ぶのは当然である。
とすれば、日教組が教室内で左翼的発言をしたとしても、それで逆に子供たちを右傾化させ自民党支持者にした、ということになり、自民党が日教組を嫌うのは恩知らずというものだwww 日教組による洗脳など、ネトウヨ伝説でしかない。
教師による子供の洗脳というのは、子供が絶対的に信頼し尊敬する素晴らしい教師だけに可能なことであり、そんな教師など一校に1人いるかいないかだろう。







なるほど。その通り。








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人生と運命

以前に載せたかもしれないが、かなり前に書いた「情報学的に見た『運命』」という拙文の一部である。読み返すと、我ながらなかなか面白いので部分再掲載する。
なお、二段落目に言及されている枯堂夏子は、私が尊敬する作詞家であるが、アニメ業界お偉方に嫌われたのか、ある時期からほとんど活動しなくなった(できなくなった?)人だ。「天地無用!」や「神秘の世界エル・ハザード」などのOP曲やED曲の作詞をしていた。





 



もう一度「運命」の話に戻ろう。



 



ほとんどの人間は自分の現在の状況に不満を持っているだろう。では、どういう状況を望むのかと言えば、案外とそれを明確に言える人はいないものだ。せいぜいが、男なら美女をはべらして酒池肉林の御馳走を食うという程度の、低レベルの極楽をイメージするくらいだ。あるいは恋愛中の人間なら、愛する相手に愛し返されたならそれだけで天国だと言うかもしれない。はっきり言って、どちらも馬鹿馬鹿しい望みである。前者は1時間もたてば満腹して、それ以上は食い物を見るのもいやになるだろう。後者は、自分を愛するようになった相手の現実の姿が、そのへんのただの男や女と何も変わらないことに半日で気づくだろう。枯堂夏子ではないが、恋愛など、片思いの間が最高なのである。



つい興奮して乱暴な発言をしてしまったが、要するに、我々の願望などあいまいなものにすぎないのである。だから、我々は(いつでも望む物に交換可能だと信じている)金を得ることを目標にするのである。だが、その金を得た後、どうするのかはほとんど考えていない。まあ、働かないで、のんびり遊んで生きられたらいいなあ、というのがほとんどの人間の願望の最大公約数だろう。ところが、一生遊んで暮らせる財産を持っている大金持ち連中が毎日遊んで暮らしているかというと、そうでもないのである。つまり、彼らにとっては遊びよりも仕事の方が楽しいのである。働くのが楽しいのだから、金が儲かる。金を得るのは楽しいから、もっと金を求める。金を求める明確な目的があるのだから、金が集まる。こういうサイクルで、金持ちはいっそう金持ちになり、貧乏人はずっと貧乏人のままとなるのである。



こうして金持ちが自分の望む運命を手に入れるのは分かった。だが、では貧乏人は貧乏人の運命を望んだだろうか? そんなはずはない、と世の貧乏人の皆さんは声を荒げるだろう。まあ、落ち着きなさい。かくいう私も貧乏人だが、自分が自分の求めた運命を手に入れていることは分かっている。



 



あまりにも有名な話で、世界中に同じパターンの話があるのだが、知らない人のために書こう。



ある南のリゾート地に、大会社の社長が遊びにやってきて、休暇を楽しんだ。彼がぶらぶらと散歩をしていると、そこに原住民が昼寝をしていた。こういう怠け者の大嫌いな社長さんは、その男を叩き起こして、「そんなに怠惰な生活をして恥ずかしくないのか。少しは働いたらどうだ」と言う。男は「働いたらどうなる」と言う。社長さん「金が手に入る」男「金を手に入れてどうする」社長「いくらでも遊べる」男「たとえば?」社長「そうだな、こんなリゾート地でのんびりと昼寝ができる」



という話だ。



意味わかりません? 分からない人はもう一度読むように。



つまり、私が貧乏人であるのは、このリゾート地の原住民と同じことである。金があっても金がなくてもやることは同じだから、金を求める気持ちがない。だから、金が手に入る気づかいはない、というわけだ。せいぜいが、病気の時の保険程度の金があればいいなあと思っているが、無ければ無いで、医者にかからなければいいだけだ。医者に行くのを我慢した結果、病気をこじらせて死んでも仕方がない。近代以前の社会では、どんな高貴な人でもたいした治療は受けていなかったのだから、何も不満はない。



というわけで、私が貧乏なのは、私が、あくせく働いてまで金を求めるのは嫌だなあ、と心の底で思っているからである。そしてそういう情報を私は常に無意識のうちに外部に流しているわけだ。そうなると、金の話は私の上空を素通りしていくのは理の当然だろう。



これが、多くの貧乏人の方々が貧乏人の運命を自ら手に入れているということの説明だが、まだ納得いただけないだろうか?



同様に、男運の悪い女はそういう運命を自ら求めているのであり、やたらと病気や怪我になる人間はそういう運命を自ら求めているのである。後者には、考えられる限りの不摂生をしながら、病気になるとその治療に狂奔するという場合もある。まあ、病気や怪我は本人の責任ではない場合も多いのだが、私のように臆病な人間は生まれてから一度も骨折などしたことはない。骨折などというのは勇敢な人間、言い換えれば危険に立ち向かう人間の勲章であり、それもやはり自らを骨折する可能性の中に投げ込んだことから来る、性格的運命の一つなのである。






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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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