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木口小平は死んでもラッパを放しませんでした


「野球の記録で話したい」から一部転載。
箱根駅伝は右翼新聞(読売新聞)の主催で、この大会に出た選手は大企業(奴隷好きな会社)に入れる確率が高いらしいwww もちろん、駅伝出場を持ちネタにして営業で使えるからだろう。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調



日本人は「たった一度の大舞台」のために「全身全霊をささげる」ようなイベントが大好きだ。自分がそういう境遇になれば大変だろうが、赤の他人が苦しみながら競技をするのを見るのが大好きなのだ。日本のスポーツ好きの中は、そういう幼稚なマインドの持ち主が結構いる。そういう人は、戦前は同じ調子で他人の家の若者を戦場へと送り出したことと思う。

「箱根駅伝」にも「甲子園」にも「感動をありがとう」という低次元の主旋律が底流に流れているのだ。

今日のレースではスタート直後に大東文化大の新井康平が他の選手とぶつかって捻挫をした。捻挫はアスリートにとって深刻な障害になる可能性もある。しかし「駅伝」は連帯責任の世界であり、彼がストップしてしまえば大東文化大が勝つ可能性は完全に消えてしまう。新井は足を引きずりながら、区間を走り切った。
実況アナは
「最後の箱根駅伝です。もう走れる状態ではないかもしれない。ただ、新井が前を目指してきたその理由、首からかけた、肩にかけたこのタスキ、その思いだけです。頑張れ新井、タスキを繋いでくれ」
と絶叫し、タスキをつなぐと
「新井選手の泣き声がこの鶴見中継所にも響き渡ります」というレポートも入った。
「残酷ショー」をリアルに発信できて、うれしくて仕方がないという感じだ。

「プレイヤーズ・ファースト」の考え方で言えば、大東文化大の奈良修監督は、即座に棄権させるべきだった。指導者は選手の健康を第一に考えるべきなのだから。
それにレースの負けが決まっても個人記録は「参考」ながらまだつなぐことはできる。「勝利至上主義」が負傷した選手の背中を押したのだ。

結局、「箱根駅伝」も日本のアスリートを国際レベルに引き上げるためには「障害」でしかないのだろう。スポーツの未来を考えるならば、改革すべき対象だと思う。

しかしそういうオピニオンを発信すべき新聞社が主催者になっているので、そういう声は上がらない。その点も甲子園とよく似ているのだ。

要するに、新聞社がスポーツの改革を邪魔している。日本はそういう国なのだ。

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ネット嫌がらせ

現在、プロバイダーだかブラウザーだかから「ネット嫌がらせ」に遭っているようで、なかなか記事が公開できない(ウィンドウズを名乗る妙な広告が突然出てきてネット作業が邪魔されたり、書いた文章が「公開する」にした瞬間に消えるとか、「現在混みあって接続できません」など)ので、公開できるかどうかこの文章で試してみる。

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家庭内文化

この種のものを私は「家庭内文化」と呼んでいるが、特殊な家庭内文化で育った人間は一般的な文化を知ると、「世の中にこんないい物があったのか。今まで自分が知っていた(同名の)アレは何だったのか」と思うわけだ。最悪なのは、自分だけの家庭内文化を他人にも押し付ける人間である。結婚生活というのは異なる家庭内文化の闘争の場でもある。関東の人間と関西の人間が結婚したら、雑煮(これは地域文化の話になるが)ひとつで大喧嘩になるのではないかwww


(以下引用)



  1. 母もそうだったが、我が家ではウドンは煮こみウドンの一択しかなく、汁と麺を一緒に魔女が作る鍋のようにグツグツ煮込むので、ドロドロになった。そういうウドンしか食べたことが無かったので、関西に修学旅行に行った時あちらのウドンを食べて、生まれて初めてウドンが美味しいと感じた。



  2. うちの父親が雑煮を作ったが、案の定、最初から餅を入れてグツグツ煮込んだので汁がドロドロのペースト状になっている。






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古市の「終末期医療削れ」論

  1. 容量に余裕があれば、問題になっている古市憲樹と財務省の友人(笑)の対話の部分も後で転載しておく。ただし、私自身は終末期医療というのは(当人の意識がちゃんとあるかどうかによるが)その患者の家族に経済的余裕が無い場合は、家族にとっては地獄ではないか、という気がする。また、高齢者の死亡1年前の医療費が高齢者医療費の1割強というのはけっして小さい数字だとは思わない。医療界からのこうした声は、高齢者医療に携わる医療者の「ポジショントーク」ではないか、という気もする。まあ、古市は大嫌いだから、彼が馬鹿だと示す話は大歓迎ではあるがwww
  2. 津田大介‏認証済みアカウント @tsuda 12月28日
  1. こういう現場からの意見を見ると、古市の終末期医療削れ論のソースが「財務省の友人」であったことの意味の重みもグッと深くなるね。
  1. 日福大名誉教授の二木立氏は「終末期医療費」の比率を殊更高く見積もる言説を「トンデモ」と断じ、高齢者の死亡前一年間の医療費は、高齢者医療全体のの1割余りであること、また死亡前一カ月の医療費は、上述のような急性期の結果も含んだとしても全医療費の3%に過ぎないことを明らかにしています。
  1. 恐らく、死亡転帰のレセプトの医療費金額しか見ていないのでしょう。レセプトだけでも、よく読めば診療経過や病名から、それが死を避けがたい終末期医療なのか、救命に手を尽くした急性期医療の結果としての「終末期」なのかはある程度区別できると思いますが。
  1. これはよくある誤解なのですが、「終末期医療」、特に高齢者の終末期はそれほど医療費はかかっていません。医療費が特に高騰するのは、比較的若く回復の期待がある患者さんで、結果的に最後の一カ月になってしまった場合です。そこを削ることは、実際には助かる可能性のある人を見捨てることになります


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希望(あるいは欲望)があるから苦悩があるwww

清水幾多郎の言葉に(うろ覚えで数字もいい加減だが)「人生問題の8割以上は経済問題である」というのがあって、まさしく真実だな、と思う。つまり、経済問題が解決されたら、人生は実に楽なものになるわけで、それでもまだ苦悩があるとしたら、それは自分自身が勝手に作り出した「妄想的苦悩」だと私は思っている。
たとえば、「人を愛して相手に愛されない苦しみ」などというのはまさに「自分が勝手に作り出した苦悩」である。私はゲーテはわりと好きだが、「若きウェルテルの悩み」という作品は「失恋して自殺する奴の話? アホか」としか思えなくて、読んでいない。
そのような「妄想による苦悩」に真面目に悩んでいる人も多いと思うが、その苦悩の原因をさらに考えると、「希望」という奴が元凶かもしれない、と思う。(希望は実は欲望と同じことであり、欲望をきれいに言ったにすぎない。つまり、以下に書くことは仏教の教えの基本のようなものだ。)

若いころに好きだったサイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道(原題は、「幽かな冬の翳」とした方が適訳かと思う。)」という歌の中に、

When I looked around my  possibility, I was so hard to please

という一節があるが、若い人の苦悩というのはまさに「自分自身の可能性を信じ、その対象を探し求めること」そのものの中にあるのではないだろうか。その可能性が何なのか分からないから苦しいのである。で、そういう時にたいていの人は何かできることをするのではなく、悩むだけなのだ。そして、「下手の考え休むに似たり」で、何一つ得られないまま歳月が空しく過ぎ去り、さらに苦悩と焦りは深まっていく。
夢にしても希望にしても、現在手にしていないものである。当然、それを得たいという気持ちが心を苦しめることになるはずだ。夢や希望は人生を救うものでもあるが、実はそれこそが苦悩の原因でもあるわけだ。

まあ、仮に、自分がこの世に存在しなかった場合の世界というのを想像してみれば、現在の生がどんなに不満足なものだろうが、「自分自身が最初からいない」よりはマシであり、この世に生まれて良かった、とたいていの人は思うのではないか。今現在手にしているもの、自分の周囲にあるものは、「この世界に生まれなかった生命(あるいは人間以外のもの、虫か何かに生まれることでもいい)」にとってはどれほどの宝物だろうか。これが「諸法の空相」の意味だ、と私は考えている。つまり、「空」という相(フェイズ)に於いて、この世界の万象を眺めることである。

要するに、「汝の手に耐ゆることは力を尽くしてこれを為せ。そは汝の往かんとする黄泉には業(わざ)も謀り事も知識も知恵も在ることなければなり」「生ける犬は死せる獅子に勝る」(どちらも旧約聖書「伝道の書」より)ということだ。
言い換えれば、自分の手にはどうにもならないことは悩んでも無駄、ということであり、どんな人生でも完全な無よりはマシだということである。




(以下引用)


私の好きなインドの覚者の言葉に「人生は生きていくだけで十分に苦行だ。新たに苦行を作り出す必要などない」というのがあって、ほんとそうって思います。




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肩車ご利用のお客様

読んだ私もニヤニヤしてしまったwww





さんがリツイート

お父さんに肩車してもらってる女の子が「おもくてすみませんねぇ、ちからもちですねぇ」と何度も言っていて、それに対してお父さんが営業口調で「やっ、とんでもないです、恐縮です!本日もご利用ありがとうございます!」と遊んでて、ホーム一帯がにやにやに包まれてる






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可愛いは正義

動物の子供は何でも可愛いが、うり坊の可愛さは格別だ。うり坊とはまた良く名付けたもので、まさに瓜と瓜二つであるwww
これが成獣になると、巨大で臭い怪物になるのだから、残酷なものである。
哺乳類で見た目が一番可愛くないのは、実は人間の幼児ではないか、という気がする。あれを可愛いと思うのは親と祖父母だけだろう。









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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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