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マスコミ人には教養は必須

教養は必要か、という議論が少し前にあったが、少なくともマスコミ人には必要だろう。マスコミが誤った情報や誤解されそうな記事を流すと、それが社会全体の誤解になる。
ダビデは古代ギリシャではなく古代ユダヤだし、像を作ったのは中世のミケランジェロだ。(と思う。まあ、私の勘違いでなければ。)古代ギリシャとはほとんど無関係な写真を、この記事に載せると、記事の筆者が無知蒙昧だという気持ちを多くの読者が持つだろう。
私のブログは、読む人をあまり想定していないので、いい加減なことを調べもしないで書くことが多いが、大マスコミがそういうことをしてはいけない。と言うより、この記事にダビデ像の写真を載せることに紙面編集者やデスクも疑問すら持たなかったのではないか。それを無教養と言うのである。
まあ、教養というのはいわば、思考という「一人遊び」の道具であり、個人的な楽しみとして価値があるのであって、無教養は別に恥でも何でもない。昔は、場違いな発言をした時に、「つい教養が邪魔して」云々という冗談もあったものだ。
ただし、公共を相手の仕事をするなら話は別だ、ということである。



さんがリツイート

しかしなぜダビデ像……!時代が2000年も違う……!ハニワの話してる時にフィギュア出されるくらい違うんだ!せめてハニワにしてくれ!
新聞は校正が回ってこないのでツライ……!!私が間違えたと思われると命に関わるっ……





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歴史的発明か?

この記事を引用していたツィッターには「歴史変わるぞ、これ」って書いてあったのだが、いやいや、動物は体内で自然にアンモニアを合成しているってwww
昔のように人糞を肥料にすればいいんじゃね?
まあ、寄生虫が心配なら、殺菌して使用するとか何とか、方法はあるだろう。
都会人は異常に雲古やお叱呼(これは開高健のよく使っていた書き方)を嫌うが、家に犬や猫や幼児がいたら、そんなものは何も気にならなくなる。猫など、猫トイレから出て「土足」でテーブルの上に乗るし、犬は散歩の途中で道端の雲古を食べたりする。赤ん坊がオムツ無しだと家がどうなるか、言うまでもない。


(以下引用)

西日本新聞

アンモニアに新合成法 水と空気だけ、コスト大幅減 九工大の春山教授開発

西日本新聞





 肥料の原料として世界中で生産されている水素と窒素の化合物「アンモニア」の新しい合成法を、九州工業大大学院生命体工学研究科(北九州市若松区)の春山哲也教授(54)が開発した。水と空気だけを材料にする簡易的な方法で、化石燃料を使用する従来の製造法に比べて、大幅なコスト低減が見込まれる。環境への負荷も少なく、注目を集めそうだ。


 春山教授によると、世界の人口が増え続ける中、アンモニアは食糧の増産に欠かせない重要な化合物。世界で年間約1億7千万トン生産されている。


 現在の製造はほぼ100%、1913年に実用化された「ハーバー・ボッシュ法」を採用。天然ガスに含まれる水素を高温、高圧で窒素と合成し、アンモニアを生み出す。ただし、大規模な工場が必要で、二酸化炭素(CO2)を排出することにもなる。


 気体と液体の境界で起こる反応を研究している春山教授は、水の表面の水素原子が他の原子と反応しやすい性質に着目。空気に電気を流し、刺激を与えることで、空気中の窒素原子と水の表面の水素原子が結合して水中にアンモニアが溶け出す仕組みだ。


 筒の中に水と空気を入れて電気を流す反応器を完成させ、アンモニアの合成に実験室レベルで成功。共同研究する国内の企業と世界各国に特許を出願し、オーストラリアと、アフリカ大陸の16カ国が加盟する国際的な特許審査機関「アフリカ知的財産機関」から登録を受けた。


 現在は実用化に向け、実証プラントの建設を計画中。春山教授は「大規模な設備が必要なく、農地にアンモニア製造施設を造ることも可能になる」としている。


=2019/01/19付 西日本新聞朝刊=





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ばんくしーって何?

それで、バンクシーが描いた可能性があるらしい、都の所有物の壁への鼠の落書きを大喜びしていたということで(笑い)お前が都庁の頭の黒い鼠の筆頭だろうがwww
なお、バンクシーとは、あちこちに落書きをして回っている覆面画家で、その落書きは価値があるとされているらしい。ネットで初めて知った。
まあ、美術品の価値などというものは、その道の権威がお墨付きを与えたら幾らでもはね上がるもので、その背後には美術商がいる。ゴッホもモジリアニも、生きている間はほとんど絵が売れず、死んだ途端に美術商によって値段が跳ねあがった。千利休が茶器の鑑定をしたのも同じようなものだ。朝鮮の小便壺が、利休のお墨付きで高価な茶器(とは言っても、それで茶を飲むのではなく、花活けか何かだろう)に大変身。



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125:風吹けば名無し: 2019/01/18(金) 08:28:34.60ID:dji4Tobra.net
お前じゃい!


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自分自身の思想を疑え

為末大オフィシャルサイトの記事から転載。
非常に知的な内容であり、凡百の思想家の言葉より優れていると思う。

正しさや善というものは、価値観を固定しないと存在できない。

これは素晴らしい言葉であり、人々がこの言葉を熟考するだけでも世界の悪や過ちの半分は減らせるだろう。その固定された価値観とは、それを押し付けることによって社会的な利益を得ている一部の人々によって作られた可能性は高いのである。そして、その「正しさ」や「善」とされていることの「強制」(空気による強制も含めて)によって不幸になっている人々も多いはずだ。
いや、そうした「信者」たちの人生そのものが、ある意味では不幸だと思う。固定した(実は愚劣な)信念を持って生きることは、主観的には幸福だろうが、傍から見たら気の毒な幸福であって、それを「豚的幸福」と言ったのは夏目漱石だったか。


(以下引用)



無知は独善
2015年05月22日

私の好きな言葉で”無知は独善”というものがある。


無知とはどういうことか。物事を知らないという意味もあるけれども、私は自らを知らないという意味だととらえている。人間はいつも何かを思い込んでいる。私もあなたもおそらくあの頭のいい人も、今も何かを思い込んでいる。そして人は自分が思い込んでいると気づいた時には、もう思い込んではいない。つまり私たちはいつも何かを思い込んでいて、そして思い込んでいることに気づいていない。


独善という状態は自分の正しさを疑わず、かつ違う視点から考えられないことだと思う。人生では若い時には正しいと信じて疑わなかったことがある経験を経てそうとは限らないと気づいたり、明らかに正義だと思っていたものが現場に行ってみるとそうではなかったことと気づくことがある。自らの偏見に気づいた時、自分の正しさは一つの見方でしかなかったということに気づく。何度かこのプロセスを経て、人は自分が今言っている正しさは、将来も言い切れるとは限らないと知るようになる。正しさや善というものは、価値観を固定しないと存在できない。自分だけの一つの価値観は普遍の正しさだと信じることを私たちは”独善”と呼ぶ。


私の経験上自らが独善の状態にいることを私自身は認識していなかった。むしろどうしてこんな当たり前の正しいことをみんなは気づかないのかと憤っていた。独善の状態はなかなかに心地よい。何より自分自身は正しいのかどうかと疑う視点がないから迷いがない。


独善の状態で突っ走ることも重要な時期もあると思う。アスリートであれば何かを一心に信じることは大事だし、スタートアップの企業などでもいちいち自分を疑うわけにもいかないだろう。そういう時に正しいと信じ切って突っ走ることは大事だろうなと思う。ただし、独善であると自分が知っている状態と知らない状態は大きく違う。


無知は独善だと私は思う。そして独善状態の時、人は自分が独善であるなんて考えもしない。


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風邪やインフルエンザなら家で寝ていろ

私が懸念するのは、病院というものにはインフルエンザ患者以外の病人や慢性病で通院する高齢者もたくさんいるということだ。ところが、インフルエンザ患者は、自分で咳やクシャミのコントロールはできないから、病院でゴホンゴホンすることになる。すると、当然、「院内感染」ということになるわけで、若者なら数日寝ていれば治るものが、高齢でインフルエンザにかかると死に至ることもある。
だから、私は、「風邪やインフルエンザなど、病院に行くな、家で寝ていろ」と言うのである。インフルエンザ患者が外出し、人前に出るということ自体が「テロ行為」のようなものだ。どうせ二、三日も寝ていれば治るのに、なぜ外出し、他人に感染させるのか。
会社に行かなければ会社が困る、と言う人は、そういうぎりぎりの人数で回している会社がブラック企業でないか、そういう会社に勤めていることで人生を損していないか考えてみるといい。
なお、「私が病気で欠勤しても会社が困らないと分かると、私が困る」という理由で会社に無理に行く人もいるだろうwww (これは有名なジョークである。)
毎年、同じことを書いているが、私のような意見も最近はよく聞くようになった。言い続ける価値はあるということだろう。




(以下引用)






 厚生労働省は18日、全国約5000の定点医療機関から13日までの1週間に報告されたインフルエンザの患者数が、1機関当たり38.54人になったと発表した。前週より22.24人増え、大流行の発生が疑われる警報レベルの30人を超えた。全国の医療機関をこの1週間に受診した患者数の推計は約163万5000人で、前週の約58万6000人から3倍近くに増えた。 










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男は決断力!

このお母さんは、かつて優柔不断な男に二股かけられた経験があるのではないか、と推理www




さんがリツイート

レジに並んでたら後ろで小さい男の子が
「ぼく優柔不断だから2個買うね!優柔不断だから!」
ってお母さんのカゴにお菓子を2個入れてて、変な言葉覚えちゃったかーって微笑ましく見てたらお母さんが

「優柔不断な男は最終的に2つとも失うのよ」
と言ってそのお菓子を売り場に戻してた。
言葉が重い。





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ナンセンス(無意味)の意味と価値

私は松本人志の顔が大嫌いなので、彼の出る番組はほとんど見たことが無いのだが、要するに、彼のギャグというのは、全学連の「ナンセーンス」戦法を拡大したものではないかと推測している。つまり、知的に卓越した相手の論理を「ナンセーンス」の一言で葬り去るわけだ。その「ナンセーンス」とは、自分に理解できないもののすべてであり、それらを無価値だと断定するのである。
もともと、ナンセンスというのはギャグやジョークと親和性は高いのであり、その高度なものとしては「不思議の国のアリス」やマルクス兄弟の映画などがある。だが、「ナンセーンス」戦法というのは、敵(しばしば価値ある存在)を地面に叩き落とす機能しか無い。
本物のナンセンスの創造には高度な知性が必要なのだ。何でもかんでも嘲笑し、引きずり下ろすのがナンセンスの機能なのではない。硬直した知性や風習を滑稽化する、というところにナンセンスの機能がある。
松本人志が笑いについてかなり真剣に考え、独自のものを追求してきた初期のころは、確かに面白いものもあっただろうが、現在のようにテレビ局によって大御所扱いされ、安倍政権との癒着もあって、その地位にぬくぬくとしている状態では、彼こそが「厭らしい権威的存在」として大衆の憎悪を買うものでしかないだろう。



(以下引用)


  1. てなわけで、知的な人間であり続けるためには、地頭の良さよりも常に勉強し続ける勤勉さがむしろ不可欠だという、あまりにも退屈かつ平凡な結論が導き出されるわけですね。残念なことに。



  2. 松本人志がヤンキーのヒーローたり得たのは、勉強漬けのインテリの知的武装をワンフレーズのボケで無効化してしまうその地頭の良さにあったわけなんだけど、この20年ほどのていたらくを見ていると、「勉強しない地頭」の劣化サンプルみたいなことになっている。






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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