この美術館レイシストやん
女性は道徳的優位なのでその指摘には当たらない
無敵か?
アイドルマスターみたいやんな
そんなものはない
屁理屈じゃん
レイシストはrace(人種)+ist(主義者)って意味な
ただの差別はディスクリミネーション
これにイライラしてたら大体そいつらやろ
辺境に作品押し込められたキースヘリング泣いとるで
自称でぼくレイシスト!とか思ってるやつなんか活動家くらいだろ
気の赴くままにつれづれと。
@ryouma3da
なぜコロナワクチンを接種してはいけないのか?
それは人間の細胞を“新型コロナのスパイクタンパク質を生産するように改造する”劇薬だからです。
人間の遺伝子を強制的にいじるわけで、将来的にどんな悪影響、後遺症が出るか不明。
正常な細胞を異常に変化させるわけだしね。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_pfizer.html
政府の資料でも、mRNA編集がゲノム編集技術の一つだと紹介してた。遺伝子をいじるのは事実だよ。
仮にワクチン接種でウイルスの免疫ができても、一度改造された人間の細胞は元に戻らない。体内の異常な細胞が暴走する危険性に一生苦しむことになる。
だからダメなんだよ。
https://t.co/EE4J1sSuYA?amp=1 (PDF)
TVやネットでワクチン接種を薦める医者がいるけど、そういう者は信用しない方がいい。
なぜならコロナワクチン接種で、一本打つと病院に2070円の金が国から落ちる制度になってるから。
つまり医者は“ワクチンを打つほど儲かる仕組み”。
無料接種という名のワクチン利権だよ。
https://t.co/vpZec9czcV?amp=1 (PDF)
そもそもコロナ感染者数が一向に減らないのは、政府が“インフルエンザでも陽性になるPCRキット”を採用し、“インフルエンザ感染者をコロナ感染者にカウントしてるから”です。
だから感染者数を盛るのをやめさせれば感染拡大はすぐに終わるよ。
危険なワクチン接種も必要ない。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11331.html
『アストラゼネカ製ワクチンを接種した数時間後に死亡した教師のケースに対して、イタリア検察は殺人事件として捜査を開始』
(2021年3月16日)
https://bit.ly/3eSwZoa
@someone5963
意図的に仕込んだ毒ワクチンだもんね。
@AmbraBeni
ファイザーの毒には 知らん顔
@snow84311210
絶句です。
「モデルナのチーフメディカルオフィサーはMRNAがDNAを変えることを認める」
「実験的なヒトゲノム改変mRNA注射」
「生命のソフトウェアをハッキングする」
『Bombshell: Moderna Chief Medical Officer Admits mRNA Alters DNA』
(2021/3/11)
https://bit.ly/2P52SPu
大ちゃんママ 2@givemegumi
ほらな
モデルナは元々から医薬品開発の企業ではない。
これはDARPAによる一連の「生物兵器」開発だよ
斉藤県議は、2月下旬から1万6500部を配布した活動報告「ほっとらいん」102号で、次のように記していた。
〈ワクチンなど必要ありません。今回のワクチンは人類初の遺伝子組み換えワクチンで、「殺人兵器」ともいわれています〉
さらに、斉藤氏はこの文書で、コロナ騒動は「ディープ・ステート」という「闇の勢力」が計画したものであり、マスコミが恐怖心を煽り、世界中の人々にワクチンを強制接種させて人口削減を進めるつもりだなどと主張している。
「全部、人類初の遺伝子組み換えワクチン。中身は何なのかを誰も吟味していない。看護師に打つというから、これは早く書かなあかんと。政治家の信念として見過ごせなかった。『その毒饅頭を食べたら死ぬ』とわかっていて、黙っていたら、俺、殺人者やん?」
稲田氏と会ったとき、ワクチンの話題も出たという。
「稲田さんはたまたま正月に挨拶に来たで。『私は打ちませんよ』って」
@universalsoftw2 3月17日
アストラゼネカのワクチン一時中止が24ヵ国に。
https://twitter.com/AriyanaLove_/status/1372128492599525377
@ReutersWorld 3月19日
Keep using AstraZeneca COVID shots to save lives, WHO tells Europe http://reut.rs/3tzMMfs
前提として、これはわたしの記憶だ。小学生のわたしが、他人の話をどれだけ正確に聞き取れていたか、そして今に至るまでのわたしが、思い出にどれだけバイアスをかけずに回想できるかは分からない。
それでも、どうしても、無かったことにはできずにいる幼い殺意がある。
6年2組のクラス担任は、体育教師だった。強くしなやかな体をした、若い男性教諭だ。わたしは、彼の大きな声とシアトリカルな振る舞いが苦手ではあったけれど、最初のうちは教員全員へ向ける敬意から彼を例外とすることはなかった。個人の性格として相性が今ひとつであることは関係ない。教卓に立つ大人というだけで、彼はわたしにとって尊敬に値していた。
保健体育の授業だった。「お父さんがタバコを吸う人は右手、お母さんがタバコを吸う人は左手を挙げましょう。いま手を挙げた人は恥ずかしいと思ってください。君たちのことが本当に好きなら、お父さんもお母さんもタバコを吸わないはずです」と担任の先生は言った。
「死ね」と思った。わたしの両親は、喫煙者だった。わたしは、彼らの愛を疑ったことがない。たかだか2年足らずをクラスで過ごしているだけの男に、その6倍の年月を一緒に暮らしてきた家族の何が分かるんだ。恥かどうかは、わたしが決めることだ。
わたしの感情を外側から弄れると思うな。2人の愛を外側から測れると思うな。わたしが恥じるのは、わたしがあなたの教え子であることの方だ。好きなひとを傷つけないのが唯一の愛情表現なら、今わたしをこんな思いにさせているあなたは、わたしのことが大嫌いなのか? そもそも、仮に愛されていないとして、それを子が恥じる必要がどこにある? 憤りと悲しみと呆れと諦めとが一度に湧き上がると、言葉としては殺意になるのだと知った。
黙って俯くことだってできた。しかし、わたしは両手を挙げた。あなたが“先生”で、わたしたちが“生徒”である空間で、あなたの放つ言葉がどれだけ暴力になり得るか気付けと願った。自分のしたことを理解して、傷付けと呪った。なるべく酷く、深く悲しめと祈った。許せなかったし、許そうとも思わなかった。
彼がわたしの心を決められなかったように、わたしにも彼の感情を動かすことはできなかったようだったけれど。
ときどき、政治や宗教について、教員の思想が強く出る授業が話題になる。とても悩ましい問題であるし、悲しく恐ろしいことだと思う。教師だってひとりの人間である以上、完璧にフラットな立場をとることはなかなかできないだろう。難しいと唸りつつ、名前になるだけ“先生”を付けずに呼ぼうと、卒業まで頑張った相手をを思い出す。
いわゆる大人の事情というものが察せられるようになって、一部の文句は飲めるようになった。いつかそういう納得に加えたいと思いつつ、12歳の殺意を未だ消化出来ずにいる。
喫煙が自他を害することは知っている。喫煙の害を伝える授業で、他人の愛を否定しなければならなかった理由は知らない。
小学6年生のわたしがそうであったように、20代のわたしも両親の愛を疑わずにいる。「死ね」とまで短絡的な嫌悪を抱くことは無くなったが、記憶の中で先生を睨む女の子にかける言葉は今も見つからない。