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カネはどこへ行った

昔、「花はどこへ行った」というフォークソングが流行ったが、GO TOに投下されたカネはどこへ行ったのか。




骨董屋佐竹【連絡用】
@KottouyaS
勿体ないですね……美味しそう
引用ツイート
モロッコレストラン tam tamu
@morocco_tamtamu
·
ただただ悲しい。。。 予約いただいた男女2名様殆ど何も手を付けずにGOTOの3000ポイントを利用して帰って行きました。 お腹いっぱいならお包みしましょうか?と声をかけても 『いいです』の一言。 差し支えなければ理由をお伺いできますか?と聞いたら 『個人の自由ですよね?』とお答えされました。
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冷蔵庫内爆破事件

世界的陰謀を考えるのも、冷蔵庫内の事件を考えるのも、私にとっては娯楽なので、この事件について考えてみる。
おそらく、事故の原因は「真空パック」という気密(密閉)状態にあったと思う。
冷凍された鶏肉が解凍されていくと、パック内の氷が水になるわけだ。それがこの「爆発」の原因だと思うが、しかし、同じ容量の氷が水になると体積(容積)は小さくなるはずで、それなら「爆発」するはずはないだろう。さて、物理的にこの「爆発」は説明できるだろうか。
単にラップしただけなら、「爆発」ではなく、濡れてラップが緩んだから水が外に出たのだろうと思うが、「真空パック」だから、そうではないわけである。



山本さほ
@sahoobb
真空パックに入った凍った鳥モモ肉を冷蔵庫にうつして解凍していたら、冷蔵庫の中で爆発していた。 鳥から出た謎の汁が冷蔵庫内をビショビショにしていた。 私はそっとドアを閉じ、見なかったことにして家を出た。
 

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神についての私の思想と「易経」の「神」


少し前に書いた、神とは何か、という問題についての私の思想に関して、昨日の夜にベッドで寝ながら読んでいた「易経」の中に、まさに私と同じ思想が書いてあったので、引用しておく。私は易経に興味があるが、内容(特に語彙)が難しいので、飛ばし読みしかしておらず、この部分に気づいたのは初めてであった。なぜかというと、この部分は易経の中でも付録的存在の「雑卦伝」という部分であるからだ。
その部分と、私が前に書いた、神とはこういう存在ではないか、という部分を並べて引用しておく。

(以下引用)

(原文)「神也者、妙万物而為言者也」
(書き下し)「神なるものは、万物に妙にして言を為すものなり」
(岩波文庫版訳)「神(しん)とは万物に即してはたらく神妙の作用を指して言うことばである。」
(朝日新聞社文庫版訳)「(神とは無形であるが有形の万物を離れては存在しない。)万物に即してその中にはたらく妙用を指して言う。」

(以上引用)

どちらの訳(解釈)でも、神は実体的存在ではなく、「作用(私の言う「力」)」であると説明している。



(以下自己引用)

前回予告しておいた「神という存在」についての断片的思考だが、中心思想は、「神とは人間的な人格や意思を持った存在ではなく、宇宙という存在の中心にある、或る種の力である」というものだ。しかも、それは「自分から動くのではなく、他の存在がその中心に向かって自動的、あるいは自発的に動くように惹きつけられる、磁力のような存在である」と思われる。「宇宙の中心」とは言っても、それは物理空間的な中心ではなく、その力は全宇宙に偏在している。あるいは、宇宙のすべての存在が、その力を幾分かずつ持っている。つまり、あなたも神であり、私も神であり、道端の一木一草、小石にもその力はある、という思想である。

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大河内山荘

今日は朝イチで病院に行ったついでに、天気もいいし、バスの一日乗車券を無駄にするのも何なので、今年の紅葉を眺めに嵐山まで行ってきたが、いつも数百メートルで音を上げる膝の調子が良くて幸いだった。とは言っても、嵐山全体で歩いた距離は3キロか4キロ程度かと思う。その間に野宮神社から竹林の道、常寂光寺、落柿舎、大河内山荘、渡月橋と回れるのだから、散歩コスパが実にいいのが京都、特に嵐山の利点だろう。
その中で実に素晴らしかったのが大河内山荘で、あの庭園は世界的に評価されるべきものだろう。入園料は1000円とお高めだが、お茶(抹茶)と和菓子(落雁)の接待付きだし、何より、あの庭園だけでもそれ以上の価値がある。常寂光寺から大河内山荘までのうち200メートルほど軽斜度の坂道を歩くので、足の弱い人間(私)は少しくたびれるから、まずはお茶で一休みというのは有難い。

落雁の抹茶に溺れ 紅葉かな

というのが、そこで詠んだ狂句である。もちろん、落雁を「空から落ちた雁」と見立てて、それが腹の中で抹茶に溺れる、というおふざけだ。
庭園は、実に工夫されたもので、最初は両側を密な低木で囲まれた狭い歩道を歩いていく。紅葉は頭上に見えるだけだが、その、視覚的に限定された空間だからこそ、背景を空にした紅葉をじっくり眺めることになる。そして、道の角ごとに視界が開け、遠くの山(嵐山連山)や京都の遠景がわずかに見える。そのアクセントがいい。大河内伝次郎は俳優として、あるいは映画関係者として、映画から学んだ「見せる技術」をこの山荘に活かしたのだと思う。
そして、しばらく行くと、紅葉の林の中の建物(平屋の和室)が見えるが、このあたりの紅葉は実に見ごたえがあり、思わず、何枚か写真を撮ったものである。まあ、誰にも見せるものでもないが、記念だ。

京都に住む利点は、観光をするのに好きな日時が選べることで、せっかく観光に来たのに雨降りだったなどということが無い。晴れた日に、気が向いたら遠出すればいいのである。まあ、そう言いながら、私はロクに観光もせず、近所の裏山を散歩するだけで十分満足なのだが、春の桜や秋の紅葉を眺める楽しみは、我が故郷、南国沖縄では得られないものである。まあ、こうした満足がいつまで得られるか分からないが、とにかく今日は満足な一日だった。

なお、大河内山荘から渡月橋までの途中に、周恩来の記念石碑があり、そこに書かれた詩(「雨中嵐山」)が面白そうだったが、私の無学と碑の風化のためなどで読めない字が多かったのが残念である。
その一節。漢字は適当に充(あ)てた。

瀟湘雨霧濛濃
一線陽光穿雲示
(以下4文字、読めず)

一線の陽光が雲を穿って示したのがどういう光景か、気になる。


(以下ウィキペディアから一部抜粋)

人物[編集]

その立ち回りから「八方破れ」、「型破りの快剣士」、大きな目玉から「目玉のデンジロー」とも呼ばれた[1]。『忠治旅日記』出演のころから、一脈のニヒリズムを底流とした大河内の眼光は、ファンの胸を揺さぶった。


「丹下左膳」のような殺し屋役以外に、大河内は喜劇物にも好んで出演した。内田吐夢監督の『仇討選手』はインテリファンを喜ばせ、その後も『小市丹兵衛』、『怪盗白頭巾』(泥棒ヒゲの滑稽メイクで登場)、『でかんしょ侍』などといった作品に出演している。喜劇物では高勢実乗鳥羽陽之助市川百々之助などと共演した。


俳優になるまでは文学者志望だった大河内には、哲学的な性格があった。晩年は仏教に帰依し、名利にこだわることなく淡々と生き、人徳が出て人間として超脱した姿を見せた[26]


極度の近視で、普段は牛乳瓶の底のような度の強い眼鏡をかけていた。しかしこれがかえって大河内の眼に異様な光を与えることとなる。近視のため相手に肉薄して刀を振るうので、迫力ある乱闘が生まれた。裸眼では足下もよく見えず、『新版大岡政談』の撮影時には乱闘中勢いあまって顔面を泥の中につっこんでしまうほどだった。

 

剣戟スタア・大河内傳次郎[編集]

澤田正二郎譲りのリアリズム、火花を散らすような大河内の立ち回りの秘密は、強度の近眼にあった。立ち回りでは刃引きをした「ホンミ(真剣)」を使った。絡みの役者は殺陣師の指示に従い、斬られる部分に綿を入れてかかっていくが、大河内は相手の身体に刀が当たらなければ承知しなかった。


刃引きはしていても真剣が当たれば相手は生傷、タンコブだらけとなり、大河内との絡みには「膏薬代」が出た。伊藤大輔は大河内の立ち回りについて次のように語っている。

バンツマ(阪東妻三郎)は間合一寸で抜く、(市川)右太衛門は舞踊ですから呼吸を合わせれば怪我はない、(嵐)寛寿郎は正確無比に剣が飛んでくる、これも殺陣の段取りが狂いさえしなければ安心です。それぞれに、避けようがある。傳次郎これはぶっつけ本番で、避けも逃げも出来ません。迫力が出なければ嘘になりましょう— 伊藤大輔、大殺陣 チャンバラ映画特集

大河内は『鞍馬天狗』の近藤勇役で嵐寛寿郎と絡む時は必ず抜き身の真剣を使った。嵐は「一番怖かったのは大河内傳次郎」、「あの人、近眼でっしゃろ。怖かったですよ」と語っている[28]

大河内山荘[編集]

大河内山荘 大乗閣

大河内は敬虔な仏教信者としても有名で、1931年(昭和6年)に京都嵯峨の小倉山[注釈 7]の向かいの亀山の山頂に広壮な山荘を置いた。大河内は広大な和式庭園を自ら設計し、家続きの寺院「持仏堂」を建て、そこで教典をひもとき、朝夕「南無阿弥陀仏」を唱えてすごした。東映時代劇など晩年の多数の脇役出演によって稼いだ多額のギャラは、その大半が山荘造営に注ぎ込まれたという。現在この山荘は大河内山荘として一般公開されている。彼の死後も、妻をはじめとする遺族が山荘を維持しており、傳次郎生誕100周年の1998年(平成10年)に刊行された山荘の写真集は、未亡人に捧げられている。

日活時代の大河内の自宅は撮影所のすぐ傍らの竹藪にあり、撮影所内の人たちは大河内を「藪の神様」と呼んでいた。「大河内に楯をついたらえらいことになる」とのことから「カミサマ」と呼んだものらしい。大河内は撮影中に気に入らないことがあると、プイと仕事をやめてこの亀山の山荘に閉じ籠ってしまった。稲垣浩がのちに本人にその理由を聞くと、「聖徳太子は自分の政事や行いに誤りがないかと夢殿に籠って反省したと聞いています。私が山荘に行くのも、あそこで座禅を組んで反省しているのです」と答えた。


山荘は戦後、本格的な建築に改められたが、いちばん苦心したのは井戸だったという。高い山頂での掘削であるため、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければ音がしないほどの深さだったという。鎌倉様式と室町様式が混然としている大河内山荘は、出来上がったころはあまり評判は良くなかった。


ある日、大河内が常盤のあたりを散策していると、道端に転がっている石地蔵を見つけた。立ち去りかねて野仏を拾い上げた大河内は表情が気に入り、これを抱き上げ、山荘に持ち帰った。ところがこれを近在の子供が目撃して、常盤村の人たちが大河内に地蔵を返さねば訴えるとねじ込んできた。これに大河内は平然と、「あの地蔵は盗んだのでない、常盤を散歩していたらあの地蔵様が“大河内、大河内”と呼びとめなさった。道端に転んでいるお姿がとても傷わしく思われたので山荘にご案内して、大切におまつりしただけのこと。あなた方がそれほど大切な地蔵様であるなら、なぜおまつりをなさらぬか。なぜ道端に横倒しになっているのを起こして差し上げぬのか。草むらに横たわった地蔵様を見つけたというのは霊の導き、縁あってのことでありましょう。訴えなくとも戻せと言うなら戻しますが、その代り地蔵寺をたてて立派におまつりしてください」と答えて見せた。こうした話し合いが何度かあり、結局常盤村が地蔵を大河内山荘に寄贈することで裁判沙汰にもならず決着したという[29][信頼性要検証]







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人生の終末

前に書いた「老衰」についての「東海アマブログ」記事で、こういう正直な報告は貴重だと思う。
もっとも、東海アマ氏の場合は老衰だけでなく無謀な食生活などの影響が大きいとは思うので、この両者は分けて考えるべきだろう。
なお、後半は健康問題とは無関係なのでカットした。

果たして、この人生で自分は、どれほど満足を得たのかと問えば、とても心細い、情けない答しか得られない。

とあるが、東海アマ氏は権力(原子力村)の妨害に屈することなく真摯なブログを書き続けることで、社会の(精神的)改善に大きく貢献したと私は思っている。江戸時代の安藤昌益や明治の田中正造のような存在で、いずれ後世から高く評価されるのではないか。そう思えば、自分の人生が無益だったと思うべきではないと私は思うのだが、ただ、その人生で満足が得られなかったとしたら、何が得られたら満足したのだろうか。少なくとも、草の葉の上の露の美しさや空の雲の輝きやひとつの詩句や一杯の酒で得られる満足ではなかったようだ。もちろん、日常のそうした小さな満足は、腹痛や歯痛などでいっぺんに雲散霧消して現実が地獄化するのであるが。


(以下引用)

一晩苦しんでも何も得られなかった

カテゴリ : 未分類

 一昨夜の夜半、突然、腹痛が起きて、症状としては10年ほど前から頻繁に起きる腸閉塞に似ていたので、早速、強制排便をかけたりしたが、一向に腹痛が治まらない。

 私が腸閉塞を起こす原因は複数あるが、一つはエダマメ・落花生・コーン缶詰を大量に食べたりすることで、これが腸内でカタマリを作って移動しにくくなり、栓ができたような状態となり、腸閉塞の症状が出る。
 あとは締め鯖のアニキサス症やホタルイカの線尾線虫、鱒寿司からサナダムシが入ったときなどだ。

 とりわけ生ホタルイカを食べると、ほぼ確実に寄生虫にやられる。
 https://schoowell.jp/plus/spiruria/
 私は、安いこともあって、ホタルイカ刺身が好物だった。
 だが、症状は似ているものの、今回は時期が異なるし蛍イカも食べていない。

 しかし思い出してみると、5日ほど前に、田瀬の三河屋で、ワタ付き、カワハギ刺身を買って食べていた。
 田瀬三河屋は、月曜定休日なので、日曜の17時過ぎに半額値引きサービスで生ものの売り尽くしバーゲンをやり、賑わう。

 今年の夏過ぎから、この時間帯は、主婦によって凄まじい争奪戦が繰り広げられるようになり、5時5分前には店に入っていても、店主が半額シールを貼った瞬間に女性たちが奪うように持ってゆく。
 たぶん、コロナ禍で、主婦層の懐具合が悪化しているのだろう。以前は、余裕を持って買えたのに……。

 これで目を付けていた鶏肉が買えずに、悔しくて、勢いで半額のカワハギ刺身を買ってしまった。
 当地は、内陸部なので海の魚を知らない人が多く、売れ残ったのだ。もしかしたら、肝に寄生虫が入っていたかもしれない。

 いずれにせよ、発症から30時間以上経た今も、腸内に激痛が走ることがあり、こうなると、ネットで情報収集していても、なかなか集中できないので、昨夜は、とうとう半年ぶりに休載してしまった。

 60才を過ぎたころから、腸閉塞が起きるようになったのだが、同時に、嚥下機能が衰えて誤嚥を起こすことが増えた。
 もう一つは「追っかけ漏れ」だ。尿の切れが悪く、完全に排尿したつもりでも、しばらくして漏れてくるので、尿漏れパッドを、いつもパンツに貼り付けていなければならない。

 こうした現象は、誰にでも起きてくる老化現象の一種で、上記の症状に完全に無縁という人は滅多にいないだろう。
 私は間質性肺炎を患ってから、呼吸トレーニングを目的に、毎日1時間半、標高差200メートルの昇降散歩をもう数年以上続けているのだが、そんな運動をしていても情け容赦なく老化現象が追いかけてくる。

 体の機能の衰えだけならいいのだが、何よりも目や脳がやられてくることで、文章にミスが頻発し、前後関係の論理性が不明瞭な文章ばかりになり、本当に困っている。
 私は、若い頃から、分かりやすい文章を書いている自負があったので、支離滅裂な文章しか書けなくなるのは悲しい。

 この文を書いているうちに便意が起きてトイレにゆき、かなり楽になった。
 今日は、ブログの主題を探していても、まるで心に留まらないので、仕方なしに現状を書き綴るうちに、何か見えてくるものはないかと思ったのだが、見えてくるものは、自分の命が終末に向かっている、たくさんの兆候だけだ。

 ちょうど、ナイヤガラの滝の上で流されているようなもので、あといくばくかの時間で、ドボンと行くことになるわけだ。
 こればかりは、誰も避けることのできない、すべての人に課された運命なので、諦めるしかないのだが、果たして、この人生で自分は、どれほど満足を得たのかと問えば、とても心細い、情けない答しか得られない。

 一晩、腹痛に苦しんでも何も得られなかった。この24時間、ひたすら寝続けても何も得られなかった。
 自分に与えられた能力は、毎日少しずつ萎えてゆく。目も脳も限りなく衰えてゆく。
 社会を洞察し、我々は何をすべきなのか、思索する力も失われてゆく。

(以下略)

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老人である現実は老人にならないと実感できない

これはまさに真実と言うか、多くの人が知っておくべき事実だろう。誰でも老化をイメージとしては「知っている」つもりだが、自分自身がその老人になるということは実は本気で想像(想定)していない。老化の現実は老人になってからしか分からないのである。
私が特に困ったのは、本の字が読みにくくなり(眼鏡をかけてもダメである)、文章を数行読むと視神経が麻痺した感じで、まるで睡魔に犯されたようになるが、眠いわけではない、という現象だ。眠ければ、寝ればその「眠気」は治るはずだが、読書の度にそうなるのである。老後の楽しみの最大のものとして読書を想定していたのが、大外れで、仕方なく、テレビゲームばかりしているwww テレビゲームの画面も朦朧としてはいるが、読書よりはマシ、という感じだ。
なお、足腰もダメになり、数百メートルも歩くと疲労が激しい。まだ70前だのにこの始末である。若いころに体を鍛えておかないと、老年が厳しくなると言えそうだ。
残り寿命は長くて後5年くらいか、と想定しているが、毎度言うように、数秒後に気管が唾液で詰まるか心筋梗塞で死ぬかもしれないので、死は常に眼前にある。と言っても、死ぬのはべつにいいのである。体が不調な状態で後何年生きようが同じことだ。正岡子規のように、どのような苦痛の中でも生きるという勇気には感心するが、それは生きる価値のある仕事をしていると自負している人の場合である。前に書いたように、私は「生涯の宿題」は出し終わったので、いつ死んでも悔いはない。



しろたぬ@歯の人
☘
お豆腐メンタル
@shirotanu_dds
高齢者にかかわる仕事をしていると「楽しみは老後にとっておこう」みたいな考えはけっこう危険だと感じる。 目が弱くなると読書やゲームは疲れるし、足腰が悪いと遠出も難しい。今やりたいこと、今しか体験できないことはすぐにでも計画するべき。それに、ヒマな老後が存在する保証なんてどこにもない

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名作が理解できない年齢と理解できる年齢

別ブログに載せた記事の一部だが、わりと大事なことを言っていると思うので、こちらにも載せておく。もっとも、同じようなことは何度か書いてはいるが、老人になって漫画(小説でも映画でも何でもいい)を読んでも新しい発見や感動はあるし、昔は理解できなかったことが理解できることもある、ということだ。

(以下引用)


ちなみに、私は手塚治虫の「W3」をこの前、市の図書館から借りて読んで、素晴らしく面白く感じたのだが、それを中学生のころに読んだ時には幼稚だと思ったのである。つまり、幼稚だったのは私であり、私はそれを理解するレベルでなかっただけだったのだ。実は「戦争と平和と人類の存続」という重いテーマを、子供むけの冗談やギャグを連発しながら、人類の未来への希望を描いた作品であり、中学生には分からないのもある意味当然だったのであり、ラストは見事なタイムトラベル落ちになっている。
今の若い人が昔の作品を古いとか面白くないと思うのは、実はそれを理解できる水準に自分が達していないだけ、という可能性が大であると心するのがいい。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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