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タイガー! タイガー! (3)






 


第五章  旅宿にて


 


村の入口近くにあるその旅宿は、一階の裏が馬小屋、建物の一階が食堂、二階が宿室になっていた。


四人は馬を馬小屋に入れ、その世話を宿の者に頼むと、食堂で遅い夜食を取った。グエンは顔を白い布で包んで隠している。


「あんた、変な病気じゃないだろうな」


でっぷりと肥った宿の主人は、グエンを見てそうは言ったが、深くは追求しなかった。


鍋にぶつ切りの鶏肉や玉ねぎやエンドウ豆や人参や蕪をたっぷりと入れ、牛乳で煮込んだシチューは、四人にとっては久し振りの食事らしい食事であった。宮廷で出されたら手もつけないようなこの食事が、王女と王子にも、何にもまさる御馳走である。


フォックスは安いワインも頼んだ。もちろん、酔うほどに飲むつもりはない。


「グエンもどう?」


グエンは陶製のジョッキに注がれたワインの匂いを嗅いで、うなずいた。


あの顔の構造でジョッキの酒が飲めるかな、とフォックスは見ていたが、案外器用に、こぼさずに飲んでいる。よく見ると、舌ですくい取るようにして口に入れているようだ。それも非常に素早い。だから、注意して見ないと、普通にジョッキのへりに口をつけて飲んでいるように見える。


鶏肉は骨のままばりばり食べている。


(剣が無くても、あの牙があれば十分な戦闘能力があるんじゃないだろうか)


とフォックスは思ったが、もちろんそんな失礼なことは言わない。


宿屋にはほかに客もいなかったので、四人は、周りに注意しながらではあるが、話をすることもできた。


「グエンはどこから来たの?」


ダンの遠慮の無い問いに、グエンは首を横に振った。


「分からないってこと?」


今度は頷く。


こういう具合で、時間はかかるが、知りたいことを知ることはできる。


どうやら、この奇妙な虎頭の男は、今日突然にあの野原にいる自分自身を発見したらしい。


それを嘘だともありえないことだとも他の三人は思わなかった。


「魔法にかけられて、ここに飛ばされたんだね」


ダンのその言葉が自分の今の状況をもっとも的確に表しているとグエンは思った。


グエンはこの旅の道連れの三人がどんどん好きになっていた。


 


たった一人でこの世に突然現れた自分に、こうして話のできる相手ができたことは幸運だったのではないだろうか、と彼は考えた。一方、自分が彼らの危難を救ったことについてはもうすっかり忘れていた。弱い者が苦難に遭おうとしている時にそれを救うのは当然の行為である、というのが彼の心の自然な声だったのだ。その一方で、自分があの兵士たちを殺したことへの自責の気持ちはまったくなかった。あの連中は、このか弱い人々に危害を加えようとした。それを防ぐために相手を殺すのも、まったく当然の行為だと思えたのである。


 


話をするうちに、グエンの発声能力の程度も分かってきた。今は簡単な「はい」「いいえ」以外はぶつぎりに単語を言うだけで、文章化して言うのはむずかしいが、まったく発音できないわけではない。とりあえずは、「はい」「いいえ」を重ねるだけでも意思の疎通はできる。


そうであるから、グエンが自分の側の話をすることはあまりできなかったが、他の三人の話を聞いているのは彼には楽しかった。


それに、この三人の容姿は見ていて快い。フォックス、いやフローラは日焼けこそしているが、とても整った顔立ちだし、化粧をしたら美女に化けることもできるだろう。そしてソフィはというと、これはまったくの美少女、金髪で色白でサファイア・ブルーの大きな瞳の目が長い睫に縁取られた、絵に描いたようなお姫様である。もちろん今は、旅をするために男装をしており、髪も王宮を脱出する時に男の子に化けるためにうんと短く切ってあるが、それでも顔立ちの美しさは、教会の天使像のようだ。


(教会の天使像? 俺はそんなものを見たことがあるのか?)


グエンは自分の想起した言葉につまずいて、物思いの世界に入り込む。


(いったい、俺は何者なのだ。記憶を失うまでの俺はどこにいて、どのような暮らしをしていたのだ? 俺は一人身なのか、それとも妻がいたのか? ははは、こんな顔の俺に妻などいたはずはないか。だが、俺のいた世界では、俺のような顔の人間がふつうなのかもしれない。……虎の顔をした妻か!……)


グエンは暗鬱な気分になり、二杯目のワインを飲んだ。


「グエン、どうしたの?」


グエンの気分を察したようにダンが聞いた。


グエンは何でもないというように首を横に振って、ダンの肩を軽くポンポンと叩いた。


「さあ、明日は早いから、今日はそろそろ寝ましょう」


フローラの言葉で四人は立ち上がり、寝室に向かった。


 


四つの寝台のある部屋に入った四人のうち、ダンは疲れたらしく粗末な寝藁の寝台に入るとすぐに寝息を立て始めたが、他の3人はもう少しお互いの話をした。


とは言っても、話したのは主にフローラである。ソフィはうまく事情を説明できるほどの年齢ではない。グエンは言うまでもなく言葉が不自由だ。


 


「このお二人はサントネージュ国の王女と王子であることは、先ほど言いましたが、私は近衛隊隊員のフェードラ、通称フォックスです。


つい五日前、この国の国王は同盟国ユラリア国王を招いて、親睦のために共に狩りをしました。その時、ユラリア国の国王からサファイア姫をユラリア国の第一王子の妃に迎えたいという話が出ましたが、我が国王アメジスト様はそれをお断りになりました。なにぶんにもサファイア様はまだ若すぎるという理由からですが、本心は、ユラリアの第一王子セザール様は残忍な方だという評判を聞いていたからです。申し出を断られたユラリア国王のマライスはその晩、アメジスト様を暗殺したのです。それと同時に、国境に待たせていた大軍がサントネージュとの国境を越えて侵入し、首都オパールに迫りました。国王を失っては、軍隊を統率することもままならず、王妃のルビー様はご自分の死を覚悟してこの私にお子様たちを逃すようにお命じになったのです」


「うう……どこに……行く?」


「タイラス国は我が国と縁戚関係にありますから、そこを頼ろうかと思ってます」


こんな見ず知らずの人間(いや、人間なのかどうかも分からないが)にすべてを打ち明けていいものかどうかと思わないでもなかったが、じぶんが信頼できると判断した人間には隠し事をしない方がいい、とフェードラは決心したのである。


「あなたはどうします?」


「分か……ら……ない。お前たち……と……行く……?」


ソフィは彼の首すじに飛びついて抱擁した。


「ありがとう。あなたが一緒に来てくれて嬉しい!」


ソフィは自分がこのようなあからさまな感情表現をしたことに自分で驚いた。彼女が受けたしつけには無い行動である。虎頭の男はこの無邪気な行動に戸惑いながらも嬉しそうだ。


「まあ、まあ、ソフィ様。でも、私も本当に嬉しいですわ。あなたのような強い人が一緒にいてくれるなら、何も怖いものはない、という気分です」


グエンは頷いた。べつに謙遜することもない。自分が馬鹿馬鹿しく強いことは、すでに確信していた。


 


何はともあれ、やるべき事ができたのは、自分にとってはいい事だろう。自分の正体については、今すぐには分かりそうもないから、当面はこの三人のお守りをしながら旅をし、この世についての知識をだんだんと増やしていくのが賢明なようだ、と眠りにつきながらグエンは考えた。眠りの中に沈みながら、ソフィが彼に抱きついた時の本当に嬉しそうな顔を最後に思い出し、彼は微笑を浮かべた。


 


 


第六章  セザールとグレゴリオ


 


「虎の頭をした男だと?」


セザール王子は報告を受けて眉根に皺を寄せた。年の頃20代後半の大兵肥満の男だが、顔は日焼けして精悍だ。顔の下半分は鬚に覆われていて、年よりもふけて見える。その目は小さく残忍な光がある。全体に、王子らしくもなく、熊か猪めいた野獣性を感じさせる男だ。


「それは仮面をかぶっているのか?」


「わかりません。宿屋の主人の言葉では、二日前に10歳くらいの女の子と8歳くらいの男の子を連れた夫婦ものが宿泊し、出がけにその男に男の子が抱きついた拍子に顔の包帯がはずれて、虎の顔が見えたということです」


「虎の仮面の上から、さらに包帯をするというのも理屈に合わんな。かといって、虎の頭をした男がこの世にいるなどとは聞いたこともない。まあ、神話の中には半人半獣という奴もいるにはいるが。で、そいつらはどこへ向かった?」


「東の方角ですから、タイラス国かと思われます。あるいはトゥーラン国かもしれません」


「ふむ。分かった。下がってよい」


東方面の報告を終え、間者は退出した。


続いて、捜索隊の隊長からの報告がある。


「最初の捜索隊の兵士たちの死体が見つかりました。20人全員です」


「すべて死体で見つかったのか?」


「はい」


「場所は?」


「サルガスの野の街道沿いの小川に皆、投げ込まれていました」


「サントネージュの残党がまだあちこちに残っているというわけだな。オパールの町の兵士や将校は皆処刑したはずだな?」


「はっ」


「だが、庶民に身を変えているとも考えられる。ならば町の成年男子は皆殺しにするしかあるまい」


「しかし、それは……」


「何だ?」


「いえ、何でもありません」


「不服そうだな。だが、お前らの仲間が20人も殺されたのだぞ。これもサントネージュの残党がこの世にいるからだ」


「兄者」


と声を掛けたのは、窓の傍に立って室内のことには興味もなさそうに外を眺めていた男である。こちらはセザールの弟だろうが、兄とはまったく似ていない。おそらく母親が違うのだろう。中背で細身、白皙の顔に長い黒髪がかかっている。美男と言ってもいい容貌だが、兄と同様にその灰色の瞳にはどこか冷酷なものがある。窓から室内に向き直って、上座の椅子に座っているセザールに言う。


「敵国の男どもとはいえ、奴隷として使えば貴重な労働力です。むだに殺すことには賛成しかねますな」


「俺の言葉に逆らう気か、グレゴリオ?」


威圧するようなセザールの言葉に、グレゴリオと呼ばれた男は平然として答える。


「べつにあんたは王ではない。たまたまオパール総督を命じられただけのことだ。俺の主君でもない」


「ほう、その言葉、覚えておくがいい。俺が王位についた後、俺に膝まづいて俺の靴を舐めることになるぞ」


「そうなるのがあんたでないとも限らないがな」


セザールは立ち上がって剣を抜いた。


「ならば、今、決めてやろう。剣を抜け」


「御免こうむる。ゴリラ相手に力で勝負をする気はない」


「腰抜けめ」


セザールは床に唾を吐いた。


「それよりも、早くしないとサファイア姫とダイヤ王子が国外に脱出するぞ」


「国境は兵士たちに固めさせてある。それに、あんな子供たちが逃げたところで大した問題ではない」


「子供はいつまでも子供ではないさ」


「1万人にも足らぬ軍勢に首都を奪われるような腰抜け国の王子や姫に何ができる」


「俺は、その虎の頭をした男が気になるな。もしかしたら、その男が追跡隊20人を殺したのかもしれんぞ」


「馬鹿な! いかに豪勇無双な人間でも一人で20人が倒せるものか」


「一人でではないだろうが、もしもサントネージュ王妃から遺児を託された人間なら、相当の勇士だろう。会ってみたいものだな」


「そのうち、首だけになったそいつと対面させてやるさ。おい、いつまでそこにいる。さっさとその虎頭の男と一緒だという大人の女、女の子、男の子の4人連れをとっつかまえて来い。キダムの村から東の方面だ。抵抗するなら大人は殺してかまわん」


怒鳴りつけられて捜索隊隊長は飛び上がり、一礼して出て行った。


部下からの報告を受ける用が済んだので、セザールも謁見室となっているこの部屋から出て行った。おそらく食堂に酒を飲みに行ったのだろう。自分の居室で飲むよりも台所や食堂で飲むのが手っ取り早いというわけだ。


グレゴリオは窓辺にまだ立っていた。


 


「グレゴリオ様……」


声をかけられて振り向くと、予期した顔がそこにあった。


「何だ。ナルシス卿」


「もしも捜索隊が首尾よくサファイア姫を捕まえることができましたら、サファイア姫を私にいただきたいのですが」


「もらってどうする」


「妻にいたします」


「まだ十歳だと聞いているぞ」


「もちろん、結婚はまだ先のことですが」


「先物買いか。将来それほどの美人になる見込みがあるわけかな」


「はあ。まあ、そういうわけで」


「お前が国を裏切って、アメジスト国王暗殺の手引きをしたと知ったら、サファイア姫はお前をどう思うかな」


「それも一興でしょう。愛し合うばかりが夫婦ではないでしょうから」


「そういう退廃的な趣味は俺には分らん。まあ、サファイアをどうするかは、俺ではなく、あのゴリラの一存だろう。幸い、あのゴリラはデブの女が好きで、子供には興味はない」


「では、よしなに」


ナルシス卿と呼ばれた男は一礼して去った。


グレゴリオはこれまでサファイア姫には何の関心もなかったが、今の会話で少し興味が湧いてきたようである。

 

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ワクチン推進派のモラルレベル

これをツィートした人間のプロフィールを見ると医者らしい。
ワクチン推進のためなら人殺しでもやりそうだ。

(以下引用)


内海聡の反医療・反ワクチン陰謀論の新著が日本の Amazon で書籍部門のベストセラー1位になっているのをどうにかしてほしいとアメリカの Amazon に訴えたところ、即日リストから削除され日本版 Amazon でも取り扱いが消えました!!日本もまだ見捨てられてなかったんだ号泣握った手キラキラ

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ワクチン副反応の治療費は自己負担

特に引用先は示す必要は無いだろう。ただの、ワクチン接種の通知である。しかし、赤字部分をきちんと読んでいない人も多いだろうから、拡散のため転載する。
なお、死んでも、あるいは重篤な障害が起こっても、ワクチン接種との因果関係が認められることは絶対に無いし、当然、何の補償も無い。

(以下引用)

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醜悪な事大主義に汚染されたネット世界

「日経ビジネス」から小田嶋師(新コロ関係以外では「師」である)のブログの後半を転載。
さすがに卓抜な着眼というか、指摘である。自分に降りかかった膨大な悪口ツィートを見事に分析し、そこから現代社会の精神的病症を現前化している。
なお、小田嶋師に批判リプライや批判的RTを寄越した人間は自民党工作員が大半だとは思うが、本気で書いている精神的奇形児もけっこういるかもしれない。つまり、事大主義がもはや当人のアイデンティティになっている人間がかなりいるのではないか。
昔から「弱きを助け、強きを挫く」が正義の味方だったのだが、今は強き(権力の座にいる悪党)を助け、弱き(不正によって苦しむ人々)を挫(くじ)くという下種が大増殖し、当人たちはそれが恥ずかしいとも思わないわけだ。

(以下引用)一部を除き、赤字と太字は夢人による強調。


『はらぺこあおむし』をめぐる騒動が起こる2日前、私は、
《大阪にある日本一の高層ビルは「あべのハルカス」という名前だったのだな。春も終わったことだし、そろそろ「あべのカス」に名称変更したらどうだろうか。午後1:05 - 2021年6月7日》


 という不出来なパロディまがいを発信した。


 これに対する反応がなかなかビビッドだった。
 6月17日の正午現在で、直接の返信(リプライ)が268件、引用付きRTが398件届いている。ざっと見て、内容的には8割が単純罵倒だ。つまり、500件ほどの罵詈雑言が押し寄せた勘定になる。


 興味深いのはそれらの返信の内容だ。
 一番多いのは
「おもんない」
 というごく単純な感想だ。
 たぶん、これだけで6割くらいになる。
 これに
「センスない」
「面白いつもりなのか?」
「こういうネタを書いて得意になってる自分がみじめにならないのか?」
 といった感じのツッコミが続く。
 ほかには、
「ハルカスは春ではない。晴れるの意味だぞ。知らないのか」
「春が終わったら夏やろ」
 式の理詰めの指摘や、
「阿倍野への地域差別なので通報しました」
「全大阪人を敵にまわしたな」
「近鉄に訴えられろ」
「近鉄本社にスクショ送っといたで」
 という感じの恫喝が合わせて3割ほどあった。


 意外だったのは
「安倍さんに失礼じゃないか」
 という反論がほぼ見当たらなかったことだ。
 書き手が暗示したそのままの読解に従って反応するのは、狙い通りすぎて不愉快だということなのかもしれない。


 印象深いのは、
「おもんない」
 という方言が、この分野では標準の言い方になっていることだ。
 もうひとつ、笑いについてやたらと
「センス」
 という言葉を持ち出したがる人々の存在も強く感じた。
 彼らにとって
「お笑い」
 は、そんなにごたいそうなものなのだろうか。


 結論を述べるなら、私の「あべのハルカス」ネタは、たいして出来の良いパロディではなかった。このことは、私自身、よくわかっている。
 しかし、問題は、単体のネタの出来不出来ではない。
 私が憂慮せずにいられないのは、風刺、パロディのみならず、批判的な言説一般が、ひとっからげに全否定されつつある21世紀のこの国の空気だ。
 おそろしいことに、私たちが暮らしているこの国では、どんな対象へのどんなタイプの言説であれ、「批判的」なスタンスから発言される言葉が、批判的であるというそのことを理由に総攻撃の対象になっている。


 というのも、誰かをケナしたり、何かを批判したりするものの言い方は、内容がどうあれ、人として発言する際のマナーとして、根本的に
「失礼」
 で、
「下品」
 であると、即断されて、二度と顧みられないからだ。


 「あいちトリエンナーレ」への、集団リンチの帰趨を昨年からの時系列で振り返ってみれば明らかな通り、21世紀のインターネットは、モグラ叩きみたいな調子で特定の対象を攻撃する際の自在な足場として機能している。


 ここで重要なのは、リンチの被害者が特定少数の個人である一方で、リンチを主導しそれに参加しているのが不特定多数の匿名の顔無しである点だ。
 要するに、危険に晒されているのは、むしろ批判者の側なのだ。


 オールドメディア経由で発信される批判的言説は、それをネットメディア経由で受け取る無料購読者によって袋叩きにされる。
 一方、リアルな社会で暮らす特定の個人による実名での批判は、ネット上に蟠踞する不特定多数の匿名のネット民によるバーチャルな手段を通じたリンチの対象になる。
 つまり2つの異なった次元において、「批判的言説」および「批評的知性」は無効化されつつあるわけだ。


 このことは、上位者への批判としての「風刺」がリンチの対象となる一方で、下位者への攻撃である「イジり」が、「お笑い」として共有されている現状をそのまま反映しているのだと思っている。


 不愉快な結論になった。
 こういう時にこそ、パロディが必要なのだが、自己パロディほどみじめなものはないので自粛しておく。
 来週はもう少し体調が良くなっていると思う。そうなればこっちのものだ。
 また来週。


(文・イラスト/小田嶋 隆)

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一夫多妻はフェミニズム的にどうか

「紙屋研究所」記事を省略無しで載せる。少し古い記事だが、女性から見て、特にフェミニズム的な視点で見てどうなのだろうか。
なお、「乙嫁語り」の中でこの話の登場人物はこの回しか出てこなかった気がする。私の印象では「一夫多妻でも、妻同志がレズなら、それはそれで楽しいんじゃね?」という話に読めてしまったwww
なお、シーリーンは豊満な美女、言葉を換えればやや肥満型で、食うのが好きでボウっとした女性で、軽い知的障碍者に見え、アニスが彼女のどこに惚れたのか私には理解しがたかった。単に体に惚れたのかもしれない。

(以下引用)

『乙嫁語り』7巻


またもし、おまえたちが孤児に対して公正にできないことを恐れるなら、女性でおまえたちに良いものを、二人、三人、四人娶れ。それでもし、おまえたちが公平にできないことを恐れるならば、一人、またはおまえたちの右手が所有するものを*1。それがお前たちが規を越えないことにより近い。(中田考監修『日亜対訳クルアーン』p.107)


乙嫁語り 7巻 (ビームコミックス) 19世紀の中央アジアを、現実的・歴史的根拠をもとにフィクションで描く森薫乙嫁語り』は、7巻でイスラームの「一夫多妻」をテーマにする。
 アニスは富豪の嫁である。



「奥様は本当にお幸せでございますね」
「そう?」
「そうですとも 何不自由なくお暮らしですし
 こうして男のお子様にも恵まれて
 旦那様だって これだけのお家なら
 もう2・3人 奥方をお持ちに
 なってもよろしいのに
 奥様ひとすじで ございますからねえ」


というのがアニスのデフォルトである。夫はグラフィックからしていかにも優男。草食系男子。
 アニスは森薫が「今回絵柄も少し変えてみました」(あとがきマンガ)と言っているように、はじめ森のキャラクターとは思えなかった。痩身で、関節がクネクネしている。夫が彼女を「柳」にたとえるが、髪と服が風にたなびく様と、ほそ〜い腕と脚が強調して描かれるので、本当に「柳」という印象を与える。そして、薄い胸!
 瞳がトーンで淡く描かれ、眠そうで、いつも深窓にいる姿は、アニスから一切の生活感を剥奪している。この世のことを知らないお姫様、みたいな感じがぽわぽわと溢れ出ている。あー、もちろん夫がいるし、裸でピロウトークしている様子は出てくるので、「おぼこ」というわけではないのだが。


 何不自由なく暮らしているはずなのに、どこかもの足りない、というか根拠のわからない疎外感を抱いたアニスは、侍女に「姉妹妻」を持つようにすすめられる。森によれば姉妹妻は「縁組姉妹」であり、生涯仲よく、そして支え合う「女性同士の結婚」ともいうべきもので、17〜19世紀のころまで現実に存在した制度だという。
 確認できるような資料を持たないので森の説明によるしかないのだが、それを読んでのぼくの受け止めは、親密な女性の友人を契約(縁組)によって確実にしあうものといったところ。こちらのブログで指摘があるように、戦前の女学生の「エス」を想起させる。




以下ネタバレがあります


 侍女にすすめられて出かけた公衆浴場で、アニスはシーリーンという女性にひとめ惚れしてしまい、姉妹妻となる。
 姉妹妻となったとたんに、シーリーンの夫が卒中とおぼしき症状で急死し、貧困の渕にあるシーリーンおよびその亡夫の義父母はたちまち生活困窮の危機にさらされるのだ。


まさかシーリーン
わたしらを置いて 出て行くのかい!?
息子が こんなことになって
お前にまで 出て行かれたら 
わたしらもう 物乞いになるしか ないよ
後生だよ シーリーン
行かないで おくれよ 頼むよ


とすがりつくのはシーリーンの義母である。20歳をこえて子連れでの再婚の困難にその場にいた皆が溜息をつく。
 姉妹妻としてシーリーンを支えると誓ったばかりのアニスの悩みようは推して知るべしである。
 彼女の苦悩の果ての提案は、21世紀の日本に住むぼくらにとっては驚くべきものであった。アニスは思い悩んだあげく、自分の夫に、シーリーンをもう一人の妻にしてもらえないかと頼むのだ。




 夫の承諾を得て、シーリーンはふたりめの妻として迎えられる。
 シーリーンの義父母には別宅が与えられ、義父母たちも信じられないというような顔をしてその巡り合わせに感謝する。
 この巻のラストは、庭園の池の前で親密に、そして幸せそうに話しあうアニスとシーリーンを、白っぽい、花を背負わせた画面になっている。いかにも昔風の、泥臭い現実感を削いだ少女マンガの幸福を示されたような思いで読む。




 というのよりもさらに粗い粗筋だけを聞いたつれあいは、「うへえ、なにそれ」と顔をしかめた。
 一夫多妻(ポリジニー)というのは、現代の日本女性の感覚からすれば悪夢でしかない。
 にもかかわらず、森薫の手にかかれば、それが極上の幸せのようにして提示されるのである。まことに不思議というか、創作の力である。
 森が描いている一夫多妻は、イスラームにおける一夫多妻の原理を厳格に、それゆえに最も公正な形で適用したものだといえる。
 冒頭に引用した『クルアーン』にもあるように「おまえたちが孤児に対して公正にできないことを恐れるなら」というのが複数の妻を娶るさいの目的とされている。つまり、夫の死によって貧窮にさらされている孤児を救うことがこの「一夫多妻」の許容の目的だというわけである。
 これは、イスラームの一夫多妻に関する「誤解」を解こうとする解説本の多くに登場する説明である。



一夫多妻を認定する啓示が下された経緯については、当時の社会的背景を知る必要がある。すなわち当時、オホドの戦役において、700人のムスリム軍の中から74名の戦死者を出し、多くの孤児と未亡人を生じた。これらの救済はウンマ共同体の直面する困難な社会問題となっていた。多妻主義の啓示はこのような共同体の窮状を救うためにいわば緊急措置として下されたものであり、これによって多くの孤児と未亡人が路頭に迷うことを免れたのである。(安倍治夫『FOR BEGINNERS イスラム教』p.78)



このところ〔『クルアーン』の該当部分――引用者注〕をきちんと読むと、重婚は、「孤児に対して公正にできないことを恐れるなら」という条件が前にあるため、野放図な性欲のために複数の妻を持ってよいと言っているのではないことが分かります。戦災などで父を失った孤児を持つ母親が路頭に迷うことのないように重婚を承認しているのです。(内藤正典イスラム戦争』p.143)



まず初めにこの啓示はウフドの戦いの直後に顕われたものであり、戦闘の結果マホメットの周囲に多数の寡婦と孤児が生じてしまった。その救済の手段として提示されたのが、この示唆である。〔…中略…〕原則は一人妻、困難な社会情況に対するセーフティネットとして多妻を許す啓示があった、というのが標準的な解釈である。(阿刀田高コーランを知っていますか』p.230)


 マルキストである浜林正夫はもっと控えめに書いている。


多妻制が孤児との関連で説かれているのはどういうわけなのかよくわかりませんが、六二五年にムハンマドはメッカの軍隊と戦って敗北し、多数の未亡人と孤児が出たので、その救済のために未亡人との結婚をすすめたという説もあります。(浜林『これならわかるキリスト教イスラム教の歴史Q&A』p.52)


 アニスの夫は、この『クルアーン』解釈に厳密に則っている。*2
 「孤児救済」というのが目的であるというのはまず適合しているし、「公平にできないことを恐れるならば」とあるように、多妻できる夫はすべての妻に「公平」に接することができることが原則である。「第一夫人」「第二夫人」という呼び名は正しくない! と言われるゆえんであるが、アニスの夫は作中で


公平に接することができるのであれば
妻は4人まで持てます



「しかし 妻が4人もいて うまくいくとは
 私には 想像もつかない 話です」
「ですから 公平に接する というのが 大事なのですよ」


という『クルアーン』解釈と思しきものを調査旅行中の西洋研究者に披露している。そして、アニスの夫がこれまで別の妻を持たなかったのは、アニスを愛していたからであって、それで十分であるとともに、アニスの気持ちを害することを恐れていたからだという告白をしている。
 つまり、本来の愛はアニスにしかむけられておらず、シーリーンを娶ることは孤児救済のための方便なのだというエクスキューズが本作にはくり返し入る。


 現実のイスラム社会では、この『クルアーン』を口実にして「野放図な性欲のために複数の妻」を持つ例もあったようで、阿刀田は


時が移りイスラム社会が多様化すると蓄妾的な傾向があらわな〔寡婦救済とはちがう〕一夫多妻制も現実に見られたりして、きれいごとだけでは片づけられない側面が、なきにしもあらず。(阿刀田同前p.230)



と述べているし、森薫が描いている作中でも、アニスのまわりの富豪では、単なる多情のために妾をたくさんもっている家が当たり前であることがほのめかされている。
 だからこそ、『クルアーン』に記された啓示の通りに実践したアニスの夫の「良さ」が浮かび上がる。
 アニスは臥所で、夫に対して


…………あなたは 素晴らしいひとだわ


私 あなたの事を本当に尊敬しているの
あなたが夫で 幸せだわ


私 やっと わかったわ
あなたみたいな ひとと
結婚できて 本当に 幸せ なんだわ


真顔の大ゴマでつぶやく。
 自分以外のもう一人の妻を娶ったことを、妻が心の底から感謝し、これでもかと深い尊敬と幸福の吐露をくれるんだぜ! そしてそれを説得的に描こうとする、この森薫の野心!


 アニスの夫の草食男子的描写は、おそらく森薫を愛好しているであろう女性、そしてぼくのようなヒョロヒョロ文系エセインテリの好みに適っている。アニスだけを本当は愛し、シーリーンを娶る必然を整然と『クルアーン』的厳密解釈で述べるという知的っぷり。




 まだ「多妻のすすめ」をアニスに聞かされる前に、アニスの夫がシーリーンの不幸を聞かされたとき、無関心というわけでもないし、逆にことさら痛ましがるふうでもない。


生き死には 神の御心だ
人に できることは それほど多くない


と少し哀しげな顔でいうのも、(伝え聞くかぎりでの)イスラム的である。よく冗談ごかしてイスラムの人とつきあうと遅刻してきても「インシャラー(神の御心のままに)」と言うとされるが、イスラームを擁護する立場からすれば、自分の運命や環境は小賢しい人為でどうにかなるものではなく、あらゆることが「インシャラー」なのだと。




 ちょっと見方を変えると、貧乳の美人と、肉感的で豊満な美女を二人も嫁にできて、しかもそれは体裁としては貧者救済であって社会の尊敬を集め、妻からも1グラムの嫉妬も引き起こさずに敬意と一層深い幸せを引き出しているんだから、21世紀の現代日本男性からみると逆にウハウハのような気がする。
 全体におっぱいの描写が多いのと、百合っぽい画面・展開からして、まあ十分にこの作品は、エロチックに機能していると思うよ。
 個人的に好きです。アニス。ええ。




 阿刀田高は、『コーランを知っていますか』の中で、『クルアーン』に示された女性像について、夏目漱石の『こころ』を「女性蔑視文学」と批判されたときのことを書いている。
 『こころ』に出てくる「先生」というのは、妻に愛情を示しているようではあるけども、それを21世紀の日本の女性からみると上から目線の「いたわり」「あわれみ」にすぎない、しょせん明治の男の限界ではないかという批判である。
 阿刀田はこの批判を紹介しながら、『クルアーン』に直接示された女性観は、まあ、現代の西洋的基準からすると確かにツッコミどころ満載なのだが、当時としては十分に進歩的だったんじゃねえのという旨の意見をのべている。


横暴で粗野な男よりはずっとましではあるけれど、時代が二十一世紀まで進んでは、このビヘイビアは根元において女性をきちんと認めていない、と言われても仕方ない。(阿刀田前掲p.235)


 森の描き方は、孤児救済の側面をとにかく前面に出し、しかも夫の「アニス一筋」&まじめぶりを強調することで、この「遅れ」「今ひとつ」感を無くしてしまっているのがすごいと思う。女性が読むとどうなのかは知らないけど。





ハレ婚。(1) (ヤンマガKCスペシャル) ところで一夫多妻といえば、NONの『ハレ婚。』。
 結婚していることを知らされずに騙されて主人公が、不倫はこりごりだと思って帰郷してみると、郷里は重婚を認める特区に指定されていたというとんでもない設定で、現代に「一夫多妻」を描こうとしている。
 まだ2巻までなので結末がどういう展開になるのかわからないが、前作『デリバリーシンデレラ』ではデリヘルを福祉職とダブらせながらセックスワークを挑戦的に「正当化」していた。どちらも前提としては「一夫一婦を永久に続けるってなんかおかしくないか?」という問いがある。男の都合っぽくはあるんだけど。
 『乙嫁語り』で示された以上の「一夫多妻」の「説得性」を示せるかどうか注目している。




 ちなみに、現代のイスラム圏では、一夫多妻制は国によって制度事情が異なるが禁止、例外規定のみ、現実にはほとんど無理、というのが実情のようである。


2人目との結婚…「実はかなり難しい」:日経ビジネスオンライン 2人目との結婚…「実はかなり難しい」:日経ビジネスオンライン


*1:女奴隷のこと。


*2:森の作品には設定がイスラームであることの言及は直接にはどこにもない。


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タイガー! タイガー! (2)






 


第三章  殺戮


 


「このおじちゃん、裸だ」


ダイヤは、いや、今はダンという名になっているが、まだ8歳の子供らしく、相手の頭が虎であることよりも、相手がまっぱだかであることにまず興味が向いたらしく、そう言った。


ソフィ、つまりサファイヤは、顔を赤くして横を向いた。さすがに大人の男の裸を正視する勇気は無いし、品高い育ちの彼女にはそういうはしたなさも無い。


「うう……」


頭が虎の男はそう唸った。


「お願いです。どうか静かにしてください。ダン、ソフィ、あなたたちも声を立ててはいけません」


 


しかし、森や林の無い野原の街道を行く三人連れの姿は、獲物を追う追手たちの視界にすでに入っていた。


騎馬軍勢は馬の足音の地響きを立てながら街道から駆け降り、奇妙な遭遇をした4人の所に殺到し、その前に馬を止めた。その数は20名前後だろうか。


 


「サントネージュ国王女のサファイアとダイヤ王子だな。もはや逃れるところは無いぞ。大人しく捕まるがよい。そうすれば、死罪にだけはならずに済むだろう」


盤広で髭面の、下品な赤ら顔をした隊長らしい男が唇をゆがめるような笑いを浮かべて言った。言いながら、相手の二人の女(一人はまだ子供だが)を値踏みするような好色な目で見ている。(ほほう、これは上物だ)と言う無言の声がその表情に出ている。


「誰が大人しくつかまるものか」


フォックスは剣を抜いた。


「愚かな。こちらは20人もの軍勢だぞ。お前一人で何ができる。それともそこの妙な虎の仮面をつけた裸の男が加勢をするとでもいうのか。その男は剣さえも持っていないではないか」


「私一人でも十分だ。かなわぬまでも、お前たちのうち何人かは地獄の道連れにしてやる。さあ、かかってこい!」


フォックスは剣を構えようとした。その瞬間、あっと言う間にその剣が手からすべり抜けていた。


「何をする!」


彼女の手から剣を奪ったのは虎頭の男だった。


「お前はユラリア国の廻し物だったのか!」


虎頭は彼女の前を通って敵勢に向かって進み出たが、その時に彼女を振り返って見た。


虎が笑うということがあるなら、その顔は確かに笑い顔だった。


(虎が笑うところを初めて見た)フォックスは変に呑気な気分でそう考えた。


 


太陽はいっそう斜めに傾いて、影が深くなっている。


その夕方の光の中で全裸の大男が剣を持って立っている姿は異様なものだったが、しかもその頭が虎の頭であるのだから、世にこれほど奇妙な見物はない。


その大男のたくましい裸体は、油を注いだように夕日に輝いて、まるで古代の神々の姿のようだが、その頭は虎そのものである。そして、それがまた神話的な壮麗さを彼の姿に与えていた。


男はゆったりと剣を下げて、何の闘気も見せずにのっそりと立っているだけだが、敵の兵士たちはその姿に威圧されていた。


(美しい)


フォックスは、思わずその姿に見とれていた。


ソフィとダンは互いの手を握って抱きあい、固唾を呑んで、成り行きを見守った。


相手が抵抗する気だと見て取って、追手たちは馬から下りて剣を抜いた。少なくとも、体格だけで言えば、この虎頭の男は容易ならぬ力がありそうだ。


 


20人の人数を前にしても、この虎頭の男には何の恐怖も無いようだった。まあ、虎の顔では恐怖の表わしようもないだろうが、少なくとも、その動きは落ち着き払ったものだった。


「ええーいっ!」


敵勢の一人が気合を掛けながら斬ってかかった。その剣先を無造作にかわして、虎頭男の剣がひらめいた。兵士の頭が斬り飛ばされて宙に舞う。


続いて攻めかかった兵士も同様に頭を斬り飛ばされる。そして三人目も。頭を斬り飛ばすことにこだわるのは、相手兵士たちの鎧で剣を痛めないためだろうか。それにしても、一瞬のうちに頭だけを狙い、それを成功させるのは容易ではないだろう。


追手の軍勢は、相手の恐るべき剣の技量に恐怖心を感じ始めていた。


「ええい、同時にかかれ!」


隊長の下知に従って、兵士たちの中の3名が頷いてタイミングを計り、同時に斬りかかる。しかし、その一番右側の兵士の横を駆け抜けながら、虎頭男の剣はその兵士の頭を斬り飛ばし、次の瞬間には残る二人も、一人は胴を水平に斬られ、もう一人は肩から袈裟掛けに斬り下ろされて地面に倒れた。


「次、行け!」


次の3人も同じようなものであった。


これほど巨大な体格をしていながら、その動きはまさに虎のように柔軟で、虎のように速かった。速さのレベルが三段階ほど違うのである。これだけの人数を倒しながら、息一つ切らしてもいない。


「ええい、弓だ、弓で射ろ!」


兵士たちの背後に控えていた数名が弓を構えて引き絞ろうとした。


その瞬間、風が巻き起こった。いや、虎頭男が疾風のように兵士の群れに向って殺到したのである。


大殺戮であった。しかも、その殺戮はほぼ一瞬であった。見ていたフォックスの目には、ただ黒い嵐のような物が兵士たちの間を吹きぬけたように見えた。


数秒後、地上には20個の死体が転がっていた。


 


夕日の中に血刀を下げて静かに立つ虎頭の全裸の男の姿は恐ろしく、また、奇妙な美しさがあった。フォックスは恍惚となってこの殺戮の後の静謐な絵図を眺めていた。


 


 


第四章  旅の道連れ


 


「有難うございました。あなたがいなかったら、我々はきっと捕らえられていたでしょう」


そう礼を言いながら、フォックスは目のやり場に困っていた。相手の股間にどうしても目が行ってしまうのである。


「うう…」


虎頭男は、言葉を絞り出そうとしているようだ。


唖なのだろうか、とフォックスは考えた。


「どうも有難うございました」


思いがけずソフィがそう言ったので、フォックスは驚いた。この王女と身近に話すようになったのは二日前からだが、こういう高貴なお方たちは他人の奉仕に礼など言わないものだという思い込みが彼女にはあったからである。


「有難う。おじちゃん」


ダンも姉を見習って言った。


「その頭、お面?」


子供らしい遠慮無さでダンがそう聞く。


「うう……」


「お面なら、外せばいいのに。不便でしょう?」


男は悲しげに首を横に振った。


「外せないの?」


今度は頷く。


「そう、可哀そうだね。でも、すごくカッコいいよ、その頭」


ダンの言葉に、男の虎の顔にまた笑顔のようなかすかな表情が浮かんだ。


「とにかく、今はここをできるだけ早く離れましょう。次の追手が来るかもしれませんから」


男はあたりに転がった兵士の死体の間を歩いて、その一つの服を脱がし、それを着た。中に大柄な兵士がいたらしく、それが着られたようだ。フォックスに「借りた」剣を返し、地面に転がっている剣の一つを拾い、剣帯についた鞘に抜き身を差し込む。


「あっ、そうだ」


フォックスは、死体の懐を探し、財布を集めた。


「近衛隊隊員のフォックスが泥棒をするほど落ちぶれたと笑われそうだけど、今は変にプライドを持っていられる場合じゃないわ」


一番大きい財布に、かき集めた金を全部まとめて入れる。


「あなたも私たちと一緒に来たらどうかしら。ここにいると、さすがに他の兵士たちに追われることになると思うから」


虎頭の男は小首を傾げて少し考えたが、うなずいた。


「わあい、虎頭のおじちゃんも一緒だ。嬉しいな。こんな強い騎士は王宮にもいなかったよ」


「でも、いいんでしょうか。私たちは追われる身だし、かえってこの方にはご迷惑では?」


「さあ、それは本人の判断だけど、私たちにとっては、この人が一緒なら、こんなに心強いことは無いわね。少なくとも、私の知っているどの騎士にも、これほどの強さを持った人はいなかったことは確かね」


「ご一緒してもらえれば、こんなに嬉しいことは無いんですが」


ソフィの言葉に、虎頭の男は軽く頷いた。その顔は、なぜか笑顔に見える。


フォックスは虎頭の男に手伝ってもらい、兵士たちの死体を川に投げ込んだ。少なくとも、陸上にあるよりは発見に時間がかかるだろう。このあたりがフォックスのフォックスたる所以である。


追手の兵士たちの乗っていた馬が何匹か、近くで草を食んでいたので、それを捕まえて乗ることにする。


 


日はほとんど地平線に沈みかかっていた。


持っていた水筒代わりの革袋に小川から水を汲み、所持していたパンとチーズを食べると、4人は日の暮れた街道を馬に乗って出発した。馬は二頭で、虎頭の男の前にダンが乗り、フォックスの前にはソフィが乗る。馬を並べて歩ませる。


「ねえ、おじちゃんの名前は何と言うの?」


「うう……」


「だめよ、ダイヤ、いえ、ダン、おじちゃんはお口が不自由なの」


「うう……グ、グエン、……」


「あら? 今、グエンって言った? 言葉は話せるようね。少し口は回らないようだけど、唖というわけではないみたいね。では、あなたの名前はグエンということでいいかしら」


フォックスの言葉に虎頭男は頷いた。どこからそのグエンという名前が心に現れたのか、いぶかしみながら。


 


「疲れたア……ぼく、もうお尻が痛くて乗っていられないよ」


やがてダンが音を上げた。


「だめよ、ダン、もう少し頑張りなさい。できるだけ遠くまで行かないと」


「いえ、ソフィ、私の考えでは、このグエンがいる限り、多少の追手がまた現われても大丈夫だという気がします。今、頑張りすぎると、これからの旅がつらくなりますから、今夜はこの近くで泊まりましょう」


ちょうど、数百マートル先に宿場町の明かりらしいものがあるのを見つけ、フォックスは言った。


「あ、グエンさん、私の名前はフローラということにしておいてください。ソフィとダンもそう呼ぶのよ」


「フローラだって。変なの。まるで女の子の名前みたいだ」


「私は女ですよ。これでも子供の頃は可愛い娘だと言われていたんですから」


「嘘だい。こんなに真っ黒に日焼けしているくせに」


「うるさいわね。私はあなたのお姉さん、ということになっているのだから、うるさく言うとお尻をぶちますよ」


「ダン、言うことを聞くの」


「はあい」


 




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タイガー! タイガー! (1)

別ブログに載せてあった未完の作品だが、今読むとわりと面白いので、ここにも載せておく。一番私が「グイン・サーガ」の中で好きなのが、「グインのふりをするグイン」の話なので、そこに相当する部分を書いたら、興味が薄れたのである。たぶん、続きを書くことは無いと思うが、二次創作のわりには設定は悪くないと思うので、興味を持った人がいたら、誰でもこの設定を使用していい。

(以下自己引用)17章くらいまで書いたと思う。掲載は1章だけだったり2章一緒だったりする。





「タイガー! タイガー!」  *『グイン・サーガ』の主題による変奏。


 


初めに


 


この小説は、栗本薫の大作『グイン・サーガ』のファンではあるが、その冗長な部分やセンチメンタルな部分、あるいは作者の一部の作中人物への偏愛ぶりにはいささか批判的な筆者が、『グイン・サーガ』の発想と一部のコンセプトを利用して作った作品である。一部の作中人物の変更には悪意も少々あるが、それ以外にはべつに原作をからかうような意図はないからパロディではなく、ただの二次創作である。


作中のさまざまな部分で原作に負う部分は多いが、原作では重視されているSF的部分はほとんどカットされ、魔術もその内容を変えてある。また、「新しい世界の創造」という点も、『グイン・サーガ』で達成されているので、それも重視していない。ただ一つ、「未知の場所から来た、獣の頭を持った主人公」というコンセプトと、一部登場人物の類似性だけが、原作と重なる部分である。原作では一つ一つの物産の名称まで特有の名前を与えているが、筆者はそんな面倒なことはしない。蜜柑は蜜柑でいいし、リンゴはリンゴでいい。馬も牛も猫もネズミも同様だ。いちいちトルク(鼠)、ガーガー(鴉)などと書く必要性は私には無い。「新世界の創造神」になる野望は無いからだ。


作品の設定は、この地球の中世初期、まあ西暦900年頃と思ってもらいたい。ただし、実際の歴史とはまったく無関係の騎士物語系統の異世界ファンタジーである。したがって、地名も国名も架空のものである。人物名などは英語系統の名前やらフランス語系統の名前、スペイン語系統の名前などが入り混じって、かなりいい加減だが、度量衡は現実を連想させる名称にしてある。たとえば10ピロと言えば、距離の10キロメートル、重さの10キログラムである。もちろん、中世にはメートル法は存在しないが、現代の人間に想像しやすくするための便宜である。金の単位も架空のもので、黄金100グラムが1マニ、その100分の1が1ミニで、1マニが庶民の1週間くらいの生活費になると思えばよい。作者自身がその設定を忘れなければの話だが。


言葉については、いくつかの国が出てはくるが、すべて共通の言葉が用いられ、ただその訛りや語彙の一部で時には人物の素性が分かるという程度である。人種の区別も無い。せいぜいが、北方の民族は金髪が多く、南方の民族は黒髪が多いという程度である。


作中人物の名前もいい加減で、宝石名を使ったため、サファイア姫などと『リボンの騎士』みたいな名前も出てくる。だが、それは後からソフィという名になるので、気にしないように。


 


 


第一章  覚醒


 


 


目覚めた時は真昼だった。頭上に高く太陽が輝き、彼をじりじりと焼いている。喉が渇く。体中に汗がにじむのが分かる。


彼は眼をすぼめて、太陽の光から眼を守った。自分の体がなぜこの地面に横たわっているのかわからない。しかし、体に異常は無さそうだ。


彼はゆっくりと体を起こしてみた。どこにも痛みは無い。ただ、喉の渇きは耐えがたい。


彼の横たわっていたのは柔らかく短い草の生えた地面である。


なぜ自分はここに寝ていたのだろう、と考えて、次の瞬間、「自分は誰だ」という問いが突然に心に生じ、彼は恐慌に陥った。


まったく自分についての記憶が無い。だが、言葉そのものの記憶が無いわけではない。空、地面、草、そして風、日光などといった言葉は、彼があたりを見回すにつれて次々に心に生まれる。季節……今はおそらく春の終わりか初夏だろう。暑いが、真夏の暑さではない。


 


だが、それにしても喉が渇いた。


彼は水を探す決心をして立ち上がった。それで、自分の背が高いことが分かった。かつての自分についての記憶は無いのに、自分の身長が他の「人間」にくらべて高いというかすかな記憶が蘇ったのである。


彼は裸だった。下帯さえもはいていない。激しい羞恥心が心に生まれたが、あきらめて歩き出す。自分の足や体を上から眺めた限りでは、彼は相当にたくましい体格の男であるようだ。しかも、すべてが見事な筋肉に包まれて、どこにも無駄な肉はない。股間を見て、彼はまた羞恥心を感じた。


裸であることを恥ずかしいと思うような文化の中に自分はいたのだという考えが生じる。


 


少し傾斜した地面を下に下にと降りていくと、小さな木の茂みと小川のせせらぎがあった。


彼はほっと安心して、その川に身をかがめ、両手で水をすくって飲んだ。


何という美味さだろう。喉を下りて行く清涼な水の爽快感。たちまちに癒えて行く喉の渇き。体全体に回復してくる気力と生命感。


彼は木陰を渡るそよ風に体を吹かれながら、生き返ったような感動を味わっていた。


もう喉の渇きは止まっていたが、水の美味さをもう一度味わうために彼は両手で水をすくった。その時、心に何かの違和感が起こった。先ほど、水を飲んだ時、なぜあんなに飲みづらかったのか。両手にすくった水に顔を近づける。その時、彼の眼は、自分の眼の下に突起した物がその水を覆い隠したのに気づいた。


(何だ、これは)


それが自分の顔の一部であることに気づいたのは、次の瞬間である。


彼はすくった水を捨てて、自分の顔をまさぐった。毛に覆われた皮膚。突起した口蓋部。


(何だ、これは!)


彼の心は悲鳴をあげた。


(これは人間の顔ではない。犬? それともほかの何かか?)


彼はあわてて水の淀みを探し、静かな水面に自分の顔を映した。


そこにあるのは、人間の顔ではなく、虎の顔だった。


彼は今度は声に出して恐怖の叫びをあげた。


 


 


第二章  逃走


 


フォックスと彼女は呼ばれていた。ある国での狐を意味する言葉だ。その国でもこの国でも、狐は狡猾な生き物だということにされている。


しかし、彼女はその自分の仇名が嫌いではなかった。それは彼女の剣士としての才能への称賛でもあったからだ。試合で彼女に敗れた相手は、相手が女だから油断したと一様に言った。そう言わない剣士も、彼女の試合ぶりは狡猾であり、男らしく堂々とした戦いではないと言った。そう言われても、彼女は平気である。女である自分が体格も体重もまるで違う相手に勝つには、相手の予測を外して勝つしかない。それが狡猾というなら、日常の剣の修行など、戦場での役には立たないだろう。


 


フォックスは今、危機にあった。


彼女が仕えていた国の国王が暗殺され、王妃の命令でその娘と息子を、姻戚関係のある別の国に送り届けるという使命を受けたのである。


その娘、つまり王女は10歳、息子、つまり王子は8歳の足手まといな年ごろだ。


王宮に敵兵が押し寄せる直前にフォックスは王女サファイアと王子ダイヤを連れて王宮を脱出した。


王宮を離れて数時間後、夕焼けの空を背景にして王宮に火と煙が上るのが見えた。王妃が自刃し、王宮に火をつけたのである。フォックスはある丘の上から、涙を眼ににじませながらそれを見たが、すぐに踵を返して王女と王子の所に戻り、声をかけた。


「これからあなたたちの叔母であるタイラス国の王妃のもとへ向かいます。これからしばらくは、あなたたちは、サントネージュ国の王女王子であることを他人に知られてはいけません。サファイア様はソフィ、ダイヤ様はダンです。いいですか」


恐怖を押し殺しながら、二人の子供は気丈にうなずいた。


 


それが二日前のことだった。幼い子供連れだから、どんなに急いでもそう早くは歩けない。王宮からはやっと20ピロほども離れただろうか。


日もかなり斜めに傾いてきている。


ある野原まで来た時、背後から近づく騎馬軍勢の足音が聞こえた。


あたりには林や森は無い。


フォックスは絶望を感じながら、子供たちの手を引いて近くの小さな茂みへ飛び込んだ。


何か柔らかいものを踏みつけたような気がしたが、気に留めている場合ではない。


「うっ……」


うめき声がした。自分の踏みつけたものが人間の体であることにフォックスは気づいた。


「あっ、済みません」


と言いながら相手を見てフォックスは「きゃっ!」と悲鳴をあげた。自分もこんな女らしい悲鳴をあげることができるんだ、と頭の隅で考えながら、彼女は相手を見つめた。


それは、虎の頭をした大男だった。


むっくりと体を起こして、彼女を見ている。


その黄色い眼ははっきりと虎の眼であり、その頭が仮面などではないことが彼女には分った。


「どうか、騒がないでください。悪い連中に追われて、姿を隠したところなのです」


相手の異様な姿に怯えながらも、フォックスはそう言った。今は、この相手の正体よりも、恐るべき追手から逃れることを考えるべきだ。


 


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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