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人類1万年の歴史書www

まあ、その「書物」は、写真で見たかぎりだとパピルスではなく竹簡だと思うが、それでも1万年も昔の書物というのはインチキ臭い。それに、発見されたばかりの書物がなぜ「歴史書」だと分かるのか。1万年昔の文字が既に解読されたのか。現代語で書かれた「1万年昔の話」は、それは歴史ではなく空想文学だ。

(以下引用)


「チベットで人類一万年の歴史書が見つかった」ってツイート、何のソースもないし(画像はチベットの実在のお寺のものだけど)、アカウントはJアノンだし、そもそも最古のパピルスは4600年前くらいのものだし、リツイートしない方がいいと思うよ……。


(追記)おそらく、スピリチュアル系で言われるアカシックレコードの概念から思いついたいたずらではないか。

アカシックレコードakashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で[1][2]アーカーシャあるいはアストラル光[注釈 1]に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている[6]。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層[7]を意味することが多い。アカシャ年代記Akasha-Chronikakashic chroniclesアーカシャ記録アカシアの記録[8])とも。近代神智学[注釈 2]の概念であり、その他の現代オカルティズムの分野(魔術等)でも神智学用語として引き合いに出されることがある。また、陰に陽に神智学運動の影響を受けている欧米のニューエイジや、日本の精神世界スピリチュアル占い予言といったジャンルでも使われる用語でもある。アカシックレコードが存在する科学的根拠はない[9]

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「らんま1/2」と LGBT

ネットテレビであまり見たい番組が無いので、昔の番組を見たりしているが、「らんま1/2」などは、昔見ていた時には気づかなかったことが分かって面白い。まさにLGBT議論が姦しい現在こそ見直されるべき作品ではないか。
つまり、自然に与えられた性と自認する性とどちらが優位かという問題である。
らんまは与えられた性が常に変動するが、自認する性は常に男性である。なら、彼は男性かというと、周囲の見る目はそうではない。あまりに魅力的な女性なのである。(自分でもその魅力を知っているところがあざといwww)まあ、男性としては単に喧嘩が強いだけだが、女性としてはほぼすべての男性をメロメロにする魅力があるわけだ。はたして、この場合、どちらがメリットは大きいのか。
まだLGBTが議論の対象になっていなかった時代に、このような作品を書いた高橋留美子の天才性は別問題として、性自認と「所与の性」とどちらが重視されるべきか、果たして議論は十分に尽くされているだろうか。

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皇統の意味

ふざけたタイトルから分かるように、真面目に考えたとは思えない内容だが、尊敬する紙谷氏の考察ではあるので、議論の叩き台として転載する。
個々の内容の批判はともかく、私のこのエッセイへの批判の中心は、「この方式で天皇を置くことの意味は何か」がさっぱり分からないということだ。国民の人気投票で天皇を決めるのなら、芸能人天皇が代々続くことになり、当然財界の操り人形にしかならないだろう。そういう天皇に何の存在意義があるのか。
まあ、政治的実権は持たせない、という点では現行憲法下の天皇も同じだが、それでも、小さい時から未来の天皇として天皇の存在意義や責任を考えてきた人間だから天皇になる資格があるのである。万世一系というのは厳密には幾つかの断裂はあるが、それでも「皇統を維持する」ことの意義は、天皇の直系の者(次期天皇)が「天皇としての意義を考えながら成長する」ことにあるわけだ。



(以下引用)

ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい

 

 日本国憲法第1条は


天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く


 っていう具合に「日本国民の総意に基く」わけだから、天皇という制度自体はそもそも基本的人権や平和主義のように「永遠に」動かせない原則じゃなくて、国民の意思で憲法を変えて制度をなくしたり根本的に変更したりすることもできる。


 だけど、憲法を変えず、今の憲法の範囲内でも、「日本国民の総意に基」いて、天皇のあり方をもっと自由にデザインできるし、してもいいんじゃねーか。


 めざすところは、

  1. 天皇個人・皇室のメンバーをもう少し自由に生きさせてあげたい。人としての尊厳=人権を保障するというか。
  2. 明治憲法を引きずるような神的性格・権威的性格を削って、実権のない、しかし親しみと実感のわくシンボルとしての役目=「1日駅長」「〇〇県ぶどう大使」くらいのゆるさにしたい。
  3. 政治家が政治利用をできないようにしながら、同時にその地位が国民の総意に基づくことを制度上きちんと組み入れたい。
  4. 「こいつこそ、ニッポン!」的な統合象徴性はできれば大事にしたい。

といったあたりだ。憲法で定まっていないことは、法律や皇室典範を変えたらいいんだから、思い切ってそこをゆるやかにやるべきだということである。


 

天皇をやめられる・キョヒれる

 まず、天皇がイヤになったら・しんどくなったら交代できる、お休みできる。そういう制度にしたい。即位も拒める。老舗の跡継ぎじゃないんだから「将来はお前に店をまかすぞ」ってな具合に人生を縛られるのは誰でもイヤだろう。


 そこで、女性天皇女系天皇などを取り入れる。


 だけど、それでも順番を強制的に回される方はたまったもんじゃない。「え、〇〇宮がイヤって言ってんの? じゃ、じゃあ次は俺しかいないじゃん!! ちょ、待って待って待って待って。やだよ、おれ……やりたいことあるもん」。


 町内会の輪番、PTAの役員と同じである。 


 

養子をOKにする

 しかし、そこでネックになるのが第2条だろう。


皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


 世襲かあ。世襲じゃあなあ。


 たとえ女子や女系を許容しても、受け継げるメンバーは限られてしまう。


 そこで養子ですよ。


 皇室典範第9条、


天皇及び皇族は、養子をすることができない。


 を変えればいい。まあ、養子構想ってすでにあるみたいなんだけどね。


 民間人で天皇になりたい人がいたら手を挙げてもらって、民主的な手続きでそれを決めて、養子縁組をするのである。歌舞伎の芸養子っぽく。


 AKBメンバーとか、スーパーボランティアの人とか、清原和博とか、ホリエモンとか、イチローとかが手をあげるのである(決め方は後で言う)。


 そして、そういう民間人出身の天皇は、退位後天皇家にいたくなければ離脱する(養子離縁)。


 

天皇を休める

 「しばらく天皇、休みたい」。


 そういう場合は、摂政にやってもらうのである。


 摂政は皇室典範第16条で


第1項 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
第2項 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。


となっているんだけど、これでは摂政を置く条件が狭すぎる。これを例えば「天皇が、やむを得ない事情で、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」とかに改正したらいいのでは。


 

天皇について選挙する

 今の天皇の制度は、天皇になる順番をあらかじめ厳格に決め、有無を言わさず生物的に死ぬまで天皇をやらせるところがあって、それゆえに政治が介入する余地が少ない。つまり首相などの政治家が国民にウケるタイミングで即位させたり、気に入らない天皇を退位させたりといった具合に、皇位継承や退位などで政治利用しにくいのである。


 これを皇族や天皇の自由意志でやらせたり養子を取ったりするようになると、今度は政治利用の可能性が高まってしまう。


 そのあたりのジレンマをどうするか。


 そこで、天皇の選挙、もしくは信任投票をしたら?


 3人くらいの候補者の中から選ぶ。


 もしくは1人について信任投票する。


 最高裁裁判官みたいに、直近の国政選挙のときに一緒にやる形で。


 まあ、元来皇室の人は信任投票にして、民間人出身で養子を取る場合は選挙にしたらいいのでは。


 こうすれば、政治家による政治利用も防げて、「日本国民の総意に基く」も制度に組み入れられるわけですよ!


 本当は退位もそういう選挙で認めるかどうか決めるのがいいんだけど、そこまでやると「もうしんどいからやめさせて……」的なことが無理になるので。そこは内閣が出したオッケーが政治利用でなかったかどうかを国政選挙で審判下すしかないわな。


 


 ここまでで、「ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい」はだいたい終わり。


 あとは、「できれば実行したら?」程度のプラスアルファの提案。 


 

プラスアルファ1:国事行為だけやってね

 天皇の仕事は、本来、憲法に定められた「国事行為」だけにすべきだ。


 それ以外は「公的行為」とされている。例えば共産党だって、公的行為は“憲法の範囲を逸脱しないものはいい”という形で認めている。「公的行為」を認めるという憲法学者は「国事行為の憲法のリストはあくまで『例えば』ってことだから、それ以外もやっていい」と言っている。


 しかし、「公的行為」なんて憲法には規定されていない。「公的行為」なんて認めない、という憲法学者も少なくない。


 憲法第4条はわりとはっきり書いてある。


天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。


 だから国事行為以外をやめさせたほうがいい。


 

プラスアルファ2:ニッポンの象徴にふさわしく

 「これぞニッポン」的な象徴のあり方を模索してほしい。


 さてここが難問である。


 例えば、民間養子天皇の場合、AKBメンバーが天皇になったり、スーパーボランティアが天皇になったりする。「オタクこそ今の日本だ」と思えばAKBのメンバーがやってもいい。スーパーボランティアの精神こそ日本的だと思うなら、尾畠さんみたいな人がやってもいい。天皇の仕事は憲法通りだから、国事行為しかやることはない。それ以上はやらなくていい。やってはいかん。でも、こういう元民間人の養子天皇の場合はすでにイメージがあるので、国事行為だけこなしていても大丈夫である。


 しかし、もともと皇室の人、つまり生まれながらに天皇家の人は、なかなかそういう具体的な象徴性を示しにくい。


 「天皇家の人というだけでいいじゃないか」という人がいるかと思うが、前天皇明仁)はそこから脱却し、狭義の「国事行為」のみならず、いろいろ「公的行為」を駆使して動き回って、「感情労働」をこなすことで「平和憲法の理念を受け継ぐ象徴」という、国民全体はもとより、左翼の中でもけっこう人気の統合イメージを得たわけだから、「公的行為」を禁じた上で「天皇家の人というだけでいいじゃないか」とするのは、何となく抵抗を覚えてしまうのである。


 だけど、しょうがないよね。そこは、がまんしてください。


 まあ、どうしてもっていうなら……「公的行為」を多少認めてもいいけど。


 

プラスアルファ3:元号をやめる

 「明仁天皇やめるってよ」みたいなことが頻繁に起きるかもしれないので、元号はコロコロ変わってしまう可能性がある。


 昔の元号みたい。ウィキペディアとかで確認しただけど、2年とかで変わるもんな。特に鎌倉時代のひどさに草。2年で終わった元号が12もある。「天福2年」だってw   三波伸介かよ。


 だから元号の公式利用をもうやめる。混乱するだけなので。西暦だけにする。


 元号は、天皇家が私的に発表するだけにしておく。LINEのメッセージとかでさりげなく使うと、「お、マニアなもん、知ってるね」みたいに、ちょっとおしゃれでプレミアなクール感☆が漂うかも!


 


(以下省略)紙谷氏自身ではなく大塚英志の天皇論が中心なので、以下は略する。


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表現の自由とマスク

えっ? 今の日本はマスクをしていないと公共の場に出られないマスクファシズム社会なんだが?

まあ、表現の自由論者が「顔は性的部位」というアイデアを思いついて舞い上がったのだろうが、自由と禁止の両方を支持するのは難しいだろう。ちなみに、下のツィートをリツィートした某漫画家は屋外ですらマスクをしていない人間に怒るキチガイじみたマスク推進派である。

(以下某ツィートを引用)


「性的な表現は公共の場ですべきではない」と主張する人たちは、どういうわけか「顔は性的な部位」という事実を失念する傾向がある。 多くの人にとって性別と年齢が性的嗜好に重要な要素であり、顔はそれを確認するのにうってつけの部位だからだが、これを公共の場で隠せという規範は現代日本には無い

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鬼畜たちの宴

「魔群の狂宴」は、別に煽情的に暴力を描きたいわけではなく、思想によって人間が狂人化する姿を描きたかっただけである。その時の人間は聖書に出て来る「悪霊が侵入した豚」なのである。
で、現実には悪魔以上に悪魔的な人間もたくさんおり、良心のかけらもなく、自分の悪行に悩むことはまったくない。犯罪については恐ろしく頭が良く、度胸があり、知識もある。
そういう連中の実話に比べれば、フィクションの中の悪など児戯に類するだろう。

(以下「現代ビジネス」から転載)非常に優れたドキュメンタリーであり、現代の犯罪や犯罪を巡る国際関係の問題点など多くの知見が得られる。ここでは1ページしか載せないが、全文と後編(未発表)を読むことをお勧めする。


奥多摩山中で26歳男性がバラバラ死体に…BBQと共に行われた鬼畜たちの「狂気の宴」


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現代ビジネス

切断された右腕

松井知行容疑者(2002年撮影)=警視庁ホームページから



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「魔群の狂宴」25



・軍歌「海行かば」を曲のみの荘重陰鬱なオーケストラ曲でバックに、船(軍艦?)に乗って大陸(満州)に渡る軍服(将校服)姿の須田銀三郎。

・関東軍本部の門を入る銀三郎。

・本部通路で真淵大佐と出会う銀三郎。お互い、複雑な表情で見つめ合う。

・本部の後ろの公園の小さな丘に登るふたり。木陰のベンチに腰を下ろす。

真淵「お前にここで会うとは思わなかった」
銀三郎「俺もだ」
真淵「今となっては、どれもこれも昔の話だが、理伊子さんのことは俺にはまだ忘れられん」
銀三郎「ひとりの女にそれほど執着できるのは、俺にはむしろ羨ましいよ」
真淵「あの事件でいったい何人の人間が死んだだろうか」
銀三郎「これから死ぬ人間の数に比べたら些細なものさ」
真淵「そうだ。その戦争を俺たちが起こすのだ」
銀三郎「それが日本のためになると?」
真淵「当たり前だ。日本が世界の大国になるためには通らねばならない試練だ」
銀三郎「その利益を得るのは、少なくとも兵士やその家族ではないな。俺は、兵頭のアナーキズムを馬鹿にしていたが、今のような風潮だと、それに賛成したい気になるよ」
真淵「それだのに志願して兵役に就いたのか?」
銀三郎「少なくとも、家にいるよりは刺激が得られるだろうからな」
真淵「札幌事件、つまり佐藤富士夫殺しの犯人は結局兵頭だったのか?」
銀三郎「さあな。自殺した桐井という男が、自分が犯人だと書き残していたらしいが、あのふたりは親友だった。話に無理がありすぎる。桐井の自殺死体が利用されたのだろう」
真淵「まあ、誰が犯人でもいい。理伊子さんが殺された件でも、群衆の誰が石を投げたのか分からずじまいだ。その辺の浮浪者が犯人だとされたが、あれは警察が適当に捕まえたのだろう」
銀三郎「放火事件では藤田という浮浪者と、富士谷、栗谷という社会主義者が犯人だとされて処刑されたが、真相は不明だ」
真淵「兵頭は上手く逃げたものだな」
銀三郎「少し延命しただけさ。関東大震災の時に、警察に逮捕されて、署内で殺されたようだ」
真淵「そうか。それは知らなかった。あまり新聞は見ないのでな」
銀三郎「理伊子さんや佐藤夫婦の死はもう十年も前になるのか。往時茫々だな」
真淵「お菊さんはどうなった?」
銀三郎「病気で死んだよ。一生俺の看護婦をすると言っていたが、自分が先に死にやがった」
真淵「軍人になれば、少なくとも個人的な看護婦も妻もいらん。そこが取りえか」
銀三郎「俺などは、誰よりも先に死んでいていい人間なんだがな」
真淵「お国のために死ねばいいじゃないか」
銀三郎「兵頭が言っていたらしいが、国とか政府というのは幻想らしい。その幻想を利用して上の国民が下の国民を支配しているんだとよ」
真淵「不敬な思想だな」
銀三郎「あれは、すべての人間が平等な世界を作りたいという夢を持っていたらしいがな。馬鹿だよ。あいつは自由な世界を作りたいとも言っていたが、自由と平等が両立するはずは無いじゃないか。この世界は誰かが誰かを支配することで動いているだけだ」
ふたり、少し沈黙する。
真淵「俺も、貧しい人々をその境遇から救いたいという気持ちはある。そのために国が強く豊かになる必要があるんだ」
銀三郎(嘲笑の表情を浮かべて)「他の国から奪ってか」
真淵「それが弱肉強食の世界なのだ」
銀三郎「強いものが弱いものの肉を食って栄える社会だな。弱者にとっては、まあ、一種の地獄だよ」
真淵「弱者は強くなる努力をすればいいのだ」
銀三郎「そして強者は弱者を食っていっそう強くなるわけだ。永遠の闘争か。俺たちは幸い強者の階級に生まれたが、そうでなければ、兵頭と同じ思想になったかもしれん」
真淵「……そうかもしれんな」
ふたり、黙って遠くを見る。町の尽きるところには地平の果てまで広がった平野がある。そして、その上の白雲を浮かべた青空に午後の日が傾いている。

(ラストシーン別案)

丘の上のふたりを見下ろすようにカメラがゆっくりと上昇し、雲の上に突き抜ける。そのままカメラは飛翔しながら雲の上に太陽が輝く様を映す。その間、ヘンデルの「ラルゴ」が流れている。
そして




(「終」の字が出て、終わる)

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「魔群の狂宴」24


・大正末期の庶民の窮迫を訴える当時の新聞記事が連続して画面に出る。
・同様に労働運動の激化を伝える新聞記事。
・政治の堕落を批判する新聞記事。
・関東大震災を伝える新聞記事。
・(昭和に入り)「515事件」を伝える新聞記事。
・「226事件」を伝える新聞記事。
・シナ事変勃発を伝える新聞記事。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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